トォイ 2
振り向いたとき、彼女はバイクのセンタースタンドを立てていた。側車を取り払って馬力を上げたサイドカーの単車は、女の子が乗るには随分と大げさなシルエットをしていた。軍服と同じ色の車体に並び立ち、フロンは犬のように大きな黒目をまっすぐぼくへ向けた。
「君もノーヘルか……」
「無免許よ。馬鹿」
そもそも法的に十五歳のぼくらには免許が発行されない。
「追っかけるのが大変だったわよ。夜中に抜け出すなんてあたしも所長も思ってなかったから」
「やっぱり修理中じゃなかったんだね。一晩で直る故障だものね。ぼくが戦闘不能になったのが一昨日だから、丸一日空白の時間があるんだ」
その間にフロンの傷は癒え、ぼくはアンヘルの首輪をはめられた。ではフロンはあの整備場で何を施されていたというのだろう。
「コンバットシステムを全開放されたわ。軍本部から許可が降りないことが分かってたから、所長がメインシステムと統合する非正規の方法で規制を外したのよ。そのせいで、あらかじめ一部解禁されていた下半身をいじらなきゃいけなかったわけよ」
「ぼくを殺すのかい」
「知ってる? 鋼人の教育課程って戦後に始まったのよ。未熟な状態で色んなことを学習させてソフトの発達を促すためにね。感情や知性はメインシステムに蓄積される。それが二本柱のもう一柱、コンバットシステムと統合されたらどうなるか分かる?」
「……フロン」
「感情のままに人を殺す戦闘マシーン。鋼人のひとつの理想形が完成するのよ」
「フロン。ぼくらはそんなに便利にできちゃいないよ。ぼくらが九年かけて学んだことは人殺しの知恵なんかじゃないんだからさ」
「あんただけイイ子ぶらないでよ。今まで誰かに白い目で見られたことはないの。学校で仲間外れにされたことは。近所で遠巻きに陰口を囁かれたことは。友達だと思ってた子が急に冷たくなったことは。知らない奴に疎ましがられたことは。仲間に見下されたことは。無かったって言える? ……ほら、あたしたちは学習してる。人の憎み方を。怒りの溜め込み方を」
ぼくは人間とは違う。システムを開放すれば易々と人を殺せる。
ぼくは人間と同じだ。システムを起動していれば感情は常に波立つ。
「コンバットシステムを封印した鋼人が自国民を傷つけられないのは単にリミッターが働いているだけ。ただのレギュレーションに過ぎない。あんたはもうそれを飛び越えたでしょ。あたしはあんたと同じになっただけよ。憎しみを殺意の引き金にする仕組みを手に入れたのよ」
「うん……。ぼくはどうしようもなく頭にきて人を撃ったよ。でも後悔しか残らなかった。ぼくらは――いや、ぼくは蔑まれて、見下されて、それでいいんだ。何も持たずに生まれたくせに、人を傷つけてまで守る名誉なんて、ぼくには無いんだよ」
「あたしにはある。名誉は無くても、自負がある。あんたより強いっていう存在意義がある」
「君は強いよ、フロン。ぼくよりずっとずっと強いさ。ぼくみたいな敗北主義者じゃ絶対に敵わない」
「そうよ! だからそれを証明する!」
フロンとぼくの間に張り詰める緊張が膨らむ。弾ける寸前にまでそれを高めるのは、ぼくの対物センサが感じ取った『大きな存在』だった。
黒いタンクトップを被っただけのフロンの背中には、彼女の全身が隠れてしまいそうな巨大な武器が負われていた。ワイヤロープを身体に巻き付けて装着しただけのそれが地に付く。
ずん、と大地が揺れるような錯覚を覚える鈍重な迫力を伴って、フロンは地面に巨大な剣を突き立てた。全長一・六メートル。鉄板のごとき分厚さと無骨さを備えながらも、刃先は鋭角的に尖り、刃は薄く曇る銀色に研ぎ澄まされていた。
「いい鉄板だけどバーベキューならもっと人を呼んだほうがいいよ……」
「戦前に造られた機甲鉄人のダガーナイフよ。鋼人の出力の落ちない最大範囲の対人攻撃力を持ってるわ。これが今のあたしのベストチョイス」
おどけてみせても乗ってこない。フロンは本気だ。身体を縛っていたワイヤも打ち捨てる。
女の腕ほどもありそうな太い柄を片手で握り込み、フロンは巨大ダガーを肩に担ぎ上げた。
コンバットシステムが臨戦態勢を取る。コアエンジンの回転数が上昇する。
イチマツさんはぼくが鋼人を――フロンを殺せるかを試している。ぼくがフロンを殺せなければひとりで毒へ挑んでしまうだろう。
「試し斬りは済ませたわよ」
「金網かい。でなきゃバイクは入れないものね」
「あたし、そんなに乱暴じゃないわよ。斬ったのは入り口を閉じてた鎖と南京錠のほう。金網には傷ひとつつけてないわ」
その言葉が本当なら、あの大剣を振り回して正確無比な斬撃を繰り出せるということになる。フロンの女の子らしい体つきとはアンバランスな得物だが、鋼人本来の腕力を開放されたのだとしたら、あの程度の重量は問題じゃない。あんな板切れより鋼人のほうが重いから振り回されることが無いのだ。
軍刀、ナイフ、と刃物を持ち替えて、辿り着いた答えがバカでかい鉄板だ。脱力したくもなるけれど、笑って済ませられない実力が彼女にはある。
「これを言うのも何度目になるか覚えてないけど……死んで、トォイ」
「今度は逃げないよ。ぼくは毒を殺すんだ」
フロンは長い柄尻に左手を添えて大剣を正眼に構えた。非常識な武器に似合わない正統派な構え。それゆえに隙が無い。
今までは仕掛けてきたフロンにぼくが対応してあしらってきた。彼女にとって、それは屈辱であり、実力差を感じる瞬間だったのだろう。今のフロンはどっしりと構えて動かない。
実のところ、機動力だけを解禁されたフロンの攻勢はスピードを主軸に置いた動きで、配られたカードを最も有効に使っていた。けれど最短距離を侵略するその攻勢が直線的な動作であることは事実であり、鋼人の反応速度でぼくのコンバットシステムを作動させれば、回避と反撃が間に合っていた。
今までの交戦は実力差ではなく単純な機体の性能差でしかない。フロンは身体に重りを巻いて戦っていたようなものだ。彼女はその状態でぼくの顎に抉り込むような蹴りをぶち込んだ。
最短最速細密――即ち最強。フロンのその攻撃哲学が、何のハンデも無い機体に乗せられた今、ぼくはまともに太刀打ちできる自信が無い。
ぼくの自信とフロンの雪辱が静止状態で均衡を保ってしまっていた。
それは人間の感じる時間にしてみればほんの短い硬直に過ぎない。でも確かに存在する緊張の調和。すぐに幕を開ける衝突の予兆。
今まで先手を取っていたのはフロンだった。でも今回は違う。均衡を破るのはぼくのほうだ。逃げない、と言った言葉をぼくは履行する。
――右手のナイフを瞬時に展開し、右へ加重移動しつつ身体を沈める。前進の予備動作を感知したフロンのコンバットシステムが剣先をぼくの右前方へ滑り込ませた。予想通りだ。機能を全開放したフロンは過敏すぎる戦闘速度に反射的に身体を動かしてしまっている。
剣の腹をかすめるように体重を掛けたほうとは逆側へ踏み切る。これで間合いを詰めれば懐に潜り込んで素手の接近戦に持ち込める。フロンの武器が相手じゃ仕込みナイフなんてオモチャに等しい。これで勝機を見出すしか……。
薄暗い森に鈍色が瞬いた。大剣をくぐろうとするぼくへ返す刃が襲い来る。切り返しが速すぎる。フェイントへの対応があまりにも的確だ。ぼくと交戦した経験が活きているのか。
跳ね上げるように振り抜かれる大剣の峰をナイフの腹で受け止める。けれどぼくの足は接地していない。いいようにぶっ飛ばされる。森の木に激突する寸前に着地する。
体勢を立て直すより早く、剣を振り上げたフロンが間合いを詰めてくる。転びそうになる勢いを殺さずに、稲妻のように振り下ろされる大剣に蹴りを放つ。軌道を変えた切っ先が、地面に転がったぼくの頭の横に突き刺さった。緑の下草が千切れ、匂い立つ草いきれを身体に巻き込むように素早く立ち上がる。
脚を上げる速度を加速させて剣を引き抜くフロンに膝蹴りで急襲。しかし向こうも鋭い斬り上げで対応。双方ともに加速がつく前に衝突してダメージにはならない。
「強い……」
予感はあった。でも、ここまで固いとは思ってもみなかった。大剣の間合いが崩せない。
再び襲い来る一刀両断の一太刀。体をかわして懐に踏み込む。その膝裏にフロンの蹴りがめり込んだ。思いがけず姿勢が崩される。それは足を出したフロンのほうも同じことだった。ぼくはナイフを仕舞った手を地につき、側転するように浴びせ蹴りを繰り出す。
フロンの顔を蹴り抜いた反動で背中側へ着地。転身と共に裏拳を打つ。
詰まった金属音をひとつ鳴らして、拳は大剣に受け止められた。
「……互角なの?」
呟いたのはフロンだった。ぼくは裏拳を止められた格好のまま硬直していた。
「あんた誰なのよ。落ちこぼれのトォイはどこいったっていうの……」
「互角じゃない。強いのは間違いなく君のほうだよ」
フロンの強さは自分が何者であるかを知っていることにある。
ぼくは人間社会の中で人間同様に生活して学んだ。自分が自分であることを自覚することは難しいということを。
他人と自分は別物だ。そんなの比べれば一発で分かる。でも誰とも比較することなく、自分を自分たらしめるものを見つけることは困難だ。他人から見ればぼくという存在は別にぼくでなくても構わない。他の鋼人に置き換えたって何の問題も無い。
フロンは違う。強襲隊の適性が判明したとき、彼女は自分が何者であるのかを自分に課したのだ。強くあること。それこそが彼女の自負であり、誇りだったはずだ。
自分が何者かを決めた人は、強い。決定された自己存在のためだけに命を費やせる。
しかしフロンは初めてぼくに敗北を喫したとき、許されざる自己矛盾を突きつけられたのだ。弱い自分を否定しなければ、自分が自分でなくなってしまう、と。
だからフロンはぼくを殺しに来る。彼女は自分のために戦っている。ぼくのことをどう思っていようと、軍に対してどれほどの忠誠を誓っていようとも、そんなことは彼女の強さを霞ませる要素にはならない。
ラブもピースも戦わない理由にはならないからだ。
「ぼくは弱いよ。君よりよっぽど弱い。自分が兵器なのか人間なのかすら分からないくらいグラグラしてる。自分が誰かなんてことさえ本当には分かっちゃいないんだ」
「イレギュラー……」
「何て言ったって構わないよ。自分が誰か分からなくても、ぼくはぼくだ」
交わす言葉はそこで途切れた。対物センサが特大の危険を察知する。ぼくとフロンは同時にその場を飛び退いて距離を取った。
僅かに遅れてさっきまで二人が組み合っていた地点を岩塊が音速の三倍の速度で通過した。衝撃波の残響を置き土産に、飛翔した岩塊は彼方の樹木に衝突して砕け散った。ぶつかられた木も幹の根元からメリメリと音を立てて折れてしまった。
「毒だ!」
「射程内だっていうの」
「違う。センサの感度を引き上げたんだ。光学センサは地平線までしか及ばないけれど、他の感覚を総動員すれば数値の誤差からこっちの場所を計算で割り出せる」
「あっちか……方向は合ってるな……」
イチマツさんは砲弾の飛来してきた方角を見定めるや、すぐさまその場から駆け出していた。
「ひとりで行っちゃダメだ!」
ステルスジャケットの背中はみるみる小さくなっていく。その視界をフロンが遮った。
「追うなら、決着つけてからよ」
「何度やったっておんなじだ。君のほうがぼくより強いことに変わりはない」
あるいは彼女はぼくに守ってもらいたがっているのだろうか。強い男に守られたいという少女の願望は分からないではない。いや、これこそぼくの都合のいい願望か。
「あんたは誰のために戦うのよ。傷つけて逃げ出して逆らって、こんなとこまで追い立てられて。それで自分のことも分からないなんて、バカじゃないの」
「分からない。分からないけれど、それが、その不理解が心なんじゃないのかな。ぼくは自分だけのためには戦えないけど、心のためになら戦える」
ゴーダタの財布を取り返すため。ペルさんを危険から遠ざけるため。アンヘルと一緒に逃げ延びるため。ナブトさんの弔いのため。フロンの自負のため。
ぼくの戦闘はいつだってそうだ。国のために戦うなんて出来そうもないけれど、誰かのためにならぼくは頑張れる。
精神は物質だ。だから心なんてどこにもない。
一昨日のぼくはそう吠えた。けど、そうじゃない。自分の内にあるものだけをこね回して、そこから心を探そうとしたって見つからないんだ。
「フロン。ぼくは心を探すよ。そのためならぼくは自分のために戦える」
「トォイ。あんたってホント……ッ!」
フロンは言葉を飲み込んで再び大剣を閃かせた。
今までで最速の踏み込みと斬撃がぼくの真正面に放たれる。
そのとき大剣が砕けた。同時に歪んだ銅鑼を打ち鳴らしたようなヒビ割れた大音声が右腕に生まれる。ぼくのじゃない。フロンの腕に。
「砲弾が!」
突如として飛来した毒の第二射。フロンはぼくの前に躍り出て剣撃の防御を試みて、武器と右腕を失った。
着弾した瞬間に砕けた石礫が散弾になって周囲に飛散し、大剣の破片がこぼれたときには、砕けずに残った芯部がフロンの腕をぶち折っていた。
超音速のレールガン砲弾の飛来を鉄板の剣で迎撃したフロンは、力負けの果てに質量に押し切られて肘から腕をもがれたのだ。
青い血が飛沫を上げ、緑の下草を染め抜く。フロンの手首から先が地面に落ちていた。肘は粉々に砕けて原型が無い。いびつな二の腕の断面から血を垂らしてフロンは顔をしかめた。
「ぼくを庇ったのか」
「さあね……」
「よけられたのに!」
「嘘。死角だったくせに」
フロンにはお見通しだったようだ。ぼくは毒が放った第二射を感知できなかった。一部のセンサは感知していたのかもしれないが、フロンとの睨み合いに集中して意識の外に置いてしまっていたのだ。
音波を利用する対物センサは広範囲を一度に索敵できるが、放った超音波の反響音を拾い上げて物体を感知するため、超音速の砲弾には反応できない。だから毒の砲弾は光学センサによる視覚での認識に強く頼ることになる。さっきはその索敵範囲の死角から砲弾が飛び出たのだ。
「……いきなさいよ。あんたが勝ったんだからさ。それともトドメ刺してく?」
「フロン」
「システムの統合で、あたしもあんたと同じイレギュラーになったのよ。腕一本で戦線離脱。安いもんじゃないの」
フロンはぼくを破壊できたときのみ、追跡者としての任を果たせたことになるのだろう。所長と共謀したとはいえ、軍規に背いた改造を施されて信頼度の低い機体になったフロンには、このままじゃ帰る場所が無かった。
「すぐに戻るよ。そしたら一緒に帰ろう」
地面に落ちたフロンの右手を拾い上げる。それを腰のベルトに差し込んでぶら下げた。
「すっぽかしたら承知しないから」
軍に引き返して何があるのかなんて分からない。多分、愉快なことはないだろう。それでもフロンはぼくに笑みを向けて木の陰にしゃがみ込んだ。障害物があれば砲弾は防げる。ただの岩が飛んでくるだけだ。一度何かに当たれば貫通せずに自壊してしまう。
「君の力を少し借りていくよ」
ぼくはフロンの乗ってきたバイクの荷台に、革鞄を手早くくくりつけた。
片腕を失ったフロンは剥き出しの肩に左手を添えてじっとうずくまっていた。
それを横目にセンタースタンドを蹴り、バイクを軽く押し出してブレーキレバーを握る。車輪が僅かに空転する感触を感じ取ってすぐさまエンジンを掛ける。回生ブレーキを利用して起電力を確保するエンジンスタートだ。モーターと発電機が同じ仕組みだからできる技だった。
「いってきます」
シートに跨ってフロンに微笑み掛けた。返事の無いまま、ぼくはバイクのアクセルを開けた。
鋼人は嘘をつける。鋼人は涙を流さない。
ぼくは鋼人の表情を設計した人を本当に天才だと思う。
フロンを遙か背後に感じ、草を噛んで走るバイクの座席で唇を引き結んだ。
頬に当たる風はまだなまぬるい。
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