鋼人 トォイ 3
積み木を積んでいた。白い床の上に黙々と、カラフルなブロックを積み上げていた。
研究所の居住区だ。窓は小さいのがひとつあるだけ。ぼくの背じゃ、外は見えない。
積み木の上に不穏な影が落ちる。ぼくの隣に立ちはだかったのは保育期間中に同じ部屋で寝起きするファーストバディのフロンだ。
圧政を強いる暴君のように、彼女は問答無用でぼくの積み木を蹴り崩す。
そうすればぼくが一緒に別の遊びをやると、彼女は信じていたんだろう。
でも、ぼくはまたイチから積み木のブロックを積み直す。
高い塔が作りたいわけでも、自分の城を築きたいわけでも、ぼくを囲ってくれる砦を建てたいわけでもなかった。
ただ積む。色の区別はしない。形は相性のいいものを選ぶ。そうして同じ高さの塊を五つ積み上げた。四角に並べた塊と、その中心にもうひとつ。
それは塔でも城でも砦でもなく、ただの柱だ。たったそれだけのものを作るのに、何度も何度もフロンに蹴り崩された。彼女が飽きるまでそれを繰り返して、やっと完成した五本の柱に、積み木を仕舞っていた箱を裏返して被せた。
完成したことが嬉しくて、部屋の隅でぶーたれてるフロンにそれを知らせる。彼女は柔らかそうなほっぺたを膨らませてそっぽを向いた。ぼくは諦めずに彼女の手を取って立ち上がらせると、研究所の支給した小豆色のジャージの股ぐらに後ろから頭を入れて、肩車に担ぎ上げた。
そっと積み木の上に足を載せる。固い踏み台に立って、頭上のフロンに尋ねた。
――外の景色はどう?
彼女はいつも窓から射し込む夕日のように微笑んで、ぼくを見下ろしていた。
――とっても綺麗よ。空が高い。鳥が飛んでるわ。
嬉しそうに窓からの眺めを説明して、フロンはぼくの肩から飛び降りた。
その後、彼女はまた積み木を蹴っ飛ばして、踏み台を台無しにしてしまった。
無視してひとりで遊んでた罰として、外の景色はお預けなのだという。
ぼくはそれでも良かった。最初に外が見たいと言ったのは彼女のほうだったのだから。
生産から半年が経って、ぼくらは初めて研究所の外へ出た。
そのときぼくは知ってしまった。ぼくらの居住区が地下にあったということを。部屋の窓からは自然光を真似た調光灯が見えるだけだということを。
ぼくは、人を守る能力を持って生まれたことを誇りに思う。
でも一番の誇りは、兄弟機がフロンだということだ。
それはいつまでも揺らがない。絶対に絶対に。
停まっていた時間が溶け始めていた。頭の中に暗闇が浮かび、メインシステムが起動する。全身を舐めるように走査して、コアエンジンが胸に火を灯した。完全自律起動状態に移行して悟る。ぼくがまだ生きていることを。
身の内に力が蘇ると、ぼくを包む暗闇を感知する。どうやらぼくは真っ暗な部屋に転がされているらしかった。背中に硬い感触。これは調整台だ。メインシステムがぼくの完調を告げている。誰かがぼくを整備したのか。
チカチカと機械類の小さなランプが光るだけの部屋で、対物センサが幽霊のように不確かな存在を捉える。仰臥するぼくのすぐ傍らに立つその人影は血の通った体温を有していた。
「起きてんならとっとと目ェ覚ませよ。俺が機械ぶっ壊したみてえで不安になるだろが」
「おはよう、ございます……人形屋さん」
「もう真夜中だっての」
光学センサでは決して覗けない暗闇の中で、壮年の男の顔が苦笑の皺を刻むのを見上げていた。人形屋さんはあのステルスジャケットを着込んでぼくを見下ろしている。
「身体の調子はいいだろうな。今夜中にここを出るぜ。準備するなら今やっとけ」
「いえ、あの、それより……ここ、どこです? どうして人形屋さんがぼくを助けてくれたんです? それに出るって、どこに行くつもりなんですか」
「だからいっぺんに聞くなっつったろ。……ここは国境警備隊の駐屯地にある整備場だ。昔の前線基地だった名残りで、機械は全部揃ってやがる。そこであいつにてめぇを修繕させたんだ」
「あいつ……? 所長が、ぼくを直した……? 破壊するつもりだったんじゃないんですか」
「覚えてねえか。あいつは『回収されろ』って言ってたろうが」
そういえば投降すれば悪いようにはしないとも言っていた。物々しく駆り出された同期たちの威圧感や、フロンが発していた殺意のせいで聞き過ごしていた。所長の目的はぼくの破壊だとばかり思っていたが、何か違う意図があるのだろうか。
「てめぇの通り魔事件は、元々、警察が調べ始めたヤマだ。軍はでかい顔して首を突っ込めない。だからてめぇンとこの所長は研究所だけで片をつけようと躍起になってやがった。軍は動かせねえ。現役の軍人も鋼人も使えねえ。警察は鋼人相手でお手上げだってのに、メンツにこだわって軍に泣きついてこねえ。責任は全部、あいつがおっかぶっちまったのさ」
「うーん……時代の歪みを感じますね……」
「てめぇが起こした事件だろうがよォ」
原因の一端は人形屋さんにもあるような気がしないでもないけれど、話の腰を折って怒られるのはごめんこうむるので黙っておいた。
「おまえはな、あいつにとって特別なんだ。いや、入れ込んでやがるのは、てめぇの中にぶち込まれたコンバットシステムのほうだな。そいつは俺のジジイが鋼人を操作したデータから作られた、この世に二つしかないもんだ。作成者は研究所の前身だった設計局の局長だ」
「局長っていうと……国境に毒を撒いて戦争を停めたっていう……」
「戦争犯罪人だ。四十年前にすでに処刑されている」
「所長は研究所の過去を清算するために、ぼくを追い立てていたんですかね。さっき同じソフトがもうひとつあるって言いましたけど、そっちは保管されてるんですか」
人形屋さんは暗闇の中で目を閉じて、ソフトの所持者を告げた。
「もう片方を持っているのは……毒だ」
「毒? 国境に撒かれたっていう、あの毒ですか?」
「その話は少し長くなる。先に駐屯地を抜け出るぜ。話は道々してやるよ」
「どこに行くんです。こんな真夜中に」
「北だ。夜の内に奴に近づく」
「奴? ぼくを連れて何をするつもりなんですか」
「毒を殺す」
明解な返答は、しかし明瞭な意味をなさない。ぼくは首を傾げて流れに身をまかせるばかりだった。
「いいからとっとと支度しろぃ」
「あの、アンヘルを、ぼくのシッターを知りませんか。バケツみたいなロボットです。まさか廃棄されたってことはないと思いますけど」
急かす人形屋さんに、一番の心配事を尋ねる。彼女には犯罪者であるぼくとの会話ログが記録されている。いかに所長といえど、それを破棄できる立場ではないはずだ。
「てめぇの頭に乗ってるもんが何か分からねえのか?」
「え……?」
言われて頭部に触れてみる。指先が四角四面の平たい物体に触れた。金属製の箱が頭にヘッドギアで固定され、そこから伸びたプラグが首筋に挿し込まれていた。
この装置は以前にも見たことがある。集合住宅の屋上で戦ったフロンが装着していた装備。
「アンヘルの本体! どうしてここに!」
「そのケーブルには触れるなよ。万一抜ければデータがクラッシュするぜ」
「知ってます。前にもフロンが人質という形で使ってましたから」
「クラッシュするのはシッターソフトのデータだけじゃねえよ。てめぇの脳みそもだ」
「はい?」
「あいつ、手の込んだ首輪をはめやがったのさ。首のケーブルは血管みてえなもんで、てめぇと頭の箱とを繋いで、常に情報を交換してやがんだとよ。それが途切れたとき、両方のデータがぶっ飛ぶ。もっとも、てめぇのほうは首に格納されたデータだけだがな」
すぐに頚椎のデータを洗う。消えてしまうかもしれないぼくの中身。
それは――、
「アンヘルとの共通の記憶……」
「ああ。あいつ、データの記憶層をあちこちいじくってたんだ。それで首ンとこにだけシッター本体の記録と合致するデータを寄せ集めたっつーわけだ」
該当データには逃亡中の記録も含まれている。子機のアンヘルはすでに頭の上のオリジナルと情報共有を果たしているようだ。
所長はぼくの性格をよく知っているらしい。逃げるなら過去を捨てていけと言っているんだ。
「データが消える条件はもうひとつ。国境線を越えて北の国へ到達すること。この駐屯地の短距離通信圏外に出た瞬間にアウトだ。基地局を経由しても行動範囲は限定される」
記憶層の整理というワードで、再起動する直前のことを思い返していた。
「夢を見ました……」
「はぁ?」
「夢って記憶が整理されるときに見るものだって言いますけど、鋼人もたまには見るものなんですね。随分と昔の、生まれた頃の記憶でした」
「悠長なこと言うじゃねえか……」
「すごく懐かしくて……だから、思い出を失うのは嫌だと思ったんですよ。消えた後では感じようもないですけど、まだ持っているから思うんですね。怖いって」
「戦闘機械が恐怖を感じるわけがねえだろう」
「恐怖心はありません。でも、回避したいことくらいあります」
「ここから逃げ出すのに怖じ気づいたか?」
溜め息混じりに挑発する人形屋さんの態度に違和感を覚える。
「逃げ出す? これは所長が考えた作戦じゃないんですか」
「俺の独断だ。あいつにゃ、しがらみが多いからな。いい歳して少女趣味なんだから、こっちだって気を使うぜ……」
「しがらみ……?」
「知りてえなら、俺に付き合え。ひとりで逃げてえなら引き止めやしねえ。俺は戦いに行く」
戦い、という単語に奥歯をきつく噛むような真剣味を感じて、コンバットシステムがチリリと震えた。彼は物の喩えで戦いという単語を持ち出したんじゃない。切った張ったの命の取り合いに赴くつもりだ。
このまま付いて行っていいものか、と自問しても不確定な情報が多すぎて、判断停止の状態に思考回路が逃げを打つ。
でも、ひとつ確かなことがある。
「ぼくが見過ごせば、人形屋さんは独りで戦いに行くんですね。それならぼくも一緒に行きます。自国民を守るのが鋼人の勤めですから」
随行に了承して、ぼくは目下の一番の問題を彼に助けてもらうことにした。
「差し当たって、何か着るものもらえますか」
調整台の上で、ぼくはあまりにも裸だった。
着けているものはヘッドギアの首輪だけ。毛皮が無い分、犬猫よりもまっ裸だ。
剥き身の自分が弱々しくて恥ずかしかった。
「まったく頼りになるぜ……」
数メートル置きに足元に常夜灯が灯る暗い廊下を二人で進む。ぼくが寝かされていた部屋よりも奥まった位置にある窓を設けた区画で足を止めた。白熱灯の黄色い明かりが部屋の隅に灯っている。埃で薄汚れたガラス窓の向こうには、今のぼくと同じように素裸のフロンがいた。
胸の下で身体を上下に分断されて、黒い鎖でハンガーに吊られた格好で明かりの中に晒されていた。剥き出された銀色の脊椎が静かに垂れている。痛々し過ぎて目を逸らせなかった。
レストア作業の途中なんだろう。おそらく所長は別の場所で下半身の故障したパーツを応急修理しているはずだ。
人形屋さんがその部屋へ押し入った。その後に続いて、ぼくは一直線にフロンへ近寄った。
肋骨の下でブロックが封鎖されている。ぶよぶよした薄い膜一枚が胸の中に収まっている体液を一滴も漏らさずに受け止めていた。フロンは眠っているのだろうか、微動だにしない。
「色気のねえカラダだな」
「見ないでくださいよ!」
「なんだい。てめぇのオンナでもあるめえし」
「フ、フロンはぼくの、えっと……お、幼馴染みたいなもので、だからその……」
「はいはい。ウブいウブい」
人形屋さんはヒラヒラと手を振って面倒そうにフロンの傍から離れて部屋を物色し始めた。
ぼくは改めてフロンを見上げた。上半身ブロックの断面を包む保護膜は接続を切り離したケーブルやパイプの束で細かな凸凹を作っている。触れれば体液の重量がずしりと指に掛かる。だらりと力無く垂れた腕を撫で、女の子らしからぬ丈夫な指に自分の指を絡めた。彼女はこの手でぼくを殺しに来たんだ。
「君はぼくが憎かったのかい。ごめんよ、フロン。そうだよね。ぼくはいつも君におぶさってばかりだったものね。君が強襲隊の適性を出したとき、ぼくはすごく嬉しかったんだよ。半分は素直な祝福だったと思う。でも、もう半分は、ぼくと同じラインで製造された躯体が華形部隊に選ばれたことを自慢できるっていう、浅はかで独りよがりな喜びだったんだよ」
上半身だけのフロンは瞼を閉じたまま何の反応も返さなかった。白熱灯の明かりは死んだように眠る彼女の顔に濃い陰影を刻む。その陰は顎の下、鎖骨の窪み、乳房の膨らみ、と順に落ち、鳩尾の下で物理的に途切れた。
「夢を見たんだよ。保育期間の頃の記憶だ。ぼくが積み木で踏み台を作って、君がインテリアの窓を覗いてた。九年も前のことなんだよね。ぼくはなんだか今までずっとそうしていた気がするんだ。これから先もそうしていたかったんだけど、ぼくがダメにしちゃったんだね」
曇り空の下に散った鮮血の色を覚えている。千切れた耳を、赤い玉砂利の色を、土砂降りの蚤の市を、今も色褪せることなく覚えている。
忘れたいなら北へ逃げればいい。それもアンヘルとの記憶なんだから。
でも、そんなことができるはずはない。アンヘルとの八年間はぼくの人生にとって大きな比重を占めている。寝て起きてごはんを食べて……その繰り返しの毎日。他愛ない生活の中で、ときどき顔を覗かせるイベントに足を止められたとき、ぼくが帰る場所はいつもアンヘルのベッドの上だった。学校の行事でくたくたに疲れたときも、研究所の講習会で自分の凡才に打ちひしがれたときも、結局『ただいま』と言って戻れる場所はアンヘルのところだけだった。
アンヘルを忘れたぼくには、本当に寄る辺無い人生しか残されていない。
「フロン。君は同期で、いや、強襲隊の中で一番強くなろうとしていたね。だからぼくは誰よりも人間らしくなりたかったんだ。君が強さで一番を目指すなら、ぼくは優しさで一番になりたかった。君に守られる値打ちのある人間になりたかった。でも、そんなのは優しさじゃなくて、ただの甘さだったんだね。君と戦って目が覚めたよ。うん。フロンは強いよ。誰より強い。ぼくが保証する。コンバットシステムを完全開放されたらぼくなんてきっと敵わないよ。ぼくの保証なんてアテにならないかもしれないけどね」
ぶら下がるフロンに苦笑を向けた。握った手をゆっくり解く。
「ありがとう。ここを離れる前に君にお礼が言えてよかったよ」
白熱灯のオレンジ色の陽だまりから足を引く。部屋の隅では人形屋さんがペンライトを片手に持ってぼくを待ち構えていた。
「よう。換えの軍服があったが、ゲロのついてるほうとついてねえほう、どっちがいい?」
示されたのは新品同様の着衣と、昼間にフロンが着ていた吐瀉物まみれの着古しだった。
「普通、それ聞きますか……?」
「いやなに、てめぇがそいつに懸想してるみてえだったから、こういうモノのほうがいいのかと思ってな」
「ぼくをなんだと思ってるんですか。汚れてないほうを借ります」
「なんだい。返すつもりがあんのか?」
「ぼくはかっぱらいじゃありませんからね」
ほう、と漏らして、人形屋さんは軍服の上下を投げ寄越した。草色のそれに袖を通し、サイズの合う軍靴に足を包む。思ったより動きやすい格好だ。
「もういいだろ。早く行かねえと夜が明けちまう」
「ありがとうございます。彼女に会わせてくれて」
「さあな。俺は知らねえよ。着物探しただけだからなァ」
人形屋さんは大股に歩いて部屋を抜け出た。いじましいところのある人だ。
廊下に出て整備区画から離れようとしたとき、全方位をカバーする視覚センサが人の動きを感知した。薄汚れたガラス窓越しに、フロンの口元が寝言を呟くように動いていた。
習った読唇術がその短い文言を解読した。
たった一言――バーカ、と。
ぼくは肩越しに振り返ってもう動かない彼女に呟き返した。
「いってきます」
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