15. 感謝


実家に着いた頃にはすっかり暗くなっていた。


「ただいまー!」


子供たちが口々に叫んで家に入る。


私はズブ濡れだった服を着替えると玄関先で今まで使用していた釣具を水で洗った。


今度はいつ使われるかわからない釣具だ。


でも、願わくばこれからも兄弟二人で、またその子供たちと使ってもらえたらと思い丁寧に洗った。


おふくろが玄関に出てきて私の横に置かれたバケツを覗き込む。


「どうだった?」


「あぁ、釣れたよ。あいつらが大分釣った。俺は1匹も釣れなかったけどね。」


「立派なキスだね?じゃあ天麩羅てんぷらにしようか?洋子ようこさんにも手伝ってもらおうかね」


またまた、紹介が遅れたが洋子ようことは妻の名だ。決してオブジェと言う名前ではない。


「ああ、よろしく。」


子供の頃からキスを釣ってきてはおふくろが天麩羅にしてくれたものだ。


私はそれが大好きだった。


一通り道具を洗い終えると家に入った。


子供たちはすでにリビングで今度はプロ野球の観戦をしている。


その光景を見て道具の後片付けもやらせるべきだったと少し後悔した。


妻はおふくろと一緒に台所に立っている。


「そう、そこをつかんで包丁を入れて・・・・・・」


妻が戸惑いながら不慣れな手つきでキスのさばき方を指南されている。


これで、これから子供たちがキスを釣ってきても妻が調理してくれるだろう。


少し微笑ましい光景を目にしながら、私は台所に入り冷蔵庫を開けると缶ビールを手にとった。


棚からグラスを1つだけ取り、客間に向かった。


ふすまを開けると昼間と同じ所に、同じ格好で親父がうちわを仰いでいる。


いつの間にかラジオは切れている。


薄暗い中、電気も点いていない。


“当然か。”


私は電気を点けることなく親父の横に座った。


昼間置いたグラスがそのままになっている。


しかし、昼間注いだはずのビールは無くなっていた。


そのグラスを見て私は少し微笑むと、空になったグラスにビールを注いだ。


「はいよ、冷たいの。」


そう言って親父の前にグラスを置く。


次いで持ってきた自分のグラスにもビールを注ぐ。


それから、ラジオをつけて局を親父のファンの球団のプロ野球中継に合わせる。


「なぁ、もう暑くないだろ?それやめたら?」


いつまでも、うちわで仰ぎ続ける親父に言う。


相変わらず、聞こえているのか、いないのか、


親父はゆっくりとうちわを動かす。


「まぁ、いいけど。」


グラスに口を当てながら暫く一緒に外を眺める。


「あっちの部屋にはいかないの?おふくろ普段はあっちにいるだろ?」


親父は黙ったままだ。


「ったく、素直じゃないね。心配してやってんだろ?」


“ 親父がどういう心境なのか、なぜここにばかり居るのかは来年になったら俺にもわかるんかな? ”


私はビールの入ったグラスを見つめながら話を続けた。


「そっちでも、親父に会えるんだろ?・・・・・・知ってもしょうがないか。なるようにしかならんもんね。」


網戸を通して庭先からかすかにコオロギの鳴き声が聴こえてくる。


「夜は少し涼しいね、もう秋が近いんかな・・・・・・さっきまで、皆で釣りに行っていたよ。いつも親父と行っていた場所でキス釣り。」


「みんな結構釣ったよ。俺は坊主、理由はわかるよね?でも、いつも親父はあんな風に俺たち兄弟を見てたんだなってよくわかった。」


相変わらず、うちわを動かし続ける親父。


「嬉しそうだったよ、魚を釣ったあいつら。俺も思い出した。親父と行って魚釣った時のうれしさ。」


それから少し間を置いて呟くように私は話した。


「すぐ近くに、いつでも行ける所にこんなに楽しい所が、楽しい事があったんだね。・・・・・・死んでから気づいた。」


私は微笑みながらビールを飲んだ。


「多分、明日までなんだろ?こっちにいられるの。親父も俺も。」


そのまま、相変わらずの無口な親父としばらく庭を見つめていた。


特に沈黙に気まずさはなかった。


しばらく静かな時間を親父と過ごした。


「ご飯できたよー!」


静寂せいじゃくを破り客間の入口から妻が覗いて声をかける。


「あぁ、わかった。」


私は振り返って返事をした。


「どうしたの?昨日から。妙にここ好きだね。」


「ん?あぁ、からね。妙にここ好きなんだ。落ち着くんだ、と違ってね。」


親父を見つめながら答えた。


「ふーん」


妻は不思議そうに首をかしげながら部屋から出て行った。


「やっぱり、あいつには親父見えないんだ・・・・・・じゃあ、俺も行くよ。明日は来ないから。残された時間、あいつらのために出来る事をする。親父にもらった時間を大切に使うよ!そっちに行ったらまた飲もうね。」


そう言うと立ち上がり部屋を出た。


部屋を出てからもう一度振り返り親父を見つめて“飲めるのならね”と心の中で呟いた。





食事はいつになくにぎやかだった。


「これ、俺が釣った奴じゃない?一番大きいし!」


「は?俺が釣った奴の方が大きいし!」


「俺が釣った奴は俺が食うからね!」


「は?じゃあ、父ちゃん食えねえし!」


「それじゃあ、ばあちゃんもだろ!」


どうでもいい会話の応酬。


「意外と楽しかった。また今度も行こうよ父ちゃん。」


幸太にしては珍しい反応とお願いだ。


「意外は余計だ。でも、そうだね・・・・・・また、今度行こう。」


“また今度”


本当なら実にいい響き。そう、また今度のある人には。


私は嬉しさと悲しさが同時にこみ上げて来たが、答えた表情に嬉しさの方は表現できなかった。


ただ心の中で”また今度はないんだ、ごめんね”と呟いた。


楽しい食事だった、この時間が永遠に続いて欲しかった・・・・・・。


しかし、食後の果物を口にしている最中さなかに、おふくろと後片付けをしている妻が無情にも宣告する。


「じゃあ、それ食べたら帰るからね。」


“わかってるよ、永遠なわけないよな・・・・・・。”


私は可能な限りゆっくりと最後の果物を食べた。





玄関でみんな靴を履いていると、おふくろのお決まりのお土産攻撃がはじまった。


「キュウリあるかい?ナスはある?」


「あ、ありがとうございます。」


少しひきつりながらも、いつも受け取る妻。


受け取ると、おふくろはうれしそうに笑う。


“いつも、助かるよ”


心の中でおふくろにではなく妻の心遣いに感謝する。


時には妻の料理のレパートリーではありえない食材を渡されても、妻はひきつりながらも受け取ってくれる。実際そうした食材のミイラを我が家の冷蔵庫で何体も発見したことはあるが、受け取った時に喜ぶおふくろの顔を見る方が、ミイラを発見する驚きに勝る。


「じゃあ、帰るね。明日は来れないから。」


私がおふくろに告げると横で妻が少し不思議そうに私を見る。


「あら、そうなの?残念ね。」


おふくろは残念そうな顔をする。


「ごめん。ちょっとやりたいことがあって。」


「それから、おふくろ、客間のラジオだけどお盆はいつも点けといて!」


「どうして?」


「なんとなく、あそこで親父が聴いている気がして。」


「あ、そうだ。」


私はズボンのポケットから電池を取り出して母に渡した。


「鳴らなくなったら、これで。」


「・・・・・・わかった。実は私もあそこにお父さんがいるような気がしていたから。」


“さすが夫婦!”とおふくろの言葉に少し感心した。


「まだーっ?早く帰ろーっ!」


幸太の帰りをせがむ声が外から聞こえた。


「それから、最近少し痩せたんじゃない?ちゃんと食べろよ。長生きしてもらわんと、こいつらのお年玉が減るだろ!」


「大丈夫だよ、この前の健康診断でも問題なかったし、まだまだお年玉あげられるようにしっかり蓄えてあるよ!」


「なら、安心した。ごちそうさま。」


「それから、。」


「何?」


「ごめんね。」 “ 親不孝な息子で ”


「何が?」


おふくろが不思議そうな顔をする、当然のことだ。


「何でもない、それから、そうめんはあんまり作りすぎんなよ!じゃあ、元気でね!」


私の言葉におふくろは呆れ顔で応えた。


「なんだい、それ?変な克己だね。おやすみでしょ!」


「ごちそうさまでした、おやすみなさい。」


私の横で妻が軽く頭を下げて挨拶した。


それから、私も頭を下げた。


ただ私は妻より深く長く頭を下げた。


それを見てまた妻が不思議そうに首をかしげた。


湿っぽいのは苦手だし、何よりおふくろにはこんな話は信じて貰えないであろう。


そして、あそこにいる父のことも伝えない方がいい・・・・・・何故かそんな気がする。


玄関を出ると、家の前で待っている子供たちを呼んだ。


「お前ら、ちょっとこっち来い。」


そう言うと庭の方に歩いて行った。


「なに、なに?」


何かいい物でもあると期待したのか幸太が喜んでついてくる。


「ちょっと、ここに並んでみて!」


「なんで?」


答える幸太に続いて、


謙斗も


「何で?」


「いいから、黙って並べ!」


そう言うと、子供達と妻を縁側の前で横一列に並ばせた。


庭に向かって片肘ついて横になっている親父の前に立たせた。


私にしか見えない親父の前に。


「何これ、何やってんの?何が始まるの?」


まだ、何かを期待してうれしそうに幸太が聞く。


「いいから少しこのまま立っててくれ。」


幸太と謙斗は顔を見合わせながらそこに立つ。


妻も何も言わずに横に並ぶ。


30秒?1分?


時間にしてどれくらいか分からないがしばしそこに家族が並んで立った。


そのとき、親父がそれまで動かしていたうちわをピタリと止めた。


ずっと遠くを見ていた親父の目が、私の方を初めて見た。


親父と目が合った。


私は親父の目をみて心の中で呟いた。


“親父、これが私の家族です。


あなたが繋いできてくれた命です。


あなたの息子が今日まで築いてきた家族です。


親父ほど長くはなかったけど、俺が必死で守ってきた家族です。


このすばらしい家族を持たせてくれてありがとうございました。“


そう呟いた・・・・・・心の中で。



「うわ、痒いー!蚊に刺された!」


幸太が叫ぶ。


「ごめん、ごめん。じゃ、行こっか!」


赤くなった目をごまかしながら、私はまとめる。


「はー、意味わからんし!」


ブツブツ言う幸太を無視して私は歩きはじめた。


去り際に見えた親父はまたパタパタとうちわを動かしていた。しかし、その顔は少し笑っていたように見えた。


歩きながら妻が少し不思議そうに聞いてきた。


「どうしたの?なんか今日の父ちゃん変だよ。」


「そうか?飲みすぎたのかも!?」


適当にあしらって歩き続けた。


わざと遅れて私は後ろからついて歩く。


私の前を3人が歩く。


高校生にしてとっくに私の身長を抜き去った長男。


“!!あれ?幸太の奴、母ちゃんより大きくなっているんじゃないか?”


妻の横を並んで歩く幸太はやや妻より背が高く見える。


妻は・・・・・・横には成長したか。


各々おのおの縦横に成長した家族を見て一人微笑みながら後ろに付いて帰った。


謙斗も今はヘッドホンなどせず幸太と釣りの武勇伝を語りあっている。


その姿もまた微笑ましい。





もう我家も目の前という所まで来たとき、すっかり暗くなった道で外灯のもと犬の散歩をしている一人の老人が見えた。


石田さんだ、霊の方の石田さん。


つまり、夕刻、私が助けた“あやさん”のおじいさん。


犬は・・・・・・太ったコーギーは、地面の匂いをクンクンと嗅ぎながらウロウロと老人の前を右往左往している。


そこにいる老人と犬には全く気が付く様子もなく先を歩く3人は横を通り過ぎてゆく。


じっと犬を見つめていた石田のじいさんは私が近づくと、私の方をみてにっこりと笑った。


今まで右往左往していたコーギーもチョコンとお座りをして私を見ている。


家族には見えない、その老人の前を私は小さく会釈して通りすぎた。


“ありがとうございました。”


“バウッ”


かすかな声で、小さくではあるが私の耳には確かに聞こえた。犬の方ははっきりではなかったが。


その声に振り返ると、石田のじいさんはもうコーギーに引っ張られ夜の道を散歩させられながら遠ざかっていた。


小さくなるその姿を見送りながら、私は微笑んで二人に、


いや、一人と1匹に向かって手を挙げて挨拶した。


残暑の生ぬるい風が妙に心地いい。


もしかしたら、私はこのために現れたのかもしれない。


石田のじいさんの強い願いで私は呼び出されたのかもしれない。


“なら、任務完了だね、じいさん。“


根拠も何もない。でも、そう考えるだけで妙な達成感と満足感があった。


挙げた手はいつの間にか親指を立てていた。


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