高嶺の花の舞台裏

 華園たかね。一流ファッション誌で初登場にして表紙を飾る鮮烈なデビュー以来、その美貌で世間を魅了し続けるトップモデル。すっと通った眉筋にブラックダイヤの瞳を輝かせ、豊満なバストとヒップはきゅっと締まって下賤さを寄せ付けず、常人離れした長さの脚はブーツもサンダルもピンヒールも履きこなす。更にはその気立ての良さからテレビ番組にも引っ張りだこ、時折飛び出す『セレブネタ』でさえ嫌味を感じさせず彼女の持ち味に数えられる。十代二十代にとっては憧れの星、三十代四十代のロールモデル、五十代六十代にとっては理想の嫁・娘。万人に愛されるステージ上のファッションリーダー。そんな数々の賞賛を幾度となく浴びてきた華園たかねは、

「っ……っくぁぁぁ!!! 一仕事終えたビールは美味い!!!」

 私の目の前で中ジョッキを一息に飲み干し、魂の叫びを解き放った。半ばまで飲んだグラスビールを置いた私の口からついつい小言が漏れてくる。

「たかね、そんなオッサンくさいことしないでよ。ファンの子に見られるよ」

「あー、ヒサ、おじさん差別反対。だいたいこのために完全個室の所にしたんだから、ストレス発散だって」

「それにしたって店員さんに見られたりとか」

「もう! ヒサは心配性なんだから。そんなんだから胸がしぼむんだぞ」

「しぼんどらんわ!」

 対面の女はこれ見よがしに自分のブツを机に乗せやがる。た、確かにあんたの立派なものに比べれば私のは慎ましく可愛らしいけど、でもしぼんだなんてそんな、むしろ最近は下腹と一緒に……いや、これは忘れよう。

 目の前の整い尽くした顔面に浮かんだ表情は、清楚でしとやかという世のイメージとは真逆のもの。私が怒りにずり落ちた眼鏡を上げたちょうどそのタイミングでドアが控えめにノックされた。噂をすれば店員さん。

「A5和牛カルビと肩ロース、二人前でございます」

 若い男性店員が私達の前に皿を置いていく。見たこともないくらい脂身の入った肉、そして二人の中間地点で準備万端の鉄板。うっかり生で齧りつきそうになる食欲を抑え、店員さんが出て行くが早いか私たちは思い思いに肉を投入した。じう、と脂のはぜる音。立ち上ってくる匂いは肉を焼いているはずなのに何故か甘く感じる。これがA5クラス……と箸を震わせてたじろいでいた私に、たかねが悪戯っぽい目を向けてきた。

「あの店員さん、私のこと気付いてなかったね」

 確かに先程の彼の態度は冷静そのもので、彼女の変装は十分に機能しているようだった。トレードマークのロングヘアをひっつめ髪にして、目元を隠すため縁の太い眼鏡をかける。普段綺羅びやかなドレスに包まれている彼女の肢体は今はダークネイビーのレディーススーツを纏っていて、傍から見れば私達は『ちょっと背伸びして高級焼肉店に来た冴えないOLお二人様』にしか見えないことだろう。

「やっぱりヒサは心配しすぎだって」

 でも彼女がしたり顔で勝利宣言してくるものだから、私の方もつい張り合って、

「店員教育が行き届いてるだけでしょ」

 とつれなく返した。

「きっと今頃噂になってるよ。『あの華園たかねがビール飲んで焼肉食べてオッサンみたいな声出してた』って」

「そんなこと無いよ!」

「ある。きっと明日の週刊誌に載っちゃって一大スキャンダルなんだから」

「もー、ヒサ大袈裟すぎ」

 ころころ笑いながら彼女は自分の肉を裏返していく。

「だいたいスキャンダルになる要素ないって。モデルだって肉は食べるし、相手は女の子、それもデビューのときからずっとお世話になってるメイクの子なんだもん」

 言いつつたかねは脂の滴る肉を網から収穫して小皿の塩に(この店では塩で肉を食べるのだ!)ちょちょんとつけた。

「それ、生焼けじゃない?」

「レアって言って。高い肉なんだから素材の味を楽しまなきゃ」

 髪を下ろしている時の癖だろうか、彼女はもみあげの辺りをさっとかき上げて、ふつふつと余熱で弾ける肉汁も逃さず大口を開けて一切れ一気に頬張った。目を閉じて咀嚼、一呼吸置いて箸を持ったままじたばた悶え、

「…………っ、おいし、だめ、頭おかしくなる」

「たかね大袈裟」

「ほんとだって、口の中でとろけるんだから! はぁ……これが最高級……」

「そんなこと言って、いつもテレビとかで食べてるんでしょ」

「食レポやりたいんだけどねぇ、マネージャーさんがオッケーくれないの」

 なんでだろうと首を傾げながら赤みの残る一切れをパクリ。再び全身でボディランゲージする彼女に呆れの声音を隠せなかった。

「そんな子供っぽい食べ方してるからじゃないの?」

「む、私だって行儀よく食レポできるし。これはヒサしかいないからだもの」

 ……ホントか? 疑いを込めた視線を送る。塩の小瓶から目を上げた彼女は、しかし、存外に真面目な表情で私の瞳を見返してきた。

「ヒサはお化粧してない私を知ってる唯一の人。ヒサの前ではおしゃれな私でいなくていい。皆が憧れるステージの上の私で居なくていい」

 ぽかんと無防備な私の心に入り込む、切り込む、深々と突き刺さる、彼女の真摯な双眸。

「ヒサと一緒にご飯食べてるこの瞬間が私のオアシスなの」

 ドラマの台詞みたいなキザったらしい言葉を吐いて、整い散らかした顔の女が柔らかく笑んだ。女優でも狙っているのだろうか、なんて、場違いなことを考えていないとせっかく取った肉を落としてしまう。そのくらい分かりやすく私は動揺していた。

 たった一言でこんなにも人の心を動かせる彼女は、やっぱり、天性のスターなのだろう。

 なんというか、ずるい人、だと思う。

 私の反応を楽しむように視線だけこちらに向け続けるたかねに妙に腹が立って、私はろくに返事もせず、乱雑に塩を付けた肉にがっついた。

「…………っ、えっ!? 何?! はぁ?!?」

 思わず漏れ出た声に彼女が吹き出す。

「ほらぁ、大袈裟じゃなかったでしょ、私」

 またしても勝ち誇った調子の彼女、しかし私の方には反発する余裕すらない。

「これ、えっ? 肉なの? 口の中で、じゅわって溶けて、消えて、えっ!? これが肉なら私が今まで食べてたのは何?!」

「ふふっ、喜んでもらって何より。紹介した甲斐があったわ」

 たかねの笑みは雑誌の表紙で見た微笑みそのままのようでいて、少しだけ和らいだもののように見えた。……でもそれはきっと私の先入観。誰よりもプロ意識の高い彼女が、プライベートでできる笑顔を仕事で出し惜しみするわけがない。華園たかねとはそういう女だ。

 だから私は、彼女が自身の最高を引き出せるよう、出来る限りのメイクで応えるのだ。これまでも、そしてこれからも。

 そんな決意を密かに改めた私を尻目に、追加オーダーを終えた彼女がパタリとメニューを閉じる。

「ヒサ、ここ食べ放題ではないけど、まぁ一万円もあれば足りるから」

「…………えっ?! 奢りじゃないの!!?」

 私の喉から飛び出した叫びはお財布の断末摩に他ならなかった。



――――――――


(2016年10月17日)

(お題:「おしゃれ」「ステージ」「肉」)

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