4-3
姉貴を心配した俺がバカだった。
何を言い出すかと思えば、あいつ・・・・・・。
そう言えば寝言で阿呆なことを言ってたから、混同したんだろう。
末期のエロゲ声優だな。病院はエロゲ声優科を新設しろ。でないと俺の身がもたない。
今は姉貴より神村だ。すっかりとペースを崩されてしまった。
いつもは近く感じる公園への道のりも今日は長く感じた。
足が重いのは寝起きのせいか、昨日までの疲労のせいか。はたまた姉貴のせいか。
なんて考えているとすぐに公園に着いた。
住宅街に申し訳程度に作られた小さな公園。
遊具はブランコとシーソー、それと小さな砂場があった。
ベンチも二つあるが、足下は雑草が元気よく生えている。
近所の子供達はここから5分歩いた所にある大きな公園に遊びに行く。
俺もそうだった。あっちは遊具も多いし、広いから色々できる。
ここに来るのは老人と、小さな子供を遊ばせる若い母親と、神村ぐらいだ。
しばらく経つと、神村がやって来た。この前と同じ服装だ。
神村は俺に近づき、変質者でも見る目を向けた。
「・・・・・・何してるの?」
「シーソー」
俺は一人でシーソーに乗っていた。
「・・・・・・何で?」
「乗れば分かるよ」
俺はしばらくシーソーをこいでいた。シーソーをこぐって言い方が正しいのかは分からないが、シーソーはこがれていた。
神村はしばらく俺を黙って見ていた。俺も黙ってシーソーをこいでいた。
頭を真っ白にして、ぼんやりと空を眺める。雲が流れていった。鳥が二羽、螺旋を描くように飛んでいく。
シーソーが軋んだ。腰が軽く浮く。
俺が前を見ると、神村がシーソーの反対側に乗っていた。
じとっとした目で、口はへの字だ。
しばらく俺達は無言でシーソーをこいだ。
そして神村は不機嫌そうに言った。
「分からないんだけど」
ぎっこん。
「分からないって事が分かっただろ」
ばったん。
変な空間だった。日曜の午前中に、高校二年の男女がシーソーをこいでいる。
我ながら馬鹿な事をしてると思う。けど、不思議とやめようとは思わなかった。
「なんで昨日無視したの?」
ぎっこん。
「言っただろ。眠かったんだ」
ばったん。
「・・・・・・意味は分かったよね。なんで言ってくれなかったの?」
ぎっこん。
「聞かれなかったからな」
ばったん。
妙なリズムで水色の塗装の剥がれかけた古いシーソーは軋んだ。
「昨日、友達と話したの。声優さんに会えたって。名前を聞かれて言ったら、その人はこういう名前でもやってるよって教えてくれて」
「・・・・・・その友達って誰だ?」
「釘笠さん」
殺す。ぶち殺す。
あのアホはどれだけ俺の人生に関わってくるんだ。
「お前ら仲良かったか? あいつ友達いないって言ってたぞ」
「うん。なぎささんと話した帰りに、バスでたまたま会って。釘笠さんがアニメの紙袋持って嬉しそうにしてたから」
「話しかけたと。そうか。お前そういう話する友達いなさそうだもんな。でも多分その紙袋に描かれてたのはアニメじゃない」
突然クラスのヒエラルキーでトップに君臨する神村が釘笠みたいなミトコンドリアに話しかけたら動揺したんだろう。
顔を赤くしながら慌てふためき、一方で好きな話ができる嬉しさでいらない事まで言うあいつの顔がありありと浮かんだ。
殴りたくなるほど噛みまくっていたに違いない。
「そうなの? 釘笠さんはゲームが好きなんだって。好きなゲームが延期して怒ってた。あれは延期商法だって」
「それで釘笠から知らされて、ネットで調べたのか。便利な世の中になったもんだ。隠し事一つできやしない」
「やっぱり隠してたんだ」
「知られたくない事は誰にもあるだろ。それに何一つ嘘はついてない」
「一緒でしょ」
「違うね。姉貴が言ったことは全部事実だ」
「でも一番大事なことを隠してた」
「一番大事なことは姉貴が声優かってことだろ」
「でも・・・・・・その、あんなゲームの声優だなんて、思わなかったし・・・・・・」
「だからってあんな一言だけよこしやがって。俺でよかったよ。姉貴が見たら泣いてたかもしれない」
「だって嘘つきじゃない。あたしはなぎささんを仕事がなくても頑張ってる人だと思って尊敬してたのに」
「意味の分からない事を言うなよ。何でうちの姉貴がお前の理想に付き合わないといけないんだ? みんながみんな、やりたいことを出来るわけじゃないし、そんな世界はどこにもない」
「やりたい事の為に頑張るからすごいんでしょ? なりたい自分になる為に努力する事もしないで、場当たり的に仕事を選ぶ様な人間にあたしはなりたくない」
「何も知らないお前が知った様は口を利くな。誰だって理想があって、現実とのギャップに苦しんでるんだよ。姉貴だって悩んだ末に選択したんだ。声優を続ける為にはしょうがなかったんだよ」
「でもなぎささんだって本当はアニメの仕事がやりたいんでしょ? なら、あんな・・・・・・えっちな・・・・・・。お金がないならアルバイトでもすればいいのに」
「それじゃあ経験が積めないだろ? そうなれば事務所から放り出されるかもしれない。お前が許せないのは理想が現実に汚されたからだ。大体今はアニメだってそういうシーンがあるだろ。美少女キャラが裸になる様な作品だってたくさんあるしエロゲだってアニメ化する。もしそんな作品に呼ばれたら、それがどんなに良い条件でも出来ないですって言うのか?」
「・・・・・・だって『その声を』じゃそんなシーンなかったし・・・・・・」
「キスシーンがあっただろ。かなり激しいのが」
「キスはいいじゃない。そういうシーンも直接見えてるわけじゃないし。あたしが言ってるのは、あんな男が考えた女のことをなんとも思ってないゲームに普通女の子は出たくないってこと。バカじゃないの。あんな・・・・・・」
「・・・・・・お前、内容知ってるのか?」
「一応、釘笠さんにちょっと借りた」
「タイトルは?」
「姫騎士対触手 ~くっ、殺せ! それでもわたしは負けたくない~ってタイトルだったと思う」
また釘笠を殴る理由が増えてしまった。
まったくどいつもこいつも俺の周りの女はソフ倫の仕事を無視しやがる。
「よく覚えられたな・・・・・・。けど、そんな特殊趣味の作品を一本持ってこられて、業界全体を貶められてもな」
「それでも、あんな恥ずかしい台詞言うくらいなら死んだ方がマシ」
「・・・・・・お前、声優ってなんだと思ってるんだ?」
「何って、みんなに夢を与える仕事とか。人を感動させる仕事でしょ」
「それは結果だろ。声優の仕事は与えられた台本を読むことだよ」
「偉そうに言わないで! あたしは実際に感動したし、夢をもらったの!」
そこで神村はシーソーから降りた。
俺は神村の意見を聞いて、分かってしまった。
こいつは夢に夢を見ているんだ。夢を追うこと自体が好きなんだ。
案外、世の中のみんなが持ってる夢なんてこんなものなのかもしれない。
神村が好きなのは声優じゃない。自分が抱いた声優のイメージだ。
それなら、姉貴がエロゲをやってることが気にくわないのも納得できる。
確かにエロゲは18禁マークが示すように世の中全ての人に合わせて作られちゃいない。
マイナーで、独りよがりで、馬鹿で、非現実的な紙芝居だ。
だけど、内容は擁護できないほどだとしても、作ってる奴らは本気でやってるんだ。
ライターもイラストレーターも声優も。みんな一生懸命やってる。はずだ。
少なくとも姉貴はそうだ。
恥ずかしい台詞を頑張って読んでる。
俺の記憶じゃあ、彼氏だってろくにできたことないのに。
なのに、それは嫌いだからって理由で全否定するのは間違ってる。
だから俺は腹を立ててるんだろう。
俺もシーソーから降りた。
「お前のは夢って言わないんだよ。ただの憧れだ。非現実的な妄想でしかない」
正直、自分でも意地の悪いことを言ってると思う。
だけど、ここで俺が言わないといけないことだとも思った。
案の定、神村はショックを受けていた。
「・・・・・・ひどい。なんでそんな事言うの? あたしは本気で――」
「本気なんだろうな。だけど、・・・・・・だからこそお前だけには姉貴を否定されたくないんだよ。同じ夢を持ってるお前だけには」
俺がそう言うと、神村は口をつぐんだ。
言いたいことはなんとか伝わったみたいだ。
まあ俺も悪かった。最初からちゃんと言っておけば、こいつのキラキラした夢は傷つかずに済んだんだろう。
だけど、いずれは分かるはずだ。本気でやればやるほど、見えてくるはずだ。
華やかで、楽しいだけの世界なんてどこにもないことを。
そして、それは俺もだ。
なにもせずに偉そうに言ってる。行動してるのは全部姉貴だ。
俺はそれを見て、大変だとかほざいている。本当は言う資格だってないんだ。
明日から毎日神村と同じクラスで授業を受けると思うと多少は気が滅入る。だけど俺達は元々関わりのない間柄だ。それが元に戻るだけと思えばいい。
美鈴には悪いけど、こいつとの縁はこれまでだろうな。
俺は軽く俯いたまま家に帰ろうと、出口へと歩き出した。
神村はなにか言いたげだったか、なにも言わない。
後悔もあった。それでも自分が思ってることをはっきり言えたことは俺にとっては大きな進歩だった。
それに俺自身の気持ちも少し分かった。
俺は、やっぱり姉貴を応援したいんだ。
決して人に自慢できる姉貴じゃない。それでも、俺だけは姉貴の努力を知っている。
いつかは報われて欲しい。
そうじゃなくても、その時、俺がそばにいてやれば、多少は楽に泣けるだろう。
俺は密かな決心をして顔を上げると、そこには姉貴が立っていた。
怒った顔して立っていた。
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