1-7

 鞄を持って教室の外に出ると、後ろから釘笠がひょこひょこついてきた。

 本当に図太い奴だ。

「話をして分かったんだが、君はエロゲが嫌いなんだね? どうしてだ? エロゲ声優の弟なのに」

「・・・・・・だからだよ」

「・・・・・・ああ。なるほど」

 変な納得をして釘笠は下駄箱までついてきた。

 周りに生徒はいない。帰宅部はとっくに返ってるし、部活動をやってる連中には早すぎる時間帯だ。

 靴を履き替えてる時にふと根本的な疑問が頭によぎった。靴のつま先で地面を叩きながら釘笠に聞いてみる。

「大体どうしてお前はエロゲなんて作ってるんだ? やってる女子でさえ珍しいだろ。そもそもやっちゃいけないんだけど」

「今の時代、アダルト商品なんて買おうと思えばいくらでも買えるさ。それは君達男子が一番分かってるくせに」

 釘笠はニヤリと笑った。

 ・・・・・・まあ、それはそうだけど。あんまり大きな声で言わないで欲しい。

「・・・・・・質問に答えろよ」

「好きだから。なにかをやるのにそれ以外の理由はないだろう」

 当たり前だと言わんばかりの釘笠に、俺は心の中でみっともなく舌打ちした。

 こいつもまた俺とは違う種類の人間ってわけだ。

「きっかけは?」

「エロゲのアニメ化作品を見て興味持ったのが始まりだったと思う。今でもその作品は好きだけど、ネットでは叩かれまくってるね」

 釘笠は上履きのまま校舎の外に出た俺についてきた。

 質問しておいてなんだが、どこまでついて来るか少し気になる。

「・・・・・・なんて作品?」

「『桜と共に散りぬ』という話だ。三年前に深夜帯でアニメ化されて、今ではナンバリングが3まで出てる。私は2が一番好きかな」

 俺はそれを聞いて立ち止まった。そしてどうして釘笠が俺にしつこく言いまとってくるのか理解した。

「お前それって・・・・・・」

「気付いたか。そう、君のお姉さんサブヒロインをやっていた作品だ。シナリオ量は少なかったけど、評価はかなり高かった。あの作品が出てから真澄みなもの名前を聞くようになったかな」

『桜と共に散りぬ』

 姉貴はその二作品目で元気のある髪の赤い子を演じていた。名前は忘れた。

 引っ越しの多い主人公が高校二年の春から卒業するまでを田舎の学園で過ごし、そこで色々な女の子と出会うっていう、所謂ハーレムストーリーだ。

 アニメでは声優が変わり、姉貴が出ていないので見ていなかった。

 そう言えば、あの時は少し寂しそうにしてたな。

「まったく。どいつもこいつも馬鹿の一つ覚えみたいに姉貴姉貴って・・・・・・」

「それだけ君のお姉さんは影響力がある職についてるって事だよ。あのアニメを初めて見た時、最初はそこまで惹かれなかったんだ。でも気付いたら最終回まで見て、終わった後に思った。もっと、ずっとこの世界を見ていたいって。それでゲームをネットで買ってプレイしたのが始まりだね。でも、どんな作品にも終わりはやってくる。それを回避するためには自分が作るしかないと気付いて、今では同人サークルを立ち上げてるわけだ」

 一体どんな人生を送ったらこんな行動力がつく様になるのか、俺には甚だ疑問だった。

 ただ釘笠の言いたいことが分からないでもなかった。

 小説や漫画と違い、エロゲのテキスト量は膨大だ。姉貴に聞いた話ではゲーム1つで小説10冊分らしい。台本も恐ろしい量になるそうだ。

 けどそのボリュームは別の世界にのめり込みたいって人にはうってつけなのかもしれない。

 俺なんか一度姉貴にやってみる? とゲームを渡された時、途中で嫌になってスキップしまくった記憶があるけど。好きな人はあれがいいんだろう。

 というか自分の出演したエロゲを15歳の弟に渡す姉貴はやっぱり頭がおかしい。

 あの時はただでエロい物が手に入ったぜ、くらいにしか思ってなかったけど、親にでもバレたらなんて言い訳したらいいんだ?

 姉貴のエロゲーを使ってるなんて思われたら、俺の人生は終わりだ。

 俺は嘆息して、歩き出した。

「・・・・・・それなら、自分でシナリオを書けよ。好きなキャラで好きな話を好きなだけ書けばいいだろ?」

「それがだな。私は別に物語を書きたいわけじゃないって事に、書いてから気付いたよ。私は出来るだけ長く二次元の世界に、それも同じ世界観に浸っていたいんだ。現実なんてゴミだからね」

 さらっと三次元を否定する釘笠。

 ルックスだって悪くないのに、どうしてこんな性格になったんだろうか? 気持ちいいくらいにねじ曲がっている。

「イラストが描けるならどっかのサークルに混ぜてもらえよ?」

 俺の見た限りだが、釘笠の画力はかなり高かった。プロとまではいかないが、このままいけばプロになれる様なクオリティだ。

 石川の塗りが上手いせいでそう見える可能性も捨てきれないけどさ。

「それだと自分の好きな作品が作れない。さっきも言ったけど、私は長く同じ作品を見ていたい。一つ作ってそれで終わりみたいなスタンスは好きじゃないんだ」

「だからってなんで俺が・・・・・・」

「しょうがない。タマが誰かを気に入る事なんて滅多にないんだ。光栄に思うべきだね」

「・・・・・・けど、ほんとに俺には出来ないって。悪いことを言わないから他をあたった方が作品の為だぞ?」

 それは心の底からの叫びだった。生まれてこの方創作なんてやったことがない。

 そりゃあ、この作品面白くないな。もっとこうしろよ。とか思う事はあるけど。

 批判できるのと作れるのは全く別の問題だ。サッカーファンが90分走れないのと同じで、俺にはシナリオなんて書けるわけがない。

 ただ、書きたいって気持ちが全くないわけでもなかった。

「なら真澄みなもを差し出すんだ。それが出来れば私からタマを説得しよう」

「ふざけるな。クラスメイトに姉貴の演技なんて見せられるか」

「私だって下手なりにテキストを書いてるんだ。今更下ネタを聞いてどうこう思わない」

「それはそれで女子高生として問題だけどな。いや、そういう問題じゃないんだよ・・・・・・。どう伝えたらいいんだ、この気持ち? 身内にエロゲ声優がいれば分かるだろうけど」

「身内にエロゲ声優がいたら、その人に頼んでる。残念ながら君の悩みを共有できる人間はエロゲ大国日本でも限られているだろうね」

 その通りだった。だから俺は誰にも相談できずに悩んでいる。

 校門の前で釘笠は足を止めた。足下を見ると上履きだ。

 さすがにこの格好で学校の敷地内に出るような非常識は持っていないらしい。

 俺は少しだけ安堵した。けど、この安堵も不良が子犬を可愛がっている様なものだ。いくら子犬を可愛がろうが不良は不良で、釘笠がアホな事に変わりはない。

「月曜にまた会おう。あ、一応これを渡しておくよ。連絡先が書いてある」

 釘笠はポケットからケースを出し、そこから名刺を一枚取り出した。

 受け取るとそれには『アップルゲームズ代表 KUGIGASA』と書いてあった。その下に小さな字で連絡先やホームページのURLなんかが載っている。さらによく見ると西高の文字が気をつけないと見えないくらいの小ささで書いてあった。

「・・・・・・お前、まさかこれを誰彼構わず配ってるんじゃないだろうな?」

「当たり前だ。名刺だってタダじゃない。ちゃんとしてメーカーさん以外は渡してないさ」

 エロゲメーカーにちゃんとしたとこなんて存在するのか?

 ちゃんとしたメーカーがエロゲなんて作るのか?

 その二つは疑問だったが、それよりもそんな奴らにうちの高校の名前が入った物を渡しているこいつの方が問題だった。

 こいつは誰かに制御してもらってちょうどいい位の奴らしい。

 だけど石川は基本的に無口だろうし、当然顧問もいないんだろう。

 そうすると誰か良識のある人間がこの胡散臭いエロゲサークルに入った方がいいんだろう。

 俺? パスだ。

 ただでさえ俺は夢が見つからなくて焦ってるんだ。

 変な事に巻き込まれたくない。

 頭ではそう思いながらも、何かに打ち込んでいる釘笠は少しだけ羨ましかった。

「・・・・・・一つ聞きたい事がある」

「ん? なんだ?」

「お前って、夢とかあるか?」

「夢?」

 釘笠は聞いてから、う~んと悩んで見せた。

 もしかして夢なんてなくて、ただ漠然とやってるだけなのかもしれない。

 俺はそんな答えが聞けそうな気がして、少し期待した。

 俺と似たような悩みを抱えてるかもしれないからだ。

 しばらくして釘笠は答えた。

「ありすぎて絞れないな・・・・・・。まず、サークルの作品をたくさんの人にプレイしてもらいたい。作品が売れたら会社を作って、コンシューマーとかでも売りたいな。アニメ化とか、グッズとかそんな話も来て欲しいし、英訳して世界に作品の良さを知って欲しかったりもするかな。業界の衰退を食い止めたいし、それから・・・・・・」

「分かったよ。・・・・・・もう大体分かった。聞いた俺が悪かったよ」

「なんだ。まだまだたくさんあるのに。じゃあ月曜日。楽しみに待ってるよ。できれば姉弟で我が社に加入してくれることを祈る」

 釘笠はにこっと笑って、学校を去る俺に手を振った。

 聞けば聞くほどめまいがした。

 今の俺には釘笠の言葉、一つ一つがキラキラしすぎて聞いてられなかった。

 金持ちに自慢話を聞かされ続ける貧乏人の様な気持ちだ。ただただ、惨めで、羨望の眼差しを送ってしまう。

 会社? 業界? 世界? やってることはエロゲ制作だとしても、あまりにも大きな夢だ。

 それでいてどこかこいつならやってしまうんじゃないかと思わせる行動力がある。

 頼むから実現するなと願ってしまったあと、卑屈な自分が嫌になった。

 美鈴は料理。神村は声優。釘笠はゲーム制作で、石川も手に職をつけている。友達の日宮は父親の後を継ぎ、姉貴は夢を半分叶えて声優になっている。

 じゃあ、俺はなんだ?

 どうやって生きていくんだ?

 サラリーマン? 別にそれもいい。父さんだってそれで俺と姉貴を育ててきたんだ。そのことについては尊敬してる。

 でも、今からそれを選べば、何かに挑戦すらしないで辿り着いた道になる。

 俺はそれで後悔しないんだろうか?

 テレビのドキュメンタリー番組とかで、その業界のトップなんかが出てきてよく言う言葉がある。

 やりたいことを諦めずにやりなさい。

 嫌いな言葉だった。

 やりたいことがない。諦めることすらない。

 そうだ。俺には何もないんだ。

 大きなため息が出た。

 どうして下校途中にこんな憂鬱にならないといけないんだ。

 元を辿れば、夢を語る釘笠が悪い。それを手伝う石川が悪い。姉貴に会いたがる神村が悪い。姉貴の職業をバラした美鈴が悪い。

 そしていい歳してエロゲ声優しているうちの姉貴が悪かった。

 もうそう思うしかない。

 いつもこうだ。誰かのせいにして問題を棚上げしてしまう。

 その結果が今日の今なんだ。

 帰りたくないなと思いながらも、俺の足はゆっくりと家へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る