少女 フロン 2

「どうして君なんだ」

 さっきまでの険しい表情を消して、トォイは寂しげに言った。

「あたしがあんたより強いからよ」

「どうやってここを見つけたんだい」

 トォイの質問はこれから起こる結末を必死に引き伸ばそうとしているようだった。

「あたしが人質なんて取らないって、あんたは言ったわね。でも、あたしを『使う』人間は平気でそんな手段に打って出るのよ」

「ああ……君が、君自身がぼくに対する人質か……。ずるいなぁ……」

「あたしの起用は単なる保険。人質は別にいるのよ。さっき自分で聞いたでしょう。あたしがどうやって辿り着いたか」

 トォイの足元に転がる銀色のバケツみたいなロボットを一瞥して、あたしは頭にかぶったキャスケット帽に触れた。

 ナビソフトが警告を喚起する。甲高いビープ音があたしの中に鳴り響いた。それを無視して帽子を脱ぎ捨てる。帽子の下にはヘッドギアがはまっている。トォイはあたしの頭を指差した。

「そ、それ……まさか!」

「うるさいッ! 黙れェ!」

 トォイは伏せていた目を驚きに見開き、あたしは鳴り止まない警告音に苛立って、同時にその名を叫んだ。

「アンヘル!」

 トォイに正体を勘付かれたからか、ナビソフト――アンヘルの警告音が静まる。無駄な抵抗だ。まともな機能を削ぎ落とされたシッターに何ができるというのか。

「よく分かったわね。あたしの頭に乗っかってるのがあんたのシッターよ。そこの子機じゃなく、本体の調整台から調達したオリジナルのね」

 ヘッドギアで頭の上に固定された黒い箱は、あたしの首にケーブルを伸ばし、頚椎にプラグを差し込んでいる。ここから電源と情報をやりとりしているわけだ。

「道案内はこの子がやってくれたわ。反応の消えた地点とトォイとの接点。あんたの『母親』の存在なんて、このナビが無ければ分からなかった」

「アンヘルが軍に協力したのかい……。ぼくに逃げろと言ってくれたアンヘルが……」

「シッターなんて単なる疑似人格ソフトじゃない。上位のユーザーの命令には逆らえないわよ。あたしをあんたの元に導くことも、人質になることも、進んでやったに決まってる」

 肩のベルトを外して、捨てた帽子の上へ重り代わりに鞘を投げた。

「でも、あんたの狼狽えっぷりを見ると、人質は効果的みたいね。今のアンヘルはあたしから電源を供給して動いてる。今この電源が一瞬でも断たれれば、彼女の記憶領域は初期化される仕組みになってるのよ。つまり本体を奪回することも、あたしを破壊することもできない」

 自分でも研究所の取った方策を卑怯だと思う。人を襲ったはずのトォイが優しければ優しいほどに効果を強める人質など。けれど、彼はあたしに一言の恨みも呟かなかった。

「そうか。フロンが守ってくれてたんだね」

「何を聞いていたの。これは人質なのよ」

「君がアンヘルをなんとも思っていなければ、それを捨てたほうが身軽に戦える。ぼくを殺しに来たんだろう。それならぼくを発見した時点で、案内役のアンヘルは邪魔なだけじゃないか」

 あたしはトォイの発した疑問に答えを出せる。けれど、決して口に出しては答えられない。

 あたしが人質であるアンヘルを捨てられない理由。それはトォイに恐怖を抱いているからだ。自分自身でも気付いていなかった。落ちこぼれのトォイに、あたしが負けるなんてこと、あってはいけないんだ。その重圧は鋼人が持ち得るはずのない恐怖を生み出していた。

「物事がスマートに済むならそれに越したことはないでしょう。トォイ。あたしのために死んで。見えるでしょう。この剣の刃先をなぞる黒い線。あんたの右腕に仕込まれたナイフにあるのと同じ、鋼人の防御機構を打ち消す加工よ。あんたが避けなきゃ一太刀で終わる」

 鋼人の外皮は銃弾のように回転しながら直進する小質量の物体ならば摩擦係数を増やして受け止めることができる。質量の大きな物体に衝突された場合は、皮下のナノマシンが衝撃を感知した瞬間に極小ハニカム構造の鋼糸を組成させて防御してしまう。

 鋼人に対抗するためには、同じく鋼人の力をぶつけなければならない。あたしが軍刀を授けられたのは、自分の体重を刃に載せて攻撃するためだ。刃先に施された対防御鋼糸加工は皮下に発生するナノマシンの働きを打ち消してくれる。そこをあたしが斬り裂くわけだ。

「これはそういうものなのか」

 カシュ、と軽い音を立てて、トォイの右手首から銀色のナイフが飛び出した。切っ先には黒水晶に似た物質が埋め込まれている。

「やっぱりコンバットシステムを起動させてしまったのね。それを見たからには、あたしはもう退けない……」

「そんな気ないくせに。君はケンカが強いことが自分の取り柄だと思い込んでるんだから」

「うるさい! 落ちこぼれのイレギュラーがァ!」

 微笑を浮かべてナイフを収納したトォイに向かって、あたしは軍刀を振り上げた。

 五メートルの相対距離はたった一歩の踏み込みでゼロに縮まる。

 夏空に黒い刃先が閃いた。トォイの顔が視界から消えたとき、屋上に倒れていたのはあたしのほうだった。まるであたしが勝手に転んだような格好で、顔から屋根にダイブしていた。

「え?」

 熱く焼けた屋根に頬をこすりつけた格好で、あたしは今の出来事を振り返る。

 トォイは片足を引いて、突進するあたしの直線状から軸をずらした。軍刀を振り下ろした一瞬、彼はあたしの手を握り、同時に首にもう片方の手を当てて、あたしの身体を押し出した。攻撃軸線に残した足をこちらの踏み込みに合わせて添えられれば、あとはあたしの突進力が回転モーメントにベクトルを変えて地面とキスするだけだ。

 瞬きのような交錯。人間では対応不能の領域にある速度の世界で、トォイは武術の達人のようなことをやってのけた。強襲隊の演習でも習ったことのない動きだ。

「不思議なんだ。身体が勝手に動く。以前はこんなこと、教えられたってできなかったのに」

 トォイは自分の手を見つめていた。今の攻防に何の感慨も持たなかったかのように。

 あたしの精神グラフが既定値を突き抜ける。システムは平衡処理を諦めた。

「見下すんじゃない……あたしを見下してるんじゃない! トォイのくせに!」

 跳ね起きる勢いのまま身体を捻りながら再び突進。最小の動作で軍刀を斬りつける。一秒に満たない急襲。しかし、あたしの振るった刃がトォイに触れることはなかった。

 代わりに、あたしの脇腹に拳がめり込んでいた。

 それは歯車が噛み合うような滑らかすぎる反撃だった。剣は振り上げるときにも斬りつけるときにも『引く』動作が含まれる。斬撃の僅かな引き斬る動きに身体を滑り込ませ、トォイはあたしをあしらったのだ。

「……だからなんだっていうのよ。こんなの、人間相手じゃなきゃ効かないんだから。コアエンジンの緊急停止でも狙ったんならアテが外れたわよ。コンバットシステムが立ち上がっていればメインエンジンは独立して動作するんだから」

「今、君に触れてる右手がナイフを装備してれば、君は重傷だった。ねえフロン。こんなこと、もうやめにしよう」

「重傷? 装備してれば? ……あんたはそれができなかったんでしょ!」

 叫ぶと同時に刀を斬り払う。トォイは後ろに跳んで軽くかわした。

「人には銃をぶっ放すくせに。鋼人相手に何の武装も使わないなんて……。あたしを馬鹿にしてたの。今だけじゃない。今までずっと。落ちこぼれのフリしてさァ」

「銃を撃ったのは……不可抗力、じゃないな……ぼくの不徳の致すところってやつだよ。感情がグラグラしてさ。撃たずにいられなかった……」

「激情に任せて引き金を引いたっていうの?」

「最低だろう。軍人が民間人にやることじゃない……」

 確信した。トォイは間違いなくイレギュラーだ。

 コンバットシステムを解放したあたしの感情は、常に抑制を利かされて、上限値以上に昂ぶることはないのに、トォイは怒りで人に銃を向けたと言った。軍規云々ではない。鋼人の構造上、考えられない事態だ。

「やっぱりあんたは危険分子よ。今、あたしが殺さなきゃ、また人が傷つく」

「ぼくも自分が怖い。でも自分が死ぬのはまっぴらだ。だから逃げてるんだよ」

 トォイの言葉に、また感情が揺れる。けれどそれはさっきまでの怒りの方向にではない。

 暴走しているはずなのに、やっぱり他人を心配している。なにより自分を諦めていない。

 それはあたしの知ってるトォイだ。昔から変わらない、トォイの真ん中のところだ。

「一緒に来ないかい。フロン」

「え?」

 トォイから唐突に差し出された提案に、一瞬だけ思考が停止した。

「アンヘルの本体も助けたいんだ。一緒に逃げて、生き延びられる道を見つけよう」

「アンヘル、ね……」

 頭の上にくっついた黒い箱。トォイにとって、あたしの存在価値はその電源でしかない。

「あたしにだってやることがあるのよ。ここに来る途中に買ったジュースの空き瓶、お店に返さなきゃいけないし、フルーツジュースと間違えて買った野菜ジュースも飲み干さなきゃいけないし、あとさぁ……あんたも殺さなきゃいけないのよ」

「かなしいよ、フロン」

「代わりに野菜ジュース飲んでくれるなら、考えてあげても、いいけどッ!」

 会話に紛れて三度目の突進。低い姿勢から胸を貫く角度で刀を突き上げる。コンクリートの屋上に足型を付ける踏み切りが、全体重を切っ先に載せた最速の刺突を繰り出す。

 軸をずらすには距離が近い。身体を捌くには『引き』の動作が無い。回避は不可能。

 だが、トォイは軍刀の切っ先を素手で受け止めた。対防御鋼糸加工を施された軍刀を。

「知ってるだろ。ぼくも野菜、嫌いなんだ」

 切っ先を受けたトォイの左手は開口していた。左手に内蔵された空気銃。その銃口に軍刀を飲み込ませたのだ。なんという判断力。なんという反応速度。いくらコンバットシステムを開放しているからといって、これほどまでの能力が身に付くものなのか。

「残念だよ。フロン」

 バキン、と耳障りな音を立てて、空気銃に飲み込まれた軍刀が中程でぽっきり折り取られてしまった。トォイは折れた切っ先を引き出して、地面目掛けて投げつけた。

「あっ!」

 しまった、と思ったときには遅かった。あたしの左足は折れた軍刀の切っ先によって屋上に縫いつけられてしまう。対防御鋼糸加工を逆に利用された。

「上出来よ、トォイ」

 今まで黙して戦いの行方を見守っていた銀色のバケツロボットが声を出した。

「時間稼ぎはこれでいいのかい」

「ええ。オリジナルとのデータ更新は完了したわ。これで向こうの情報も手に入ったわ」

「時間……稼ぎ……?」

 トォイの発した単語で、帽子を脱いだときのオリジナル・アンヘルの反応を思い出していた。あのとき鳴らされた警告音。あれはアンヘルからの抵抗などではなかった。あの警告はアンヘルがあたしの通信機能を勝手に使おうとしたことに対して、メインシステムが警告を鳴らしていたんだ。

 やられた。手も足も口も出せない黒い箱が、ビープ音ひとつであたしを騙した。コンバットシステムを開放した弊害でもある。戦闘無線のチャンネルを開けてしまったせいで、通常回線の監視をするメインシステムの優先度がおざなりになっていたんだ。

「ごめんよ。フロン。ぼくは逃げる。逃げて生き延びる」

 自分のリュックにアンヘルの子機を詰め込んで、トォイはあたしに背を向けて屋上から歩み去っていく。

「待ちなさいよ、トォイ! こんなの許さない! このあたしを相手に時間稼ぎなんて! 絶対に、絶対に許さない! 逃げるな、トォイ! トォォーイッ!」

 剣先の突き刺さった足の甲からは、とくとくと青い液体が流れ出ていた。

 この足では追跡は不可能だ。トォイはまんまと逃げおおせるだろう。


 刀の破片を引き抜き、足の応急処置を済ませて、屋上から降りた。トォイの『母親』のダイニングを再び通り過ぎたとき、テーブルの上で水を満たしていた一杯のコップは、すっかり空になっていた。

 喉の渇いていた奴が飲み干していったのだろう。野菜ジュースを拒んで、こんな生水を。


 ジュースを買った商店で、リンゴをすりおろしたベビーフードをかき込み、野菜ジュースで喉の奥に流し込む。この苦い味を、あたしは絶対に忘れない。

 何度カットされても、上限値を遥かに突き抜ける激情が湧き出して止まらなかった。

 コンバットシステムに感謝しなくてはならない。この激情を諌めることができなければ、あたしは頚椎のプラグを引き千切っていた。トォイがオリジナル・アンヘルとの情報共有を行ったのなら、向こうの子機に残っていた情報もこちらのアンヘルに流れ込んでいるはずだ。今のあたしにそれを解析する能力は無い。研究所に持ち帰らなければ。

 データを解析し、トォイの動向を掴んだなら、そのときは――、

「どこまでも追いかけて、あんたを殺す……」

 手の中の空き瓶が軋む音を鳴らした。

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