少年 トォイ 3
休戦前には路面電車だけでなく、ガソリンエンジンで動くバスもたくさん走っていたらしい。今では燃料が手に入らず電気自動車に取って代わられた。とはいえ新車を量産できる資源も持っていないので、街を走るのはもっぱら内燃機関を大型バッテリーと電動機に取り替えただけの年代物ばかりだ。路面電車もご多分に漏れず、皮は年代物だが中身のモーターは新品だ。
寺院前の停車場でたくさんの人を吐き出し、路面電車は虫の触角みたいなトロリーポールを微かに揺らしながら去っていく。
人の波に潜むように、ぼくはリュックを担ぎ直して蚤の市を目指した。
午前十時を目前にして、フリーマーケットはすでに盛況だった。碁盤の目のように区分けされた会場には食べ物を売る屋台も立ち並び、飲み物を抱える売り子さんがマーケットの隙間を練り歩いている。
「こんなにごみごみした場所のどこがいいんだか……」
「この活気がいいんじゃないか」
リュックに向けて囁いた。中にはブリキバケツみたいなアンヘルの子機が突っ込んである。たまには一緒に出掛けるのも楽しいかと思ったが、彼女からは愚痴を聞かされてばかりだ。
フリーマーケットは物を持っている人が持っていない人に譲り渡すことができる市場だ。それが賑わうということは、この国の貧困を示すと同時に人間の生きる活力を表しているのだと思う。休戦以降、鎖国に近しい状態にあるこの国で、人が豊かに生きようとしている。その空気は鋼人のいかなるセンサを用いても感受できない。けれど確かにそれはあるんだ。
「アンヘル。ぼくはこれを守れるんだよ。戦うことから逃げたりはしないよ」
彼女からの返事はなかった。現在、子機は本体と独立している。ぼくの人格育成に大きな変化を伴なうような高度な言語反射機能を持っていないのだ。だから今は会話ログをしたためているに過ぎない。でも、返事がないことが答えになっている気がした。
アンヘルはぼくを軍人にしたいけれど戦争には行かせたくないんだろう。それを口にできないから押し黙っていることしかできないんだ。鋼人とは違って、単なる人格インターフェイスに嘘なんてつけないんだから。
人の往来を縫うように会場をさすらっていた。炎天下の正午、みんな汗を垂らして顎を出している。ぼくも水分を補給しないと冷却がおっつかなくなりそうだ。
飲み物の売り場を探そうと首を巡らせたとき、視界に見覚えのある少年の姿が感知された。細面で瞼に切れ目を入れたような細目が特徴的な尖った顔は見間違えるはずもない。
「ゴーダタ! 君も来てたのかい」
「あ? トォイ、か」
「ああ。昨日、躯体換装から帰ったばっかりなんだ。背、伸びてて驚いたの?」
「ンなこと聞いてねえよ。何でテメェがいるんだよ」
舌打ちをして、ゴーダタは首に掛けたタオルで顔の汗をぬぐう。
「蚤の市にはよく来るんだ。ゴーダタは何か目当てがあったのかい」
「ま、まあな……」
彼は細い目を空に向けてちょっと考えてから、ぼくに聞いた。
「なあ、楽器売ってるとこ知らねえか。ベースのアンプが欲しいンだ」
「君、楽器やるのかい!」
「ん、まあ……仲間とバンド組むんだ。ベースはそこそこのを見っけたンだがよ。まともなアンプが見つかんねえんだ」
「電気を食う楽器は中学生にはなかなか手が出ないもんねぇ。練習用なら出力数も小さくていいんだろうけど、大きい音は出ないだろうし」
「そんなこたぁ、とっくに承知してンだ! ベースアンプの売り場を教えろよ。常連なんだろ」
「機械は北東の――ほら、寺院の壁の前に並んでるんじゃないかな。重いし熱くなるから道路から近くて影ができるところによく売ってるのを見かけるよ」
「そ、そっか……」
ほっと息をついて、ゴーダタは寺院の方角へ足を向ける。
「バンド頑張ってね。機会があったら聴きに行くよ」
「テメェなんざ呼ぶかよッ!」
べッ、と舌を出してゴーダタは大股に歩き去っていった。リュックが揺れる。
「なあにあの態度! 可愛くないわね!」
「ゴーダタは同級生だよ。アンヘルも知ってるだろ。尋常小学校から一緒だったんだから」
「あんな子に付き合うことないのよ、トォイ」
「ゴーダタはいい奴だよ。小学校の頃は仲良かったんだ。中等学校に上がってからだよ、つんけんしだしたのは」
ゴーダタだけじゃない。小学生の頃に仲の良かった同級生は、中等学校に上がるとみんなよそよそしくなってしまった。理由は考えるまでもない。ぼくが鋼人だから。人とは違うから。
「きっとゴーダタは優しいんだよ。他の人とうまくやるのに、ぼくと仲が良かった過去を清算したつもりになりたいんだろう。周りの人に自分を合わせてるんだ。……過去は消えないし、思い出は残る。ぼくにはそれで十分なんだよ、アンヘル」
「あなたはお人好しすぎるわ」
「ぼくはぼくだよ。鋼人だけど、みんなと同じ人間だ。ゴーダタと同じ中学生だ」
大勢の人が市に溢れている。ぼくもまたその中のひとりに過ぎない。
「ねえ、アンヘル。ぼくは鋼人に生まれてよかったと思うよ。自分の国が好きなんだ。みんな貧乏だけど、みんな優しい。ゴーダタみたいな人がいっぱいいるんだよ。そんな国民を守れることを、ぼくは誇るよ」
「軍属の自覚が芽生えてきたというわけね」
アンヘルの言葉はお仕着せられたように薄っぺらい。マニュアルの返答だとすぐに分かる。
「ワガママだって言ってくれていいんだよ。ぼくひとりで誰も彼も守れるわけないし、戦争が終わるわけもないし、貧乏が無くなるわけでもないんだから」
やっぱりリュックの中から返事は無くて、ぼくは笑みをこぼした。
「水を買いに行こう。干涸らびちゃうよ」
十五歳の夏。ぼくは中学生だった。
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