ストーリー・イーターと私の真に驚くべき邂逅

 私の家の近くには博物館があった。そんなに大層なものじゃなくて、二時間もあれば順路を隅々まで見られるようなちっちゃな博物館。大昔この町を治めていた伯爵の遺品だとか、町外れの崖から出てきた化石だとか、そういうものがずらずらとケースの中に並べてある、そんなどこにでもありそうな博物館だ。

 特別なものがあるとすればただ一つ。私はそれが放つ不思議な魅力に吸い寄せられて、週に三度は博物館に足を運んでいた。

 順路の真ん中あたり、中世の甲冑とトルコの大きな壺の間を抜けたところ。くすんだ銀のメダルや物語に出て来そうな斧に紛れたそのスペースには、頑丈そうな檻が据え付けられていた。

 真四角の檻はそれほど大きくない。一辺の長さは、子供だった私が両腕を広げたくらいだっただろうか。高さも大人が手を伸ばせば天井を掴める程度しか無かった。

 もちろん檻というものは何かを閉じ込めるためにあるもので。窮屈そうな囲いの中には猫足の上等そうな椅子が置かれていて、そこにはいつも、美しい人形が座らされていた。

 何で人形が檻の中に? 当時の私は『これはそういうものだ』と思って疑問を抱いていなかったし、大人たちだってきっとそうだったに違いない。だってここは博物館、展示品を万全に保つための独自のルールが定められた場所だ。きっと美しい人形を檻に入れておくのだって、何か私達が知らない理由があるのだろう。皆が皆そう思っていたらしく、檻の中の少女人形の前で足を止めるお客さんは私以外に一人もいなかった。……博物館自体がいつだってガラガラだったせいかもしれない。

 彼女に目を留めるのは私だけ。彼女の背中や胸元に流れる細やかなブロンドヘアや、眠ったように閉じられたなめらかな瞼、血色に乏しい磁器のような頬、しわ一つない淡青色のドレス、フリルの袖から伸びて行儀よく膝に置かれた手、白いストッキングに包まれて揃って閉じられた両脚を見つめるのは私だけ。博物館の最奥に近いその一角、警備員の目も届かない、どこかにあるはずの監視カメラも見当たらない、空気に溶け込んだ埃と密やかな靴音だけに満たされた空間で、私は閉館時間まで飽きること無く彼女をただ見つめ続けていた。私が声一つ上げなかったのは、檻に添えられた『話しかけないでください』なんて間抜けな表示が意識の端にあったからかもしれない。

 そう、私は彼女を見つめ続けていたけれど、一言だって彼女に語りかけたりはしなかったのだ。あの忘れもしない、十一月のある日までは。

 その日、博物館の門をくぐった私は意気消沈していた。こっそり書き溜めていた小説を暴れん坊のエドに見られてしまったからだ。小説なんて言っても中等学校にもならない子供の書くものだから、今思うと全然読めたものじゃないんだけど、それでも当時の私にとっては渾身の自信作だった。学校の休み時間にも書こうと思ったのが運の尽き、エドとその取り巻きは私から秘密のノートを取り上げて、中身をパラパラ検めるなり、

「見ろよ、こいつ、こんな変なこと書いてるぜ!」

 なんて皆に触れ回ったのだ。友達は慰めてくれたけどエドたちは一日中私をからかってきて、その日の帰り道はもううんざりした気持ちでいっぱいだった。

 ――彼女の顔を見ていれば気分も晴れるかもしれない。

 すっかり落ち込んだ私は藁にもすがる思いで、帰り道のコースから逸れて博物館へと足を向けたのだった。いつだって変わらない彼女の美貌を見ていれば、今日の出来事も、私の落ち込みも、全部紛らわせるような気がしていた。

 勝手知ったる公共施設、いつもながら人のいない順路を小走りして、私は彼女の前に辿り着いた。いつもと変わらない檻、いつもと変わらない椅子、そしていつもと変わらない彼女。檻を取り囲んだロープまで歩み寄って、私はしばしいつものように無言で彼女を観察していた。じっと、じいぃっと観察していた私は、しかし、それでも何だか晴れない胸に手を当てた。

 そしてふと、彼女に私のお話を聞いてもらおうと思い立ったのだ。

 何でそんなことを思いついたのか、なんて聞かれても、何かの気まぐれとしか答えようがない。あるいは、物言わぬ彼女に聞いてもらえば、エドの酷評を上書きできると思ったのかもしれない。

 展示品に話しかけるなんて変な子だと思われそう。頭の中の冷静な部分が警告を発する。二度三度と辺りを見回し無人を確認した私は、大勢の前で発表するみたいに小さく咳払いをして、身を乗り出して檻越しの彼女に向き合った。

「ねぇ、あなた。名前を知らないお人形さん。どうか少しの間でいいから、私のお話を聞いてくれる?」

 もちろん断りの言葉はない。

 私は鉄の檻に手をかけたまま、自分の考えた物語を静かに語りだした。それは悪い王様に囚われているお姫様と、彼女を助ける騎士の物語。悪い王は騎士に苦難を与え、騎士は仲間たちと助け合いながら苦難を乗り越える。笑っちゃうくらいにありふれたお伽話だけれど、でもそれは確かに私の心が紡いだ物語だった。初めはノートに書き留めてあった分を暗誦していたけれど、次第にその場で思いついた内容が増していった。即興で生み出される言葉は、しかしデタラメな出来事の羅列ではなく私にとっての真実で、この調子ならいつまでだって語り続けられそうな、生まれて初めて飛んだ鳥の心地を味わっていた。

 しかしその時間も終わりが訪れて、閉館間際を伝える放送で私はふと我に帰った。いけない、お母さんが心配してる。短くお礼と別れの言葉を彼女に告げて、私は生真面目な檻に背を向けた。

「――待って」

 耳慣れない声。恐怖で足が止まる。誰? この場には私しかいなかったはず……。

「もっとお話、して」

 その言葉は私の背後から聞こえている。

 まさか、そんな馬鹿な。混乱する理性を置き去りにしてそろそろと振り向いた私の両目は、黒光りする檻の中、華奢な椅子の前に立って格子をつかむ、これまた華奢な少女の姿を捉えていた。

「…………生きてたの!?」

 私の喉から一番乗りしたのはそんな声。いやいやいやいや、私はただの人形だと思っていたんだけど……そうでなきゃ自作の物語なんて恥ずかしくて……! 今にも座り込みそうになる私であったが、彼女の方は眠たげな半眼のまま、

「うん、食糧不足で休眠状態にあったけど、でもずっと生きてたよ。私を起こしてくれてありがとう」

 淡々とそんなことを述べた。ふわふわのウェーブヘアに似合う天使の囁き声。いやでもちょっと待って、

「食糧なんて、私あげた覚えないけど」

「ううん、あなたは私に食糧をくれた」

「何か勘違いしてない? 私がしたことなんて、その、お話を聞かせたくらいで……」

 モゴモゴ口ごもる私を見ても彼女は相変わらずマイペースなご様子だった。ほんの少し眉を上げて、「説明が足りなかったのね」と頷き一つ。

「私たちにとっては情報がごはん。新しい情報を得ることで私たちは生きている」

 食糧が情報? とか私『たち』? とか色々疑問な点はあったけど、

「美味しいお話だったよ、ありがとう」

 目尻を下げる愛らしい笑いを浮かべる彼女を見ていると、そんなに悪い気はしないのだった。



 結局その日は手持ちの文庫本をあげることで私は放免となったが、それ以降、私の日課には、博物館の彼女を訪ね、新しいお話を聞かせて文庫本を与えるという工程が加わることになった。私が聞かせるお話を彼女はニコニコ笑って摂取するのでまぁ気分は良かったけれど、新作を次々求められるのはなかなか苦しいものがあった。

 彼女は自分が目覚めたことを他の人に悟られないようにしていたけれど、やがてそれも明るみに出ることになる。そして彼女を巡る大騒動に私も巻き込まれることになる……というか、むしろ私が大騒動の主人公を演じる羽目になったんだけど……、まぁその話はまた今度、何かの機会があったらということで。



――――――――


(2016年8月7日)

(お題:「博物館」「文庫本」「ごはん」)

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