少女 フロン 1

 あたしの記憶は六歳から始まる。それはパーツが組み上がった日。それはメインシステムが起ち上がった日。

 小会議室に一様に幼い体躯の少年少女が三十人詰め込まれ、女所長の挨拶を聞いた。内容は記憶領域の底に沈殿したまま浮上しないだろう。誕生の祝辞でなかったことは覚えている。

 研究所居住区の二人部屋であたしと同じラインで組み上がった男の子との共同生活が始まる。それから研究所を卒業するまでの八ヶ月間で、あたしは男というものを学んだ。

 どうやら男とは情けなくて弱っちくて大声で命令すると何でも言うことを聞く、なんだか可哀想な存在であるらしい。というのは、あたしの偏った感想で、世間一般に流布されている男性性とは真逆の理解であったようだ。

 しかし、あたしの記憶が始まったあの日から、二人の縁は始まっている。

 それは、ひとりの男の子と出会った日。



 研究所からの招集は、ほとんどとんぼ返りだった。最終換装を終えて帰宅した翌日の夕方にシッターから報せを受け、日付けの変わる前には再び高原の研究所に足を運んでいた。

 研究棟の隅っこにある小さな実験室に通されたあたしを待っていたのは所長だった。夜半だというのに煌々と明かりを灯す真っ白な室内で、テーブル越しに目が合った。

「いい報せと悪い報せがあるが、おまえに選ぶ権利は無い」

 入室して挨拶しようと思った途端、所長から唐突に浴びせられた。

「いい報せはおまえが同期よりも早くコンバットシステムの一部解禁を認められたことだ」

「悪い報せは、戦わなくちゃいけないこと、ですか?」

「戦闘は鋼人の存在理由だ。良し悪しなどあるか。悪い報せは、その相手がおまえの同期だということだ」

「え?」

 同期というのは、もちろん中等学校の同級生たちのことではない。この研究所で同じ時期に生み出された鋼人のことだ。

「あたし、鋼人と戦闘するんですか。それなら適任は他にも」

「おまえが適役だからこそ呼集したのだ。昨日、蚤の市で通り魔事件が発生した。十八歳の少年が殺傷能力の極めて高い空気銃で右耳を吹き飛ばされた。警察からの報告では、使用された弾丸は現場の寺院境内にあった砂利を形成加工したものだったそうだ」

「よく見つかりましたね。境内なんて石ころだらけじゃないですか」

「弾丸は外塀にめり込んでいたらしい。被害者の皮膚片も検出された。微量だが軟骨と肉片もな。そして犯人の指紋も浮かび上がった。前科は無かったが、軍のデータベースにヒットした」

「それが同期の鋼人だったんですか」

 女所長は神妙な顔で頷いた。

「夏場でなければ雨ざらしになった鋼人の指紋など洗い流されていただろう。警察の連中には幸運だったはずだ。我々にしてみれば厄介事を増やしてくれた不幸の種だがな。そして……その指紋と共に捜査線上に浮かび上がった犯人が、おまえのファーストバディだった」

 感情値が振り切れて一瞬、思考が停止していた。

 ファーストバディ。それは生まれて初めて与えられた相棒のことで、同じラインで製造された兄弟機のことで、同じ部屋で育った幼馴染のことで――、

「トォイの、こと……ですか」

「ああ。その通りだ」

「嘘! トォイはそんなこと! 通り魔なんてやりません!」

「おまえの心証など誰も求めていない。今あるのはトォイという鋼人の指紋が付着した弾丸が人間の耳を千切り飛ばした事実だけだ」

「誰かにハメられたんですよ。あいつ人が好いから」

「殺人事件になっても何ら不思議の無い殺傷能力を秘めた空気銃は現在流通していない。だが鋼人の左腕に内蔵されている武装ならば可能だ。被害者の目撃証言もあるそうだ」

「う、嘘よ……信じない……信じたくない……」

 トォイは同期の中でも成績が悪くて、生まれたときにあたしがいいパーツを全部持っていったんじゃないかってからかわれるような奴だ。適性検査で斥候すら務まらないと言われた落ちこぼれだ。そういう弱みを冷やかされても、優しく笑っていた奴なんだ。

「おまえの所見などどうでもいい。問題はどうやって火を消すか、だ。どんな手を使ったのか見当もつかんが、空気銃の武装を使用したのなら、奴はコンバットシステムを起動させている。入隊前の候補生に武装展開は許されていない。それが作動したとするなら、これは国軍ではなく研究所の恥だ。軍からの支援は期待できない」

「恥を気にしている場合なんですか」

「公表されてはいないが、この国には北のスパイが昔から住み着いている。そのせいで国軍は迂闊に動かせない。警察の捜査が公表されれば事件も明るみに出る。通り魔でなく、鋼人の暴走としてな。だからこそ、今市街地に潜伏していると思しきトォイに現役の鋼人を投入して事態を収拾することは望ましくない。毒をもって毒を制すなどと揶揄されかねないからな」

「理由は分かりました。あたしがトォイを止めればいいんですね」

「違う。目的は活動の停止ではない。目標の完全な沈黙だ。候補生トォイを殺せ」

「ころす……? あたしが? トォイを?」

「そのために、おまえにはコンバットシステムの一部解禁が認められた」

「相手はトォイなんですよ! 演習の成績なら所長だって把握しているはずでしょう! あのドンケツ相手に慎重になる必要なんてありません。マスコミ対策なら現役の鋼人を武装解除させて投入すればいいことじゃないですか。見た目は生身の軍人よりずっと幼いんですから」

「おまえのその口数が理由だ。どんなイレギュラーが発生したかは分からんが、相手がファーストバディならばトォイも簡単には手出しできんだろう。隙が生まれる」

「そんなこと……あたしだって同じです……」

「気にするな。戦闘機構が開放されれば情動のゆらぎはフラットに収束してゆく。戦力強化ではなく、そのためのコンバットシステムの解禁だ。お目こぼしといったところだろう」

 そう言って、所長は一通の封筒を机の上に滑らせた。

「中を見ろ。警察から送信されてきた資料写真だ。命令に頷きやすくしてやる」

 あたしの手元に滑り込んだ封筒の口からは、ぞろりと赤い色を写した写真の束が顔を出す。

 穴を増やされて修復不能になった右耳。それを根元からむしり取られた横顔。弾丸に形成した砂利の細い溝にこびりついた血痕。

 これを――こんなことをトォイがやったというのか。あのトォイが……。

「どこにいるんですか。今すぐにでも追わせてください」

「追跡の手段は用意してある。そのためにも、おまえは今からコンバットシステムの一部解禁作業を受けなければいけない」

「なんだってやります。こんなこと……同じ鋼人として許せない……」

 手の中で写真の束がたわんで潰れた。こんな腕力じゃ足りない。鋼を引き千切るくらいでなければ。



 追跡を開始したのは二日後だった。機体を改修し、一日を掛けて慣らしを済ませた。

 研究所を発って、ナビに従い電車を乗り継ぐ。トォイの足跡を追うようにして。

 出発前にトォイの反応が消失していたことには驚いた。可能性はいくつかあったが、ナビソフトの予想では休止状態に移行しての完全充電である可能性が高いらしい。

 無防備状態の今が好機だ。

 反応が消えた地点が視認できた。ベッドタウンの一画に建つありきたりな集合住宅。灰色に雨垂れの跡をつけた壁を見上げる。トォイはここにいるんだろうか。

 薄暗い一階ロビーに侵入して集合ポストに並ぶ名前と、入力済みのトォイの資料を突き合わせる。一致する名前は無い。

 ナビソフトはあたしに部屋番号をひとつ告げる。それが何を意味するのか分からなかったが、これ以上手掛かりを持たないあたしは黙って従った。

 重たい音を立てるエレベータに乗り込んで最上階を目指す。鋼人が入居しているならいざしらず、ただの集合住宅のエレベータに乗ることは危険を伴なう。電力が安定して供給されていないため、昇降の途中で立ち往生する恐れがあるのだ。

 だからといって、この暑い中、最上階までの階段を上る気にはなれない。電車の停車場近くの商店で買ったフルーツジュースに口をつけながら、点滅する階数表示を見上げていた。細いガラス瓶を握る手には、まだ現役の鋼人と同等の握力は備わっていない。

「だからって、押し込み強盗じゃないんだから……」

 腰に吊った軍刀の柄に手を当てる。研究所で解放された戦闘能力は機動力と、近接戦闘技術だけだった。技術だけならば定期講習の演習カリキュラムで身に付けている。今更付け加えられたところで意味があるのか分からない。

 手元にある武器は刃物と駆け足だけ。それで暴走した鋼人を相手にできるのか疑問だ。だからこそ停電の危険を冒してもエレベータを選んで、脚部の消耗を抑えているんだ。

 違うな。

「あたしは怖いんだ」

 実戦が? 鋼人が? トォイが?

 答えを出すより先にエレベータのドアが開き、コンバットシステムが精神グラフをフラットに収める。空き瓶をカバンの中に突っ込んで、あたしは戦地に足を踏み出した。


 ナビの導いた一室を訪ねると、三十路に掛かるくらいの女が玄関から出てきた。顔を見て一発で分かった。トォイと同じアーモンド型の瞳。この女はトォイの『母親』だ。

 事情を悟って、笑みが浮かんだ。システムはそれを打ち消さなかった。

「ごめんください。トォイいますか」

 女はあたしの声を聞いた瞬間、さっと顔色を変えて部屋の中に逃げ込んだ。当たりだ。

 玄関ドアを引けば、抵抗無く開いた。鍵も掛けていない。いや、掛けていても壊すつもりだったのだから、彼女にしてみれば動転していてよかったのかもしれない。

 土足のまま室内に上がり込むと、床にさっきの女が履いていたサンダルの跡が点々と続いていた。相当に慌てているらしい。鋭敏化されていない通常のセンサを総動員しても、罠が仕掛けられている気配は見つからない。

 足跡を追うと廊下からダイニングへ続き、バルコニーへと向かっていた。ダイニングテーブルには食べかけの食事が三人分。量から見て、彼女と子供二人の食事だろう。やはりトォイは食事を取らずに自己発電している。

 不意にテーブルの上に違和感を覚えた。水を汲んだコップが一杯だけ置かれている。花でも飾るのだろうか。指先につけて舐めてみたが、恐らくただの水道水だ。夏場に汲み置きなんてしても傷むばかりなのに。

 この家庭の胃腸を心配してあげる義理などどこにもない、と意識を切り替えてバルコニーに出る。放り出された椅子に足を載せると小さく軋んだ。片足に体重を載せるのは危なそうだ。

 そう思ってバルコニーの床に残った軸足で足元を蹴りつけると、ふわりと身体が浮かび上がった。音も無く屋根のひさしまで跳び上がって、屋上に手が届いた。凄い。事前の演習で訓練してはいたけれど、全力を出さなくても、鋼人の脚部はこれほどの瞬発力を生むのか。

 風雨にさらされ、真っ黒に汚れた屋上には、どこに根を下ろしているのか、雑草がぴょこりと頭を出していたりする。強い風に揺れる草の傍らに、見知った顔が寝ていた。

 先日、最終換装で会ったばかりのファーストバディ。その顔にターゲットマークが浮かぶ。

「早く起きなさい!」

「無駄無駄。待機状態と違って休止状態は再起動を掛けないと目を覚まさないんだから」

 トォイを叩き起そうとする『母親』の高い声を遮って、あたしは軍刀の柄に手を掛けた。

 脅しになれば十分だ。滑らかに抜刀して、白刃を熱波に晒す。

「どいてちょうだい。あたしはトォイを始末しなくちゃいけないんだから」

 こちらに向き直って、女は完全に怯えていた。膝がカタカタと震えて、視線が凍りついて動かない。

「時間が無いのよ。トォイの反応が消えたのが四十六時間三十七分前。この季節の日照時間から考えれば、完全充電から再起動まで残り一時間もない。今、楽にしてあげなくちゃいけないのに、邪魔をしないで」

 あたしの試算が正しければ、鋼人が太陽光で完全充電するにはまだ時間が足りないはずだ。

 眠ったままのトォイを殺して任務はおしまい。それだけのはずだ。

 けれど、女はあたしとトォイの間に、両手を広げて立ち塞がった。

「どうして立てるのよ」

 時間稼ぎのつもりだろうか。意味など無いのに。

 生身の人間に鋼人を止められるはずがないからではない。

 彼女が時間を稼ぐ必要などもう無かったのだ。

 彼女の背後では、まだ夢の中をたゆたっているはずのトォイが起き上がって、こちらを睨みつけていた。

「どうしてかって聞いてるのよ。なんでもう立ち上がれるの。答えなさいよ! トォイ!」

 陽射しのようにきつい視線を跳ね返すつもりで叫んでいた。

 トォイは意志の強そうな眉を吊り上げたまま答える。

「太陽が眩しかったから……なんて言っちゃダメかな。君は計算違いをしたんだよ、フロン。発電の火種は日光だけど、日光は光線だけじゃない。熱も含まれてる」

「コンクリートの輻射熱! 発電効率を上げて時間を短縮したってわけ……」

 しまった。野外の完全充電なんてカリキュラムは与えられたことがなかった。そのせいで熱を利用した発電は考慮の外に置いてしまった。

「君が人質なんて取る奴じゃないってことは知ってるけどさ、一応用心のために寝たフリをさせてもらったよ」

「やるじゃない。トォイのくせに」

 軍刀を構え直すと、トォイは『母親』をかばって前に出た。トォイが彼女と二言三言を交わすと、彼女は急に恐怖と不安に満ちた表情を一変させた。

「うわあああああ!」

 絶叫と共に必死の形相でこちらに駆け出した女に、軍刀を突き出しそうになるが、身体が動かなかった。彼女の迫力に気圧されなかったと言えば嘘になるだろうか。恐怖の無い鋼人の乱れた精神グラフをコンバットシステムが諌めると、目の前にいる暴走状態の鋼人を索敵する。

 叫びながら向かってくる女に構っていられる場合ではないのだ。

 彼女はサンダルを脱ぎ散らかしながらバルコニーに落ちていった。

 残されたのは鋼人と鋼人。幼馴染と幼馴染。軍人と犯人。

 二人を隔てるたった五メートルの距離とぬるい夏の風があまりにも遠かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る