4-4
姉貴はてくてくと近づいて来て、俺の目をしっかりと見た。
そして腰に手を当て、俺を指差すと、小さな子供に説教するような口調で言った。
「凉君。ダメでしょ。あんな言い方して。神村さんは夢に向かって頑張ってるのに」
どうやら話は聞かれていたらしい。俺は姉貴から視線を切って、横を向いた。
「頑張ってるからって何を言ってもいい事にならないだろ。俺は姉貴が父さん達を説得した時も、養成所落ちた時も、声優になれても仕事がなかった時も、全部見てきたんだよ。だから何も知らない奴にとやかく言って欲しくないんだ」
「気持ちは嬉しいけど、それはわたしの話じゃない。神村さんは神村さんなんだから」
姉貴はむっとしたままだった。こんな風に人を責める目を久しぶりに見た。
しかし、俺としては姉貴の為を思って言ったのに、その姉貴にこんな風に怒られるなんて思ってなかった。
当然気分がいいものじゃない。
「じゃあどうしたらいいんだよ? 俺は現実を言ってるんだ。養成所で仲がよかった友達はほとんど声優になれずに辞めていって、なれた人も仕事がなくて辞めたんだろ。同じ事務所で同期はほとんどいなくなったし、仕事があっても食えないからバイトして繋いでる。それでもそんな現実を言わないで、声優は楽しいアニメと歌のお仕事ですって言えばいいのかよ? そんな一握りの人間だけ見せて、それが業界ですって、おかしいだろ」
「実力の世界だからそういう事もあるでしょ。頑張ったからって報われないなんて事は社会に出たら当たり前なの」
「まともに働いた事もないくせに社会を語るな」
「声優の仕事はまともじゃないって言うの? 凉君の方こそ馬鹿にしてるよ。ゲームだってあげてるのにあんまりプレイしてないし」
「昼間に姉貴が台本を読み上げてるんだからわざわざやらなくても内容は大体分かってるんだよ。それにいい加減、自分が出てるエロゲを弟に渡すお前もおかしいって気付け!」
ああ、もう。なんで俺達はこんな所で姉弟喧嘩してるんだ?
昨日まで酒飲んで泣き言を言ってたくせに。
これも全てエロゲのせいだ。
やっぱりろくなもんじゃない。擁護した俺が馬鹿だった。
全てのメーカーは発売日延期の罪を償って会社を畳みやがれ。
互いに睨み合う俺達姉弟を見て、神村はさっきから慌てふためいている。
「あの、なぎささん? 近所の人も通りますし、あんまり姉弟喧嘩を外でやるのは・・・・・・。それに、その、あたしも悪かったですし・・・・・・」
しかし姉貴は引かない。
こうなったら厄介なのは弟の俺が一番よく知っていた。
「神村さんは悪くないよ。わたしだってこの仕事をする前はそういう風に思ってたもん。夢を与える楽しい仕事だって。アニメが好きだから関わりたいって思うのは普通だよね。でも絵も書けないし、お話も作れないわたし達が作る側として関わるには声優しかないの。凉君はその気持ちを全然分かってくれてない」
さすがにかちんときた。
気持ちを分かってくれてないって、これでも分かろうとしたし、ある程度分かってるつもりだ。だから神村に嫌われてまでもあんな風に言ったのに。
「俺はただ、夢に向かって頑張ってる奴を馬鹿にしてほしくないだけなんだよ。それがそんなにおかしいか?」
「結果が出ないうちに真っ当な評価なんてもらえないなんて事はわたし自身が一番よく分かってるの。夢を追うっていうのは、そういう目で見られるリスクを背負うってことなんだから。なのにあんな言い方して。夢じゃない。憧れだ? 憧れて何が悪いの!?」
「憧れだけで入って苦労してる姉貴を見てきたからそう言ってるんだろっ!」
「ふ~ん。わたしのせいにするんだ?」
「・・・・・・そうじゃない。そうじゃないけど、ずっとそばで見てきた俺の気持ちも少しは考えろよ」
「ならわたしや神村さんの気持ちも考えてよ。現実は大事だよ。でもそればっかり突きつけられたら、みんなやる前から気持ちがしぼんじゃうじゃない」
「本当の事言わないであとで傷つくよりマシだろ?」
「それを夢って言うんでしょ!」
くそ。なんなんだこれは。
姉貴の為を思ってるのに、どうして姉貴はそれを分かろうとしないんだ。
俺は怒りに任せて舌打ちした。
「・・・・・・チッ。エロゲ声優が偉そうに」
「神村さん聞いたっ!? こんな事言うのよ? ひどいでしょ?」
「はい・・・・・・。ちょっと、・・・・・・ひどい、かな・・・・・・」
困り顔で苦笑する神村。
今度はこっちに怒りたくなった。
「お前だってさっき散々エロゲ声優を馬鹿にしてだろ? それを姉貴の目の前だからって隠すなよ!」
神村は姉貴をちらっと見てから歯切れが悪く言う。
「別に馬鹿にしてたわけじゃ・・・・・・。あたしはやりたくないとは言ったけど・・・・・・。その・・・・・・、ああいう経験とかないし・・・・・・」
「なくても出来てるけどねー・・・・・・」
姉貴はそう言って神村に笑いかけた。しかし目が笑えてない。
俺も笑えなかった。ただただ悲しくなる。
「ええ? でも、だって・・・・・・ああいうシーンって・・・・・・その・・・・・・。あれ?」
神村は明らかに混乱していた。何を考えてるのかは大体分かるが、俺は口に出したくなかった。
姉貴はにっこりと笑った。
「神村さんって美少女ゲームやったことある?」
突然の問いに神村は首を傾げた。
「・・・・・・いえ。あ、借りたのを少しだけ・・・・・・。でもすぐにやめちゃいました・・・・・・」
「そう。やれば分かると思うけど、ああいうゲームって全部、ファンタジーなの。どれもこれもすべからく。みんなファンタジーの世界なのよ。登場人物の年齢もみんな18歳以上でしょ」
姉貴はある意味で言っちゃいけない事を笑顔で言ってしまった。
きっと本人はそういう心掛けで演じているんだろう。
「え? でもちっちゃな女の子とかが・・・・・・、その、されちゃってましたけど・・・・・・?」
「その子も18歳以上だし、他の全キャラもそうなの」
「え・・・・・・。みんなあたしより年上?」
神村は驚いた。
無理もない。どう考えても小学生に見える女の子に酷いことをするのがエロゲだ。一定の狂ったユーザーはランドセルに罪悪感を感じず、興奮するだけだ。
ああ、やっぱり潰れた方がいいな。エロゲ業界なんて。
エロゲ業界を代表して姉貴はニコリと笑い、頷いた。
「そう。だからわたしがやってるのはファンタジーのお仕事なの。剣と魔法が男女の肉体に変わっただけなのよ。ファンタジーの世界ではこの世界の経験なんて役に立たないでしょう? だから経験がなくてもできるのよ。むしろない方が喜ばれるの。そう。なくたっていいじゃない? ねえ? そう思わない? あったからってなんなの? わたしが何本のチューペットと台本を共にしたと思ってるの? それに比べれば、世の中の大半の女性は経験不足よ。そうでしょ?」
分かった。分かったからもう休めっ。
全部は俺が悪い。
この通りだ。
だからこれ以上俺のクラスメイトに醜態を晒すな。
「え、えっと・・・・・・」
神村は俺の方を助けてと言わんばかりの目で見てきた。
助けてほしいのは俺の方だ。
そんな事はお構いなしに、姉貴は神村の手を取った。
そしてぐいっと顔を近づける。唇が触れそうになり、神村の顔は一気に真っ赤になった。
そんな神村に姉貴は囁くように、色っぽく囁いた。
「でも、よく分からないわよね?」
「は、はい・・・・・・」
神村はぎこちなく頷いた。
それを見て姉貴は小首を傾げ、ふわりと笑う。
「だからね。一度やってみない?」
「・・・・・・・・・・・・はい?」
神村はきょとんとしていた。
は? やってみる? 何を?
おい。こいつは何を言ってるんだ? 解析班はどこだ? さっさと解読しないとえらいことになるぞ!
「じゃあ決まり。お家においで。わたしの部屋にパソコンあるから」
待て。神村を家に連れてって何をさせる気だ。
うちで遊べるゲームなんてゲームキューブのマリカーしかないぞ。
姉貴は神村の返事も聞かず、手を取ったまま公園の外に出た。
そして家の方向に向かっていった。
「え? え?」
神村は状況が読み込めず、されるがままに引きずられている。
「みんなやらないから分からないんだよ。やってみればそのものの良さも分かるはずだもん」
姉貴は何かぶつくさ言っている。
やらないんじゃなくて、俺達はやっちゃいけないんだよ。
だって17歳だから。
俺は生まれてこの方、体験したことのない悪寒を感じていた。
何かとんでもない事が起ころうとしている。
目の前の次元が歪んで見えた。
「・・・・・・ちょ、ちょっと待てよ。お前、何言ってるか分かって――――」
姉貴と神村を追いかけて公園を出た俺は、背後に冷たいものを感じた。
ぞくりとして振り返るとそこには美鈴がいた。すぐそこにある家から声を聞いて出てきたんだろう。
「・・・・・・あ、美鈴・・・・・・」
「涼ちゃん? ねえ? ねえねえねえ? いのりちゃんと何話してたの? もしかして、今から家に呼ぶの? ねえ。答えて涼ちゃん」
美鈴の瞳は深淵と同じ色をしていた。背後にも同じ色の闇が見える。
ポケットからはよく分からない物の柄が伸びている。
おまけに両方で違う形だ。
どんなものが入っているかは想像もしたくないが、おそらく肉を切る為に作られたものだろう。
しかし、今は美鈴に構っていられない。
「ごめん。またあとで話すから」
「あと? あとってなに? あとっていつなの?」
「あとはあとだ!」
「・・・・・・・・・・・・そうだよね。涼ちゃんに近づく女の子がこの世にいることが問題なんだよね。友達だからって信頼したわたしが馬鹿だったよ」
おかしいな。さっきから俺達は互いに日本語を話しているはずなのに、意思疎通ができてないぞ。
すると俺達に気付いた姉貴がこっちを向いた。
「美鈴ちゃん?」
姉貴は美鈴を見て、何か悟った様に言った。
「一緒に来る?」
その問いに、美鈴は一度俺を見上げた。瞳の色にいつもの明るさがぼんやりとだが戻ってきた。
それから美鈴は姉貴を見て、小さく頷いた。
「はい。行きます」
まじかよ・・・・・・。
今から何するか分かってるのか?
頼むから、頼むから誰かどうにかしてくれ。
「うそだろ・・・・・・・・・・・・」
一人棒立ちする俺の横を美鈴は通り抜けていった。
そして姉貴と神村に合流して、一緒に我が家へ歩いてく。
誰でもいい。あいつらの前に壁を作ってくれ。それが無理なら家を爆破してくれ。その方がまだマシだ。
「お邪魔しまーす」
神村と美鈴がそう言うと、
「はい、いらっしゃ~い」
アホの姉貴がそう答えて玄関のドアを開け、二人を招いた。
地獄の門が開いた瞬間だった。
俺はしばらく虚ろな目で我が家を見ていた。
頼むから、夢であってくれ。
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