少佐 ドゥシィ

 国境警備隊駐屯地に足を運ぶのは半月ぶりになる。残暑の厳しい都心に比べれば、森に囲まれたこの基地は高原の研究所と同じくらいには涼やかだ。

 それでも陽射しだけはやはり苦手で、わたしは新調した黒眼鏡の月賦に心を痛めていた。鋼人の整備に追われて高性能のウェアラブルコンピュータを注文したのが悪かった。モノが届いたときには仕事は粗方終わってしまっていたのだ。

「まったく間の悪い……」

 しかも駐屯地からの入電は最終調整の最中に飛び込んできた。黒眼鏡が届いてこれから追い込みだという時期なのだから余計に腹立たしい。

 かといって送り付けられてきた情報は無視のできない重要度を持っていた。

 曰く、毒の森から朽ちた鋼人の躯体が発見されたのだという。傍らには専用の武装と、その鋼人とは別人の躯体が転がっていたそうだ。

 わたしは毒の正体を心得ている。父の撒いた毒だ。忘れるはずもない。

 四十年前、研究室の奥で見た少年は、幼かったわたしよりも高い背でわたしを見下ろしていた。今はどんな姿になっているのか見当もつかない。だが今日、あの日のわたしにひとつの決着がつくことは確かだ。そこから逃げるつもりはない。

 駐屯地の責任者とは先の事件で、すでに面識はあった。短い挨拶を済ませ、案内を買って出た警備隊員を引き払わせた。これはわたしが向き合うべき終端。あるいは愁嘆かもしれない。

 陽射しから逃げるように日陰を歩いて、首筋に冷たい空気を感じる。久方ぶりに袖を通した軍服も落ち着かない。

 障害物の無い駐屯地の庭では、いくら片隅に追いやられたとしても、目的の残骸は嫌でも目に入るものだ。わたしは一歩一歩、無残なその姿に歩み寄った。

 長年放置されている古い整備場の倉庫の前に件の躯体はあった。駐屯地を囲む金網の前に使い古して真っ黒に汚れた木製の作業台が並べられ、台の上に人の首と見紛うまでに精巧な鋼人の頭が二人分、転ばされていた。

 片方は下顎が全損し、上顎から上だけが載っている。見開いたまま固まったアーモンド型の目が輝きを失った瞳でこちらを見返していた。知った少年の顔だ。

 名前はトォイ。暴走の末、軍人の道を断たれた鋼人の少年だった。

 もう片方は首から上が全部残っていた。人工毛髪は潤いを失い、針のようにささくれている。肌は隣の生首と比べても、灰色掛かって色味が悪い。唇は接着されたように閉じたまま二度と開きはしない。うらぶれたその姿が四十年という時間の重みを無言の内に語っていた。

 ただ、わたしと同じ琥珀色の瞳だけが、年老いたわたしとの因果を、胸ぐらを掴むようにして乱暴に結んでいた。

「まるで晒し首だな……」

 いや、晒し首なのか。作業台の下には四十年を孤独に過ごした鋼人の、使い物にならない裸の躯体が横たわっている。昔、わたしがマーカーで書き記した彼の名を確かめようと、その二の腕に視線を這わせた。けれど風雨に嬲られたからか、すでに文字は消えていた。

 終わってしまった。わたしの知らないところで、いや、知ろうとしなかったところで、わたしと父の最後の因果は潰えてしまったのだ。

 わたしは誰を求めてここへ来たんだろうか。今更になって父の姿を探しているのか。

 半世紀も生きてきて、迷子になって戸惑うことがあるものか。たとえわたしの心が迷子だとしても、とっくに手遅れではないか。

 躯体の足元に白いヘルメットがぽつりと置かれ、そこから数本のケーブルが伸びている。配線の先には作業台の隣で金網に立て掛けられた鋼人の武装が屹立していた。

 レールガンユニット・クラブドライバー。過去にスケッチを見ただけの代物だ。

 あのときのスケッチは三つ葉の形をしていた。完成した実物はわたしの背丈ほどもある白い砲身の頂点に、直径五十センチ以上はある三つの円盤を三角形に配した形をしており、クローバーというより、白い十字架に見えた。

 墓標のつもりだったのかもしれない。

 最初から――毒を撒く計画をひとりで立案実行したときから、父は自分が死ぬことを覚悟していたのだろう。わたしを残して逝くことよりも、戦争を止めることを選んで散ったわけだ。

「父よあなたは強かった、か……」

 笑わせるな。あなたに見放されたわたしの絶望を知らずに消えたくせに。あなたの亡霊に振り回されて、わたしはここに立っているのに。

 眉間に皺が寄る。不思議だ。悲しみに立ち会うと思っていたのに、いざ目の当たりにしてみれば、己への怒りしか湧いてこない。わたしは父に会えるとでも思っていたのか。

 いっそこんな十字架を背負わされて森に放逐された鋼人が憐れになった。正義感という、男の身勝手なエゴで生み出され、捨てられた存在。

 あるいは共感しているのだろう。死んだ母から生まれてしまったわたしを父が育てたのは、ただ道義的な立場にあったからに過ぎない。母への愛に忠誠を誓った格好をするための小道具に、子供は使われたのだ。

 ドゥシィ。ドゥシィ。――思い出の中にだけこびりついて離れない声。今思えば少し子供っぽい鼻に抜ける低音。十三階段がそれを全て吸い上げて、絞首台が永遠の沈黙を押し付けた。

 父は黙って国に殺された英雄だった。彼には誉だったろう。けれどわたしには鼻につく自己欺瞞にしか映らない。会えることなら今でも問いたい。あなたはそんなに死にたかったのか。

 半壊した鋼人の晒し首は、父と同じ鼻と唇をしていた。

 額の汗を拭く所作に紛らせて視線を逸らした。その先で何かがチカッと瞬いた。

 作業台の下のヘルメットだ。動作ランプが日陰の中で光ったのだ。

「まだ電源が生きているのか……」

 いい加減な状態で放置している駐屯地の管理体制に、口を突いて文句を並べたくなるが、案内役はわたしが遠ざけたのだ。今独り言をほざいても虚しいだけだ。

 せめて機能停止を確認しようと台の下から白いヘルメットを引っ張り出す。十字架と繋がった白骨のような兜は鋼人が頭に被って使用するものだ。生身の人間に無線接続機能など備わっているはずもないので、有線接続の外部端子を探す。

 左耳に掛かる部位の外側カバーをスライドさせると目的のコネクタが露になる。新品の黒眼鏡のツルから接続端子を外し、ケーブルを引き出してヘルメットに繋げた。

「なるほど。放置するしかないわけだ……」

 眼鏡の中に浮かんだ情報は『使用者不明』。これはすでに朽ちた鋼人の専用武装だったのだ。もう誰にも扱うことはできない。

 ポケットから愛用のPDAを取り出して、こちらの出力端子を黒眼鏡の入力端子に接続。ダメ元で操作メニューを探ってみる。

「認証システムは封鎖されていないのか……?」

 鋼人が使うなら指紋や掌紋、声紋、静脈による本人認証などの必要は無い。機体に設定されたパーソナルデータを鍵にすれば、軍のデータベースでプロテクトを解除しない限り、他人には絶対に使えなくなるからだ。

 モノがヘルメットだ。本人認証の手段は限られている。耳紋か――網膜パターン。

 ハッとして晒し首に目をやる。わたしの貸し与えた琥珀色の瞳はまだこちらを見ていた。

 思いつくまま、黒眼鏡を外して作業台に置いた。代わりに四十年も雨風に晒された小汚いヘルメットを手に取り、被った。

 後頭部がフィットすると素早くバイザーが降りてくる。黒眼鏡と同じように、そこにヘルメットの情報が表示された。片手の携帯情報端末を操作して本人認証システムを使用する。

 一瞬、画面表示が完全に消え、バイザーに小さな丸が表示される。両目がそれを見つめると、上からオレンジ色の細い横線がゆっくり下に降りてくる。鼻の上まで覆うバイザーを縦断して、オレンジの線は消えた。その後には短い文句が二つ。

 ――網膜パターン認証完了。ようこそ、ドゥシィ。

「これ、は……わたしの……?」

 直射日光の照り返しを和らげたバイザー越しの視界に、四十年間二つの国を疲弊させ続けた毒の根源たるレールガンが白々と浮き上がって見える。

 父はわたしに毒を託したのだ。押し付けられたつもりはない。認証システムの都合上、クラブドライバーを起動させられる人間はわたししかいない。捨てるなら自分の勝手にするし、拾える者は誰もいない。それならわたしが使わない理由が無い。

「毒は劇薬になったか……」

 全てが父の手の平の上だったということが気に食わないが、それでも閉塞した両国の現状を打破できる手駒が手に入った。

 問題は量産化の目処が立たないことだろう。クラブドライバーは父が秘密裏に開発した兵器だ。設計図も残っていない。原理はわたしにも分かるが、完成品――それも四十年間もの保証書を添付できるような一級品をこしらえるには膨大な時間を要するだろう。わたしは父のような天才ではない。

 四十年も実戦配備されていたのだから、稼働データをヒントにすれば開発期間を短縮できるはずだが、肝心の鋼人本体がガラクタ同然だ。こちらは整備も補給も無しの状態で四十年稼働し、その上、戦闘で破壊されている。データのサルベージは相当の困難を覚悟せねばなるまい。

 せめて兵器本体に何かの記録が残されていれば……。

 そこで思考が一時停止する。作業台の上でケーブルのコネクタに成り下がった黒眼鏡に視線が釘付けにされる。

 そうだ。父は独自に、秘密裏に、兵器開発を行っていたのだ。いくら設計局局長といえど、資材調達には気を配っただろう。ならばわたしが今被っているヘルメットも、あの黒眼鏡と同じ市販のウェアラブルコンピュータではないのか。かなり改造を施されているが、独自の機能やソフトを付加することはあっても、わざわざ機能を削ぎ落とすことはないはずだ。外部ストレージのスロットを削除する必要は薄い。おそらくバイクのヘルメットを流用している。網膜スキャナーはあらかじめ搭載されているし、ナビシステムを鋼人とリンクさせるならソフトウェア側の仕事だ。ハードの大幅な改造は必要ない。

 PDAを操りバイザーの画面表示を消去。すぐにリムーバブルメディアの確認をする。

「……あった。外部記憶装置」

 存在は確認できた。だがライダー用のヘルメットなら対応ソフトの読み込みが主で、非対応のソフトを呼び出すことはできないだろう。これを取り出してPDAで読む必要がある。

 メモリーデバイススロットは頬当に隠されていた。ヘルメットの製造者に隠す意図は無いのだろう。雨風から機械を守る仕様だ。分かりにくいがそれは許そう。四十年以上昔の、名前も知らない人間のやった仕事だ。時効にしてやろう。

 だがイジェクトボタンが無いのは何故だ。

 中に父の残した何かのデータが眠っていることは確かだ。十中八九、クラブドライバーの設計図に違いない。なのに取り出すことができない。

 ソフト側から『取り出し』のコマンドを実行してもスロットからメモリーは出てこない。おそらくイジェクトボタン共々父が細工しているのだ。

 コマンドの選択によってひとつだけ確かな反応が示された。画面には一行の空欄。その上に踊る簡素な『パスワード』の文字は、単刀直入に要求を突きつけてくる。

 他人はどうか知らないが、わたしにはノーヒントでも簡単すぎる問いだ。父の使うパスの類はわたしの誕生日であり、母の命日だ。忘れるはずもない。

 全部で四桁。年号は入らない。元がバイクと連動するチェーンロック代わりだからだろう。

 迷わずPDAから四つの数字を入力。程無くして顔の横から短い棒が飛び出した。年代物のメモリーデバイスだ。しかしながら機械技術は四十年間全く進歩していない。むしろ衰退している分野のほうが目立つ。取り出したメモリーをすかさず携帯情報端末に挿入。読み込みは問題無く行われた。

 小さな画面にメモリー内の情報が表示される。整理されたフォルダたちが並ぶ一番浅い階層にテキストファイルがひとつ取り残されている。タイトルは『取扱説明書リードミー』。

 用の無くなったヘルメットを脱ぎ、黒眼鏡のモニタに文章データを表示させる。

「くっ……ふふふ……やってくれたな」

 思わず頬を緩めて笑みを漏らしていた。最後の最後に父は一番の罠を仕掛けてあったのだ。

 文章はたった一行。ひとつのセンテンス。二つの単語。

 ――HAPPY BIRTHDAY。

「命日ではなかったか……。ならば、こいつももう用無しというわけだ」

 軍服を着てきたおかげで普段は触りもしない物を身に付けていた。千人からいる研究所員を束ねるために戴いた少佐の階級。その義務として課せられた訓練以外では使ったこともない。

 鍛えていない女の細腕には少し重い九ミリの自動拳銃。安全装置を解除して作業台の上の晒し首に向ける。黒光る銃口を琥珀色の瞳を持った眼球に押し付けトリガーを引く。閑静な駐屯地に銃声が高く木霊した。間を置かずもう片方の眼球も粉砕する。二発の弾丸は後頭部を貫通して基地西側の森の彼方へ消えていった。後には凄惨さを割り増しされた晒し首が残った。

 しばらくして銃声を聞きつけた軍人がこちらに駆けつけてきた。わたしの子供と言っても通じそうなくらい若い青年だ。上官か先輩の使い走りにされたのだろう。

「少佐殿、先程の銃声いかがされましたか。敵勢力からの攻撃ですか」

「ご苦労。二発ともにわたしが撃った。敵の攻撃ではない」

「はっ、では――」

「ウサギがいたのだ。晩飯にしてやろうと狙ったが、駄目だな。年に一回の射撃訓練では野ウサギには掠りもせん」

「う、ウサギ、ですか……」

「ウサギを食べたことは?」

「い、いえ、自分はありません。海辺の出身なもので」

「奇遇だな。わたしもない」

「は?」

 硬かった青年の表情が一気に弛緩する。

「だが理由書と報告書にはそれで足りる。今日ほど自分が少佐で良かったと思った日はない。しょうもない理由で怒られることが無いからな」

「は、はぁ……?」

「あまり呆けているな。これから忙しくなるぞ」

 若い軍人を尻目に、わたしはPDAの画面に視線を落とす。表示されている一文をじっと見つめ、思う。

 どうしてわたしは子供を作らなかったのだろう。どうして結婚も恋愛もしなかったのだろう。人並みの女になれなかったのだろう。いや、ならなかったのだろう。

 それが今日の日のためだったとしたら、仕方がない。

 父よ。わたしがあなたを引き継ごう。あなたの成せなかった遺志を遂げてみせよう。

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