第9話少女期① 神殿編 1

 さらさらと水の音がする。


 神殿は小さな町だ。

 小高い丘の上に隔壁に囲まれた小さな町がある。

 内側には畑があり林があり細い小川がいくつか流れている。

 小川と言ってもそれは人工のもので細い溝に石を敷き、隔壁の外にある川から水を引いている。


 その小川の縁にある岩に腰を下ろして、スカーレットは白い神官服の裾を膝上まで捲って水の中に足を着けていた。


 ふわふわと広がる赤い髪は腰にまで届く長さ。

 程よく日焼けした手足は長くしなやかで、胸はささかながらも膨らみ、腰やお腹はコルセット要らずの括れがある。


「……あー、ひんやり」


 うっとりと目を閉じて、スカーレットはパシャパシャと足先で水を跳ねさせる。


 この辺りは王都から離れている分、四季がはっきりしている。国の中心にある王都は常春の都。中心から離れるに連れて季節が巡る。

 今の季節は夏で、連日うだるような暑さに“神の子”神官見習いの中には具合を悪くしている者もいた。

 スカーレットはそこまでヤワではないが、暑いことに違いはないし、ダルいし何にもやる気が起きない。


「ずーっとこうしていたい」

 

 もっとも炎天下の中、屋根もない屋外にそう長くいられるものでもないが。

 それでも小川の側であれば少しは涼しい風も吹くし、肌に触れる水は心地よく熱を冷ましてくれる。


「スカーレットっっ!!」


 ああ、素晴らしき時間はいとも短し。

 と、スカーレットは菫色の瞳を開いて声のした方角に顔を向けた。


 それもまた植林して作られた人工林の、木々の奥からあくまでも淑やかに、けれど隠しきれない苛立ちを足取りに宿して。

 神官服の女がしかめっ面で歩いてくる。


「リリアも表情豊かになったよね」


 出会った頃は能面のようだった。

 表情が乏しく、時折神官見習いの子供たちに見せる笑みも叱りつける眉をしかめた顔も、全部作り物のようで。

 ここにいる神官たちは皆そうだ。

 笑いもせず、さりとて不機嫌というわけでもなく、ひたすら無表情。

 特に中級から下の貴族神官と平民出身の下位神官にその特徴は顕著だ。


 それと反比例して上位の貴族神官たちは意地の悪い笑みと、蔑みの表情が基本装備だが。


 スカーレットが神殿に保護されて五年が経つ。


 その中で上位の貴族神官たちに接触したのは片手の指で数えられる程。

 その僅かな接触でさえ、スカーレットは誰かの後ろに隠されたような状態であった。決して顔を上げずひたすら地に額を着けるように頭を下げていろともはや懇願に近い命令をされて。

 スカーレットは自分でもそれなりに見目よく成長してきているのを自覚している。

 赤い鮮やかな髪の色も相俟って目立つ容姿だとも思う。それは周りの神官や見習いたちにも認められているもので、だからこそスカーレットが貴族神官に見咎められてチョッカイを出されるのを非常に警戒してした。

 正確にはチョッカイを出されたことによってスカーレットが引き起こすであろう騒動を、であろうが。


「アナタという人は!またこんなところでお勤めをサボってっ!しかもなんですかその格好は!アナタももう12になるというのに、そんなに裾を捲り上げて。少しは恥じらいというものを持ちなさいと何度言えばわかるのですか!?」

「ええ?午前の休憩だから抜け出してきたんだよ?」


 少しばかり本来の休憩の時間は過ぎているかも知れないが。少しだ。たぶん。


「何を!すでに休憩の時間は半刻も経っています!!先ほど三の鐘が鳴っていたでしょう!」


 はて。そうだったろうか。

 神殿内に時間を告げる鐘の音は二刻ごとに鳴らされる。その音は神殿を囲む隔壁の外にまで響き渡るもの。

ーーいやあ人間聞く気がなければ騒音並みの音量もなかったことにできるらしい。

 おっかしいなぁ、と肩をすくめ、水に濡れた足を神官服の袖で拭って靴下を履くスカーレットに「……アナタはまたどこで足を拭いてっ」と近づいてきたリリアが甲高い声を出す。

 

 スカーレットはぴょんと跳ねるように立ち上がり、リリアの周りをぐるりと回りながら、彼女の神官服から出ている顔に首、手をジットリとねめつけてついでとばかりにうずくまり彼女の神官服の裾をペラリと捲った。

 嫌がらせ込みのいつもの確認。


 五年前、スカーレットと彼女が交わした契約の反故の証が現れていないか、確認するための日々の日課である。 

 ついでに風呂にも10日に一度は共に入る。

 最初は「落ち着かない!」と嫌がっていた彼女も、二度ほどムリヤリ裸に剥かれたことで部屋で剥かれるよりも風呂の方がマシ、ときっちり10日に一度裸の付き合いをしてくれる。


 五年前、スカーレットを故郷の村へと迎えにきたリリアは神殿でスカーレットのような“神の子”を世話する教育係りの一人であった。

 迎えの際は係りの一人が必ず同行する。

 神殿への道すがらこの先のことを説明するためでもあるし、少しでも早くその子供を知るためでもある。


「もういい加減勘弁して下さい……」


 諦め混じりの声でリリアが嘆く。

 ボソボソと、


「ついこの前だって手紙のやり取りをしていたじゃないですか。アレだって本当は禁止されてるのに。バレたら私が怒られるのに」

「煩い」

「……あの役人たちだってそれぞれ別に僻地に飛ばさせたじゃないですか。あの人たちの上司に支払った賄賂だって私の大事な大事なへそくりから」

「煩いって」


 しかもしつこい。

 何年も痣を確認し続ける自分のしつこさを棚に上げてスカーレットはぐりっ!とリリアの股をつねった。


「ふみゅうっっ!」


 素っ頓狂な声を上げるリリアの顔を見上げて、スカーレットは桜色の小さな唇を歪めた。


「そうだまた手紙を出しといてよ。ミリアナが秋に成人の儀らしいんだよね。祝いの品とお金も送っとかないと」

「……ふわい、わかりました」


 スカーレットは手紙と共に毎月僅かながらも金子を送っている。

 手紙は家族は字を読めないので、村長に読んでもらっているはずだ。

 その村長も難しい字や言い回しは理解出来ないので、手紙はいつも簡単な日々の報告程度のものであるが。「わたしは元気です。みんなも元気ですか?こちらはずいぶんあつくなってきたよ」みたいな。

 金子は時折コッソリ神殿を抜け出して近くの街で

薬草を集めて売ったり狩りをして獣の皮や肉を売って稼いでいる。


「あのお願いだからお勤めに戻って下さいぃ」


 大袈裟だな、涙目だなんて。


「私が怒られるのぉ。またお給金が減らさせるのぉ」


 情けなさすぎる顔で両手を合わせるリリアに、スカーレットは「50過ぎのくせに可愛いこぶってんじゃねえよ」と吐き捨てた。

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