鋼人 トォイ 4

 整備場のガレージに停めてあったサイドカーの側車にぼくを押し込み、人形屋さんはエンジンを掛けた。ぼくは慌てて足元に転がっていたヘルメットをヘッドギアの上から被った。

 キリキリと錆びた音を立ててシャッターが上がる。深い闇が口を開けた。駐屯地の平坦な庭の奥には、警備隊だった頃から高い金網がそそり立っている。鋼鉄の門扉は今夜も固く口をつぐんでいた。

 駐屯地のほぼ西端に位置する整備場に爆音が轟いた。ガソリンから電気に燃料を移行する過渡期に製造された水素エンジンの激しい振動が硬いシート越しに伝わってくる。運転席にまたがった人形屋さんはジャケットから取り出したライダーズゴーグルをきつくはめてクラッチレバーを握る。

「駐屯地の軍人に捕まるわけにゃいかねえ。一気に突っ切るぜ」

 人形屋さんがじわりとアクセルスロットルを開ける。闇夜に沈み込むような烏の濡れ羽色をしたサイドカーは滑らかにガレージを離れた。灯りは人形屋さんがくわえるペンライトひとつっきり。無灯火なのは、見つかるわけにはいかないからだろう。

 水平対向二気筒エンジンのツンとした甲高い音が夜気に抜けて行く。こんな音を出しながら隠密でいくつもりなんだから人形屋さんの豪胆さには閉口するほかない。

 顔に叩き付けられる風が次第に凶暴さを露にする。身を切るような加速感。硬い土のフラットな地面にタイヤがよく噛んだ。夏の陽射しにうだった大地が夜露に引き締められている。一直線にぶっ飛ばされるサイドカーが目指す先には金網の壁がそびえていた。

 ペンライトのか細い灯りが金網に触れて、人形屋さんはアクセルをさらに開けた。

 前輪が金網にめり込み、そのまま車両重量を押し付ける。めり、と網目が歪んだ。ぼくの対物センサはあらかじめ金網の一部に切れ目が入れられていたことを感知している。案の定、金網は切れ込みどおりに千切れ、駐屯地の向こう側へと倒れ込んだ。

 ガシャン。賑やかな音を鳴らしてサイドカーは駐屯地を脱出した。

 遅まきにサイドカーのライトを点灯させ、ペンライトをしまった人形屋さんはぼくに向けて自慢気に口角を上げた。

 うん。気持ちがいい。



 地図にはこの先に小さな村がひとつある。ぼくらはそこへ通じる林道を疾走していた。

 行き交う自動車が轍を刻んだだけの粗末な道路は、葉を繁らせた真夏の木々に圧し潰されそうなほど頼りなく細い。土を剥き出したその道を突き進む最中、人形屋さんは憮然とした面持ちでぼやいた。

「なーんか運転がしっくりこねえ。てめぇ、体重何キロあるんだよ」

「乾燥重量は七十キロです!」

「てめぇ、中身水気ばっかりのくせして、よくも乾燥重量なんて言えたもんだな……」

 確かに鋼人にとって水は要だ。体液の主成分にしても、燃料の水素や酸素にしても、ナノマシンの培養槽にしても、水を多岐に渡って利用している。実際、ぼくが逃亡中に一番気を揉んだのは水をどこで手に入れるかだった。都市部から離れれば井戸や川で冷たい水を手に入れられたのでおおむね平気だったが、もしも水源の無い場所に向かう場合、その問題をクリアすることは困難だ。

「それより毒の話を聞かせてください。毒を殺すってどういうことなんです。それに特殊なコンバットシステムのソフトを持っているとも言ってましたね」

 話をこの逃避行の中核にシフトする。ぼくの知りたかった話題へ。

「予想もつかねえか。毒の正体に」

「正体かどうかは分かりませんが予想くらいはつきます。フロンはぼくに、毒に殺されるって忠告をしました。加えて毒はコンバットシステムを持っている。だから毒と呼ばれるモノが何かは分かります」

 人形屋さんはぼくの思ったとおりの答えを差し出した。

「ああ。毒ってのは――鋼人だ」

「分からないのは、鋼人が戦争を停止させたことです。昔の局長って人は何をやったんです」

「局長は俺のジジイが作ったコンバットシステムを毒へインストールして、国境線にまたがる森の中に隠したんだ。武器を持たせてな」

「武器?」

 鋼人が必要以上に人間を模して造られているのは、人間の兵器をそのまま流用するためだ。あるいは人間の扱えないほどの強力な兵器を既存の製造ラインで製作するためでもある。

 そのため鋼人用に造られた兵器はオプションパーツとしての顔を持ち、ユニットと呼ばれる。

 人形屋さんは低く呻きながらその凶悪なユニットの名前を記憶の底からたぐり寄せた。

「ナントカ投射砲ってヤツだ。なんつったっけな、電磁誘導だかで砲弾を撃ち出す……」

「電磁投射砲! レールガンユニットですか!」

「おお、それそれ」

 冗談じゃないぞ。そんなもの本当に完成しているのか。この国は今でも慢性的な電力不足で節電が叫ばれている。いくら戦時中が今よりエネルギーに富んでいたといっても、今よりマシという程度だ。そこで電気を湯水のごとく使うレールガンなんて、誰が造るっていうんだ。

「毒は森の中でそれをぶっ放した。敵味方問わずな」

「えっ!」

「ぞっとしねえ話だろ。一撃で標的を破壊する砲弾を敵も味方も無く、近づく奴らにぶち込んでいく。主戦場でンなことやったんだ、まともな戦争になるわきゃねえ」

「設計ミス……?」

「裁判所は故意犯だと決めた。俺もそう思う。この事件を起こす直前の局長に、俺はたまたま会ったことがある。ジジイの付き添いでコンバットシステム構築実験に参加したんだ。あいつは頭の良すぎるガキみたいな奴だった。自分の考えた計画を遂行するためなら、一切のミスを許さねえだろう。いわゆる天才って人種だ」

「なんでそんなことを……。自国民だって危険なのに……」

「ああ。実際、陸伝いに北へ亡命しようとする奴は今でも年に何十人と行方不明になってやがる。この先にある村はそういう亡命者や自殺志願者を引き止めるために残った、本当の意味での最後の砦だ。北の国にも似たような村はある」

 その砦への道を遠い目で見つめて、人形屋さんは細い溜め息をついた。

「ホント、たまんねえぜ。敵味方の区別をしねえ鋼人に主戦場を塞がれたんじゃ、北も南も下手に手出しができねえ。強力無比な武器が相手だ。処理しようにも侵攻した側が被害をこうむる。障害を除外しても戦力低下だ。休戦を解除した途端に攻め込まれちまう」

 フロンと噛み合わせたナイフの鍔迫り合いを思い出す。全力がゆえの膠着。

「戦力低下を回避するために軍縮は選べねえ。金を食う鋼人を毎年生産してるのは北との戦力差に均衡を求めるためだ。そのせいで両国民は貧困にあえぐ。その不満が戦争の緊張を保ち、人間を疲弊させていく。負の連鎖ってやつだ」

「それで……毒、なんですね」

 国をじわじわと弱らせる毒。たった一機の鋼人が、長距離砲を抱えただけで四十年間も人々を苦しめ続けている。

 その毒を殺さなければ、ぼくらはどんどんジリ貧になっていく。けれど……、

「その鋼人を殺すと何が変わるんでしょう」

「ほう……おまえ、戦争がやりてえのか? そうすりゃ戦力として軍に戻れるかもしれねえからな」

 障害が無くなれば休戦の理由も無くなる。軍事力は南北とも互いに蓄積されている。緊張が高まるのは必至だろう。でも、ぼくは鋼人でありながら、その未来を裏切ってほしかった。

「よしてください。休戦から四十年ですよ。装備は保っているつもりでも、国民の戦意が高揚すると思えません」

「国威発揚のプロパガンダなんぞいくらでもあらぁ。陸路が自由になるなら開戦の理由になる事件を故意に引き起こしたっていい。戦争には歴史がある。冷え切ってても火薬にゃ火は点くんだぜ。国民感情は後からついてくる」

「随分簡単に言いますね……」

 まるで人形屋さんは戦争をやりたがっているみたいに感じられる。

「戦前生まれなもんでな。それに向こうの事情もちょっとは知ってる」

「ああ。逃がし屋さんもやってたんでしたね。それで敵国の事情にも明るいわけですか」

「まあな」

 人形屋さんは意味深な含み笑いを漏らすけれど、ライダーズゴーグルに阻まれて、見上げた表情は捉えられなかった。

「なんで人は亡命なんてしたがるんでしょう……」

「北へ国外逃亡しようとしてた奴がそれを言うかね……。事情は人それぞれあるだろうが、人間は自分の居場所ってやつが欲しいのさ。無条件で必要とされる場所。自分をありがたがってくれる場所。人が生きるのにそれが必要かどうかは知らねえが、誰だってそれを欲しがる。どうしてもその欲を満たせねえ奴ァ、居場所をよそに求めちまうのさ」

「だからって敵国に渡るなんて……」

「隣の芝生は青いんだろう。俺はどっちの国も知ってるが、休戦から四十年経ってさえ、経済力も軍事力もトントンってとこだぜ」

 ぼくはどうして北へ逃げようとしていたんだろう。アンヘルに逃げろと言われたから。それは確かに理由のひとつだろう。でもきっかけに過ぎない。

 ここにいちゃいけないって思ったんだ。いや、ここにいられない、と強く強く感じたんだ。

 守るべき国民を傷つけ、今まで世話になった軍の顔に泥を塗った。ぼくはそこでしか生きていけないのに……。

「ああ……そうか……」

 軍でしか生きていかれないなら、ぼくはやっぱりフロンの言ったとおり、ただの兵器なんだ。人間なら逃げなくたって生きられるもの。辛くて渇いて、痛いくらいひもじくても、誰かと分け合って生きる術を知っているもの。

 なら亡命者はどうしてこの国を離れようとしたんだろう。その人はもう誰とも分け合うことができなかったからだろうか。それならどこへ行ったって同じ結果が待つだけじゃないか。

 逃げ出した人たちは何も持っていなかったのか。本当に誰からも必要とされなかったのか。

 違う。他人がどうかじゃない。自分が必要とされたかったんだ。

 国でも組織でもない。自分の代わりになる誰かから逃げ出したんだ。

「誰かの代わりに生きるのが辛かったんじゃないですか。だから国家っていうシステムから逃れようとしたんじゃないですか」

「鋼人がそれを言うか。てめぇらは代理戦争の道具だろうが」

 側車から見上げた人形屋さんの横顔は運転に集中していて、決してぼくを見返しはしてこない。木を削ったように硬い表情はぼくよりずっと作り物のようだった。

「人形屋さんも誰かの代わりをやったことがあるんですか」

「俺は誰かの代わりにすらなれねえ裏方だ。だからこうして夜中にこそこそ動いてんだろ」

 彼が表舞台に立てない後ろ暗いところがあることは身に染みて分かっている。少なくとも、素手で鋼人を戦闘不能にする人間が普通であるはずがない。

「誰だって他人の代わりなんてゴメンだし、代わりになんてなれねえんじゃねえか」

 それじゃあぼくは誰から逃げたんだろう。

 ぼくには軍人になる未来しかない。それが閉ざされたとき、ぼくには他人に分け与えられるものが無くなったんだ。そうだ。ぼくは人の輪から逃げたんだ。

 逃げなければ、人間でいられたのかなぁ。

 人形屋さんの顔を見上げながら思案に暮れていると、彼は唐突に舌打ちを鳴らした。

「チッ、分かったよ。本音を言ってやる」

「え?」

「俺だってジジイの代替えだ。戦場に立つたびに伝説だけを残して平気な面をする、俺の家系で最も性能の高かった工作員。ジジイは子供の頃から見上げていたデケェ壁だった。いつか越えてやると思ってた十七の夏。徴兵される前の年に戦争は突然止まった。休戦が始まってからは俺の家が舞台裏で発言力を強めた。人から必要にされて、それに応える能力も手に入れた。それでも、俺は死んだジジイに勝った気がしねえんだ」

「だから人形屋さんは戦争がしたいんですか? 戦場で武勲を立てたいんですか?」

「バーカ。俺はあと三年で六十だぜ。こんな爺さんが軍人になれるかよ」

 老いない身体を持つぼくを軽々と嘲る。お祖父さんのことは戦い方しか知らないけれど、人形屋さんは快活で自由で、とても凄い人だと思う。

「俺は諦めたんだ。おまえにジジイの人形を押し付けたとき、これで未練を絶ち切ってやろうってな。俺は俺の孫にとってのジジイになろうと決めたつもりだった。だがよ、てめぇは暴走しやがった」

「す、すいません……軽率、でした……」

「正直、俺は僥倖だと思ったね。ジジイの戦闘能力を受け継いだ鋼人に破壊指令が下りるんだ。そこに来て、てめぇンとこの所長からドンピシャの連絡だ。俺は意気込んだ。これでジジイを越えられるってな」

 言葉の端々に熱が伝わり始める。飄然とした人形屋さんが脈を打つように生き生きとしだした。林道は丘を越える斜面を九十九折に曲がっていく。夜闇と木々で先が見えない。

「軍の研究所でてめぇが組み合った女との記録を見て気勢が殺がれた。そこにつけて昨日、いや日付けが変わったから一昨日か。てめぇと会って、話して、やっとこ体感で理解した。てめぇはジジイじゃねえってな」

「それはまあ……」

「平和ボケたガキがひとり。悶々としてた自分が馬鹿らしくなったぜ。そいでまあ、腹ァくくったわけだ。俺もジジイみてえに孫に何か残してやろうってな」

「それでぼくを連れ出して毒を殺しに……?」

 小さくぼくを見下ろして、人形屋さんは人間を小馬鹿にするカラスみたいに口元を歪めた。

 闇の中で相手には見えないと分かっていても、ぼくはそれに微笑で応じた。

「お祖父さん、名前はビスクさんでしたよね。ソフトの名前になってます」

「ああ。それが俺のジジイがこの世に残したもんだ」

「人形屋さんの名前も聞いていいですか」

 ぼくが人形屋さんのお祖父さんでないように、人形屋さんも彼のお祖父さんの代替品ではない。だから屋号で呼ぶのはもうやめたい。彼は彼だ。

「イチマツだ。覚えんなッ!」

 皮肉屋のイチマツさんはアクセルを開けて丘を登り切る。景色が開けた。

 高台から望めば、遠くまで深い森が広がっていた。国境の向こうまで続く緑色の水平線に金柑色が滲む。そこから赤い輝きが涙のように溢れ出す。

 日が昇る。

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