17. メッセージ
どれくらい涙していただろう。
私はパソコンの電源を入れたまま
真っ赤な目をして書斎を出た。
そのままそっと寝室のドアを開ける。
すっかり時間は経っていたようで、真っ暗な部屋に2つあるベッドの1方では既に妻が寝ていた。
私は隣にある自分のベッドに腰をかけると妻の方を見た。
妻は反対方向、私に背を向けて寝ている。
いつもなら、もう少し、いや、むしろうるさいくらいの寝息だが
今日は、わりと静かな寝息の気がする。
そのまま暫く妻の姿を眺めていた。
“もし、生まれ変わりというものがあったら私はまたこの人と結婚するのだろうか?“
それ以前に、妻はまた私を選ぶのだろうか。
最近では二人で出掛けることもなくなり会話も随分減った。
週の5日もいないのだから、とりたてて私が必要という状況も少ないだろう。
以前は、子供の野球に行って、子供のプレーに
一喜一憂して、家でもその話で盛り上がったものだ。
今は食事のときに少し会話するくらいで、妻はいつもソファで寝るかテレビを観ている。
“お前は、今幸せか?俺と結婚して良かったのか?“
そんな問いを背中から無言で投げかける。
勿論、妻は相変わらず静かな寝息で眠っている。
“幸せにします”
なんてとんだ大嘘をついて結婚してしまった。
まず、幸せに“した”のではなく“してもらった”方だ
そして、早々にリタイアする時点で大嘘つきだ。
テレビでよく聞くアンケート調査にこんなのがある。
「あなたは、生まれ変わっても同じパートナーと結婚しますか?」
そんな質問をしている番組をたまにみかけることがある。
もちろん、答えは人それぞれだ。
だけど、その質問には大きな
結婚して子供を持っている夫婦の場合はこの質問の意味は大きく変わってくる。
今のパートナーを選ばなければ、
その後の我が子も存在しないということだ。
パートナーを否定できても、我が子を否定できる親なんて殆どいないだろう。
“私の所に生まれてきてくれてありがとう”
実際、何十、何百回と私も我が子に対して心の中で呟いた。
つまり、この妻と結ばれなければ謙斗にも幸太にも会えない。
子供という大きな人質を取られ他の人を選べるのだろうか?
じゃあ、何も知らないとしたら?同じパートナーを選ぶ?
と聞かれたら、結局何も知らなければ同じ流れで妻と結婚している気がする。
そして、それ以前に私と妻の父親と母親、その前のじいさん、ばあさん・・・・・・
ずっと、さかのぼって全ての先祖が同じ相手を選ばなければ私と妻も、謙斗も幸太もいない。
そんな大きなことを考えてアンケートに答えている奴もいないんだろうが。
でも、それは紛れもない事実。
いや、例え生まれ変わってこの妻と再び結ばれるとしても、今日の昼にはまだ縁側に親父は寝転がっていたし、何より私を産むべき母もまだ健在だ。歴史が繰り返されるとしても、再び同じパートナーと結ばれるとしても当分先の予定。その間私は何をしていれば?数十年先に生まれ変わるまで私はあの世でどう過ごすのだろう?
“気持ち悪り・・・・・・”
答えのでない大きな妄想に気分が悪くなった。
そういえば以前何かで「生まれ変わりは天国に行った人の魂のみができる。」と言っていた。その時は「最近の出生率が下がったのは地獄へ行く人が増えたからか。」などと冗談で言っていたがそれが本当だったとして私が天国に行く保障などまるでない。勝手に思っているだけだ。
妻の背中を見ながら“怒った時は鬼のようだったけど、この人は大丈夫だろう。問題は俺か・・・・・・”と不安になる。
できれば今日一人溺れている子を助けたのことを時間外労働ではあるが査定にいれて貰えればと考えてしまう。
妻の鬼の形相と反対の優しい笑顔も思い浮かぶ。
最近はお互い休日はどこにも行かずダラダラ過ごしているが、私だって退職したら二人で旅行に行ったり、美味しいものを食べに行ったりと二人で過ごすプランを考えていないわけではなかった。楽しみにしていないわけではなかった。思い浮かぶ妻の笑顔を自らダメにしたことが本当に悔しい。
生まれ変われるのかも、先に逝ってどれだけ待つのかもわからいけど、ただ今言えるのは俺はやっぱりこの人を選ぶだろう。
また、この家族で暮したい。
あの子たちに私の所に生まれてきて欲しい。
そう、気づかされるのに十分な一日を今日は送らせてもらったから。
私はゆっくりと立ち上がった。
相変わらず一定すぎるリズムで寝息をたてている妻に向かって
「感謝してるよ、一緒になってくれて。謙斗や幸太に会わせてくれてありがとう。それから・・・・・・ごめんね。」
もっと言いたいことや伝えたいことは沢山ある。
結婚してから、いや、出会ってからのことを振り返れば感謝の言葉にキリがないくらい。
その時間も与えてもらえたはずなのに上手く言葉が出てこない。
「何を言ったら良いのか・・・・・・、ありがとう、本当に。」
普段は
感謝の言葉以外、思いつかない。
それを、ささやくように声にした。
そして深く、長く頭を下げた。
死んでから頭を下げてばかりだ。
でも、他の表現が思い浮かばない、感謝の表し方が。
それからそっと寝室を出た私は謙斗の部屋に向かった。
*
部屋のドアの隙間から明かりが漏れている。
コン、コン
小さくノックした。
物心ついた、思春期の息子の部屋だ。
特に深夜はドアを開けるのに注意が必要だ。
返事が聞こえないのでそっとドアを開けた。
ベッドでスマホを握り、口をあけて寝ている謙斗が見える。
流石に釣りやら溺れる人を助けたりやらといろいろあった一日で疲れたのだろう電気も消さずにベッドで寝オチした感じだ。
高校生にして身長はすでに私より大きくなったが寝顔はまだまだ子供だ。
思わず微笑んでしまう。
そっと頭を撫でようと手を伸ばして手を止める。
寝顔が子供でももう、高校生だ。
”起こしたら気まずいしな。”
明かりのついたままの部屋を見渡す。
壁に掛かっていたワンピースのカレンダーも今ではアイドルグループのカレンダーに変わっている。
それもそうだ、ワンピースのカレンダーは5年も前のことだ。
いつの間にか興味も随分変わったものだ。
思えば野球が学校の部活になってから、謙斗の興味の矛先が何であるか殆ど関心を抱かなかった。
この先、このカレンダーはどう変わっていくのだろう?
今更、関心を持っても私にそれを見届けることはできない。
“ところで、お前、逆上がりできるようになったのか?”
不意に嫌味な質問を寝顔に向かって投げかけて、笑ってしまった。
こんな嫌味を言うから最近は煙たがられてたのかもな。
“お前が生まれたのと同時に我が家に父親と、母親が生まれた。16歳・・・・・つまり、俺も父親16歳。お前は立派に成長したけど父ちゃんはどうだったかな?もっとも、明日いなくなる俺が立派な父ちゃんなわけないよな。“
“16歳か・・・・・・”
さっきの写真の中ではサルみたいだったのにあっという間に大きくなって。
“お前はどんな女性を連れてくるのかな?そん時の母ちゃんどんな顔するのかな?やっぱり息子に妬きもち妬くのかな?結婚式で親父のスピーチしてやりたかったな。お前のいい所、沢山知っているのに・・・・・・。”
謙斗を目の前にすると叶わなかった夢が次々に思い描かれた。
今は昨晩のような漫画や映画の最終回ではなく、子供の未来が見たくて仕方がない。
起こさないようにドアに向かうと
そっと電気を消した。
それから振り返り謙斗の寝ているベッドに向き合った。
「無責任な父ちゃんでごめんね。俺の子として生まれてきてくれて、この家族を選んでくれてありがとう。出来るものなら上から見てるからな、母ちゃんを頼むよ。」
そう小さく言って静かにドアを閉めた。
*
続いて向かいにある幸太の部屋のドアをあける。
さすがにこっちは真っ暗だ。
いつも夜は10時には寝てしまう、幸太。
2、3歩進むと足が何か硬いものにあたる。
床に置かれた小さなテーブル。
いつも幸太はこのテーブルに肘をついて、私のお下がりの古いスマホで動画を見ていた。
将来YOU TUBERになりたいと・・・
そんな職種の存在も幸太から初めて教えてもらったのを覚えている。
“でも、こんな所にこのテーブルあったかな?”
暗い部屋の中で廊下から入る明かりを頼りに辺りを見渡す。
いつも幸太が寝ていた場所には勉強机があった。
代わりに勉強机のあった所にはベッドがあり幸太が寝ている。
“また、模様替えしたのか。”
私に似ず、部屋の配置をコロコロ変える。
いい意味でマメだが、そんな幸太の飽きっぽさが心配になることもあった。
しかし、その心配とは裏腹に学校の成績は優秀だ。
学期末に見せられる成績表には私の子供のころには見たこともない成績がそこには記されている。
「よし、このまま頑張れ!」
がいつも成績表を見た後の私のセリフだ。
自分ではとったこともないような成績を見せられアドバイスなど出来るはずもない。
妻と話しても既に夫婦の子供の頃の成績を遥かに
“まったく、誰に似たのだか・・・・・・。”
嘆きではなく、喜びから出てくる私と妻の学期末の恒例の言葉だった。
まさに、
そっと幸太のベッドに近寄る。
“フッ、やっぱり、まだまだガキだな。”
掛けていたであろう、タオルケットを蹴飛ばし腹を出して寝ている。
幼稚園の頃、運動会のかけっこではヨーイドンを待たずに駆け出す幸太を心配していつも先生が幸太の横についてフライングを必死に抑えていた。
ダンスを撮影していたはずがビデオカメラに写るのはいつも後半に友達を突き飛ばし相撲が始まる幸太の発表会。
小学校になっても運動会では壇上に立つ人の話を聞くより地面の砂をいじくってる時間の方が長かった。どんな子に成長するのか本当に心配した時もあった。
ポタッ、ポタッとフローリングに水滴が落ちる。
謙斗より幼い分、簡単には起きないと思ったのか。
幸太の前では我慢がきかない。
“面倒かける子ほど、可愛いものだ。”
誰の言葉だったか分からないが全くだ。
成績は優秀だが、やっぱり私の一番の心配はお前だ。
次男ならではの、ずる
何事も要領よくこなすが今ひとつ何事にも夢中にならない。
野球においても毎日、素振りをしろと言えば毎日素振りをしてはいたが、目的は素振りをすることであってバッティングの上達ではなかった。言われたことはちゃんとやる、しかし、言われたこと以上のことはやらない。
だからと言って「ホームランを打て!」と言っても打てるものではなかったが。
あくまで身の丈にあった注文に関しての話だ。
何事にも今ひとつ熱くならず、一歩引いたところから客観的に物事を観る。
どこかで自分はいくらやってもここまでだと分析している。
無謀なチャレンジ、無駄な努力は試みない。
大人になればそれも必要なことだ。
しかし、今は目の前のことに後先考えずに夢中になってほしい。
子供らしく・・・・・・
幼かった頃の幸太からは想像もできない真逆の心配を今はしている。
そう、思ってじっと顔を見る。
我慢が出来ずに頭をクシャクシャと撫でた。
「んーー!」
眉を潜めて不機嫌そうに体を私と反対に向ける。
“な?やっぱりガキだ?”
起きない幸太に改めてそう感じた。
私は床の上にできた水たまりを足で広げた。
“幽霊のいた跡が濡れているのはこういうわけか・・・・・・”
自分が幽霊になってよくわかる。
幸太を眺めながら心の中で呟いた。
“ごめんね、お前は父ちゃんとの思い出が一番少ない。伝えるべきことも一番伝えられてない。勉強だけじゃ無いんだよ。人にはもっと大切なことがある。それは父ちゃんが教えなければいけない、教えたかったのに・・・・・・”
まだ、小さい頃に単身赴任で家からいなくなり、あげく最後は事故ってそのままいなくなる。
幸太の記憶に私はどれくらい残っているのだろう。
考えるのが怖かったが今日の釣りもまた神様の不思議な力が働いて皆の記憶から消されたらせっかく、最後に作った私との思い出も消えてしまうのではないかと心配なった。
子育てを途中棄権する申し訳なさがこみ上げてきた。
無邪気な寝顔にもはや、言葉が出てこない。
この場に膝をついてベッドにしがみついて泣き出しそうだ。
「何もしてやれず、勝手に死んだ父ちゃんを許してね。そして、沢山の楽しい思い出を、幸せを俺にくれてありがとう。これからお前が何に興味をもって、何に夢中になるか見届けたかったし、楽しみだ・・・・・・。」
もう、最後は喋れなかった、呟くことすらできなかった。
両手を握りしめて嗚咽をこらえるのが精一杯だった。
耐えられなくなり、そっとドアを閉めて出た。
*
呼吸を落ち着かせ鼻水と涙が少しはおさまった所で再び寝室に戻った。
妻の寝息は先程とは異なりグレードアップしていびきに近い大きな音をたてていた。
その横の自分のベッドに横になりタオルケットを胸までかけて天井を見つめる。
“おそらく、残された時間は明日のみ。”
そう、自覚しながら他にやり残したことはないか考えたが今日できることは全てやった。
後は明日に・・・・・と考えながら目を閉じた。
“明日は・・・・・・をやって・・・・・・”
“その時を迎える前に家族には説明した方がいいよな?どうやって説明しようか・・・・・・”
様々なことが頭に浮かんできて一向に眠くならない。
それでも、しばらく考えて全ての問題に答えを出す前に、いつの間にか私の意識は失われていた。
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