1-8

 学校を出て三分ほど歩いた所で見慣れた人影を見付けた。

 住宅街と住宅街の間の広い道路。

 その道沿いに植えられた木の下に美鈴が立って待っていた。手には家から持って来たベージュの買い物袋を持っている。中には食料品や日用品が色々と入っていた。

 美鈴は下を向いていたが、俺が近づくと顔を上げ、明るく微笑んだ。

「あ、涼ちゃん。偶然だね」

「どこがだよ。待ってたのか? 言ってくれたら早く来たのに」

 美鈴は照れながらえへへと笑った。

 俺達は歩きながら話した。俺は買い物袋を代わりに持ってやる。

「・・・・・・あの、ごめんね?」

 美鈴は俺の顔を下から覗き込んで謝った。

 俺は一瞬何を謝ってるのか分からなかった。

「え? ああ・・・・・・。神村の事か。まあ、よかったんじゃないか。あいつも本気みたいだし。あんまり姉貴をクラスメイトに会わせたくないけど」

「うん。いのりちゃん、普段はアニメの話とか夢の話とかしないんだけど、この前お泊まりした時にわたしにだけは声優になりたいって言ってくれたんだ。だから少しでも力になればいいなって思ったの。でもいきなりなぎささんを紹介するのは涼ちゃんに悪いかなって」

 そんなに美鈴が神村と仲が良かったなんて知らなかった。話しているのはよく見るけど、家に泊まりに行く仲だったなんて初めて聞いた。

「そうだな。お前がそういう風に俺の事を思ってくれたから一応話を通しておくって答えといたよ。もし神村が姉貴と会えたら、あいつはお前に感謝しないとな」

 そう言うと美鈴は嬉しそうに笑った。

「・・・・・・なんだよ?」

「ううん。涼ちゃんは優しいな~って。いのりちゃんが感謝しないといけないのは涼ちゃんの方だよ。本当は隠しておきたいのに、自分より他の人の事を優先するんだから。わたしは何もしてないよ」

「違うって。例えばあいつがお前を通さずに、ネットかどっかから知って俺の所に来たんだったら断ってるよ。だから、あいつはお前にだな」

 俺は変にムキになっていた。しかし美鈴は変わらずニコニコしている。

「やっぱり涼ちゃんは優しいな~」

 俺が優しいかどうかは置いといて、こういう言い合いでは昔から美鈴に勝てない。

 赤くなった顔を見られない様に空を仰いで息を吐いた。

 褒められる事なんて滅多にない俺は優しいの一言で恥ずかしくなってしまう。

 そんな俺を見て、美鈴は母親の様な目で笑った。

「でも、なぎささんお仕事で忙しくないのかな? わたし、そういうの確認しないで言っちゃったから」

「暇だよ。売れっ子ならともかく、姉貴は休みの方が多いくらいだ。これで一人暮らしならバイトでもするんだろうけど、うちの親は姉貴に甘いからな」

「女の子だもんねー。うちのお父さんも未だにわたしを子供扱いするし」

 女の子、ではもうないな。今年で26歳だ。姉貴もそろそろ焦り出す頃だろう。

 それにしても毎日家にいるし、出かける時も友達としか行かない。声優はモテるとかいう話らしいけど、どこの世界の声優の話なんだろうか?

「早く嫁に行けばいいのに・・・・・・」

「えっ!?」

 美鈴は急に大きな声を出した。

 俺が驚いて美鈴の方を向くと、すぐに何かに気付いたらしく、落ち着いた声になった。

「・・・・・・あ、なぎささんか・・・・・・。涼ちゃん一応だけど聞いとくね? 今、行けばって言った? 来ればじゃなくて?」

「行けばって言った。婿とか来られても困るよ」

「え、ええー・・・・・・、そうかなー・・・・・・。わたしは別にそういうのもありだと思うけどなー」

「もし来たら多分家出するかな。そしたら一人暮らしだから、来るなら大学生の時がいいな」

 俺は冗談でそう言った。まだ大学に行くことも決まってないし、そもそも姉貴にそんな相手がいる気配がない。

 もし居たら、家を出るのは姉貴の方だろう。そうなればもう白昼堂々の喘ぎ声は聞かずにすむわけだ。

 すばらしいじゃないか。誰でもいいからうちの姉を貰ってくれ。

 そんなことを思ってると、美鈴は少し頬を赤くしてちらちらと俺を見た。

「じゃ、じゃあさ、大学生になったらシェアハウスとかで一緒に住む? そうすれば安くなるよ」

 いきなりの提案に俺は思わず笑った。多分美鈴なりの冗談なんだろう。

「ハハ、いいな、それ。食事は美鈴に作って貰って、俺は掃除でもするよ。あと、買い物とか?」

「うん! だよね。いいよね!」

 美鈴の声が一気に明るくなる。乗り良いな。

「ま、それもうちに婿養子がきたらな」

「あ、そっか・・・・・・・・・・・・。・・・・・・ほんとに来ないかな」

 美鈴は何やら下を向いてぶつぶつ言っている。聞き取れないが、そしたらとか~すればとか小声で聞こえてきた。

 橋が見えてきて、家が近づいて来た。

 そこでようやく俺は勇気が持てた。美鈴には今まで聞きたくても聞けなかった疑問があった。家に帰るまでにそれを聞いておきたい。

 俺は足を止め、美鈴も一緒に止まった。

「美鈴・・・・・・。・・・・・・あのさ?」

 俺は自分でも分かる程ドキドキしていた。多分、こんな事を聞くのは人生で今、この時だけだろう。

「う、うん・・・・・・。・・・・・・何? 涼ちゃん・・・・・・」

 美鈴も恥ずかしそうに赤面する。期待する様な顔で俺を見上げた。

「ずっと、聞きたかったんだけどさ・・・・・・」

「うん・・・・・・・・・・・・」

「その・・・・・・、聞いて欲しくない質問かもしれないけど・・・・・・いいか?」

「うん。わたし、涼ちゃんにだったら何だって言えるよ! だから聞いて!」

 美鈴は強い目で右手を握ってそう言った。俺はそれを聞いてほっとした。

「・・・・・・もしかたら、俺の見間違いかもしれないけどさ」

「・・・・・・うん!」

「・・・・・・・・・・・・なんで、さっきから包丁を握ってるんだ?」

「あ、これ?」

 美鈴はまるでそのストラップ可愛いねって言われたみたいに左手に持っていた包丁を持ち上げた。

 よかった。どうやら俺の見間違えじゃないらしい。幼馴染みが学校帰りに道路で包丁を持ってる光景が厳格だったらどうしようかと思ってたところだ。

 どうやら精神科に通うべきは俺じゃないらしい。

 美鈴はにっこりと笑った。もしかしたら包丁に見えてストラップなのかもしれない。紐がついてて、その先がスマホなら包丁はストラップになるはずだ。多分。

「これは骨切り包丁って言うの。クレバーナイフとも言うらしいけど」

 どうやら俺が見た通り包丁らしい。

 しかも普通の包丁じゃない。刃は平べったくて斧みたいだ。

「えっと・・・・・・、なんでそんなもの持ってるんだ?」

「買ったの。これから使うかもしれないから」

「へ、へー・・・・・・。でも危ないし、すれ違う人もさっきからビクビクしてるからしまっておいた方がいいと思うぞ?」

「うん♪ そうするね。ちょっと素振りしてたんだぁ」

 美鈴はそう言って包丁もといクレバーナイフを鞄の中にしまった。

「素振り?」

 まるで野球部みたいだ。料理人も包丁を素振りしたりするんだろうか?

 俺は詳しくないから分からないが、とてつもなく危ない事だけはよく分かる。ここに来るまでにもう100本くらいの木の枝が地面に落ちているからだ。

「ところでね」

 美鈴は笑ったまま包丁の入った鞄を閉じた。

 同時に俺は再び歩き出した。逃げてるわけじゃない。離れてるだけだ。

「うん? 今度はどうした?」

 俺は平静を装って尋ねる。

 すると美鈴は俺の横にぴったりとついて来た。さっきからずっとニコニコしている。

「涼ちゃんさ。釘笠さんと何の話してたの?」

 それを聞いて、何故だか背筋がぞっとした。

 おかしいな。最近暖かくなってきたのに。

「何って? え? ・・・・・・見てたのか?」

「うん。買い物帰りに涼ちゃんいるかなーって校門に行ったの。そしたら仲よさそうに二人で出てきたから。何か貰ってたよね?」

「えっと・・・・・・」

「わたしね。いのりちゃんとはちゃんとお話したんだ。だからいいの。でも釘笠さんとはあんまり話したことないの。だから、気になって。涼ちゃんと釘笠さんって仲良かったっけ? わたし、話してるの見たことないんだけど」

 美鈴の表情は変わらなかったが、凄みがあった。

 俺は今、後の人生における重大な返答を迫られている気がする。

 俺は首を横に振った。

「いや、俺も今日初めて話したよ」

「何を?」

「何を? ・・・・・・えっと・・・・・・色々?」

「言えない事なんだ。へぇー・・・・・・」

 今、美鈴の目が怪しく光った気がした。俺は汗を流して慌てた。

「いや、言えないって言うかさ。とりとめのない話っていうかね? とりあえず、鞄にしまった包丁を取り出すのはやめよ? 危ないからさ。うん。出しちゃったよ・・・・・・」

 美鈴はまた素振りをし出した。野球部も美鈴を見習えば甲子園に行けるだろうに。

「いのりちゃんから連絡があったの。もう話は終わったよって。それから結構長い間学校に居たよね? 釘笠さんと何してたの? それに、別の人の匂いもするなー」

 匂い? 俺は慌てて自分の匂いを嗅いだ。少しは汗をかいてるが、それ以外の匂いは分からない。大体石川には触れてもいないはずだ。

「心当たりがあるんだー。ねえ、何の話してたの?」

 しまった。はめられた。

 慌てて匂いなんてかぐのは肯定してるようなものじゃないか。

 美鈴はさっきから笑顔のままなのに、俺の心臓はバクバク言い出している。

 昔ばあちゃんちの裏山でスズメバチの巣を見た時に似てる鼓動だ。

 俺は少し考えた。本当の事は言えない。釘笠が石川を巻き込んでエロゲを作ってるなんて。サークルに誘われたなんて絶対に言えない。

 しかし、ここで嘘をつけば、明日の朝刊の一面にどこかのエロゲ馬鹿が惨殺死体で見つかったと載りかねないのも事実だ。

 俺だってただではすまないだろう。目が覚めたら薄暗い地下室で両手両足を縛られている可能性だってある。

 俺は悩んだ挙げ句、重要な事は隠し、本当の事を言うことにした。

「・・・・・・その、誘われたんだ・・・・・・」

「誘われた・・・・・・? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あの根暗女・・・・・・」

 聞き間違えかもしれないが、あの優しい美鈴がそう言った気がした。

 さっきからしている素振りの音がふぉんからぶおん! に変わった気もする。

 俺は慌てて否定した。

「いや、違う! 部活! 部活動しないかって誘われたんだ!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・部活?」

 それを聞いて美鈴は素振りをやめた。俺は三回頷いた。

「そうそうそう! 部活! なんでも釘笠が入ってる図書・・・・・・なんとか部が二人しかいなくて、それで一緒にやらないかって」

 シナリオライターを。

「・・・・・・それで、涼ちゃんは入るの?」

 美鈴はかくんと首を傾げた。頼むから瞬きしてくれ。

「いや、多分やらないよ。この時期からやったって、なあ? なんか、あれだしぃ」

 俺は顎をガクガクさせながらそう言った。

 今の言葉が本心なのか、自分でもよく分からない。

 ただ、人生でまた一つ後退した気がして、心がちくりと痛んだ。

 美鈴は今の言葉の真意を確かめる様に黒い目で俺をじっと見つめた。

「・・・・・・ほんとにそれだけ?」

「うん・・・・・・」

「釘笠さん以外に誰がいるの?」

「石川って言って、こう、小さくて静かな」

 俺は胸辺りで手を使って線を引いた。確かこれくらいのサイズだったはずだ。

 美鈴は鞄に包丁をしまいながら遠くを見た。

「芸術科の石川珠さんだね。可愛いって言う男子も結構いる子だったっけ。その二人が誘ってきたんだ。へえ。お話したいなー」

 美鈴の背後は闇で覆われていた。

 お話したいって顔じゃないけど、仲良くなることは大変良いことだと思います。はい。

「・・・・・・わ、分かってくれたか?」

 恐る恐る聞くと、美鈴はまた可愛く笑った。温かい笑みだった。いつの間にか、背景もお花畑になっている。

「うん♪ そっかー。部活かー。わたしてっきり・・・・・・ね?」

 ね? って聞かれても俺には何一つ分からないぞ♪

 ただ、機嫌が良くなったのはよかった。これ以上包丁を振り回してたら職質されるどころか、即逮捕だ。この歳で前科はついてほしくない。

 俺はとりあえず苦笑した。苦笑する以外何をしたらいいのか分からなかった。

「あ、あはははは・・・・・・・・・・・・」

 家こと退避シェルターが見えてきて、俺はもう一つだけ聞きたかった事を尋ねた。

「・・・・・・それで、さっきの包丁はいつ買ったんだ? 買い物の時に買ったのか? それとも・・・・・・」

「内緒♪」

 天使みたいに優しく微笑む美鈴を見て、俺はもうそれ以上の追求をやめた。

「・・・・・・ですか」

 聞かなくてもいい事が、世の中にはたくさんある。

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