3-4

 最後は湯飲みの底に名前を書いた。この後しばらく乾燥させて、いくつかの工程を経て焼きに入るそうだ。出来上がるのは少し先になる。

 俺達は手を洗い、じいさんの家の居間に通された。広い平屋のこれまた広い居間だ。

 綺麗な庭が見渡せる大きな窓がずらりと並び、床は全て木で出来ている。柱も壁も木製だ。

 杉の柄が入った障子の置くには畳と屏風が見える。一見古そうに見えるが、家電製品なんかは新しかった。

 そこで若い女性が食事をテーブルに並べていた。短めの茶髪で少しパーマをかけている。明るい印象の美人だ。年齢は恭一さんと同じくらい。20代前半だろう。

 恭一さんはその人を指差し笑った。

「俺の嫁さんになる人。来年大学出たら結婚するんだ。今は近くの家で一緒に住んでる」

 俺と美鈴は驚き、互いに一度見合った。恭一さんの婚約者は千紗子さんというらしい。

「どうだった? 楽しかった?」

 テーブルにはこの辺りの特産品や郷土料理、そして美鈴の作った弁当が並んでいる。食事をしていると千紗子さんが美鈴に尋ねた。

「はい♪ 手もすべすべになりました」

 美鈴は笑顔で、手の平と甲をくるくると千紗子さんに見せた。確かにつやが出ている。

 千紗子さんは手を伸ばして、美鈴の手に触れた。

「わー。手が若ーい」

「千紗子さんもつるつるですねー。やっぱり効果あるんだ」

「これはハンドクリーム。あたし、あんまり土は触らないの」

 女同士っていうのは仲良くなるのが信じられないくらい早い。

 俺と日宮が会った時なんてちゃんと話すまで結構時間がかかったはずだ。

 俺は裏山で採れたっていう山菜のかき揚げを食べた。サクッとしていて少し苦いがそれが美味しい。大人の味ってやつだった。

 口の中の油を流そうと、目の前に置いてあった湯飲みを手にした。中には暖かい緑茶が入っている。

「そうだ。今日作った湯飲みっていつ出来るんですか?」

 俺がそう聞いて緑茶を飲むと、恭一さんが答えた。

「来月の頭かな~。あれ以外にもたくさん一緒に焼くからね。じいさんのとか、祐二のとか、俺のもね。一昨日作った他の生徒のもまとめて焼くし、まだしばらくかかるよ。早く欲しかった?」

「いや、別にそういうんじゃないですけど。どうなるのかなって」

 俺は単純な疑問をぶつけただけだった。次に日宮が吸い物を飲んでから答えた。

「作って貰って悪いが、割れる可能性もあるからな。こればっかりは焼いてみないと分からない。あれだけ厚くしとけばまず割れないが、それでも絶対はないんだ」

 それを聞いて美鈴が悲しんだ。

「ええ~、ハートが割れたら嫌だなー・・・・・・」

「そしたらまた作りに来たら? こんなに可愛い子ならいつでもいいでしょう?」

 千紗子さんが尋ねると、じいさんはひげを触りながら嬉しそうに頷いた。

 反対の手には酒が入ったお猪口が持たれている。見ただけで高そうだと分かる。料理を乗せた皿もそうだ。どれも綺麗で惹き付けられる。

「乾燥の時に割れたり、焼きの時に割れたりするんだ。割れてないように見えても水を入れたら漏れたりと、中々難しい。合縁奇縁。全ては巡り合わせだよ。成形の時に上手くいったと思った器がものの見事に割れる。悲しいが、それがあるから陶芸は面白い」

 じいさんはそう言って酒をごくんと飲み、顔を赤くして微笑んだ。

 どんなもので割れる可能性がある。つまり、いつでも未来は不確実ってわけだ。

 成功する保証なんて誰もしてくれない。

 一寸先は闇だ。

 そう考えるとこれからのことが少し心配になる。

「・・・・・・それって、失敗するのって怖くありませんか? 今までやってきたことが無駄になるんでしょ?」

 するとじいさんは大きな声で笑った。

「はっはっはっ! 成功する事の方が少ないんだ。失敗するのが当たり前だよ。怖がって何もしなけりゃ結果は出ない。結果が出ないと少なくとも焼物はできないからな。陶芸はいい。考えるだけじゃなにも変わらないということをいつでも教えてくれる」

 じいさんは楽しそうに酒をごくりと飲んだ。

 そんなじいさんから恭一さんはお猪口を取り上げた。

「じいさん。まだ昼過ぎだぞ? 飲み過ぎだ。また先生に怒られるって」

「孫とその嫁と友人が来てるんだ。今飲まないでいつ飲む?」

「じいさんはいつも飲んでるだろう」

 隣の日宮が目を細めた。

「はっはっはっ! 毎日が楽しいから飲むのさ」

 孫とじいさんの明るい会話を聞いて美鈴と千紗子さんは笑い合った。

 だけど俺は笑う気にはなれなかった。

 じいさんの話は確かに納得できた。それでも、なんだか俺の全てを否定されたみたいで、腹の底には黒くて重い何かが溜まっていった。

 考える事に大した意味はない。確かにそうかもしれない。けど、それが分かっていても考えてしまうんだ。俺はそういう人間だし、その上臆病だ。

 自分でもどうしてこんなに気分が悪いんだろうか分からなかった。

 気付いたら俺はまたじいさんに質問していた。

「・・・・・・あの、どうして陶芸家になったんですか? 他にも色々道はあったと思うんですけど。流石に陶芸家しか道がなかったわけじゃないでしょ?」

「そりゃあそうだ」

 じいさんは機嫌良く笑った。完全に酔っている。

「わしはな。好きな事をやってきたんだ。サーフィンもやったし、バイクも乗った。ビートルズが来た時は見に行ったし、ギターも買った。好き勝手やって、やりきって。気付いたら親父のやっていた陶芸をやっていた。下手だったんだな。うちの親父は。賞なんかもたくさんもらってたけど、どうもわしには下手に見えた。こんなもん簡単に作れる。そう思って始めたんだ。金も学もなかったけど、土ならいくらでもあったからな」

「・・・・・・要は、とりあえずやってみたってことですか? それが今まで続いたんですか?」

「なんでも始めはそんなもんだ。入り口なんてなんだっていい。大事なのはその後。人間も陶芸も同じだよ。出来上がっても使わないと意味が無いんだ。わしらは皿だ。何かを乗せて初めて完成するんだよ」

 なんだか俺にははっきりしない例えだった。

 人間は皿? なら俺は無機質な上に空っぽな皿なのか?

「・・・・・・なら、何も乗ってない皿には価値がないってことですか・・・・・・」

 じいさんはひげを触り、まっすぐに俺を見た。

「かもしれんな。だが、結局はその人が決めることじゃ。特徴もない、何も乗ってない皿にも価値を見いだす人間はいるだろう。それに、気付けば何か乗ってるものだ。大抵、本人が気付いていないだけなんじゃよ」

 じいさんはまた笑って酒をあおった。

 それを見て恭一さんが声をかける。

「じいさん。いい加減にしなって。また薬が増えるぞ?」

「もうそのまま迎えに来て貰え。そしたら窯は俺がもらうよ」

 日宮は呆れながらぜんまいを食べていた。

 俺の場違いな質問もどこかへ消え、すぐにまた元の楽しげな食卓に戻った。

 俺はそれに少しほっとした。

 先程のじいさんの言葉が頭の中で繰り返される。

 気付けば何かが乗っている。

 つまりただ見落としているだけで俺にもやることがあるってことだ。

 悲しいことに思い当たる節はあった。

 あとはチャレンジするかどうかだけか・・・・・・。

 ぼーっと天ぷらを見ていた俺が顔を上げると、心配した美鈴と目が合った。

 神妙な顔で質問する俺を変に思ったんだろう。

 俺はなんとか笑って、肩をすくめた。皿の上のかきあげを取って、食べて見せた。

「これ、すごく美味いよ。帰っても食べたいな」

 美鈴は一瞬きょとんとして俺をじっと見てから、顔を赤くして何度も頷いた。

「う、うん。うん! そうだね。千紗子さん。レシピ教えて貰っていいですか?」

「もちろん。いっぱい作ってあげて。男は胃袋で掴まないとね」

「で、ですよね!」

 その後はみんなで今日作った湯飲みや、次に作りたい物、中間テストや、恭一さんと千紗子さんの出会い、じいさんがモテた話なんかをした。

 なんだか少し気分がすっきりした。

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