2-2

 姉貴がエプロンを着けてキッチンで料理をしている。俺はそれをソファーに座ったまま眺めていた。

 昔は料理が下手でよく失敗していたが、働くようになってからはそんな事もなくなった。

 流石にうどんくらいは作れるはずだけど。

 スマホでレシピを調べながら、何故かフライパンを取り出す姉貴。

 大丈夫か? こいつ、うどんも知らないのか?

 不安になって待っていた俺の前に出てきたのは汁のないうどんだった。

「じゃ~ん♪ カルボナーラうど~ん!」

 クリームソースが絡んだうどんにベーコンときのこ、そして半熟卵がのっていた。美味しそうだが、これをうどんと認めるのは日本人としてどうなのだろうか。

「・・・・・・いただきます」

「召し上がれ~」

 一口食べる。美味しい。けど、俺が求めていたうどんの味じゃなかった。

 もっとこう、出汁のきいたつゆと油揚げの乗ったのが食べたい。

「どう?」

 笑顔でそう聞く姉貴の顔には褒めてと書いてあった。

 かわいそうに。本当なら彼氏に見せる顔だ。

 俺としても彼女にされたい顔だった。

 望んでいたものじゃない。けど、これはこれで美味しいのは確かだ。

「うまいよ」

「よかったー」

 姉貴はそう言って食べ始めた。もしかして俺は味見をさせられたのか?

 うまいとは言ったが、少し味が濃い。姉貴が作るといつもこうだ。

 俺は冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注いだ。二つ注いだ内の一つを姉貴に渡し、また席に着く。姉は「ありがとう」と笑って礼を言った。

 それをきっかけに俺は神村の事を姉貴に話した。

「・・・・・・あのさ、クラスで委員長してる神村って女子がいるんだけどさ」

「うん。可愛い子?」

 何故か姉貴は神村の容姿を気にした。俺は首を傾げ、神村を思い出した。顔は可愛い。足は増減はあるが最終的には細かった。

「まあ、可愛いかな。それでそいつが声優になりたいんだってさ。だから姉貴の話を聞きたいって今日俺に言ってきたんだ」

「えっと・・・・・・。涼君がその子に話したの? わたしのお仕事」

「そんなわけないだろ。そいつ、美鈴と仲が良いから泊まった時に聞いたんだって。美鈴は人が良いからな」

 姉貴は困った様にあはは・・・・・・と笑った。

「美鈴ちゃんか。う~ん・・・・・・。わたしは別にその子とお話してもいいけど、涼君はいいの?」

「いいわけがないだろ」

 わざわざ自分から爆弾を配る馬鹿には誰だってなりたくない。

 俺はそう言ってからうどんを食べた。すすれないから違和感がある。

 姉貴は少し悲しそうに苦笑した。

「だよねぇ・・・・・・」

「だけど、俺が嫌だからって断ったら、神村も、紹介した美鈴にも悪いだろ。だから姉貴が良いなら俺はいいよ」

 そう言いながらも俺は断れと思っていた。

 だが、実家でエロゲの台本を読むような女に人の気持ちが分かるわけもない。

「そうなんだ・・・・・・。わたしはいいよ。わたしも、もし高校生の時に知り合いで声優の人がいたらお話聞きたいって思ったもん」

「それがエロゲ声優でも?」

 俺は意地の悪い返しをした。

 やっぱり姉貴と神村が会うのは面白くない。

 俺の言い方に姉貴はむ~っとして頬を膨らませた。

「もう涼君ってばぁ。う~ん・・・・・・エロゲ声優かー・・・・・・。女子校生の時でしょ。どうだったかなー・・・・・・」

 上を見上げ、当時の自分と相談する姉貴。

 どうだったもなにも、お前は女子校生の時からなにも変わってないよ。

 俺はずばりと言った。

「言っとくけど、神村が憧れてるのはアニメ声優だからな。『その声を』見て、水鳥田って人みたいになりたいって思ったんだと」

「あー。あやめちゃんかー・・・・・・」

 有名声優を仲よさそうに呼んでる姉貴を見ると、ちゃんと声優なんだなと再確認する。

 なんだかんだで、既に同年代の声優も減ってきているそうだから互いに親交があるんだろう。皆仕事がなくて辞めていく。夢があるのは結構だが、夢だけで飯は食えないわけだ。

「神村の話じゃ、ちょっと前までアニメとかにも興味がなかったらしい。それで声優になろうって言うのもあれだけど。聞いた感じ本気っぽかったな」

「・・・・・・その子はわたしの事どれくらい知ってるの? ゲームの事とか・・・・・・」

「エロゲ声優だって事は知らないし、絶対に教えない。でもネットで調べて姉貴がどんなアニメに出てるかとかは知ったらしい。事務所かどっかのサイトでサンプルも聞いたって言ってたな」

「ええ~。サンプルって三年前に録ったのなのに~。下手だったって言ってなかった? もう恥ずかしいなー」

 姉貴は頬に手を当て、赤くなった。

 どうやら昔の自分が下手だって自覚はあるみたいだ。

 あの時は素人の俺が聞いてもどこかたどたどしかった。今は大分上手くなっている。

 やっぱり場数を踏むと変わるんだろう。

 最近、エロ台詞も板に付いてきた。マジで勘弁してほしい。

「別に何も言ってなかったよ。ナレーションもするんですねって驚いてたくらいだ。声優はアニメの仕事だけしてるって思ってたらしい。けどそれは俺もそうだったな。姉貴がなるまでは全然知らなかった」

「ナレーションの仕事とかこの頃全然してないけどね・・・・・・。そう言えばずっとゲームばっかりだなー。でも最近ニュースとかバラエティーとかでも声優さんがお仕事してるのよく見るよね。ああいう仕事もしてみたいなー。藤寺さんに言ったらどんな顔するだろ」

 姉貴が言う藤寺さんってのはマネージャーの事だ。

 三十手前の女性で眼鏡をかけた人だった気がする。一度しか会ったことがないからよく覚えてない。

 そもそも姉貴みたいなレベルの声優じゃ専属のマネージャーなんてつかない。

 多分同じように売れない声優を二桁は受け持ってるはずだ。

「・・・・・・で、会うの?」

「うん。涼君がいいならわたしは会いたいな」

 頷く姉貴を見て、やっぱりなと思ってしまう。

 頼まれたら拒めない性格なのは昔からだ。

 何度も俺が良いならと繰り返されると、こっちが困る。拒否したら悪人みたいじゃないか。

 俺は溜息をついてポケットからスマホを取り出した。

 それを見て姉貴は目を細める。

「もー。まだ食事中なのに」

「分かってるよ。それでいつ空いてる?」

 姉貴の言葉をあしらってカレンダーアプリを起動する。姉貴はしゅんとした。

「・・・・・・割といつでも空いてます」

 だろうな。今日も昨日も一昨日も家に居たんだから。

「それでも都合があるだろ。あっちが会いたがってるんだ。姉貴に合わせるよ」

「じゃあ・・・・・・、明日とか?」

 本当にいつでも空いてるんだな・・・・・・。

「明日か・・・・・・。神村の方が空いてなかったりして。塾とか大丈夫かな。大体、女子高生って放課後何して過ごしてるんだ?」

 俺も日宮や美鈴と遊びに行ったりはするが、頻度で言えばそれほどない。

 けどクラスの女子の話を聞いていると、あそこの店に行ったとか、遊園地で遊んできたとか、ずっとそんな話をしている。神村みたいに明るい美人は何かと誘われるはずだ。

 俺はSNSで神村に聞いてみた。

 ・明日会えるって言ってるけどどうする? 

 そう書き込んでスマホをテーブルに置いておく。

 冷えてきたうどんを食べようと思った時、ちょうどにピロン♪ と音が鳴り、スマホの画面が光った。

「・・・・・・早いな」

 俺は開けた口を閉じ、うどんを器に戻した。

 画面には文章と顔文字が並んでいた。

 ・ほんと!? うれしー♪ あたしは大丈夫です! (ウインクしながら親指を立てるクソうざい顔文字)

 俺は顔文字を見て頬をひくつかせた。

 普段は落ち着いた雰囲気なのに、SNSやメールになると性格変わるタイプってなんなんだ?

「・・・・・・空いてるって。どこで会う?」

 俺はうどんをちゅるちゅる食べてる姉貴に聞いた。

 姉貴は少し悩んでうどんを噛んで飲み込んだ。

「・・・・・・女子高生ってどこで会えばいいの?」

「知るかよ。女子高生だったんだろ? なら分かるだろ」

「そんな昔の事言われても・・・・・・」

「女子高生の役をやってるだろ。それを参考にしろよ」

「・・・・・・・・・・・・ジャスコ?」

「送るぞ」

 俺はスマホを操作した。姉貴は慌てながら手を前に出す。

「ああん。待って~! ええっと・・・・・・うちでいいんじゃない?」

「明日は金曜だぞ? 母さんが早く帰って来る日だから却下だ。どっか外に行け」

 うちの親は共働きで、父親はサラリーマン。母親は栄養士をやっている。

「え? 涼君は彼女をお父さんとお母さんに紹介しないの?」

「誰が彼女だ! ただのクラスメイトだよ。もし彼女なら声優になんてなるなって言うね」

「ひど~い。好きな人には応援して欲しいよ~」

 姉貴は俺を非難の目で見るが、俺としては当然だった。

 目の前に苦労してる人がいるんだから。なるまでが大変で、なってからはもっと大変な職業をわざわざ彼女に勧めない。彼女じゃないけど。

「それでどこにするんだよ? もう駅前の喫茶店とかでいいか?」

「あ、アリス? 行きたいなー。あそこのチーズケーキ美味しいよね~♪」

 ほわほわとチーズケーキを思い浮かべる姉貴を見て、場所が決まった。

「時間は・・・・・・4時でいいな?」

「わー。おやつの時間だー」

 お前のおやつの時間は長すぎるんだよ。

 台本読みながらパクパク食いやがって。最近腹に肉がついてきてるのを俺は知ってるからな。風呂上がりにタオル一枚でうろつくな。

 まったくいつもデザートの事になると子供っぽくなる。

 俺はスマホを操作した。

 ・じゃあ明日、駅前のアリスって喫茶店で。時間は昼の4時。

 今度はスマホを置く前に返信が来た。早すぎる。どうやら待ち構えてるらしい。

 ・OK! こんなに早く会えるなんて思わなかったよ ありがとね! (投げキスをする殺意の湧く絵文字)

 俺は再び溜息をついた。思ったより展開が早い。

 どうにか姉貴がエロゲ声優だってバレない方法を考えないとまずいな。

 姉貴に余計な事を言わない様に打ち合わせしないと。

 俺はスマホをズボンのポケットに入れた。

「今からルールを決めるから、ちゃんと聞いとけよ。もしエロゲ声優だって神村にバレたら」

「・・・・・・バレたら?」

 姉貴はごくりと喉をならした。

「お前の卒業アルバムをネットに上げます」

「イヤ~~~~! 叩かれる~~! お願いだからメイクしてない写真だけはやめて! ネットに上げる写真は右斜め45度って決めてるの!」

 姉貴は顔を両手で覆い、首を左右に振った。

 本気で嫌なんだろう。だけどこれくらいやらないと姉貴はうっかり自分からバラしかねない。

「なら、ちゃんと隠し通せ。神村の夢を壊してやるなよ」

「・・・・・・・・・・・・はい。がんばります・・・・・・」

 しゅんとする姉貴を見て、俺は少し罪悪感を感じた。

 だけど、こうしないと俺の高校生活が脅かされる。

 俺は間違っていないと言い聞かせて、うどんに箸を伸ばすと既に冷めていた。

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