人形師 イチマツ 1
鼓膜を震わす内燃機関の振動音が家の前で止まった。ガソリン車がこんな小路に入り込んで立ち往生でもしやがったのかと、玄関を開けると、俺の目の前に新聞の写真でしか見たことのない黒塗りの高級車が停まっていた。
夏の陽射しを受けて眩しく輝くドアが開き、出てきた運転手の男が後部座席の扉を丁寧に引いた。車内から現れたのはシワだらけのワイシャツに、不似合いな新品のネクタイを締めた四十前後の男だった。男は眼鏡越しに眠そうな視線を送ってくる。
「こんにちは。こちらはビスクさんのお宅でしょうか」
男は革鞄を小脇に抱えてゆったりとお辞儀をした。
「祖父に用ですか」
「直接にお話をさせて頂きたいのですが、ご在宅ですか」
がっしりと筋肉の張った運転手を一瞥し、この妙な連中を素通りできないことを悟る。
「今、仕事場にいるんで、すぐに呼んできます」
こくりと頷く仕草を見て、俺は家の中へ取って返した。
祖父ちゃんは玄関先であの男と言葉を交わしている。玄関に立ち尽くしたまま引き戸越しに聞き耳を立てても、会話の内容はろくに掴めなかった。
やがて祖父ちゃんが顔を出し、一言。
「イチマツ。おまえも来なさい」
訪ねてきた男のシャツみたいにシワだらけの顔には、いつもの安楽な空気は微塵も無く、厳しい真剣さが漂っていた。有無を言わせない圧力があった。
俺は頷くことしかできずに、祖父ちゃんと一緒に着の身着のままガソリン車に乗っていた。
何時間車に揺られただろう。車内では誰一人として声を発する者はなく、沈黙だけが充満していた。時間の感覚が狂いそうになった頃、車は高原にひっそりと建つ高い塀で囲まれた施設へ侵入していった。
刑務所というわけではなさそうだ。大きな建物が三棟。いずれも真っ白で、三階か四階ほどの高さがあった。窓が無い四角四面の外観のせいで内装に全く予想がつかない。
変なところに来てしまったものだ。
駐車場に車を乗り入れ、助手席から眼鏡の中年男がこちらを振り返った。
「お疲れ様でした。ここが私の所属する国軍二足機動兵器設計開発局です」
「ぐ、軍の研究所」
眼鏡の中年男が告げた現在地で、反射的に祖父ちゃんへ視線を走らせる。祖父ちゃんはむっつりした顔を崩さず、唇を真一文字に引き結んでいた。
「どうぞ、ご案内しますよ」
そう誘う男の慇懃な物腰が、俺には嫌に不気味に感じられた。
傾いた赤い陽射しに首筋が汗ばんだ。
中央棟一階、ロビーのすぐ脇にミーティングルームはあった。磨りガラスの壁が廊下を横切る白衣のシルエットを透かしてどうにも落ち着かない。長机をぐるりと四角く並べた格好の円卓をパイプ椅子が取り囲む。部屋の奥に直立するホワイトボードには、俺には理解できない数式だか化学式だかが乱雑に並んでいた。
ホワイトボードのそばに眼鏡の男が座り、俺と祖父ちゃんがそれに向かい合う。運転手は建物には入らずにどこかへ消えていった。
「申し遅れました。私は支援兵器設計局の局長を勤めているアイスといいます。肩書きは大層ですが、単なる研究員です。実際に兵器を試作運用するのは開発局の持つ兵器工廠ですから。すいません、ちょっと失礼」
アイス研究員はにこやかに自己紹介をすると、ネクタイを緩め長机の中に入っていた白衣を羽織った。
「やはりこちらのほうが落ち着きます。さて、単刀直入に本題へ移らせていただきます。ビスクさん。あなたに戦っていただきたい」
「ま、待てよ! え、なに? 祖父ちゃんまた戦争いくのかよ」
祖父ちゃんは二十年前まで国境防衛隊で小隊長をしていた退役軍人だ。すっかり隠居してほそぼそと家業を影で支えている姿しか、俺は知らない。
「早とちりしないでください。お祖父様にはお宅の玄関先で簡単に説明させていただきましたが、私が欲しいのはビスクさんの操縦技術なのです」
「操縦……? 祖父ちゃんパイロットだったのか。戦車とか飛行機の?」
祖父ちゃんは黙って首を横に振った。アイスは祖父ちゃんの過去を明かす。
「お祖父様が操縦なさっていたのは機甲鉄人です。第二世代後期から第三世代末期まで、様々な機体を乗り換えて来た歴戦の名操縦士ですよ」
「よしてくれ。お国に呼ばれてやっただけのことだ」
「そうはいきませんよ。あなたが覚えているかは存じませんが、私はあなたの操縦に命を救われたんですよ。私が子供だった頃、国境警備隊基地が敵軍のゲリラ部隊に襲撃されましてね。私の村はその巻き添えをこうむったんです。瞼に焼き付いていますよ。火を噴きながら飛来する砲弾の姿。あなたはそれを機甲鉄人の手で受け止めた。今でも私はその背中を覚えている」
「偶然だ。あんたが生きているのも俺が生きてるのも運が良かっただけだ」
「偶然? どれを指しているんでしょう? あなたが敵機の射線上に機体を滑り込ませたことですか。貫通必至の成形炸薬弾を自機の片腕で防いだことですか。その後、鉄骨一本で敵機を撃破したことですか。それを主力機より一回り小さい整備用の機体でやってのけたことですか。……偶然はそんなにたくさん重なりません」
アイスは嬉しそうに祖父ちゃんの現役時代を語り、本題を切り返した。
「私はその操縦技術を機械に移植したいのです。現在、機甲鉄人は前線を退きました。替わって投入された鋼人はご存知ですか」
「ロボット兵士か」
「正確には違います。あれは機甲鉄人の延長上に生み出された兵器です。そもそも機甲鉄人は森林山岳地帯を主戦場にする我々が、戦場への侵入もままならない戦車、装甲車、自走砲に替わって製造した二足機動戦車です。初期コンセプトでは全高二十メートル超の巨大人型兵器により戦場を制圧する目的だったのですが、生産コストや機体数、整備の効率の悪さが目立ち、大艦巨砲主義からの脱却を余儀なくされ、第二世代へと移行しました。これで全高十メートルまでダウンサイジングされます。ビスクさんが搭乗され始めたのもこの時代ですね。そしてサイズダウンは全高六メートルほどの第三世代へと引き継がれ、機甲鉄人の量産計画はこれで最終形となりました。つまり計画の打ち切りです。理由は分かりますか、イチマツくん」
急に問われて首をすくめた。でも話の流れからすると答えは簡単だ。
「人間が乗ってるからだろ。コックピットには強度が要るが、装甲を分厚くすれば重量が増す。重量が増えればジェネレータやモーターを強化するか増設しなきゃならない。するってぇとまた重量が増す。悪循環だ」
「その通り。兵器には重火器の載積も必要ですから、サイズを小さくして出力に余裕が出たといっても、火力を増加させれば機動性が削がれます。機動性を損なえばサイズダウンの意味が無くなります。そこで生まれたのが人間のパイロットを廃し、さらなるダウンサイジング――それこそ人間と同大にまで縮め、飛躍的に機動力を向上させた兵器である鋼人です。つまり鋼人は機甲鉄人を単純に縮小しただけのものなんですよ」
「だから祖父ちゃんの動きを移植するって? それじゃ本末転倒だろ。せっかく人間を降ろしたのに、わざわざ人間が搭乗してたときの動作をやらせるなんて」
「いいえ。エースパイロットはビスクさんに限らず、何人も存在しています。けれどその中で私がビスクさんを選んだのには理由があるんです。多くのエースは機体の性能を理解して、人間には不可能な動きで侵略します。彼らと比べると、ビスクさんの機体は特別飛び抜けて素早い動作をしたわけでも、強力な火器を運用したわけでもありません。そこが肝要なのです!」
言葉に熱がこもりだし、アイスは身を乗り出した。
「ビスクさんの操縦する機体は必ず人間が取りうる動きを基準にしています。基本姿勢もピンとまっすぐに筋が通って、それでいて力みのない自然体です。機械の身体だというのに。しかもそこから繰り出される動作には、他の機甲鉄人に発生している予備動作が見えない。武術の達人の動きですよ。予備動作は機械で判別されますが、それが存在しないなら、相手は対応できない。敵国の鋼人の導入率も右肩上がりです。ハードウェアに大きな差が無いのなら、ソフトウェアで最大効率の戦力強化を行うしかありません」
うむ、と祖父ちゃんは唸るようにして頷いた。そもそも祖父ちゃんに選択肢など無いのだろう。うちの玄関先でアイスと話をつけた時点で実験に協力することは確約されていたはずだ。
「俺は何をすればいい」
「別室に機甲鉄人のコックピットを改造したシミュレータがあります。そこで鋼人に乗り込んだつもりになって様々な戦場を駆け巡っていただきます」
「小人になるというわけか……。ふむ、それはイチマツにも見せられるのか」
「シミュレータとはまた別の部屋でモニターすることは可能です」
「分かった。始めてくれ。準備なら二十年も前にさんざんやった」
アイスが席を立ち、祖父ちゃんもそれに続く。
「イチマツ。俺の残せるものは少ない。よく見ておきなさい」
「う、うん……」
祖父ちゃんに見下ろされ、俺だけがしばらく立てないでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます