4-14

 夜、俺は珍しく机に向っていた。

 だけどやっているのは宿題じゃなければ、当然予習でもない。

 じゃあなにをやっているのか?

 正直なところ、俺にもよく分からない。

 慣れない俺はノートに書かれた言葉の羅列になんて名前を付けたらいいのか分からなかった。

 ただ思いついた言葉を書き殴っていく。

 シチュエーションを、言葉を、人物を、言語化していく。

 その作業が思ったより楽しくて、気付くと夜は深くなっていた。

 なのに一向に眠くならない。

 むしろ意識は冴えていった。

 なにもない真っ白な空間。

 そこに俺は文字で建築をしていく。生命を産んで育んでいく。空を描く。

 いつの間にか白い部分は減っていって、賑やかな世界ができあがる。

 そこは自由で、同時に俺という不自由があった。

 俺が知らないことは書けないし、思いつかないものは生まれない。

 そのことに多少辟易としながらも、文字を書く手は止まらなかった。

 それでも疲れはやって来る。

 冷静になる時間も必要だ。

 俺はぐーっと伸びをした。時計を見ると夜の三時だ。

 今日は徹夜だな。

 そう思った途端、喉が渇いた。

 家に帰ってから一度も水分を取ってない。

 このまま倒れてもあほらしいので、俺は部屋を出て、一階のキッチンに向った。冷蔵庫を開けてミネラルウォーターのボトルを見つけると、そのままごくごくと飲んだ。

 あっという間にボトルの中身が半分になる。そこでようやく俺は一息ついた。

 キッチンに置いてあったバターロールを二つ取って、一つを咥え、もう一つをボトルと一緒に持って行く。

 そうしてリビングを出ようとすると、目の前に姉貴がいた。

 どうやらまだ起きていたみたいだ。頬がほんのり赤い。

 また飲んだのか?

 姉貴は俺を見て少し驚いていた。

「あれ? まだ起きてたの? 明日は学校でしょ?」

 俺は咥えていたバターロールを手に持った。

「そうだけど、眠れなくてさ。腹が減ったから取ってきた。姉貴は? もうすぐ収録だろ? 朝早いから早寝する習慣つけるんじゃなかったのか?」

「わ、わたし?」

 姉貴はどこかぎこちなく自分を指差した。手にはタオルを持っている。

 俺がタオルを見ると、姉貴はそれを持ち上げた。

「あ、これ? え、えっと・・・・・・、あの・・・・・・。マ、マッサージしてたら、その、汗で床が濡れちゃったから・・・・・・。それで・・・・・・拭かないとって」

 なぜか姉貴は顔を赤くしていた。

 だけど正直今、俺は俺以外に興味がなかった。

「ふ~ん。あ、これ。水とパン。母さんに聞かれたら俺が持っていったって言っといて。じゃあ」

「う、うん・・・・・・」

 姉貴を置いて、俺は二階の自室に戻った。

 椅子に座って、肩を回す。

「・・・・・・よし」

 そしてまたシャーペンを踊らせた。

 今度はもっと具体的な言葉が並んでいく。

 作った世界に現実味を持たせる。人物に命を吹き込んでいく。生きている人間として扱い、思考を理解する。

 すると不思議なことに彼らが自然と動き出した。

 会話をしたり、行動したりと忙しい。

 俺は慌てながらそれらを全て文字にしていく。

 止まったと思ったら、忙しくなる。

 俺はへとへとになりながらもシャーペンを走らせた。

 しばらくすると彼らは大人しくなって、動きを止めた。 

 俺もほっとして手を止める。

 再び時計を見ると朝の五時を過ぎていた。

 窓の向こうを見ると、微かに空の奥が白んでいる。

 ぼんやりとその光景を眺めていると、後ろのドアが開いた。

「お疲れさま」

 振り向くと姉貴が湯気の出ているカップを持って立っていた。

「なんか、頑張ってたみたいだから。はい。ホットミルク」

 姉貴は優しく微笑んでカップを手渡した。

「あ、ありがと。でも寝なくていいのか?」

 俺はミルクを飲んだ。温かくておいしい。

「まあ、どうせお昼寝するし、大丈夫だよ。それより涼君の方が寝ないとダメでしょ? 終わったの?」

「うん、まあ。一応はそうかな。終わったというより、始まったって感じだけど」

「そっか。よかったね」

 姉貴は嬉しそうに笑った。

 姉貴の笑顔を見て、なぜか俺は安心した。

 もう一口ミルクを飲む。すると姉貴が少し寂しそうな表情を浮かべた。

 不思議に思って見ていると、姉貴は口を開いた。

「・・・・・・ずっと、心配してたことがあるんだ。聞いてもいい?」

「・・・・・・いいよ。なに?」

 姉貴は躊躇いながらも続けた。

「涼君が夢を持てなかったのって・・・・・・、もしかして、わたしのせいかな?」

「・・・・・・は?」

 どうやら姉貴は俺が夢を持てないことに苦しんでいたのを知っていたらしい。

 だとしてもそれがどうして姉貴に繋がるのか、俺には分からなかった。

 突然、姉貴は目に涙を浮かべた。

 俺は驚いてカップを机に置く。

「どうしたんだよ?」

 そう言った瞬間、姉貴が俺に抱き付いてきた。

 びっくりして俺が受け止めると、姉貴は泣きながら話した。

「だって、だってね? お姉ちゃんずっと夢に向ってやってるのに、全然叶いそうにないでしょ? それを見て涼ちゃんが目標なんて持っても大変なだけだって思ったら・・・・・・。それは、やっぱりわたしのせいだと思うの・・・・・・」

 なるほど。そういうことか。

 俺は泣きじゃくる姉貴の背中を撫でてやった。

「考えすぎだよ。俺の問題は全部俺が悪いんだ。姉貴は悪くないよ」

「・・・・・・でも、・・・・・・だって」

 どうやら姉貴は俺の言葉を慰めだと思っているらしい。

 普段は俺の気持ちなんて考えないくせに、こういう時は他人に優しくできる。

 姉貴の不安そうな顔は、俺の記憶を蘇らせた。

『涼ちゃんはわたしのこと、軽蔑する?』

 あの台詞を言った時と、今の姉貴は同じ顔をしていた。

 思い出した。あの時俺は、なにも言えなかったんだ。

 なんだ。結局俺はいつもそうだ。

 問題を先送りにした挙げ句、もがいてるわけだ。

 俺は苦笑と共に嘆息して、そして姉貴に言った。

「心配すんなよ。俺は姉貴を尊敬してる。それなのに姉貴を見て夢に絶望するわけないだろ?」

「・・・・・・本当?」

 姉貴はくしゃくしゃな顔で俺を見上げた。

「本当だよ」

「・・・・・・お姉ちゃんが、エロゲ声優でも?」

「姉貴がエロゲ声優でもだ」

 俺は念を押しておいた。

「姉貴は頑張ってるよ。だから、俺も頑張るさ」

 俺が笑顔を見せると、姉貴はようやく安心した。

 嬉しそうに笑うと、またぎゅっとしてくる。

「涼君、大好き♪」

「はいはい。俺もだよ。だから寝ろ。肌に悪いぞ。あと重い」

 俺があしらうと、姉貴は離れた。

 そして、部屋の出口で俺に手を振った。

「お姉ちゃんの部屋には鍵してないから、いつでも来てね」

 俺がおやすみと手を振ると、姉貴は自分の部屋に戻った。

 鍵どころかドアが開いてる時もあるだろ。

 だから台本読んでる本が聞こえるんだよ。

 まったく。

 俺がやれやれと肩をすくめると、眩しい光が窓から入って来た。

 朝陽だ。

 俺は大きな欠伸をした。

 今さらながら眠くなって来た。

 結局一睡もしなかったな。

 俺は眠気を我慢しながら、夜の間に書いたノートを見返した。

 書いてあるのは有象無象。

 思考のラフスケッチがびっしりとノートを埋め尽くしていた。

 それを最後まで読み返し、俺はノートを閉じた。

 恥ずかしくて死にそうになった。

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