鋼人 トォイ 1

 国道から街の中心部に延びる道路は、目抜き通りと呼ぶには都合が悪いほど曲がりくねっていたし、表通りからひとつ辻を曲がるだけで道幅はグッと狭くなる。区画を分ける煉瓦塀は高く厚く、加えて僅かに湾曲して人間の方向感覚を狂わせる。地元の人間以外は――いや、地元民さえも自宅近辺を離れれば途端に迷子になってしまいそうな街だった。

 要塞の街だ。あるいは単に要害と呼んだ方が相応しいのかもしれない。

 ぼくが目指している毒の森は北と南の国境に繁っている。けれど南北の国境は瓢箪のように極端に括れた地形になっていて、森の一番狭い場所では幅一キロもない。昔、殲滅兵器を用いた作戦で地形が変わったせいだという。東と西に一発ずつ。侵略と報復。北と南のどちらが先にそれを撃ち込んだのか、ぼくは知らない。きっと戦争に決着がつかなくちゃ、歴史学者も玉虫色の答えを定められないんだろう。

 ともかく括れた地形のおかげで、この街は毒の森に蓋をするように広がっている。国境警備隊の駐屯地が街の北に壁を築くように伸び、それを茎に根を張るようにして、市街は南へ複雑に発達していったのだ。もちろんそこには敵兵の侵略を阻む要塞都市としての役目もある。

 南へ侵攻するには難儀な造りになっているのだろうが、ぼくは北に向かっている。鋼人の方向感覚は迷路程度では狂わないし、道に迷っても疲れない。気を付けるのは人の目だけだった。

 なにせぼくは世間じゃ通り魔だ。衝動的な犯行であったとはいえ、警察に手配されている。テレビやラジオで事件のニュースも流れてしまった。加えて、逃亡生活で汚れた衣服が目立ってしまう。人気のない場所で充電しようと思うとどうしても服は汚れる。その充電にしても休止状態からのフル充電じゃない。待機状態で行う気休めの休息だ。

 こんな生活を続けなければいけないのかと思うと感情が波打つ。鋼人なのだから、逃亡をルーチンワークにしてしまえば感情は揺れ動かないはずなのに、ゴーダタやフロンやペルさんの顔を思い出すと、ひどく懐かしい気持ちに駆られる。

 祖国を守る軍人なんだものな。戦地から帰還したいと思わせる郷愁くらい、数値化して組み込まれていてもおかしくないよなぁ……。

 真昼の陽光を浴びるように、塀だらけの街で日向を選んで歩く。熱くなった石畳の路地を右へ左へくねりながら進んだ。

 地図は持っていないけれど、正確に北へ向かっている。

 でも、だけど、なんだか……取り返しの付かない迷子になりそうだった。

 アンヘルのベッドに帰りたいと思う。ぼくを知っている人に会いたいと思う。ゴーダタや中等学校の同級生たち。フロンや鋼人の同期たち。ペルさんと彼女の子供たち。あの賑やかな蚤の市の人垣。恋しくて恋しくて仕方がなかった。

 湾曲した路地に気持ちが横溢して、水没した都市を進んでいるようだった。

「トォイ。何かおかしいわ」

 リュックの中のバケツ・アンヘルが硬い声でメランコリーを溜めた桶をひっくり返した。気持ちをぶちまけられたら、後には現実だけが残ってしまう。

「何かって?」

「何かよ。わたしにも分からないわ。でも、変なの。さっきから同じ場所をぐるぐる回ってるみたいで気味が悪いわ」

「座標を確認するかい」

「ダメよ。オリジナルとデータを共有して、せっかく機体の反応を隠したんだから。自分から基地に現在位置を送信するなんて真似しないでしょうだい」

 生まれて初めて方向音痴の気持ちが理解できそうだ。見知らぬ土地で、頼るアテもなく、孤独にさすらわなければいけない寂寞とした感情。胸の中が星の無い夜の砂漠に満ちるような。

 詩的な孤独に浸っていても仕方がない。この嫌な感覚の原因を探らなくちゃ。

「アンヘル。ぼくの対物センサによると目の前の電柱まで三メートルの距離がある」

 視覚センサを構成する複数のセンサ群の中から、ぼくは音波の反響で立体的に距離を測る機能を抽出する。これは方向も距離も狂いようがないからだ。

 路地の端にそそり立つコンクリートの電柱に向かって、六十センチの歩幅で進む。

 一歩、二歩、三歩、四歩……五歩目は踏み出せなかった。出せば電柱につま先をぶつける。

「ずれてる……。歩幅じゃない。距離も方向も間違ってない。なら……」

「方向は合っていても、方角はどうかしら? あなたは今まで単純に北を目指していたんだもの。迷子になっているとしたら、疑うべきは方角よ」

「ありえないよ」

 鋼人の方向感覚を決定するものはコアエンジンだった。

 メインエンジンに組み込まれたピンポン球ほどの鋼球。それがコアエンジンだ。

 コアエンジンは一基だけでなく、身体各所に積載されているけれど、心臓部に埋まるこの一基こそが名前通りの『コア』エンジンになる。人間に例えるなら心筋細胞に当たる。不随意筋である心筋同様、コアエンジンもぼくの意志とはあまりリンクせずに自動的に動作する。

 電磁波を受け、振動と回転を生み、複数のエネルギーを発生させる。コアエンジンの回転は滑らかにして正確で、その回転をジャイロコンパスに応用して鋼人は方角を決定する。

 心臓の鼓動と同じように、コアエンジンの回転数、振動数は容易に変化する。それでも回転軸さえブレなければ、ジャイロは方角を決定出来るのだ。間違えるはずがない。

「コアエンジンを外部から操作する手段は、そりゃいくつかあるだろうけどさ。本格的に不調にさせることなんてできちゃったら、鋼人同士がぶつかり合う戦争になんてならないよ」

「不調は本格的じゃなくたっていいのよ。地理の複雑なこの街ならね。三メートルの距離を数センチも読み違える不調がどれほどの故障率にあたるのか、言わないではおくけれど」

 痛くも痒くもない鋼の肉体だからこそ、数値に現れる不調に気を配らなくちゃいけない。

 アンヘルの進言に、ぼくは迷子であることを認めざるをえなかった。

「このまま、延々とさまよい続けなくちゃならないのかな……」

「そりゃ、てめえ次第だろ。道に迷ったなら、巡査か坊主にでも尋ねるのが常道だぜ」

 うなだれて吐いた言葉にいきなり返事が来て、ぼくは弾かれたように声の主を振り返った。

 人気の無い路地の先から顔を出したのは見覚えのある男だった。五十代後半の胡麻塩頭に涼し気な顔。印象的なピンと伸びた背筋は、前の開いたライダースジャケットに包まれている。

「人形屋さん……?」

「悪かったな。俺の押し付けたもんで、こーんなハメになっちまったみたいでよ」

「やっぱりあの人形が原因だったんですね。あれは何なんです! どうしてぼくに譲ったりしたんですか!」

 鋼人のように長い脚を繰り出して、人形屋さんは軽い足取りで近づいてくる。全身に力みの無い身のこなし。今のぼくにはそれが不気味に見えてしまう。

「何故、この街にいるんです。地元なんですか。蚤の市の会場からは随分遠いのに」

「いっぺんに聞くなよ。こういう掛け合いはじっくり時間を掛けるもんだぜ。そうやって寿命を延ばすのが賢いやり方ってもんだ」

「なにを言って……」

 人形屋さんはジャケット左の内外のポケットから銀色の光沢を両手に掴み出した。二振りのコンバットナイフ。先端には黒曜石の打製石器を思わせる結晶体が埋め込まれている。ぼくの右手に仕込まれたナイフと同じものだ。鋼人を殺す武器だ。

「脊椎に一撃。それで切っ先に仕込まれたコンピュータウイルスが侵入する。急所を外しても皮下のナノマシンを針状に鋼化させ、内部から創傷周辺を破壊する。切っ先から二センチが死滅の距離だとよ。便利なもんだな」

 逆手に握った右のナイフと順手に持った左のナイフを胸の前で十字に構える。

 ぼくはただ片足を引いて重心を後ろに置いた。

「――なーんつってな」

「はぁ?」

 突然、人形屋さんは表情を軟化させて武器を下ろした。

「てめえとやる気なんざハナからねえよ。ちょいと反応が見てみたかっただけだ」

 ナイフをジャケットに戻し、彼はぼくの手の届く距離まで近づいた。

「市で言ったろ。あの人形は俺の祖父さんの作だってな」

 そう切り出して、彼はぼくに譲った人形にまつわる事情を説明してくれた。

 どうやらあの人形は鋼人にソフトを組み込むための記憶媒体で、ぼくはそれと知らずにコンバットシステムを上書きしてしまったらしい。そのせいで武装が開放され、戦闘技能をインプットされたのだという。

「俺の家は副業で逃がし屋もやってんだ。俺の招いた厄介だ。国外逃亡なら手ェ貸すぜ」

「ありがとうございます。でも、ぼくは、ぼくのために逃げてるんです。だからおじさんの助けは借りられません」

「強情張ってるのか。それでもいいが、北に抜けたいなら毒の森はやめとけ。東か西かに、北と繋がる小島が連なってる。そっちを迂回しろ」

 殲滅兵器で変わってしまった地形。大地をえぐった大穴は海の水を受け止めて、内海を形成した。その外縁部に僅かに残った土地が今でも小島として人の住処となっている。

 でもぼくは島伝いに逃亡する気は最初から無かった。

「ご忠告、痛み入ります。でも、やめておきます。ぼく、歩くのは得意なんですけど、泳ぐのは苦手だから。ほら身体が浮かなくて」

 この国は南北で分断される以前からひとつの島国だった。だから陸続きに歩いて亡命するには毒の森を抜けて北の国へ向かうしか方法が無い。

 人形屋さんはポカンと口を開けてぼくを見下ろしていた。

「海を泳いで渡るつもりだったのか!」

「だから泳げないって言ってるじゃないですか」

「いや、他にも方法はあるだろう。貨物船に密航するとか、地元の漁師を抱き込んで船を出させるとかよォ」

「そういうのは悪いことじゃないですか」

「か、考えもしなかった、っつーのか……」

 ぼくが黙って頷くと、おじさんは顔を伏せ、肩をふるふると小刻みに震わせ始めた。

「ぷっ、ふふふ……ひひっ、あーっはっはっは! こいつぁケッサクだぜ!」

「な、なな、どうしたんです!」

 人を指差したまま腹を抱えて笑うなんて、年配なのに失礼な人だ。

「おまえイイ奴だな。要領は悪いけどよ。だったら俺も本気で忠告しといてやる。毒の森はやめろ。足を踏み入れれば死ぬぜ。分かったな。忠告はしたぜ」

 喉に突き刺さりそうなくらい力強く指を突きつけ、人形屋さんはくっきりした声で告げる。ぼくの返事など待たずに、彼はジャケットの裾を翻して踵を返した。

「あ、あのっ、その上着……」

「ヘッ、ステルスジャケットだ。戦前モノのビンテージだぜ」

 横顔だけを振り返り、口の端に少年じみた笑みを載せてそのまま辻を曲がって姿を消した。

 それで――それだけで、彼はぼくの対物センサから存在を消してしまった。姿を現したときも突然だった。鋼人の認識の外に逃れられる彼は一体何者なんだろう。

 ぼくがデータをインストールしてしまった人形の説明はしてくれたけれど、その由来までは教えてくれなかった。

 ただ立っているだけでコンバットシステムに警戒させる存在感。事情を知りすぎている感もある。只者でないことだけは確かだ。

「追いかけよう、アンヘル」

「やめておきなさい。関わり合ってもどうせロクなことないわよ。それに追跡の手段は?」

「最大感度で足音を追う。あの人は自分の痕跡を消すのが上手い。だからそれを逆手に取るんだ。小さな足音を探れば辿れる」

 彼の消えた辻を曲がる。案の定、人形屋さんの姿は煙のように消えていた。けれど――、

「うん。時刻と太陽の方角から推測して北に向かう足音がある。駐屯地の方向だ」

「火中に飛び込むつもり!」

「それまでに追いつけばいいんだよ」

 耳を澄ませて足を繰り出した。


 追跡を開始してからはアンヘルも不平を口にしなくなった。

「その角は曲がらないで。人目がある。センサの感度を上げて敏感になりすぎているところはわたしがフォローするわ」

「ありがとう、アンヘル」

 彼女の言うように、聴覚センサの感度を上げたせいで他の感覚が使い物にならなくなっていた。特に音波を利用する対物センサは麻痺してしまった。視界は薄目を開けて歩いているようにぼやけている。

 石畳の奥底に反響する微かな足音だけを抽出して歩いた。一定の歩幅で彼は進んでいる。

「人目があるわ。まっすぐに進んで、次の角を左へ避けて」

 アンヘルの声は適宜、ぼくを導いてくれる。コアエンジンまでもが不調を訴える今、その音声ガイダンスは痛いほどありがたかった。

 おかげで人目につかず、着実に目標の足音との距離を縮められる。

 アンヘルは初めて訪れた迷路のような街を的確に案内してくれている。コアエンジンに謎の不調をきたした現状、ぼくは彼女に任せきりになってしまっていた。

 聴覚センサが目標の足が止まったことを感じ取った。

「さあ、次の路地に入りなさい。そこが終点よ……」

 煉瓦塀をなぞるように四ツ辻を曲がる。道幅の広い路地にぽつりと立ち尽くす黒いジャケット姿を認めて、ぼくはセンサの感度をニュートラルに戻した。

 瞬間、復帰した通常センサ群が何十という人の気配をぼくの周囲に感知した。

「えっ!」

 驚き入るぼくに、人形屋さんの背中が振り返った。

「まったく……こんな嫌な役、押し付けてんじゃねえよ……性悪女」

「珍しく意見が合ったな、人形屋」

 人形屋さんのぼやきに、アンヘルの声が答えた。

「どういうことだよ、アンヘル。君、ぼくに何をしたんだ」

「何もしてはいない」

 頭の中に答えが返ってきたとき、人形屋さんの後ろの角からひとりの女性が姿を見せた。黒眼鏡を掛けていても分かる。研究所の女所長だ。

 彼女はショルダーバッグほどもある軍用無線機を肩に掛け、手の中の受話器に語る。

「シッターソフトの音声サンプルは昔のわたしの声だ。気付かれなくて助かった」

 アンヘルと同じ声がぼくの中に響いていた。

 ハメられた……。

「コンバットシステムを起動させて戦闘回線を開いていると通常回線を認識できなくなる。おまえたちがフロンに使った手だ」

 所長は受話器を通信機に置いて送信を止める。途端にアンヘルとの回線が繋がった。

「トォイ。あなた戦闘関連に処理が割かれるとメインシステムがおざなりになってるわよ」

「うん。もう少し前に直しておきたかったよ……」

 兆候は寺院で銃を撃ったときからあった。しかしぼくが気をつけて簡単に直せる問題でもない。戦闘状況を認識する条件の再設定は実戦を知らないぼくには無理なのだ。

「総員! 配置につけ!」

 さっきよりも渋みの加わった声で所長が高く叫ぶ。全方位対物センサが移動物体を多数感知。ぼくの入り込んでしまった路地を塞ぐ形で、ぼくと所長、それぞれの背後にぞろぞろと人が並び出る。

「まったく……フロンのことといい、趣味が悪いよ……」

 ぼくと同程度の体格をした男女が前に十四人、後ろに十四人。手に手に武器を握って居並ぶ全員が顔見知りだった。彼らは同期の鋼人たちだ。ただフロンの姿だけが欠けていた。

「投降しろ、トォイ。悪いようにはしない」

 鋼人の人垣の後ろに人形屋さんと一緒に下がって、所長が勧告する。

 合わせて三十人の障害。それらを越えて逃げきれるか。ぼくはそれだけを考えていた。

 煉瓦塀は背が高い。飛び乗って逃げることはできない。鋼人たちが携える武器は人形屋さんが持っていたナイフに似ている。ただウイルスを仕込んだ切っ先は無く、単に皮下防御鋼糸を無効にする処理だけが刃に施されている。無毒でもあの数を突き立てられれば確実に死ぬ。

 なら前の十六人か、後ろの十四人を蹴散らしてまかり通るしかない。

 厄介な罠に嵌ってしまったものだ。溜め息をつきかけたとき、ふと疑問が浮かんだ。

「どうして待ち伏せなんだ……?」

 人員を集めたならぼくが街に侵入した段階で捜索範囲を狭めて追い詰めればよかったんだ。それをどうして伸るか反るかの誘導で待ち伏せしていたんだろう。

「トォイ?」

「アンヘル。コアエンジンの不調の原因が分かった。――共振波だ」

 集められた同期の鋼人たちをぼくの捜索に利用しなかった理由は、きっとそれが出来なかったからだ。おそらく彼らもぼくと同じように方角の測定機能が狂わされていて、解き放ったが最後、迷子になるのが目にみえていたのだろう。

 鋼人のコアエンジンを外部から操作するには設定された周波数の電磁波を浴びせればいい。出力は微弱で構わない。コアエンジンとはそういう機械だ。

 けれどこの方法でぼくを迷子にするには大きな落とし穴があった。

「所長、同期の鋼人はコアエンジンの固有振動が同じでしたよね」

「まさか……!」

 黒眼鏡を掛けたまま所長の顔色が変わった。当たりだ。

「アンヘル! 調整用の周波数帯でコアエンジンに信号を! 命令は運転停止!」

「オッケー!」

 彼女の返事と共にリュックの中から信号が打ち出される。メインエンジンに振動が走った。コアエンジンが眠ったように静まる。それに合わせて前後に居並ぶ鋼人たちが動きを止めた。

 ぼくだけは止まらない。コンバットシステムを起動させた鋼人はコアエンジンが緊急停止しても独力でメインエンジンを吹かせるからだ。

 共振のことも、メインエンジンの仕様も、どちらも以前にフロンが教えてくれたことだ。

 軍刀を振りかざして襲い掛かってきたことさえ、今のぼくは感謝していた。

「通らせてもらいます」

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