第8話幼年期 7
「待って下さい。この者の無礼はお詫びします。ですがわたくしたちはただ神の子を神殿に保護すべくお迎えにきたのです」
神官服の女が一歩前に出て言うのにスカーレットは剣の先を役人の喉に向けたまま「はっ」と鼻で笑った。
「保護?」
「そうです。魔力を持つ神の子が見つかったら神殿で保護するのがこの国の習わし」
スカーレットは女の言葉に、気付かれない程度に眉をひそめて思案する。
スカーレットの知る限り、100年前にはそのような習わしはなかったはずだ。だとすればそれは100年前より後にできたもの。そんなものがいつどうして?
ーーしかも“神の子”とは。
剣はそのままに、視線だけを神官の女とその横に並ぶ役人の男に向ける。
足元に転がる男を入れてもわずかに三人。
しかも一人は武器を持たない女で二人は男であってもスカーレットからすれば素人同然。
制圧は可能だ。
ただし、そうして後はどうする?どうなる?
「……ふぅ」
スカーレットは息をつくと、剣を遠くへ放り投げた。
「私が大人しくついていくとしてその後村や私の家族はどうなる?」
尋ねたのは神官服の女に。
スカーレットが武器を捨てたのを見て、それまで女の横で固まっていた役人の男が腰の剣に手を掛けた。
「貴様!我々は領主様の命令で来ているのだぞ!よくも舐めた真似を!」
馬鹿な愚か者。
こういった死にたがりはどこにでもいる。
自分は武器を持ち、相手は武器を捨てた。
たったそれだけの事実に粋がりすぐに忘れる。
スカーレットは別に彼らに下って武器を捨てたわけではないのに。
ーーやっぱり殺すか。
女だけを残しておいたらいいかな。
お優しい神官様ならスカーレットだけの咎として村や家族は見逃してくれるに違いない。
きっと。
そう証言し、そうなるように尽力してくれるはずだ。だって自分も殺されるよりずっといいはずだから。
ほんの少し零れた殺気は、足元で転がっている男にまず察せられたらしい。
「……ひぃぃっ!」
盛大に股を濡らしながら叫び声を上げて尻を着けたまま後ずさりしていく。
「ま、待て!待て!待てーっ!」
ほうほうの体で仲間の下に這い寄り腕に抱きついて止める。
「ダメだ!ダメだ。……抜かないでくれっ!抜いたら殺されるっっ!」
ふむ、案外兵士に向いているかも知れない。
自分と相手の力量差を見極められることも戦場では大事である。まあこれが戦場であればすでに首が落ちているから遅すぎるが。
「で?どうなる?」
殺すのは簡単。
だが、後が面倒というわけで、
「村と家族の安全をおたくが保証するなら大人しくついていくけど?」
スタスタと神官服の女の前に歩み寄り、顔を見上げた。
物事を交渉する時大事なのは誰とするか。
まあ他にも色々とあるけども。
時とか場所とか取引材料とか?
スカーレットは交渉事は不得意だ。
口でお話しするより拳で話し合いたい、とまでは言わないが、殴っておやすみ頂いてそれで済むならその方が助かると思う。
100年前だってそういったものは基本他人ひと任せだった。適材適所。
だがこのくらいはわかる。
この中で一番権力があるのは誰か。
交渉事は一番権力のある人間とじゃないと意味がない。
女は若く見える。
見た目だけなら20代の後半と言ったところか。
もっとも神殿に属する神官なら魔力持ちなことが多い。まして目の前の女は白い神官服の肩に黄と銀の刺繍が施されたジュビ(肩から斜め掛けに垂らし、腰の横で結ばれた帯)を掛けている。
ジュビを着けるのは貴族神官だけ。
貴族ならば多少なり魔力を持っているから、見た目の年齢はさほど当てにならない。
20代に見えても100を越えていることもある。
女はしばらくスカーレットを見下ろして、怯えに震える両手を胸の前に握って言った。
「神に誓ってこの村にもご家族にも危害は加えません。神の子を育てた功績によって村と家族にはそれぞれ金貨10枚と5枚が与えられます」
必要ならば魔法契約を致しましょう。とまで言うのに、スカーレットは「じゃあそうして?」と皮肉気な笑みを返した。
女の顔が少しだけ歪む。
どうせそこまでは良いとでも返されると思っていたのだろう。神官様だから偽りなんて口にしないと信じるとでも?それとも平民の子供が魔法契約なんのことかわからないとでも思ったか?
魔法契約は特殊な素材を使用した紙を用いて契約するそれぞれの人間の血を混ぜたインクで契約書を作る。そうして中位以上の神官の立ち会いと祈りが必要。
神官の祈りによって契約を神に誓う。
両者の同意なく破棄をすると身体のどこかに醜い痣が浮かぶ。服に隠れる部分ならばまだ良いが、顔などの見える部分に出てしまった場合は悲惨だ。
見た目がよろしくないのはもちろんだがそれ以上に神への誓いを反故した神犯と見做され犯罪者扱いされる。
この場合、相手が神官だから、立ち会いは必要ない。そして神官はいつ立ち会いを頼まれても常に応じられるように紙とインクを持ち歩いているものだ。
ーーああ、アイツらがいたら「また底意地の悪い顔をして」とか言われたんだろうな。
昔の仲間たちの苦笑いが脳裏に浮かぶ。
でも仕方ないじゃないか?
そもそも相手から先に仕掛けてきたんだから。
正直スカーレット自身としても今の家族ーーミリアナに危害を加えられたことがこれほど苛立たしいとは予想外だったけれど。
どうやらちゃんと一線を引いて付き合ってきたつもりが存外家族大事になっていたらしい、と内心苦笑する。
「さあ、契約しよ?」
子供っぽい笑顔を意識して、スカーレットはニッコリと女に笑ってみせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます