18. 継承


8月16日 朝



カーテンの隙間から漏れる日の光で私は目を覚ました。


“!?”


慌てて起きて辺りを見る。


横では妻が昨日の夜とは逆に、私の方を向いて寝ている。


“・・・・・・幸いにも今日もまだ現世にいるようだ。思った通りだ。“


と安心しつつ予想がハズレて明日もここで朝を迎えられたらと思ってしまう。


一番最後に寝たはずなのに妙に目が冴えている、眠気も感じない。


“死んでいるから、そんなに睡眠はいらないのかな?”


今は眠くなくても、もうじき永眠するのだろう。


認めたくないが。


死んでから、いや事故にあってから知らぬ間に眠りに落ちている。


事故にあった日の夜も一心不乱に帰ってきたと思っていたが、それにしても、あまりに途中の記憶がない。


途中の道から家の前にたどり着くまでの記憶が全くない。まるでその間は歩いていなかったのではないかと思えるくらいすっぽりと記憶が抜けている。


ふっと<丑三うしみつ時>という言葉が頭の中に浮かんだ。


あの世とこの世が繋がれるという時間、それが丑三つ時だ。


もしかしたら、その間は現世とあの世のはざまにでもいたのかもしれない。あの世では意識がないのか、あの世のことは現世では覚えていられないのか・・・・・・


“気持ちわりっ”


まあ、知った所でどうにもならないし、明日からはもう丑三つ時を迎えることもない。


恐らく、今日が最後の日のはずだから。


明日を迎えることはないだろうから・・・・・・


少しの間、妻の寝顔や週末だけの短い時間ではあったが自分の過ごした、そして妻と二人でデザインした部屋を眺めていた。


やがてベッドから起きると一階に降りて顔を洗い、歯を磨く。


休日なら滅多にしない、髪をドライヤーと整髪料で整える。


やはり、髭は生えて来てはいない。


“髭を剃らなくていいのは楽か・・・・・数少ない死者のメリットだな。”


どうでもいいことを考えながらも最後は一番キマっている自分をみせたかった。


どんな風に最後を迎えるのかわからないが、できるだけかっこよく、そう思った。


着替えも選ぶ。


もしかしたら、来年からは今日着てる服でお盆は帰省するかもしれない。


“今日は少しいい服にしようかな?”


ここでいうは決してスーツや礼服ではない、自分のもっている中で一番高いTシャツやジーンズ・・・・・・程度が私のいい服の限界だ。


しかし、そうだとしたら親父のあの格好はどういうことだ?


どう考えても、短パンTシャツでは亡くなっていない。


そして、死に装束を選べたところで来年から私の姿は誰の目にもとまらない。


“しょせんは、無駄なことか。”


そう思い直すと一番好きな、自分らしい格好にする。


夏用のハーフパンツに昨年9月にもかかわらず私の誕生日に家族がくれたTシャツ。


セレクトは謙斗のようだが、私にとっては家族から贈られた宝物だ。


9月にプレゼントされたTシャツだから差程さほど着る期間はなかったのに


喜んで昨年から何度も着て、首周りはもうすでに結構たるんできている。


そのTシャツに腕を通すとソファに腰を下ろし、テレビをつけて皆が起きるのを待った。


昨日は私自ら朝食を作ったが、今日は今日のプランがあった。


誰に言うでもない自分なりのプランが。


早朝のテレビはニュース番組が多い。


地方のニュースがやっている。


“・・・・・・炎上した車のナンバーから持ち主の特定を急いで・・・・・・”


画面の中に森の中の草むらに転がっている1台の真っ黒に焦げた車の映像が浮かんだ。


当然、私の愛車であるかどうかなど確認できないほど変わり果てた姿だ。


「もう、いいよ。とどめ刺すなよ。」


もう、死人に蹴りを入れるような真似は止めてくれ。


その事故が自分の事故かどうかなんてもうどうでもよかった。


何より自分の事故現場のものかもしれない映像をこれ以上見たくなかった。


リモコンを取ると私はチャンネルを切り替えた。





しばらく興味のない番組を見たり切り替えたりしていると


妻が二階から降りてきた。


「あれ、早いね?休みなんだからもっと寝てればいいのに。」


いつになく、優しい言葉をかけられる。


「あぁ、もう習慣になってる。」


大嘘である。


いつもアパートでは朝食の時間も犠牲にしてギリギリまで寝ている。


実際、早く起きても朝食など無いのだが。


「そう。」


それを知っているはずの妻も突っ込まない。


微妙にいつもと違う。


洗面所に行って・・・・・・顔を洗ったのか髪を治したのか何をしたのかよくわからないがまだボサボサの髪で妻はキッチンに立って朝食の準備を始めた。


“そうそう、これが本日、一つ目のプラン”


そう心の中で思いながらテレビを見ている振りをしてチラチラと妻の料理をしている姿を見る。


私と妻の二人分だけ味噌汁とご飯をよそった茶碗を食卓におこうとする妻に、


「せっかくの夏休みだから、俺がいる間だけでも皆で食べよう?」


と提案してみた。


“俺がいる間か・・・・・・恐らくこれが最後の朝食。”


意外とすんなりと妻は受け入れ二階に向かって叫ぶ


「ご飯だよー!!!」


聞きなれた掛け声が家の中に響く。


間もなく目をこすりボサボサ頭の息子が順番に二階から降りてくる。


黙って二人共洗面所で顔を洗って眠そうに食卓につく。


“そう、これでいい!”


何も飾らない、面倒くさそうに食卓につく子供達を眺めて満足する。


たまにしかやらない手を合わせて


「いただきます。」


と言うと私は味噌汁の入ったお椀を手にした。


人参、ナス、カボチャ・・・・・・


これでもかと野菜を入れられた味噌汁。


少ない汁から大量の野菜が顔を出している。


いつぞや妻が言っていた


「うちは野菜は朝、沢山食べているから。」と、


それを証明する量の野菜達。


私の結婚前のお願いのひとつに


“朝は和食で、味噌汁で!”というのがあった。


いつの間にか、出来れば、たまにはワカメやナメコなんかも嬉しいな?


と思う日も少なくないくら毎日、野菜汁になっていた。


でも、今日はこれが食べたかった。


むしろ、これでなければいけなかった。


思い通りの味噌汁に、私は箸をつけた。


普段だったら“またこれ!?”と思う味噌汁が途方もなく上手い。


“絶対に忘れない。”


そんな気持ちで味わった。


おかずは案の定、目玉焼き。


結婚して、365日出てくる目玉焼きに私は早々に飽きて拒否した。


「俺、もう目玉焼きは飽きたからいらんわ!」


と断った。


翌日から、新しいおかずが出るかと思いきや単純に私のおかずが1品無くなっただけだった。


あの日以来、私の朝食は2皿。


ご飯と、野菜たっぷりの味噌汁・・・・・・のはずが。


何の間違いか今日は私の前に目玉焼きがある。


週末の朝には3つしか並ばない目玉焼きが今日は4つ並んでいる。


いつ以来の目玉焼きか。


私の分を忘れることはあっても作りすぎることはめったにない妻だが一体どうしたことだろう?


しかし、私は何も聞かずそれをたいらげた。


最後だからか、久しぶりだからか妙に上手い目玉焼きだった。


子供たちもいつもの様子で眠気をひきずりながら食べる。


食事作法だけは厳しく教えたつもりだ。


箸の持ち方、茶碗の持ち方、魚の食べ方。


眠そうでもちゃんと出来ている・・・・・・魚は無いが。


私はそれを見ながら、空になった自分の碗を置いた。


一人先に食べ終えたが皆が食べ終わるのを黙って見守った。


“大丈夫、これなら何処に出ても恥ずかしくはないだろう・・・・・・”


長年の自分のしつけの成果を見守りながら皆が食事を終えるのを待った。


先に食事を終えた謙斗が食器を流しに持って行った。


続く幸太も同様に。


皆の食事が終わると私は口を開く。


「よーしっ、聞け!今日はこれから大掃除な!」


皆が私を見る。


「は?」


と口にした謙斗も私が恐いせいかそれ以上何も言わない。


これでも意外と亭主関白をとおしてきたつもりだ。


時には恐い親父でやってきた。


だから、私がこうと言ったら反論できない。


それを知っての提案・・・・・・命令だが。


予想外なのは妻が何も反論しなかったことだった。亭主関白は何処へ行ったのか

妻が反対したら覆るのが私の意見。


そこはラッキーぐらいにしか考えていなかった。


妻の心中を考えることなく・・・・・・ 。


それから後は昼まで子供たちは私の奴隷となった。


私がやり方を指南しながら換気扇、便器、お風呂の排水口に至るまで全ての掃除を子供にやらせた。


全て普段は私がやっている役目だ・・・・・・亭主関白は何処へ行った。


皆、いや私以外は汗だくでやった。無理もない、本来なら年末の大掃除でやるメニューでもあるのだから。


私も暑いが汗が出て来ない。涙は出るのに汗は出ない。


それに意味があるのかわからないがおかしな体だ。


「そうだ、これも換えてみよう」


私は洗面所の照明を指さした。


思わず言った“換えておこう”ではなく“換えてみよう”に気が付かれず安心した。


「は?まだ点くよ。」


謙斗が不思議そうに聞く。


「いいんだよ、少し暗くなってきていたからね。」


勿論、嘘だ。


一番背の高い謙斗を椅子に載せて照明のカバーを外し、次に蛍光灯を外させた。


「ほら、ここに書いてあるのと同じのを着ければいいからね。」


そう言うと私は蛍光灯に書かれた数字を見せた。


幸い我が家に予備の蛍光灯があったため、それと交換させた。


「よし、男子たるもの電気の一つくらい交換できんとな。」


大袈裟ではあるが実際、妻には出来ないのだ。


私のいなくなった後は子供たちが戦力だ。


“だから換えてと練習したんだよ。“


一通り、普段の私の役目から今日、指南できるものはしたつもりだ。


それらを、暑そうに、そして面倒くさそうに嫌がりながらも続ける子供たちに


「後で、バイト代やるから!」


と無理矢理、褒美でつりながらがんばらせた。


亭主関白は何処へ行った・・・・・・餌をチラつかせないとついてこない。


予定の3分の2程度終った所で昼を迎えた。


妻の得意な親子丼を皆で食べる。


流石に暑い中こき使った甲斐があっていい食いっぷりだ。子供たちは飲み物のように丼ぶり物を口の中に流し込む。


連日のそうめんにも飽きていたのかもしれない。


食べ終わると子供たちに残りの掃除を指示して妻に言う。


「晩飯、俺が作るから買い物に行こうよ?!」


何の異論もなく妻は付き合ってくれた。





燃費がいいからと、妻の軽自動車でいつものスーパーへ。・・・・・・もっとも私の車は無い。


一緒に乗るときは普段なら私が運転する役目だが事故で免許証も失ったからという理由で妻に運転を頼む。


試す気はないが、もし私が運転しようとしたら出来たのだろうか?


スーパーに着くとカートにカゴを乗せいつものルートで店内を巡る。


「何作るの?」


「いーから、任せといて!」


そう言いながらも材料をカゴに入れていくうちに嫌が応でも見当がついたようで


「夏に?」


妻がメニューを察して驚きを交えて聞く。


「いいだろ?俺が食べたいんだから?」


そう答えるとそれ以上、妻は何も言わなかった。


レジを出ると材料を袋に入れて私が持つ。


これもいつもの姿。


妻に重いものは持たせない。


結婚する前からの習慣だ。


今、この荷物は周りの目にはどう映ってるかなんてもうどうでもいい。


先に歩く妻を見ながら。


“これが最後の買い物だな。”


最近では夫婦で過ごす時間は買い物くらいのものだった。


もっと、いろいろ連れて行きたかった。


新婚旅行は海外に行った。次は何処の国へ行こうか計画する間もなく謙斗ができた。


行き先は海外から国内の動物園や水族館にかわった。


しかし、全く不満はなかった。何処であろうと家族で行く旅行は楽しかった。


それは勿論、幸太が加わってもかわることはなかった。


どんな場所でも子供たちは私たち夫婦を楽しませ幸せを与えてくれた。


子供のためにと連れて行った動物園や水族館だが親の方が沢山の思い出を与えられた。

それが野球にかわり、今では部活や私の単身赴任もあってせっかくの休みも何処にも行かない。最後の遠出は何時、何処に行ったのか思い出せない。


“いや、言い訳だな。”


子供が部活なんて何処の家もそうだ。単身赴任だって珍しいことじゃない。それでも旅行や観光や遊びに行く家族はちゃんと時間を作っていっている。結局それを言い訳に何処にも行かず家でのんびりしていただけだ。


夫婦揃って、お互い出不精なこともあり、いつも家でテレビやビデオや・・・・・・


しかし、それがしょうにあってこいつと一緒になったんだから当然といえば当然か。


妻の後ろ姿を見つめ、随分と様変わりした後ろ姿を見ながら歴史を感じつつ、


「もう少し痩せたら次の相手もみつけられるかな?」


などと考える。


本当は嫌だがまだ先のある妻には幸せになって欲しい。


これから私がいなくなって、この小さな肩には沢山の負担がのし掛かるのだろう。


今のようにソファでオブジェになれる時間も大幅に減るだろう。


でも、苦労や悲しみ後に喜びが待っているとしたら、無責任な私の代わりに誰か幸せにしてくれる人が現れたらそれはそれでよしと認めなければ。


“想像はしたくないけど・・・・・・。”


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る