鉄路と少女

「万年筆ってのはさ、何が万年なんだろーか」

 カタトン、カタトン。列車が進む。問うた女学生は癖毛を梳いて小難しげに小首を傾げる。薄い体躯と狭い肩、膝上五センチのセーラー服、低い頭身は子供のようで、不思議とその仕草には饐えた達観も窺えた。

 車体の両側に横並びの客席、癖毛の娘の斜向い。揃いの服を着た女学生が腰掛けて、睫毛の一筋ほども注意を逸らさず万年筆にて書き物のさなかである。

「一万年間書いた文字が消えずに残るということだろーか」

 カタトン、カタトン。連なる窓から西日が刺さる。電柱の影は定期的。夕日に沈んだ街並みはいつもと違わぬ見慣れたものだ。

「一万年間壊れずに使えるということだろーか」

 カタトン、カタトン。電車が揺れる。無人運転の在来線、客の姿も見られない。嘘みたいな橙色の世界に少女らは二人きりで漂流していた。

「ねぇ、万年筆ってのは何が万年なのさ。応えてくれたっていいじゃんか」

 稚気の籠もった嘆願にようやく少女が目を上げた。ほぅと溜め息、瞬き一つ。筆を止めた少女はパチリと爪を噛み、高く結った黒髪を揺らし、怜悧な眼子で癖毛を睨めた。

「万年筆の由来については諸説があって分かりません。全てはもう、歴史の果てのことです」

「なんだ、この世界と同じ(おんなじ)か」

 カタトン、カタ、トン。カタ。トン。一定の間隔を刻んでいた走行音が乱れ、息絶え、鯨の欠伸に似たフシュゥという音を伴って扉が開いた。入り込んだ風精(シルフ)は金木犀の悲しい香りを運ぶ。停車駅。乗る客もなく、降りる客もなく。快速を待ち横たわる車輌は竜の居眠りを思わせる。

「随分長いこと書いてるけど、それは何なの?」

 癖毛の娘が指差す、万年筆の筆致も新しい便箋の束。結い髪の娘は愛おしそうに紙面を撫ぜる。

「遺書ですよ、私の」

 鯨が再び欠伸して、淡薄な加速度が二人の腕を引いた。

「それにしては多くない?」

 娘の一瞥はゆうに百枚は超えている紙束へ。応じる少女はしかしたじろぎもせず、

「そのための万年筆ですもの」

 と澄ました顔をして、猫のような舌でちろりとペン先を舐めた。

「一万年経ってもあなたへの想いが読めるように、一万年かけてあなたへの想いを綴れるように。そのために万年筆で書いているのです。いくら書いても足りはしません」

 黒曜石色の瞳、大理石色の頬、それらの奥の奥の炉に紅玉色の炎が灯った。熱烈な吐露を受けた少女、その顔色は微塵とも動かず。

「まぁ、時間だけはあるからね。気が済むまで書けばいいさ」

 興味なさげに言い捨てて、ふい、と窓外へ顔を向けた。やけに大きな太陽が悪魔のように揺らいで地平線へ逃げていく。闇を纏う市街。崩れた鉄筋、砕けたガラス、抉れたアスファルト。歪んだモニュメント、潰れた乗用車、熔けかけた地下シェルターの天井。それらのどこにも人影は無く、取り返しのつかない遠い過去に刻まれた滅びだけが残り留まっている。

 この広い地球上、生存者はたったの二名。それもいずれは零になる定め。

 カタトン、カタトン。列車が進む。無人プラントの電気で動く無人運転鉄道だけは、一万年後の未来でもきっと動いているのだろう。そんな不吉な予感を乗せて、線路は続く。どこまでも、どこまでも、どこまでも。

 カタトン。カタトン。カタトン。カタトン。……………………



――――――――


(2016年10月18日)

(お題:「未来」「万年筆」「電車」)

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