逃亡者 トォイ
雑踏を逃れるようにしてマーケットから離れ、ぼくは寺院の境内に侵入した。漆喰の塀にもたれて陽射しを避け、手に持った人形に視線を落とした。全長三十センチほどの精巧な人形は手に持つには余る。リュックにしまおうにも、中はアンヘルの子機でパンパンだ。無理に突っ込んだらきっと叱られるだろう。
このまま手持ち無沙汰に持ち歩いては、またゴーダタと鉢合わせたときに何を言われるか分からない。ぼくだって分かっている。鋼人が人形を収集することが悪趣味だってことくらい。
ちょっと考えて、いい隠し場所を思いついた。ぼくら鋼人は戦前の機甲兵器・機甲鉄人を小型自律化した兵器だ。第三世代で生産が打ち切られた機甲鉄人も、前世代の図面をほぼそのまま縮小しただけの造りだったと聞く。高度に複雑化した機能は、微妙な点でバランスを保ち、ソフトウェアの制御でそれを維持しているに過ぎない。
要するにぼくが自律行動をできるといっても、機甲鉄人の名残として、ぼくの腹の中には極小のコックピットが搭載されているんだ。
シャツの中に手を滑り込ませ、ヘソに指を掛ける。指紋認証によりロックが外れ、コックピットのハッチが胸の上へスライドした。ぽっかりと口を開けたその穴に、人形を押し込む。入り口で頭が突っかえるかと思ったけれど、意外にも人形はすんなりと収まった。それどころかミニチュアのシートにぴったりフィットする。
いいあんばいだ。ハッチを閉じて満足感に浸る。
目下の問題を片付け、再び蚤の市へ繰り出そうかと思ったとき、境内に建つ寺院が目に留まる。そういえばフリーマーケットにはよく来るけれど、参拝なんてしたことがなかった。
「覗いてみようか」
玉砂利を敷き詰めた境内を区切るように石畳が拝殿に伸びている。丹塗りの分厚い門を開放された社殿に踏み入ると、光学センサがちらついた。外の眩しすぎる陽射しから屋内の薄闇に感度を合わせたせいだ。
拝殿の中はひっそりと静まり返り、背骨が冷たくなるような凛とした空気をたたえていた。気温の変化が脊柱のメインシステムにノイズを走らせたのかもしれない。ただの錯覚だ。
そう思っても、ぼくはそこで足を止めたまま、一歩も動けなかった。
手を置いた冷たい柵の向こうに、神様の姿を象った銅像が鎮座していた。薄衣から覗く引き締まった黒い身体には青錆が吹いている。顔には玄妙な表情が浮かぶ。閉じているとも開いているとも分からない薄目と、口元に僅かに顕れる力みのない微笑。
錆のかたまりが行き倒れの格好をしているとさえ表現できそうな外観であるのに、決してそう言えない迫力があった。
「ねえ、アンヘル。この中に、神様はいるのかい」
神像を見上げたまま、リュックに尋ねていた。
「人形屋さんが言ってたろう。人間は人形の中に人の形を見るんだって。じゃあ、この像の中に人間は神様を見たんだろうか……」
「神様は心の中にいるのよ。これはただの銅像。本物の神様はあなたの信仰の中にしか無いわ。もし像の中に神様を見たなら、それは心の中の神様を目の前の像に当てはめたに過ぎない」
「心……そんなもの、本当にあるの……?」
「何を言っているの。あなたにもわたしにも感情はあるわ」
「そうだよ。感情はある。気持ちだってある。それはファジィ集合論と推論エンジンと経験の積み重ねで作られる、形のあるものだよ。でも心って何だろう。心は本当にあるの?」
「さあ……わたしには分からないわ。でも、あなたが感じたことを、神様は許してくれる。それでいいじゃない。存在することって、形があることが全部じゃないでしょう」
「分からないよ。ぼくにはまだ分からない……」
柵を掴んで、やっぱりぼくは動けないまま、神像の姿を記憶領域に取り込んでいた。
不思議な気持ちを引きずって社殿を出た。まだ日は高いが随分と時間が経っていた。ぼくは一体どのくらい神像の前で固まっていたのだろう。ログを調べればそれは分かる。でも走査した時間情報に意味は無い。心は物質ではないし、数字でもない。多分。きっと。
フリーマーケット会場へ戻ろうと、境内の石畳を引き返した。境内を囲む外塀には涼を求めて日陰に逃げ込んだ人たちがいた。寺院を立ち去る一瞬、二十歳前後の二人組の青年が高い声で交わす言葉を聴覚センサが拾い上げた。
「あの糸目、ケッサクだったな。あんな顔でバンド組むって、冗談でも言えねえよ」
「おいおい、お小遣い恵んでもらっといてその言い草か。かっわいそー」
ゲラゲラと砂利を蹴飛ばした音よりも品の無い笑い声が響く横で、ぼくの足は止まった。
「おまえもひどいよね。返してくださいぃー、って泣いてすがるガキ、蹴っ飛ばすんだもん」
「蹴飛ばしたのオメェじゃん。アンプ買うんですぅ、つってるとこで腹にズドンだろ」
「まあな。だってウザってーもん。ギャハハ」
釣り目の男にほだされるまま団子鼻の男が再び哄笑を上げる。その手にはぼくの通う学校の購買部で売っている黒く分厚い麻布の財布が弾んでいた。
「返してよ」
表情筋の制御システムが凍結する。感情がオーバーフローして処理がカットされている。その状態で、ぼくは口を突いて声を発していた。
「友達の財布なんだ。返してよ。お兄さん」
「あ? これ? 俺らも友達からもらったモンなんだよねェ」
団子鼻の男は飄々とした態度で、にやけた顔を下げている。
「友達だっていうなら名前を言ってみてよ」
「さあ? なにせ今日知り合ったばっかりなんでなぁ」
「財布の中に学生証が入ってるはずだよ」
「お、ホントだ。えー、そうそう、ゴーダタくんね。うん、この子は俺らみたいに恵まれない奴に施してくれる優しい子だったよ。君、いい友達持ったね」
学生証を施す奴なんているわけがない。彼らは銭勘定には気が回っても、財布の中の身分証にすら気が付かない奴なんだ。
「あなたたちのものじゃないでしょう。財布、返してよ」
「ねぇ、モノ頼むにはそれなりの態度ってもんがあるんじゃない? それとも君も恵んでくれるわけ。俺らと友達になりたいの? ん?」
釣り目の男がぼくをねめつけるように見下ろす。
「……お願いします。友達の大切なお金なんです。返してください」
「トォイ!」
深く頭を下げたぼくにアンヘルの声が飛ぶ。けれど彼女の無線を目の前の二人が受信できるはずもなく、ぼくは聞こえないフリをして頭を下げ続ける。
その後頭部に固い感触が生じた。
「やだよ、バーカ」
「うぶっ!」
釣り目の男が振り下ろした踵で、ぼくは焼けた玉砂利に顔を突っ込んだ。
二人組の笑い声がまた聞こえてきた。不意に全身の力が抜けていく。
――敵性勢力確認。
「もう、ひとりでこんなとこ来ちゃダメでちゅよー。今度はお金持ちのお友達と一緒に来ましょうねー」
「バッカ。こんだけ巻き上げられたら二度と来れねえっつーの」
地面に這いつくばって惨めな格好をさらすぼくに、何者かの声が聞こえていた。二人組の嘲笑よりも無機質な声。
――コンバットシステムの起動を要請。不受理。システムデータの互換を確認。
誰かが何かを喋っている。アンヘルの声じゃない。一体、誰が何を言っているんだ。
「――コンバットシステムのフォーマットを開始。終了。コンバットシステム・ビスクをインストール。パイロットデータを入力……」
違う。誰かじゃない。これはぼくの声だ。
「――パーソナルデータ作成。パイロットネーム・ビスクシステム。承認。機体名を入力……機体名を入力……機体名を入力……」
「頭ぶつけてイッちまったか? おーい。ダイジョブかー。自分のお名前言えまちゅかー」
「トォイ」
――コンバットシステムを再起動。
「ぼくはトォイ……」
右腕を伸ばす。釣り目の男の足首を掴む。
――ようこそ。コンバットシステム・ビスク。トォイカスタム。
全身に力が蘇った。
「いだだだだ!」
男は悲鳴を上げて足を引き抜く。ぼくは跳ね起きるように立ち上がり、改めて二人を見た。
固定武装は無い。丸腰の人間だ。大丈夫。制圧するのに時間は要らない。
標準装備を確認。シャツのシワに引っ掛かった砂利を一粒つまむ。左腕を軽く引き挙げれば、肘の外装が開口する。つまんだ砂利粒を開口部へ補給。すぐさまシリンダー内で形成炭素加工が施され始める。
ガシィ、ガシィ、ガシィ、ガシィ……。
「何の音だ、これ……」
「ポンプが圧搾空気をシリンダーに送り込む音だよ」
「し、シリンダー? テメェは……一体……」
頭上ではにわかに雲が張り出し始めていた。脳天を焼いていた陽射しが今更和らぐ。
「財布、返してよ。でなきゃ、この音は秒読みに変わる」
ポンプの駆動音が止んだ。肘を伸ばし、手の平を団子鼻の男へ突き出した。積乱雲が地上に影を落とす中、彼はこの左手の付け根に開いた『穴』を見ただろうか。
「今すぐその財布から手を離してよ。圧搾空気の充填はすでに終わってる」
「何言って――」
瞬間、手の平から風が飛び出した。突風と呼ぶには暴力的すぎたその風は、四百気圧の圧搾空気によって発射した、玉砂利の弾丸だった。
ブツッ、と空気を引き裂く発砲音を追い掛けた弾丸が団子鼻の顔の横を撫でて過ぎた。
「え? 今、おまえ、何を……あれ?」
不思議そうな瞳でぼくを見つめる団子鼻とは対照的に、釣り目が団子鼻を指さして、泡を食ったように取り乱す。
「お、おま……耳ィ! 耳がぁ!」
「へ?」
団子鼻が自分の右耳に手をやると、その太い指はぬるりと顔を滑って流れた。
「な、お、俺の、俺の耳! ど、どど、どこいった!」
男の足元に千切れ飛んだ耳の切れ端が落っこちていた。白い玉砂利に赤いシミをつけて転がっているそれを、ぼくはつまみ上げて彼に差し出す。
「ほら交換だ。財布、返してよ」
右耳から垂れる血を必死にぬぐう男は、曇り空の下でも分かるほどに顔面蒼白で、奥歯をカチカチと小刻みに打ち鳴らしていた。
「落とし物を拾った同士、交換だってば。それでいいでしょう」
血を止めようとする男の真っ赤な右手を掴み、その中に彼の千切れた耳を握らせる。代わりに固く結んだ左手にがっちり捕まった麻布の財布をむしり取った。
「ありがとう」
財布の中身を確認して、目の前の二人同様に、ぼくもその場で硬直していた。
玉砂利の赤いシミが滲む。石畳にポツポツ、と黒い点が落ちる。その点はすぐに数を増し、あっという間に地面の色を塗り替えると、空は夕立へと顔を変えた。
土砂降りの只中につっ立って、フリーマーケット会場がにわかに慌ただしくなる声を遠くに聞いていた。二人の男は茫然自失の表情で濡れ鼠になりながら、血の色を洗い流していた。
「トォイ! 返事をしなさい!」
突然、アンヘルの声が響いて、ぼくは意識を切り換えた。
「アンヘル。どうしたのさ。そんなに怒鳴って」
「なんてことをしてくれたの。相手は民間人なのよ」
「え? だってゴーダタの財布、取ったんだよ」
「それでも彼らは自国民なの」
アンヘルの言葉に、目の前がクリアになっていく。ぼくは何をしたんだ。たとえそれがどんな人物であろうと、ぼくは自国民の生命財産を守るべき軍人の端くれじゃないか。
「逃げなさい。トォイ。この場を離れるのよ」
その声に背中を突き飛ばされたみたいに、ぼくは返事も忘れて駆け出していた。
財布をもいだ右手と、耳朶をもいだ左手を懸命に繰り出しながら、泣き出した空から逃げ惑う人波を縫って、誰よりも情けなく逃避した。
路面電車の停車場前に店を構える喫茶店の軒下、通りすがりに混じって雨宿りをする彼の姿を見つけて、ぼくはとぼとぼと歩み寄った。
「やあ、ゴーダタ」
片目に青あざのアイシャドーを施された彼は、頬を腫らした顔を強ばらせた。身構える彼に、ぼくは麻布の財布を差し出した。
「君の落とし物だろう」
ゴーダタの右拳がぼくの頬を打った。鋼鉄の頬骨が少年の指を砕きそうになる。ゴーダタは短く呻いて顔を一層しかめ、内出血が浮く拳を引いた。ぼくの身体は素手で殴れるようにはできていない。
「誰にも言わないよ。多分、言えないよ。だから君に返しに来たんだ」
背後を行き交う自動車の列の中に背の高い路面電車のシルエットが浮かび上がった。
「ここは冷えるね。早く帰ったほうがいい。風邪を引いてしまうよ」
飛沫を上げて、路面電車は停車場に滑り込む。停車のベルが鳴り、ドアが開く。
ゴーダタは何も言わずに自分の財布を取って、雨の中を停車場まで駆け込もうと軒を出た。
二、三歩進んだところで彼はこちらを振り返り、ここに来るまでにずぶ濡れになったぼくの背中に声を掛けた。
「おまえ、帰んないのかよ」
「まだ帰れないんだ。用事ができたから。ちょっと、いろいろ」
肩越しに振り返ったときには、ゴーダタはもう路面電車の中だった。
ぼくはそのまま電車を見送って、再び雨の下に躍り出た。
「まいったな。フロン。君の言うとおりになっちゃったよ」
水溜まりを蹴り上げて歩くぼくの背中でアンヘルが呟いた。
「トォイ。泣いているの」
鋼人にそんな機能は無い。だから今だけは鋼人の設計者に感謝しよう。
ぼくが怒ると夕立が降る。
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