人形師 イチマツ 2

 第三世代の機体は全高が六メートルあるが、コックピットだけを取り出せば意外に小さい。操縦士は棺桶に詰め込まれるみたいにして操縦席に押し込まれていたのだろう。

 研究室の床には半径二メートルほどの半球状のドームがかぶさっていた。透明なドームの中には機甲鉄人のコックピットらしき、鋼鉄で飾り立てられた椅子が一脚。そこに床を這うケーブルの束が生き物のように群がっていた。

 七十を過ぎても背筋の伸びた祖父ちゃんの痩身がドームに飲み込まれていくのを、俺は隣の部屋に開いた覗き窓から見ていた。祖父ちゃんは俺のほうを見てはくれない。懐かしむようにコックピットのコンソールをぺたぺたと触っていた。

 祖父ちゃんがシートに着くと、正面にメインモニタがそそり立ち、左右からサブモニタが伸びてくる。おそらく密室の中であのモニタ群だけが外の景色を知る手段だったのだろう。

 不意にドームの壁が墨を塗られたように真っ黒に染まる。祖父ちゃんの姿が闇に溺れた。

「お、おいっ!」

「慌てないで。シミュレータが起動しただけ。中の風景はこっちのモニタに出る」

 背後から冷めた女の声が掛けられる。振り向けば、引きずりそうな長い白衣を着た少女が立っていた。まだ中等学校にも上がっていないような幼い顔にはアイスと同じ型の眼鏡が掛けられていた。

「あなたのお祖父さんはこれから四十八時間、シミュレータの中で架空の戦場を戦い抜く。想像できる? 間断無い緊張の連続。気の遠くなるくらい長大な綱渡りをやってるようなもの。パパはあの人にその綱を渡りきる能力があると思ってるみたいだけどわたしは信じない」

 少女は室内に設置されている複数のモニタを指差す。そこにはドームの中を映し出したと思しき映像と、祖父ちゃんの健康状態をリアルタイムで把握するためのバイタルチェック、シミュレータが示す各種の数値や図形、グラフの類がずらりと並べられていた。

 画面と少女を見比べながら、眉根を寄せる。

「おまえ……なんで子供がこんなとこにいるんだ」

「馬鹿に名乗る名前は持ち合わせていない」

「アイスって奴の娘、なのか?」

「名前はドゥシィ。今日はあなたのお守りだけれど、いつもは助手を務めている。そっちの自己紹介は結構。知能指数の低い人間の名前を覚えるつもりはない」

 高圧的な口調で畳み掛けられるが、不思議と怒りは湧かなかった。このドゥシィという少女には高みから他人を見下す喋り方が似合っているように感じた。

「おまえ歳いくつだよ。コネでここにいるのか?」

「尋常六年の十二歳。ここにいるのはあなたより頭の出来がいいからよ」

「根拠も無しに他人を馬鹿呼ばわりするのは敵を作るばっかりだぜ」

「根拠? そんなもの顔を見れば分かる。現にあなたは手持ち無沙汰でバカ面下げてる」

 幼い顔が侮蔑を含んだ嘲笑に歪む。新聞紙をクシャクシャにしたような顔がモニタを見つめて無表情に戻る。

「あなたのお祖父さんは軍と取り引きをした。向こう一年、食べるに困らない穀物と、塩、砂糖、その他の食料を対価に、過酷な実験を引き受けた。年齢を鑑みれば無謀な実験よ。老人が丸々二日も戦場に放り出されてまともな神経を保てるはずがない。携帯食や水は持ち込まれているけれど、摂取する暇があるのか疑問の湧くプログラム。熟睡なんて期待できるわけもない。こちらとしては実験が最悪の形で失敗しても、調子のいいデータだけを寄せ集めて計画を完遂させることはできる。つまりあなたのお祖父さんは、被験者という名前のモルモットだ」

 俺を見向きもせずにドゥシィは一息に喋った。そうしなければ途中で言葉を止めてしまいそうだったのかもしれない。いや、それは単なる俺の期待だろう。この少女に祖父ちゃんのことを案じていて欲しいと思ってしまった。現状は何も変わらないのに。

 戦時下のこの時世に、祖父ちゃんは家族のためにその身を投げ打ったのだ。

 ドゥシィは呟く。

「あなた、どうしてここにいるの」

 問われた瞬間、足元の感覚が消えた。床は確かに存在するのに、立っている気がしない。真っ直ぐに立てない。

 俺がここにいるのは、祖父ちゃんに呼ばれたからだ。おそらく俺を同道させるよう、玄関先でアイスと話をつけたのだろう。そして祖父ちゃんは言った。よく見ておきなさい、と。

「おい。俺のお守りって言ったな。だったら実験のこと、俺に説明してくれ。この画面に映ってるもの全部だ」

「いいけど、説明してる間にディナーの時間になる」

「祖父ちゃんは食ってねえんだろ。俺もいらねえよ」

 ドゥシィは頷くと、文句ひとつ言わずに俺に実験の内容を説明し始めた。

 現在の戦況や記録されるデータの種類。それらの使途。ひとつひとつの数値の意味。

 ありがたいことに、俺にも理解できるよう、丁寧に噛み砕かれた説明だった。

 ちなみにドゥシィは室内に据えられた連絡用の電話で自分のサンドイッチを注文して、ひとりだけ勝手に食事を済ませた。食わないと言った手前、何の非難もできないが、抜け目の無い彼女が小憎らしかった。


 腹ペコで目の前が霞んだ。四十時間以上、代わり映えのしない蛍光灯の光の下でモニタとにらめっこだ。十七歳という精力旺盛な俺でもげっそりしているのに、ドームの中の祖父ちゃんはどうなっているのだろう。モニタは嘘みたいに正常なバイタルを映し出している。俺はその数値を見て自分の正気を保ってきたが、祖父ちゃんは誰にも何にも頼れないまま二日間、シミュレータの中に籠っている。一体どうなっているのだろう。

 時計の針が二日前の実験開始時刻を指し示し、実験の終了を告げた。

 果たしてクリアになったドームの中からは、携帯食の分厚いビスケットくわえた祖父ちゃんがしっかりした足取りで現れた。いつもと同じように背筋を伸ばし、顔には生気が満ちている。

 対して俺はといえば、もう限界寸前のフラフラだった。飲まず食わずで丸々二日、立ちんぼうだ。便所に立つ以外はモニタの前を片時も離れなかったのだから、普通はこうなる。

 俺は祖父ちゃんの健康診断に付き合って、その夜も研究所に泊まった。


 翌朝、研究所を発つ前に、食堂でドゥシィと顔を突き合わせた。

「パパから渡してくれって頼まれた」

 そう言って、ぶっきらぼうに差し出された少女の手には、一体の人形が握られていた。

 人体模型のような正確さで人間を写し取った精巧なその人形は頭部だけが素っ気なかった。髪も目鼻も無い。裸の肉体は性器が省略されている以外は人間そのものに見えた。

「もしかしてこれ、鋼人なのか?」

「こんなに小さな鋼人は無い。ただの土産よ」

「そっか。ありがとう。祖父ちゃんに渡しとくよ」

 受け取った俺を、ドゥシィは目を細めて睨みつけた。

「まだ聞いていないことがあった」

「な、なんだよ……」

「あなたの名前」

 不服そうにそう言って、少女は顔を伏せた。その頭をぐしゃぐしゃと撫で回して、俺は勝ち誇った笑みを浮かべる。

「イチマツだ。覚えとけ」

「やめなさい、バカ!」

 乱れ髪の少女が高い声を上げた。


 その年に戦争は休戦状態に突入した。祖父ちゃんのデータを移植された鋼人が活躍する前に、国境に毒が撒かれたのだ。主戦場に人間が立ち入れなくなり、さりとて鋼人たちに代理戦争をさせるには技術が未発達だった。それを磨くための資金は両国ともに底を尽きかけていて、徴兵を控えていた十七歳の俺は戦場に立つことなく虚しい夏を過ごした。


 あれから四十年。

 国境の毒は未だ健在で、国境線も曖昧なまま、進入禁止領域だけが当時から変わらず両国の間に横たわっている。五年に一度、北の国との首脳会談が海上で開かれるが、休戦条約の引き伸ばしだけが毎度のことのように交わされ、停戦や終戦には至らない。そのため現在でも鋼人は少数ながら生産され続けている。

 国民の生活レベルは年々下降しているというのに。化石燃料の輸入は滞り、いくつもの炭鉱が採算を理由に閉鎖された。電力は戦前に築かれた山中の水力発電所たちが担い、その電気も軍の研究所が吸い取っていく。市街でも隅々まで電気が行き渡っているわけではない。

 昔ならサーカスのテントよろしく特設ドームでも建造して、冷房の効いた中で出店しただろうに……。炎天下の蚤の市を見渡してそう思う。

 緩やかに貧しさがかさばっていくこの国では、こうして分け合うことで気を紛らわせるしかないのだろう。

 人もまばらな俺の店先で、ひとりの足が止まる。見上げると、リュックを背負った少年がシートの上に居並ぶ商品たちを見下ろしていた。

「これ、おじさんが作ったんですか?」

「ああ。家業でな。余ったものを持ってきた」

「へぇ、人形細工の工芸師って初めて見た。器用なんですね」

「そうでもないぜ。人の形を作ることばかり四十年もやってるってのに、なかなか上手い具合にはいかねえもんさ」

「ぼくは集めるばっかりだから、ものを作ることはやっぱりすごいと思います」

 少年の顔が微笑を浮かべる。俺はその小さな変化を見逃さなかった。

「あんた鋼人かい」

「すごい! どうして分かったの!」

「鋼人の表情は不自然だからな。他の奴は気付かないかもしれねえが、俺はそう感じるんだ。人間は無表情をしていてもそこに『無表情』っつー表情がある。鋼人にはそれがねえ。だからいきなり表情を作ると不自然さが目立つんだ」

「人形を作ってると、人間を見る観察眼も磨かれていくんですね……」

 少年は口の端に微笑を留めたまま尋ねた。

「鋼人の趣味が人形集めっていうのは、やっぱり変ですかね」

「そいつを聞くのは卑怯だぜ、兄ちゃん。お客相手に商売人が悪口言えるかい。鋼人は軍人だろ。普段から卑怯なとこ見せてちゃいけねえよ」

「すいません……。でも、入隊は来年からなんですよ」

「そいつは悪かったな。詫びのついでだ。好きなの持って行きな」

「い、いえ! そんなつもりで言ったんじゃ!」

 目の前の少年が鋼鉄の身体と電気信号の精神で造られていると分かっていても、慌てるさまがおかしくて、つい口元が緩んでしまう。

「気にすんなぃ。俺が徴兵される前の年に戦争は休戦しちまったんだ。来年から軍隊なんだろ。そんなら、俺の分もあっちに持っていってくれや」

「そ、そういうことなら、えと……じゃあ、これをいただきます」

 少年は遠慮がちに、ブルーシートの上に横たわる人形たちの中から、一番みすぼらしい格好の一体を指差した。

「悪いな。そいつは売り物じゃねえんだ。首ンとこがぐらついてるだろ。商品の賑やかしに飾ってるだけなんだ。他のにしときな」

「それじゃあ……あ、これだけ顔が無いんですね。これ、もらってもいいですか」

 選ばれた人形を見て思わず噴き出した。四十年ものの売れ残りだ。

「それは俺の祖父さんの作だ。古くせえ売れ残り。遠慮はいらねえよ」

「そうなんですか。ありがとうございます。でも、おじさんはいいんですか? ご家族の思い出の品なんじゃないんですか」

「兄ちゃん。さっきから俺のこと『おじさん』って言ってやがるがよ、そいつは間違ってんぜ。こないだ息子夫婦に子供ができてな。俺も祖父さんの仲間入りなんだ。てめえのジジイにかかずらってる訳にゃいかねえのさ」

 顔のない人形を差し出してやると、少年はぽかんと口を開けてそれを受け取った。鋼人のこんな顔は初めて見た。随分と間の抜けた機械兵士もいたものだ。

「おめでとうございます! これ、大切にしますね! そうかぁ、お祖父さんかぁ。背筋がシャンとしてるから、本当はもっと若いのかと思っちゃいましたよ」

「姿勢のいいのが家の自慢だ」

 祝福を送る鋼人の少年を俺は妙に気に入ってしまっていた。こんなに呑気な兵器がこの世にあることが許せてしまえそうだった。国民の生活を圧迫して製造されていることは現実だというのに、彼はその国民として――いや、まさしく人間としてふるまっているのだから。

「なあ、兄ちゃん。人形集めが趣味なら覚えときな。人形ってのは人間がモノの中に人の形を見出すから人形なんだぜ。あんたは見る側か、それとも見られる側か。自分で考えな」

 少年は鋼人独特の無表情を固めて、しばらく押し黙り、やがて「はい」としっかりした声で返事をして店を立ち去っていった。


 少年が去ってほどなく、再び客が現れる。ポロシャツに汗染みを浮かべる腹の出た中年男だった。男は店先にしゃがみ込むと、俺に向けて気軽に話しかける。

「人形を探しているんだが」

「どんなものがお望みで」

「北に残した娘に土産が欲しい」

「とっておきのがありますぜ」

 符丁を確認して、少年が最初に指差したみすぼらしい人形を掴み上げ、男の前に差し出す。ぐらぐらの首を親指で押し上げれば、ぽろりと頭がもげ落ちて、首に開いた穴から細く丸めた紙切れが覗いた。

「ありがとう。いい土産ができたよ」

 腹の出た軍関係者はタバコでもつまむように紙切れを取り上げて胸のポケットに差し入れた。

「所長によろしく言っとけや。呑気な鋼人なんぞ量産してんじゃねえ、ってな」

 男は軽く会釈しただけでそそくさと退散していった。

 炎天下の蚤の市はジジイには少しこたえる。だが心を殺し、人形に徹するならば、気温も湿度も時間も場所も関係が無い。

 俺は人形師。己の身すら傀儡とたらしめる。

 この道四十年の人形師。扱うものは肉人形を踊らせる情報。

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