Parfait pour Imparfait

 パフェがベランダに降りてくる、なんてこと、他人に言ったらきっとその日から奇人扱い確定だろう。だから私はその不思議な贈り物について誰にも教えたことがなかった。

 原因に心当たりはある。それは幼稚園に通っていた頃のある日のことだ。外は大して寒くも暑くもなかったからきっと秋か春だったと思う。何かの理由でお母さんに怒られて、幼い私は砂っぽいベランダの片隅、植木鉢の隙間に体育座りしてめそめそ泣いていた。びゅうびゅうと吹き付ける風に怯えて身を縮こまらせていた私は、

『あなたの願いを叶えましょう』

 という声を耳にして顔を上げた。それは優しげな女の人の声で、でもお母さんとは違う。きょろきょろ見回してみても誰もいない。首を傾げる私に再び声が語りかける。

『あなたの願いを言いなさい。それを叶えてあげましょう』

 もう少し育って常識を養っていたら、主のいない声を不審に思って逃げ出すなり助けを呼ぶなりしただろう。しかしまだ幼かった私は無知ゆえの気楽さで謎の声を受け入れていた。

『わたし、ぱふぇがたべたい!』

 しゃくりあげていた余韻で息を詰まらせながらそう言うと、『あなたの願い、聞き届けました』の返事と共にぴたりと風が吹き止んだ。突然辺りを覆ったただならぬ雰囲気に体がこわばる。悲鳴を上げることすらできず硬直した私の目の前に、

 ――カチャン

 と、硬質な音を立ててパフェが降り立った。たっぷり乗った真っ白なクリームと少し黄色を帯びたバニラアイスをてっぺんに掲げ、チョコクッキーのスティックが刺さってコーンフレークを下に敷いた、細身のグラスが私の足先に着地したのだ。

 よく見ればグラスの縁からキラキラ光る細い糸が伸びていて、ご丁寧にスプーンも同じように吊るされて空中に浮いていた。糸の出処はよく分からなかったけれど、小さい私はそんなことより目の前の甘味に注意力を奪われて、いただきますも言わずに飛びついた。子供サイズのパフェを食べきる頃にはもう叱られたことなんてすっかり忘れてしまっていた。

 それ以来、私が落ち込んでいるとどこからともなくパフェがベランダに降りてくるようになった。小学校のテストの点が悪くて怒られた日には季節に合わせた苺パフェが降りてきた。中学校の部活で負けた日には新鮮なバナナをふんだんに使ったパフェが降りてきた。高校の先輩にふられた日にはフルーツもアイスも特盛りの豪華なパフェがゆらゆら危なっかしく揺れながら降りてきた。

 パフェが降りてくるのはいつだって私が一人でベランダにいるときで、食べ終わったグラスは糸に吊り上げられてベランダの天井に吸い込まれるように消えてしまう。家を引っ越しても、私が一人暮らしを始めても、ソレは律儀に私を追いかけてきた。私はこの不思議な現象を怪しみながらも、まぁ美味しいからいいか、なんて呑気な現金さで共存してきた。

 ……でも、もうそれも限界なのかもしれない。

 安アパートの鍵を開けて虚空に向けて「ただいま」を投げかけると饐えたような臭いが返ってくる。きっと二週間ほど出せていない生ゴミのせいだと思うが、夜中に出すとうるさい人がいるからしょうがない。不規則な生活の余波は散らかった部屋とかさついた肌にも表れている。カバンを適当に放ってため息をつくと同時に、カーテンの向こうのベランダから、

 ――カチャン

 と硬い音が響いてきて、げんなりとした気持ちで発泡酒を開けた。

 大学時代の彼氏は就職に失敗した頃から疎遠になって自然消滅。いわゆるブラックな職場に入ってぐしゃぐしゃな生活を余儀なくされ、ちょっとした不摂生で簡単に胃もたれを起こすようになってから、あれほど好きだったパフェが魅力的に思えなくなった。やがて降りてきたパフェをそのまま放置するようになり、可愛らしく盛り付けられたお菓子が腐っていく様子を見たくなくて、カーテンを引きっぱなしの部屋には生乾きの洗濯物がずらりと並んでいる。

 かろうじて部屋着に着替えて寝跡が残ったままのベッドに倒れ込むと、再びベランダからカチャンと音がした。ガラスとガラスがぶつかる音。きっと放ったらかしのグラスの上に着地したのだろう。ベランダに積み上がっていくパフェの成れの果てたちを思うとそれだけで気が滅入ってくる。

 ――カチャン

 携帯の不在着信は実家から。きっとまた母の小言だろう。一方通行に浴びせられるばかりの否定の言葉。小さい頃は仲良かったはずの私と母は、いつしか決定的にすれ違い、ボタンを掛け違い、ろくなコミュニケーションを取れなくなってしまっていた。

 ……これはただの結果論だけど。私と母の亀裂は、あの日、パフェを食べて気を紛らわせた私が母にきちんと謝れなかったことに端を発しているような、そんな気がしてならない。

 ――カチャン

 ――カチャン

 ベランダにパフェが降ってくる。

 私が食べたかったのは、ちゃんとごめんなさいできる良い子にお母さんが食べさせてくれるパフェだった。

 私が願うべきは『お母さんとなかなおりしたい』だった。

 ――カチャン

 ――カチャン

 ――カチャン

 

 ――カチャン

 

「うるさいっ!!」



――――――――


(2016年10月10日)

(お題:「パフェ」「ベランダ」「糸」)

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