墓守 エピタフ

 夜も明けきらぬうちに調整台の上で目を覚ます。警戒網に侵入者を感知した哨戒監視システムが私の待機状態を解除したらしい。

 手早く支度を整える。洗いざらしのシャツを素肌に羽織り、ベルトの右腰にホルスターを吊るして武装は完了。汲み置きの水を手ですくって一口。それだけでいい。

 口許をぬぐった布切れをテーブルに放り投げる。卓上に広げたままの雙六盤バックギャモンに落ちた手ぬぐいが薄くほこりを舞わせた。

 家の外に出れば、青い闇の中、まばらに建つ山小屋風の家屋らの向こうから甲高いエンジン音が木霊してくる。音のする方角は哨戒システムが示す侵入者の座標とも一致する。

 コアエンジンがどくりと鼓動を打ったように感じた。感情値のグラフが歪な曲線を描いて即座にフラットに収束する。

 スイッチの入る感覚だ。コンバットシステムが躯体を本来の姿に戻していく、目覚めの感覚だ。

 地面を蹴って走り出す。鋼人の長い脚が高速で繰り出され、全身で冷たい空気を切り裂いていく。

 そうして侵入者の行く手に先回りをして、とっくりと彼を待ち構える。

「いや、か……」

 点灯したライトの灯りがひとつ、薄闇を切り開いてこちらへ近づいてくる。北へ向かう侵入者は疾走するサイドカーだった。運転手の他に側車にもうひとり同乗している。

 私は彼らの道を遮るように両手を広げて立ち塞がった。

 サイドカーは私を認めてゆっくりと速度を落とし、互いの顔が見える距離で停車した。

「おはようございます」

 声をかけると、サイドカーの運転手はライダーズゴーグルの下の壮年の顔を苦み走らせ、無言のまま憮然とした態度で私を睨み返す。側車に搭乗する少年は気忙しげに私と運転手の顔を見比べてから、不安そうに運転手のほうへ視線をやった。

「ここより北へ向かわれるつもりなら引き返していただきたい。ここから先は毒に汚染された進入禁止地帯です。ここが行き止まりです」

「ンなこたァ百も承知だ」

 壮年の男はぶっきらぼうに返す。

「帰る場所が無いというならここに留まっていただいても構いません。ここではそういった人たちが共同生活を送っています」

「百も承知と言ったはずだぜ」

 ゴーグル越しに強い意志を含んだ視線が発せられる。この村落に流れ着いた行き場のない放浪者たちとは違う、生きた人間の目だ。

「ぼくたちはこの先に用があって、どうしても行かなくちゃいけないんです。通してもらえませんか?」

 少年のほうはいかにものんびりとした口調で懇願してくる。だが、私は彼が放つ波動を見逃せなかった。全身から漏れ出るコアエンジンの反応だ。

「鋼人をこの先に行かせるわけにはいかない。国境越えは休戦協定違反になる」

「そうなんですか?」

 少年が場違いな温度の疑問符を浮かべ、男が舌打ちをする。

「面倒くせえ。力ずくで押し通るぞ」

 深刻そうに表情を硬化させて事態を見守る少年に、男の顔が向く。

「てめぇが戦うんだよ!」

「えぇー! ぼくですか!」

「当ッたり前だろ!」

「私が言うのもおかしいが、鋼人が人間を盾にするのはあまりぞっとしないな」

 知らず、自分の眉間を押さえてうなだれていた。あまりのマヌケさにコンバットシステムが軽くダウンしている。

 まったく、人間を前に押し出して戦闘を避ける鋼人などいてたまるか。

「あー、なんとか話し合いで解決できませんかね? そうだ。自己紹介。ぼくはトォイっていいます。こっちは人形屋さんのイチマツさん」

「俺の名前は言わなくていいんだよ」

 叱られながらもトォイは側車を降りて私の前に進み出た。

「ごめんなさい。さっきのは忘れてください」

「努力はしよう。だが君たちが引き返せば、私も名前を覚えずに済む」

 嘆息し、ホルスターの銃把に手を掛ける。

「私はエピタフ。ここの墓守だ。君たちが一線を越えるというなら殺害も許可されている。墓に刻む名を、どうか私に覚えさせないでくれ」

 ホルスターから銃を引き抜いてトォイに突き付けた。

 彼はきょとんとした顔で私を見返していた。

「お墓……そうだ、ここに来る途中に墓石がたくさん建ってました。無縁墓みたいに名前の無いものも。あれって……」

「あそこはこのあたりの墓地だ。あの中には、私が殺し、私が埋葬した者もいる」

「殺しの経験があるのか。戦後の躯体にしちゃ珍しいな。てめぇとは違う本物の鋼人だ」

 サイドカーの運転シートでイチマツという男は口の端を釣り上げてトォイを皮肉る。それを気にも留めず、トォイは私から視線をそらさない。

「あの、教えてくれませんか。あのお墓の中に、ナブトさんの名前がありました」

 稲妻が走るように感情値が上限値を突き抜けた。即座にフラットに戻った感情はそれでもふつふつと波立つ。彼の名を、まさかここで聞くとは思わなかった。

「ぼくの顔の素材を提供してくれた人と同じ名前です。五年前に亡くなったと聞いています。ご存知ですか?」

 トォイの顔を改めて凝視する。人相はまるで別人だが面影があった。濃く引かれた眉と鼻筋の通り。確かに同じだ。

「おそらく君のいうナブトを、私は確かに知っているよ」

「聞かせてください。ナブトさんはどんな人で、どうして死んだんです?」

 メインシステムが記憶の階層をひっくり返して生前の彼の姿を探し出す。背骨で猫が爪を研いでいるような、痛痒い懐かしさがこみ上げてくる。

「ナブトは軍人だった。砲兵で、でも火砲より測量のほうが優秀な奴だった。彼は任務でこの村に駐留していて、暇を持て余していた私たちは、顔を合わせるたびにそれとなく話をするようになって、なんとなく、そうだ、本当に何のきっかけもなく、いつの間にか友人になっていた」

「友達、だったんですか」

 トォイの顔が安堵したふうにほころぶ。この少年は心底からお人好しなのだろう。だからこそ伝えてやらねばと決意する。

「私たちはこの村で決められた野良仕事をこなして、代わり映えのない食事を共にして、ゲームをしながら他愛のない話を飽きもせずにずっと交わしていた」

 楽しかった。侵入者を脅し、なだめすかし、説得し、あるいは殺害する任務を課せられながらも、ナブトと語らう時間は私を人間じみた機械にしていた。

「雙六の途中だった。ナブトはゲームを中座して、便所にでも行くようにふらっと席を立って、毒の森へと向かったんだ」

 途端にトォイの顔に影が落ちる。

「そこで私が彼を殺した」

 束の間うなだれたトォイが面を上げると、悲しげに下げた眉の下に、恨みがましく気色ばんだ目を尖らせ、唇を引き結んでいた。

「理由は決まっている。任務だからだ」

「友達だったんでしょう!」

「私たちは機械だ。命令コマンドに従う機能の集合体だ」

「でもナブトさんは友達で、同じ軍の仲間で、そういうものを守るのが鋼人じゃないですか!」

 トォイの情けない顔は、五年も前に失われた命を今更になって懸命に拾い集めようともがいているふうに見えた。

 その姿を見ていると、不思議と安らぎが湧き上がってきて、私は薄く笑みを浮かべて首を振った。

「ナブトも同じだよ。彼も命令で毒の森の測量に向かったんだ。本当かどうかは知らない。彼はそう言って私に見逃してくれと言った。だが見逃せば彼は毒の森で果て、無線に乗せた測量データだけが上層部に残っただろう。彼はいいところ作戦行動中行方不明MIA扱いになるか、存在そのものを無かったことにされる」

「そんな……」

「私は選んだんだ。彼が実を残して散るか、徒花を咲かせて名を残すか。分かるだろう。私が殺したからナブトの名が墓石に残った」

「なんで……」

 胸が痛む機能など積んでいないはずなのに、トォイは自分の胸ぐらを両手で握りしめて草色の軍服をくしゃくしゃにする。ついでに顔までくしゃくしゃだ。

「なんで、一緒に行かなかったんだ。友達なら、ふたりなら、何かができたかもしれないじゃないですか」

「私たちは友人だった。だがふたりではない。ひとりとひとりが、たまさかこの村で交わったに過ぎない」

 銃を構えていない手でポケットを探る。サイコロがふたつあった。

 それをトォイに向けて放り投げた。彼は容易く片手で受け止めて、不思議そうに手の中のサイコロを眺めた。

「振ってみてくれないか。ナブトが席を立ったのはアガリの手前だった。両の目が五以上。ゾロ目なら三以上でアガリだ。別にどうということはない。それでゲームには決着がつく。目が足りなければ私の勝ちだ」

「確率は六分の一、か。イチマツさん、賭けますか?」

「やだね。俺は分の悪い賭けはしねえ」

「だと思いました」

 浮かべた苦笑を消して、トォイは左肘を開口させてふたつのサイコロを飲み込ませた。

 左腕部の空気銃に圧搾空気を充填する音が、しんとした早朝に低く響いていた。

「ナブトさんは賭けたんだ。エピタフさんが自分を助けてくれるほうに……」

 張り詰めた冷たい空気が刃物の剣呑さを帯びていく。コンバットシステムがメモリの使用率を急激に上げた。

「エピタフさん。ぼくがあなたを倒します。ナブトさんができなかったことを、ひとつだけ叶えてみせます」

「やるなら間合いに気をつけろ。そいつの得物はテーザー銃だ。ケーブルの先についた電極の針を撃ち込むスタンガンだ」

 イチマツの忠告はどこか他人事のように聞こえた。

「そう。私の武器はインフェクテッドバインダーユニット。出力次第では苦しみを感じる間もなく人間の心臓を停止させ、鋼人相手には右手の内蔵ナイフのウィルスをより凶暴に変質させて撃ち込むことができる」

 銃把のスリットに右手首から突き出したナイフの先端を挿入。銃と自分が一体になる。

「最後の警告だ。引き返してくれ、トォイ。今ならナブトの思い出だけは持ち帰ることができる」

 答える代わりにトォイは構えを取る。左手を前に出し、右手を胸元に引きつける、古い武術のような鋼人らしからぬ構えスタイルだ。

 ふたりが向かい合う道の両脇で、夏の陽射しで野放図に伸びた下草が涼風にそよぐ。

 ぴとり、と一雫の朝露が地に落ちた。

 瞬間、引き金を引いた。銃の先端からコードのついた針が発射される。

 その針が突如、空中で青白い火花を上げた。

「なっ!」

 トォイが私と同時に空気銃を撃ち出したのだ。形成炭素加工されたサイコロの弾丸が空中で電極に衝突。局所的に高伝導率で通電した銃がカートリッジのバッテリーをあっという間に空にした。

 仄暗い朝を眩く照らす青白い火花の中に影が躍り出る。

 一瞬の判断停止の隙を突いてトォイがこちらの懐に踏み込んだ。

 銃を撃った左腕を引いて右肘を打ち込んでくる。だがまだ距離が遠い。肘の先は触れない。すぐに距離を開けて体勢を立て直せば――。

「ごめんなさい」

 トォイの呟きが聞こえたとき、彼が右手に握っているものに気がついた。

 コードだ。私の銃から伸びているはずのその先端を、トォイは私の右腕に突き立てた。

「ぐっ……あああああっ!」

 刺された箇所を中心にナノマシンが暴走。防御格子が組成を変えて鋭い針状結晶となって内側から皮膚を突き破った。

 腕を動かす命令が正常に伝達されず、右腕は青い血を振り撒きながら天を衝く。

 通常ならば無害化されるはずの自分自身のウィルスが銃に変質させられて腕の中で暴れ狂っている。パーソナルコードが一致しているせいで無害化プログラムが起動するが、ウィルスを流し込むプログラムと処理が競合し、余計に収拾のつかない状態に陥る。

 腕一本で完全に戦闘不能にさせられた。

「強いな、トォイ……」

「そうでもねえさ」

 不意に背後からイチマツの声がした。サイドカーを見ればすでに誰の姿も無い。

 その時、自分の足元で糸のようなものが空間を走るのを感知した。

 ダメージコントロールが前触れも無くレッドアラートを鳴らす。

 両脚が脛で切断されていた。

 立ち上がっていることなど出来ず、ずるりと切断面から崩れ落ちる。

「そんだけぶっ壊れてりゃ言い訳も立つだろ」

 顔から地面に投げ出された私にイチマツの声が降ってくる。

 この男がワイヤー状の武器で私の脚を両断したのだろう。だが理解が追いつかない。本来ワイヤー程度で切れるはずのない物を、彼は私の自重を利用して切断してみせたのだ。しかもミリ秒のズレも無く両脚同時に。神業の領域だ。

 なるほど。トォイが戦闘をゴネるわけだ。

 この男のほうが自分よりよほど強いのだから。

「オラ行くぞ。チンタラしてると応援を呼ばれる」

「あ、はい。すいません、エピタフさん。ぼくらもう行きます。それじゃあ失礼しますね。ナブトさんのお話、聞けてよかったです」

 倒れ込む私を尻目に、ふたりを乗せたサイドカーは走り出す。

「トォイ――」

 サイドカーが私の脇を走り抜けて過ぎるとき、何かを言おうとして、だが言葉が出なかった。

 五年前、私がナブトの命と共に切り捨てたのだ。

 トォイはそれを拾い上げて、行ってしまった。

 だから私に言える言葉は残されていない。

 人の交わりなど、雙六の駒のように一時のすれ違いに過ぎない。出会いも別れもなく、ただ自分のアガリを求めて肩をぶつけてすれ違っていく。それだけだと思っていた。

 そうでなければ居なくなった者たちに向き合えない。そう思っていた。

 けれどトォイたちはぶつかった行き止まりをぶち壊して突き進む。あるかどうかも不確かなアガリに向かって一直線に。

 今、目の前に焦げ跡のついたサイコロがふたつ転がっている。出目は三のゾロ目だ。

「控えめな奴だな。君の勝ちだよ」

 ひどく爽やかな敗北だった。

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