16. 本心


家に着くと皆、思い思いの行動につく。


子供たちは二階の自分の部屋に。


妻はやはりソファのオブジェに。


私はシャワーを浴びた後、冷蔵庫を開けビールを取る。


「まだ、飲むの?」


とあきれ顔で言う妻の声に


「全然、酔ってないよ。書斎で仕事してくるね。」


と答えてビールを手に二階に上がった。


仕事・・・・・・正直そんなものある訳ない。


いや、例えあったとしても、もはやどうでもいいことだ。


そんなことより、私にはやるべきことがある。


書斎に入るとデスクトップのパソコンの電源を入れた。


フーーン・・・と言う音とともに画面が明るくなる。


家具店で、幾つも座ってようやく見つけたお気に入りの椅子に座り、ビールを飲みながらパソコンが立ち上がるのを待つ。


「楽しかったな。」


今日の釣りを振り返って思わず呟いた。


私の中にはもちろん、子供たちにも今日の日のことはしっかりと胸に刻まれたであろうか。


“いや、私の中に刻まれる必要はもうないか・・・・・・”


楽しかった満足感に水を刺さないようにそれ以上考えるのは止めて作業に移る。


ログイン画面が現れるとパスワードを打ち込む。


モニターには見慣れた家族写真の壁紙が映し出された。


「さてと。」


私は深く座っていた椅子から身を乗り出すと、まずワープロソフトを立ち上げた。


死んでからやる活動を果たして“終活しゅうかつ”と呼べるのかわからないが、やるべき終活がある。


真っ白い無地の画面が目の前に広がる。


「フーッ。」


一度深呼吸をして、キーボードに向かう。


<あああ・・・>


自分ではそう打ったつもりで“A”のキーを数回打つ。


画面には何も現れない。


今度は適当にいろいろなキーを叩く。


反応しない。


故障?このタイミングで?


考えにくい。


「そう、きたか。」


次に表計算のソフトを開いて


同様に文字を打つ・・・・・・


やはり出ない。


「なるほど。」


続いてインターネットを開く。


・・・・・・サイトは開くようだ。


検索欄に文字を打つ。


<お盆 いつまで>


画面には検索に引っかかったサイトがずらりと並ぶ。


“これは、行けるのか。”


上の方にあるサイトを適当に開いてみる。


<お盆とは・・・・・・>


今更ながらだが自分の考えが正しければ・・・・・・サイトから改めてお盆の期間を詳しく調べて自分のタイムリミットを確認する。


<送り火を行う日は地方によって違いがある・・・・・・>


“フムフム、15日に送り火を焚く所や、16日に焚くところ・・・・・・マジか!15日に送られていたら、俺、今日死んでるじゃん!!ラッキーだったな。”


死んでいるのに何が今更ラッキーなのか、もはや滅茶苦茶な思考だ。


でも、何故サイトは見れるのか?


・・・・・・少し考えて、一つの推測が浮かび画面の履歴を開いて見る。


“やっぱり。”


履歴欄には今見たものの表示はない。今日の表示は存在しない。


少しルールがわかってきた気がした。


つまり、これから先の、何か痕跡が残るような作業はできないようだ。


私は昨日の宅配便のことを思い返した時に一つの推測があった。


もしかしたら、私はあの配達員に会えない、いや会わないようにドアが開けられなかったのではないだろうか。あそこでドアをあけたら配達員から見たら誰もいないのにドアが開いたわけだ。不思議な出来事に遭遇してしまう。100歩譲って奥から寝ていた妻が出て来て対応したとしても、目の前の私の姿が見えるの見えないのと配達員と討論を繰り広げたかもしれない。それ自体がすでに起きてはいけない事象。それすら起こさせないためにあの時玄関のドアが開かなかったと考えると、すんなりと納得できてしまった。


だから、“もしかしたら”とこうなることは少し予感していた。


しかし、もし文字だけでも打てれば、家族にメッセージや手紙を残せると思っていた。


例え保存ができなくても、そのまま電源をいれておけば、後で読んで貰えるかもと。


それを文字すら打たさないとは・・・・・・甘かった。


「なかなか、ITに強い神様ですね。遺書も書かせてもらえませんか。」


それが神の所業か仏の所業かわからないが、私が仏なのだからきっと神様だろう。


感心しながら椅子に持たれて暫く天井を見上げていた。


メールなら?メールで送るとか・・・・・・FACE BOOKに残すか・・・・・・それとも、LINEなら?!


いや、神様に挑戦するのはもう、やめよう。


せっかく、この状況を与えて頂いたというのに。


本来、事故死というものは突然やってくる。


当然だ。自殺願望でも無い限り誰も事故など起こしたくない。


その場合、残された家族や大切な人に何も・・・・・・メッセージも残せないし最後の思いも伝えられない。


病気で亡くなる人を幸せとは思わない。しかし少なくとも準備はできる。


やり残したことを少しでもやり、伝えたかったことを伝える時間や方法をとれる。


そういう意味では、事故死にも関わらずこんな時間を与えられたことに感謝して、あらがうことはもうやめよう。


私はそう考え、再びパソコンに向かった。


ひとつ目のやりたかったことは無理だったが、もうひとつやることがある


<2つ目のやるべきこと>


を始めることにした。


男の、特に大人のパソコンの中は夢と野望と冒険で溢れているものだ。


全員が全員とは言わないが健全な男のほとんどが、そのはずだと私は信じている。


かく言う私もそれに漏れない。


ネットと言う大海原に航海に出た記録・・・・・・ログ。


そこで集めたお宝・・・・・・戦利品。


スルスルと矢印を意中のフォルダに合わすと右クリックから


“削除”を選ぶ。


この期に及んで最後のクリックに躊躇ちゅうちょしてしまう。


そんな自分に少し笑いながらクリックする。


同様に幾つかのフォルダを削除した。


”それからゴミ箱の中も忘れず掃除っと・・・・・・”


でも、これも思ったとおり。


誰にも知られてないこと、誰にも気が付かれないことはできるようだ。


このパソコンの中に“これら”の物があったことは私しか知らない。


だから、これを削除しようと何も未来は変わらないということだろう。


しかし、家族の誰かがそれを知っていたら削除できなかったであろう。


正直そこは少しドキドキだった。


夢と野望の戦利品を抹殺した後は冒険のログを消さなければ。


思えば昔はネットの世界に冒険に出て随分、痛い目にあったこともあった。


対価を支払ったのも今は昔。


若い頃はいくつかのボッタクリ島にも漂着し、大きな代償を支払うこともあった大航海・・・・・・


しかし、今は私の “ファンタジー巨編” を語る時間は無さそうだから本線に戻そう。


インターネットを開くと履歴と、お気に入りを綺麗に・・・・・・


いや全て消しては逆におかしい。


少し、いわゆるまともな履歴を残して


削除、削除、削除・・・・・・


さながらキラ気分でDeleteしていった。


”・・・・・・ざっと、こんなものか。”


犯行後の犯人さながら痕跡を残さず綺麗に証拠は消したつもりだ。


“後は・・・・・・”


私はログインパスワードを初期化して誰でも使えるように設定した。


“これで、 <俺のパソコン> から <みんなのパソコン> になったな”


一通りの“やるべきこと”を終えて


全てのアプリケーションを閉じると椅子に持たれてパソコンの壁紙に映った家族を眺めていた。


画面に映っている壁紙は家族で行った<USJ>の写真だった。


謙斗も幸太も小学生・・・・・いや、幸太は幼稚園だったかな。


随分、昔に感じられる。


かかりの人か、道行く人かに撮ってもらった4人の写真。


“入場口だったかな?”


今よりはるかに小さい謙斗と幸太。


今よりスリムで若い妻。


今より若々しく髪も多い・・・・・・私のことはいい。


でも、みんなこれから入るUSJをよほど楽しみに思っているのか本当にいい笑顔だ。


思えばこんな昔の写真を壁紙にしなければならないくらい


あれから、何処にも行ってない気がする。


”きっかけは謙斗の逆上がりだったかな・・・・・・。”


体育の授業で逆上がりが出来ない謙斗を私は週末に単身赴任先から帰ると公園の鉄棒で毎週のように猛特訓した。


泣き出す謙斗をおかまいなしに練習させた。


いつの間にか、一緒に連れて行った幸太は、その横の一段低い鉄棒で逆上がりをクルクルと回っていたものだ。やはり次男は要領がいい。


そんなある日、私の単身赴任先のアパートに謙斗から手紙がきた。


手紙の内容を短くまとめると“野球をやりたいです!だからもう逆上がりは許してください。”といった内容だった。


かねてから野球をやってほしいと切望していた私は大喜びして、逆上がりのことなど頭から消し飛んだ。


・・・・・・それが、始まりだった。


謙斗が野球を始めて2年後、“僕はサッカーがやりたい”と言う幸太を


無理矢理、ゲームで釣って野球をさせた。


今では二人共、すっかり野球少年になってくれた。


それからの家族は野球中心の生活だった。


週末、祝日は練習や試合。


どこかに行く暇などなく家族で野球だった。


・・・・・・でも、いつも一緒にいた。


旅行や観光はできなかったが、いつも同じ時間、同じ場所で、同じ目的に向かっていた。


悪くない時間だった。


刹那せつなのように過ぎた時間だった。


そんなことを思いながら画面にある日付を記したフォルダに矢印を当てる。


その中でも、とりわけ古い日付に合わせる。


カチカチとフォルダを開き、またその中にある古いデータをクリックする。


いきなり、裸でふやけまくたったサルが体にタオルを巻かれた写真。


いや、謙斗だ。


おどおどしながら、恐る恐る立ち会った妻の出産。


産まれて泣き出した謙斗に我を忘れてシャッターを切っていた・・・・・・


と担当した助産婦から妻が聞いた話だ。


矢印をカチカチ送り写真を眺めていく。


初めて私と謙斗のツーショットが出てきた。


我ながら下手な抱き方だ。


“何を怖がってんだよ。”


怖がりながら下手な抱っこで謙斗を抱く自分の写真に突っ込んでしまう。


でも、満面の笑みを浮かべた嬉しそうな私がそこに写っている。


この時、謙斗の顔を見て言った言葉は今でも覚えている。


ありきたりかもしれないが・・・・・・


「はじめまして、私がお父さんです。これからよろしくおねがいします。」


正直、自然と出た言葉ではなく、少し考えていた。


でも、いい言葉だったな。


今更、自画自賛する。


“→ ” 矢印を押して何枚も写真を送っていく、


妻が撮ったのであろう恐ろしいまでの写真の枚数だ。


しかし、一枚一枚、全て覚えている。


いつどんな時、どこで撮ったのか。


それを見ながら何度も吹き出したり、にやけたりを繰り返す。


「ズズッ・・・・・・」


何十枚も見て、終わっっては次のフォルダを開く。


ようやく幸太が写真に初登場する。


幸太の時は立ち会えなかった。


分娩室の前でばあちゃんにおんぶされる謙斗と一緒に右往左往しながら待っていた。


“・・・・・・俺、幸太に何て挨拶したかな?


でも、無事に産まれてくれて、ありがとうと言ったのだけ覚えている“


“こいつは自分の弟だとちゃんとわかっていたのかな?”


不思議そうに生まれたばかりの幸太を覗き込む謙斗との初めての兄弟ツーショット。


「ズズゥ・・・ズッ・・」


写真を1枚、また1枚と眺めながら送り続けた。


今では元気な二人だが幸太が2歳の頃の入院した時の写真が出てきた。


川崎病っていったかな・・・・・・結構な病気だった。


凄い熱が毎晩出て妻と私は交代で病院に泊まった。


幸太の狭い檻付きのベッドで私も一緒に寝たものだ。


夜な夜な起きては点滴のせいで頻繁に濡らすおむつを替えたものだ。


高熱で苦しそうに寝ている幸太の手を握り


“神様助けてください、私の命と交換してでも・・・・・・”


毎晩そうお願いしていた。


今思えば、この時も家族がひとつになっていた。


お見舞いにくる謙斗はいつも折り紙で何かしらを折っては


ベッド越しに幸太にプレゼントしていた。


「ズズゥ・・・ズズ・・ズ・・・・・・」


もはや鼻を吸うだけでは鼻水が止まらない。


いや、それ以前にキーボードの辺りには水たまりが広がっている。


死人でもこんなに涙が出るものなのか?


私はてのひらでキ-ボードの周りの涙を拭いた。


涙は拭くというよりただ広がっただけだった。


そのまま、私は椅子から崩れ落ちて床に膝を付いていた。


下を向き流れ落ちる涙や鼻水は放っておいて、口を抑える。


「ウッ、ウッ・・・・・・」


必死で嗚咽おえつしそうな声を抑えていた。


「・・・・・・死にたくない。・・・ウッ。」


初めて、いや、やっと出た本心かもしれない。


むしろようやく、気が付いた気がした。


死んでいる私には的確ではない言葉かもしれない。


でも、やっと自分の本心がわかった。


昨晩は冷静に、素直に自分の死を受け入れていたとは思えない自分がいた。


どうしたら死なずに済むのか?どうしたらここに残れるのか?どうしたら、家族といられるのか?


そんな手段をかんがえるのではなく、


只々、ここに居たい、もっと家族と一緒に居たいそう強く願った。


“神様、頼むよ・・・・・・。”


私は無神論者だ、普段は “神様” なんて言わない。


幸太の病気の時のように自分の力ではどうにもできず、どうしても助けて欲しい時はすがってしまうが乱用しない、“神様”なんて滅多に言わない、頼まない・・・・・・でも、今は助けて欲しいしすがりたかった。


願いを聞き入れて欲しかった。


私は誰もいない静かな書斎で写真を見ることを忘れ、ただ床にひれ伏して、声を殺して涙を流した。


神頼みを繰り返しながら。

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