あふたーざぱーりぃない

 庇貸して母屋取られる、とはまったくもってよく言ったものだと思う。帰宅したらキッチンを取られていた私としては身につまされるようだ。

「おかえり。ご飯にする? お風呂にする? それともあたし?」

 ふざけた問いかけが出迎えてくる。ダボダボのエプロンを掛けてキッチンに立ったその姿は、一見すると若奥様という感じで殊勝に見えるが、

「こんな散らかしてたらご飯になんかできないでしょうが」

 飛び散ったレモンの欠片、シンクに零れた米粒、コンロに置きっぱなしの油ぎったフライパン、その他諸々を見ながら私は溜息をついた。こんなことになると知ってたら部屋の鍵なんて渡さなかっただろうに。今更返せと言ったところできっと山程合鍵を作ってあるに決まってる。私にできるのは観念だけだ。

「ん―? そんなことないよ、あたしはもう食べたし。アヒージョ美味しかったよ」

 確かに流しには使用済みの皿が無造作に積まれている。もちろん朝には無かったもの。厨房無断使用の主犯は右手をエプロンで拭ってにへりと笑った。

「ていうか、そのエプロン私のだし。何平気でお手拭きにしてるのだオノレは」

「いいじゃんいいじゃん、処女みたいなこと言うなよぉ」

 雑なセクハラを受けるに至って私はようやく相手の不審点に気付いた。こいつはまぁ普段から軽薄で適当な奴ではあるけど、ここまで脱力した薄ら笑いを浮かべるほど脳天気な人間でもなかったはずだ。小柄なエプロン姿がふらふらと危うい足取りで近付いてくると、私の鼻腔がその原因を教えてくれた。

「ちょっと、あんた酒臭すぎ。どこで飲んできたの」

「どこって、ここでに決まってんじゃん」

 じゃん、と言われても。床や調理台に転がった空き瓶がおそらくアルコール臭の源なのだろう。

「ほら、カクテル作るやつ? バーテンさんが振ってるやつ? あれ売ってたからさぁ、買っちゃった。てへ」

 ウインクしながら舌をちろり。えらくサマになるのがムカつく。

「てへ、じゃないよ全く。家主様がヒィヒィ働いてるのに一人でカクテルパーティーとは良いご身分だなコラ」

「へっへっへ、いいでしょ。まだ残ってるよ」

「飲まんわ。明日も仕事じゃ」

 ぐでりと寄りかかってくる体を受け止めると細い腕が私の胴をがっしりホールド。こういう玩具が昔あった気がする。

「あんたはもう寝ときなさいよ、顔真っ赤だし」

「うへへ。じゃあお言葉に甘えて。甘えついでに運んで」

「嫌だと言ったら?」

「ここで寝る。おやすみー」

 放置してもいいかなとちょっと頭をよぎったけれど、片付けるにあたって通り道を塞がれるのは非常に厄介極まりない。自律歩行を放棄した物体をずるずる引きずりベッドに投げ込んで、私はとんぼ返りして惨状の始末に向かった。

 キッチンもさることながら、リビングにも脱ぎ散らした外着やら倒れたカクテルグラスやらが散乱して酷い有様だ。おそらく奴が来たのは昼過ぎほどのはず。数時間でよくもこんなに散らかせるものだと感心してしまう。とりあえず差し当たって奴の荷物をまとめてやろうとかがんだ私は、床に視線を落として手を止めた。

 そこに落ちていたのはカード入れ。私のものではない。近所の店のポイントカード、クレジットカード、今時珍しいテレホンカードと一緒に運転免許証が入っているのが見えた。半分ほど飛び出たそこにはもちろん所有者の名前と生年月日が載っていて、

「……未成年なんじゃん、あいつ」

 そのどちらも、私が初めて目にしたものだった。



――――――――


(2016年4月24日)

(お題:「諦め」「カクテル」「免許証」)

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