第7話幼年期 6

 今度の男たちは、そこそこ毛並みの良い黒毛の馬と、二頭立ての小さな馬車を引いていた。


 後で聞いたところによると、前に来ていた男たちは土木を管理する小役人の部下だったらしい。

 この辺りを収める領主の意向でどこだかの町に橋を建造するのでそのための人手を徴兵しに来ていたのだ。王都やそれに近い街や領地では、橋や路の整備は軍部の管轄であり、戦争がない時の下位兵士たちの主な仕事の一つである。

 後は彼らが監督のもと、犯罪者の苦役でもある。


 だがここのような田舎の領地では、それらの人数が少ない。

 そもそも職業軍人というのが僅かで、火急の際は領内の町や村から男手を徴兵する。

 土木も同じで、いくつかの村や町から役人がそれぞれ数を指定して連れていく。

 これがどうやら普段から比較的栄えた町や村は税も多く納めているし賄賂を送っていたりするため、数が少なく、スカーレットの住む末端も末端の村ほど数を連れて行かれる。

 貴重な男手を連れて行かれることでより収穫は減り、納める税は減るし、賄賂を送る余裕なぞも当然ない。結果としてまた次も多くの人手を取られるという悪循環が出来上がる。


 こういったことは100年経ってもなかなか改善されないものだなぁ。

 そうスカーレットは母親のスカートの陰に潜みながら思った。


 今回は10人が連れて行かれるらしい。


働き盛りの村の男、その3分の2を連れて行かれることになる。


「お待ちください!それではこの村が!」


 ヒゲ爺……じゃなくて村長が悲鳴を上げるのに、役人の男は居丈高に村人たちを見回すと意味ありげにニタニタと笑った。


「なら子供を出せ!ここに魔力を持つ子供がいるはずだ!」


 ザワリと集められた村人たちがざわめく。

 

ーーそれでわざわざ村の皆を集めたのか。

 スカーレットは目を細め、顔を隠すように俯いた。


 男手を徴兵するだけなら、男たちを集めるだけでよい。けれども集められたのは村人全員。しかもスカーレットよりも幼い子供たちまで。

 今この場、村の広場に来ていない村人はまだ自力で歩くことも出来ない赤子か、寝たきりの老人だけ。


「子供を出せば半数で許してやろう。さあ、どうする?」


 ニタニタとだらしなく口元を歪めて役人が言うのに、ちらちらと何人かの視線がこちらに向けられて、それに肩を震わせた母がスカーレットを抱き寄せるとぎゅっと腕の中に閉じ込めるようにした。

 だが逆にその行為は役人の注意を引いた。


「その子供か?……ふむ、赤毛に菫の瞳。報告の通りだな」


 近づいてきて母の腕の中のスカーレットを無遠慮に眺め回す。


「お役人様の勘違いにございます。この子は魔力などないただの子供にございます」


 震える声で母が言い募るのに、スカーレットは胸がジンと熱くなった。

 スカーレットは自分がこの村で異端であるということを知っている。

 おかしな子供であったはずだ。

 5歳で記憶を思い出してからというもの、スカーレットは世間一般の子供とは明らかに違っていた。それは早々にスカーレットが所詮自分にはムリだ、と子供らしくするのを放り投げたせいである。

 生意気で奇妙な子供であったはずだ。

 やたらと身体を鍛え、魔力を持ち、6歳になる頃には鍬やナイフを片手に森で狩りをしてきた。


「なに、心配するな。魔力持ちは貴重だ。それこそこの村にいるよりずっといい生活ができる」


 顔に笑みを貼り付けたままで役人がスカーレットに手を伸ばす。その物珍しいものをジロジロと眺める瞳の色にスカーレットはムッと唇を引き結んだ。

 役人の手がスカーレットの腕に掛かるーー。

 その時、スカーレットの視界の隅で赤茶の癖のある頭が動いた。


「妹に触らないで!!」

「ミリアナっ!」

「邪魔だこのガキ!」


 甲高い声が交錯する。

 スカーレットに伸ばされたのと逆の腕が飛び出してきた姉の身体を乱暴に突き飛ばす。

 転がり地面に尻を着いた子供とも少女とも言い難い娘に役人は苛立ちのまま腰に差した剣に手をやる。だがその手の先には、


 何もなかった。


 スルリと膝を曲げ驚きに力の抜けた母の腕から抜け出したスカーレットは、足を踏み出すと同時に手を伸ばし役人の腰から剣を拝借した。

 踏みしめた足の下、小石がジャリッと音を立てる。


 鞘から強引に引き抜かれた勢いのままに振り上げられた刃の先が役人の首筋にピタリと当てられた。

 役人の仲間たち、一人は同じく役人らしき男であり、一人は何故か神官服の女だった。が、驚愕に目を見開き、ややして男の方が腰の剣に手を掛けようとし、


「動くな!動くとこの男の首を掻き切る!!」


 ビリリと空気を振るわせる怒声に、その手を止めた。



ーーーーーーーーーーーーーーー



 男はこの地の領主に仕える役人であった。

 仕えるといっても役職は下位も下位で、領主の顔をまともに見たこともない。

 普段は領都の役所で面白くもない書類仕事や上司たちのくだらない指示に従ってあちこち手紙やら書類やら荷を届ける日々。


 おかげで鬱憤が溜まっていてその鬱憤を解消するのに男はたびたび自分よりも立場の低い平民を使っていた。

 男が扱う荷の中には、人間が含まれていた。

 そういう時、男は荷を受け取りに来た村や町でことさら居丈高に振る舞い優越感に浸る。自分はまだこの蛆虫共と比べればまだずっと良い方なのだと悦に入る。たまについ生意気な者を見るとつい手を出してしまうこともあるが、職務を邪魔したと言えば例え相手が死んだとしても問題にはならない。

 それだけの差があるのだと、暗い愉悦に浸っていた。


 だが今自分の首筋に剣の切っ先を向ける子供はなんなのだろうか。


 田舎の小さな農村の人間なぞ、自分よりもずっと程度も価値も低い人間だ。

 殺しても誰からも文句は言われない。

 弱い。卑小な存在。

 そのはずなのに。


 首筋に当てられた剣は震えもせずピタリと静止している。

 幼い10にも満たない小娘。

 そのはずなのに向けられる菫色の瞳に宿る怒気と正反対に冷たく落ち着いた揺らぎのなさはなんなのだろうか。


 これはなんだ。

 7歳の子供?

 ただの小娘?


 そんなわけがあるか! 

 そんなわけがあるか!と頭の中で警鐘が鳴る。


 喉がひくりと上下に動き、ついで恐怖に身体が動いた。

 無意識に逃げに動いた男の身体に小娘の腕がピクリと動く。


 殺される!

 男はあとずさり声にならない悲鳴を上げた。


「待って下さいっっ!!」


 割り込んでくる女の声。

 それがなければ、あるいはもうほんの少しも遅ければ。

 男の首は胴から切り離されていただろう。

 男はそう確信し、尻を地面に落とした。

 股がぬるま湯に浸かったような熱を持ち、ついで訪れた濡れた感触が男に自身が失禁したことを教えた。

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