追跡者 フロン
敗走してきたあたしに浴びせられた言葉は、残酷ではなく、優しくもなかった。
「やはりおまえでは勝てなかったか」
足の甲に穴を開けたまま小会議室に通されたあたしに、所長は、結果は自明の理と言わんばかりの温度の無い声を掛けた。
「通信機を手配できなかったことはこちらの落ち度だった。おまえが出立した後、ほどなくしてトォイの暴走の原因が判明した。今のおまえでは奴には勝てん。接触して帰還できただけで十分過ぎる成果だ」
「原因……何だったんですか」
所長はテーブルの隅に視線を投げた。そこには会議室に通されたもうひとりの人間がいる。人生も半ばを過ぎ、老境を感じさせる男だった。歳は所長とあまり変わらないはずなのに、まっすぐに伸びた背筋が彼女には無い活力を伺わせる。
「以前に言った北のスパイだ。警戒の必要は薄い。北と南の二重スパイとして活動する、裏方のパイプ役をしている男だからな。名前は――」
「イチマツだ。覚えなくて構わねえよ」
「暴走の原因は彼がトォイに別種のコンバットシステムを与えたことにある。システムがインストールされた経緯については不明だ。イチマツはソフトを渡しただけだと言っている」
「オリジナル・アンヘルがトォイと接触した際に、彼に随行する子機との情報共有を行いました。こちらの手の内を覗かれましたが、これを解析すれば向こうの会話ログが取れます」
「分かった。すぐに取り外し作業を手配する。実験棟で機体補修もしてやろう」
ありがとうございます、と頭を下げると、所長とイチマツというスパイは席を立つ。
「だがフロン、ログから原因を知って、それでどうする? 理由が解明されたからといって、おまえの指令が変わることはまずないぞ」
部屋を出る前に所長に尋ねられる。でも、あたしの腹は決まっていた。
「トォイはあたしが殺します。ログから得られるものは理由じゃない。確かな口実です」
「素直すぎるな……」
そう呟いたきり黙ったまま廊下を進む所長の後ろを、傷ついた足で追った。この負傷を改修したら、そのときには必ずあいつを追跡して、今度こそ殺してやる。
「これは……」
溜め息と共に声を漏らした研究員は、事件の発生した日にトォイが交わした会話の録音から犯行時の音声をピックアップして身体を固めた。
第一実験室のメインモニタはそんな人々の視線を集めていた。そこへ映し出されるのはトォイの正面の録画映像。音声と共に確かな過去の情景を見るものに与えた。
アンヘルから炙り出したトォイの犯行動機。それは友人の財産を守ることだった。
「正当防衛じゃないのか」「いや、鋼人が民間人相手に手を出すこと自体が」「それより逃亡を扇動したシッターの責任を問うべきで」「発砲は初撃なんだから威嚇の意図だったのでは」
「――黙れ」
口々に意見を戦わせ始めた研究員たちから、所長はたった一言で声を奪う。
「おまえたちの仕事はなんだ。弁護士か。暴走した鋼人を擁護したいなら上申書でも書け。ただし、わたしに受け取るつもりはない。提出するつもりなら、わたしの頭越しに軍へ届けろ」
所長は研究員たちの混乱を現実的に切って捨てた。すぐに平静を取り戻した彼らは解析作業を細分化していく。
「しかし驚異的なイレギュラーだな。トォイ。何故今まで突出してこなかった」
「ンなもん、戦い方を知らなかったからだろ」
「戦闘技術のことを言っているのではない。犯行前の会話を聞いただろう。神はいるのか、心はあるのか……。哲学する鋼人など、わたしは知らん」
「自分で育てておいて無責任なもんだ。てめぇにはあいつらが単なる道具にしか見えねぇからそう思うんだろうぜ」
「人間は人形に人を見出す、か? 馬鹿馬鹿しい。人形は人形。ただの物質だ」
人の輪から少し離れた調整台の上で、所長とイチマツの会話に聞き耳を立てていた。
トォイはあの男に渡された人形のせいで暴走した。だけど彼を憎む気持ちは湧かなかった。むしろ人形をただの物質と言い切った所長に苛立ちを覚えた。
横になってメインモニタを見つめるあたしの足元で不意に高い音が鳴った。
あたしの傍らについている若い女性の研究員が調整台の示す情報を告げた。
「スキャンは終了したわよ。でも損傷から時間が経過しているから……」
「直りませんか」
「ううん。損傷した神経部位はナノマシンがすでに補修してるのよ。刀の切っ先も運良く骨格を避けて足を貫通してる。だから補修といっても穴の開いた外皮にパッチを当てるくらいになるわね。足を丸ごと補修すると時間もお金も掛かるの。応急処置でも構わないかしら?」
「じゃあ絆創膏でいいです。足の裏は丈夫なのにしてください」
「ごめんなさいね、女の子なのに……」
「いいんです。それよりもコンバットシステムの全開放を所長に進言してくれませんか」
「あなた……まだ戦うつもりなの……?」
「それが仕事ですから」
「だって犯行は不可抗力だって分かったのよ。もう幼馴染を追撃することなんてしなくても」
「敵機から敗走した鋼人に価値なんて無いんです。あたしは勝つまでやります」
彼女の言葉を遮って、あたしは身体を起こした。彼女は『運良く』なんて言ったが、あれはトォイの手加減だろう。おかげで絆創膏ひとつで怪我を直せる。それがまた憎らしい。
「こんなにあいつのことばっかり考えるの、保育期間以来かもしれない……」
「寝ても覚めても男の子のことで頭がいっぱい? まるで恋する乙女ね」
「乙女は男を殺しに行きますか?」
「ときたま、ね」
若い研究員はチャーミングにウィンクを返した。
トォイはどうか知らないが、あたしは人形で構わない。目標を殺すことで価値を高める血の色をした人形で構わないのだ。
ただ今はトォイの青い血だけが欲しくてたまらなかった。
解析の結果、トォイとアンヘルは相談の末、北へ向かっているらしかった。北の敵国へ亡命するつもりだ。進行ルートの先には休戦の最たる理由となっている『毒の森』が道を塞いでいる。そこはあらゆる動物、機械の侵入を許さないと言われる魔の空間だ。
放っておけば毒に侵されてくれるだろう、などという楽観はしなかった。鋼人はそこいらの機械とは違う。磁気嵐の吹き荒ぶ中だろうとまっすぐ進める。機械への毒など当てにならない。
国境線上に広がる森へ近付く前にトォイを止めなければいけない。網を張るのは国境警備隊の駐屯地として機能する、森に一番近い街だ。まだ奥に村があるようだが、補給をするならば街しかない。幸いトォイの所持金は少なく、国境へ向かう交通機関もまだまだ未発達だ。先回りは容易にできる。
早く。早く会いたい。
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