波打ち際のプレリュード、あるいはポストリュード

「私、楽器を作ってるの」

 少女はそう言ってからかうように笑った。実際にからかっていたのだと思う。あるいは僕が、彼女にからかわれていたかったのだ。世の中全てがそうであるのと同じように。

「楽器? それで楽器を作るのかい?」

 鸚鵡返しに問うた僕がたいそう間抜けな顔をしていたのだろう。彼女はまたくすくす笑う。楽しそうに。楽しいと思い込んでいるかのように。あるいは楽しいと思い込みたいかのように。

「そう、楽器。何がおかしいの?」

「何がおかしいって、そりゃあ何もかもさ」

 僕は糾弾するように眉をひそめて応えた。あるいは実際に糾弾していたのかもしれない。なにせ、波打ち際に裸足で佇む彼女は、打ち寄せられた海草を両手いっぱいに抱えていたのだから。

「そんな海草でいったいどんな楽器ができるって言うんだ?」

 僕の疑問は真っ当なはずだったが、彼女には馬鹿みたいに聞こえたらしい。あるいは僕にとって真っ当に思われただけで、その問いは本当に馬鹿な代物だったのかもしれない。何にせよ彼女は相変わらず笑っていて、まるで寄せては返す波頭のきらめきのように、彼女は刹那的でありながら永遠だった。

「どうせ言っても信じてくれないから、実際に見せてあげる」

 彼女はそう言って、傍らの物体を引き寄せた。それは彼女の身長よりも大きな、象牙色の素材で出来た優雅なハープであって、唯一僕の知るハープと違う点と言ったら、それには一本たりとも弦が張られていないことだけだった。

「ここに海草を張っていくの。こうして、ほら」

 言いながら彼女は、海草の茎を持って伸ばし、がらんどうなハープの身体に吊り下げていく。枠組みに掛けられた海草たちは、海が孕んだ死の表象そのままに、いかなる張力も持たないまま風に揺られている。

 しかし彼女にとってその行為は『張る』と定義されているらしく、先刻までの悪戯な表情とはうってかわって、真剣な面持ちで枠組みの高さと海草の長さを見比べては並べる作業を続けていた。

 やがて彼女の両手は空になり、海草は長さの順に揃えられてハープに掛けられていた。水分を失いつつあるそれらは、枠の上下に張り付いて固まり、確かに少しづつ、弦としての役割を持ち始めているように見える。

「完成。どう?」

 自慢げに振り返って彼女はそう言った。きっと自慢していたのだ。彼女の素晴らしい楽器が、今ここに生を享けたことを、彼女は心の底から誇っていたのだと思う。あるいは僕がそう思いたかった。

「それはどうやって弾くんだい?」

『弾く』という言葉遣いが正しいのか、それすら僕には定かでなかった。吹いたり、はじいたり、あるいはもっと一般的に奏でると言うのが正しかったのか、一瞬僕は迷いを覚えたが、彼女は僕なんかには無頓着だった。あるいは僕は、彼女に無頓着でいてほしかった。彼女のような存在が、僕なんかに動向を左右されるなんてことは、この壊れきった世界においてもなお許されざることだという確信を持っていた。

「分からない? こうやるんだよ」

 そう言って彼女は拳を握り、ハープに半身で向き合った。そして、まるでじゃれ合うみたいに無造作に、海草に向けてその拳を突き出した。

 べちんーー

 間の抜けた音と共に一番長い海草が千切れた。断片は砂浜に落ちて、彼女は拳を戻して僕に笑いかける。いかなる意図も浮かんでいなかった。あるいは、いかなる意図も持っていてほしくなかった。

「ほら、分かった?」

「ええと、海草を殴った、ってことでいいのかな?」

「他にどう見えるの?」

 彼女は馬鹿にしたみたいに意地悪な笑いを見せる。あるいは僕は本当に馬鹿なのだろう。この世界の意図すらも正しく読み取れないくらいに。

「でも、海草が千切れてしまったよ。せっかく拾って、せっかく張ったというのに」

「そういうものだもの、仕方ないわ」

「楽器というのは、繰り返し同じ音を出すものじゃあないのかい?」

 何も分かってないような口調で僕は当たり前のことを聞いた。あるいは僕は何も分かっていないし、当たり前なんてものはどこにも存在しないのかもしれない。

「それは思い込みでしょ。この楽器はこういうものなの。この世界の何もかもと同じように」

 彼女の言葉はいやに真実味を帯びていて、あるいはそれが真実だった。あるいは僕がそう思いたかったのだ。彼女が言うことが真実なのだと。信じるべきものも、信じられるものもないこの世界において、信じたいものを見つけられた僕は疑いようもなく幸せ者だった。

 彼女は僕の態度に満足したように、あるいは満足したと思いたいように、あるいは満足したと思わせたいように、頷いて、再び楽器に向き合った。頼りないくらい細い腕の先、ぞっとするくらいか弱い拳が海草を殴り、そのたびに唯一の音色が生まれては死んでいく。僕は傍らでそれを聞く。一本ずつ消費されていく海草は何を思うのだろうか。

 全てを奏で終えたらまた新しく拾いに行こう。僕はそう思った。思いたいからではなく、純粋に、僕がそう思ったのだ。



――――――――


(2018年3月5日)

(お題:「楽器」「海草」「殴る」)

(40分くらいで書けたという記録が残っています。)

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