14. 恩人


釣果ちょうかに満足して初めての釣り談議に花を咲かせながら、もときた砂浜を戻る。


少し歩いた時、突然!


「あやーーっ!!」


「誰かー!」


「誰か、助けてーっ!」


何人かのただ事ではない叫び声が耳に飛び込んできた。


声の方を見るとさっきもいた女の子達が叫んでいる。


幸太の同級生の女の子たちだ。


その子達の視線はどう見ても、“誰か”ではなく、こっちを見ている。


3人の女の子が海の中に膝まで浸かった状態で、こっちを見て叫んでいる。


よく見ると、そのうちの一人の子は海を指差している。


指差すその少し先で不自然な、波とは異なる波紋やしぶき?が立っている。


「あやーーっ!」


女の子の一人が海面に起きているしぶきに向かって叫ぶ。


これだけで十分、もう馬鹿でも状況が理解できる。


「助けてくださーーーいっ!!」


今度は明らかに誰かではなく、こっちに向かって叫んでいる


その叫びを聞く前に、私は海に向かって走っていた。


手にしていた釣り竿をその場に放り投げ、サンダルが脱げたことも気にせず駆け出した。


繰り返しになるが、私は泳げない。


実際、我が子が溺れても助けられない私はそのような場面に出会わないように、二人の息子には小さい頃から水泳を習わせていた。


むしろ”父ちゃんが溺れたら助けてくれよ!”と冗談を言っていたくらい泳ぎだけはしっかり習わせた。


おかげで息子たちは学校選抜の水泳選手に選出されくらい泳げるようになり、溺れる場面にも出くわすことなく今日までこれた。


どう考えても今この場であの溺れている子を助けられるとしたら、私ではなく泳げる息子たちだろう。


しかし、だからといって「お前行ってこい!」などと言うわけない。


子供たちの前でカッコいい所を見せたかったのか?


目の前の死にそうな人を見捨てるような人間になってくれるなと手本になりたかったのか?


何が自分を動かしたのか初動の理由はわからない。


勝手に走り出していた。


私は泳げもしないのに真っ先に海に飛び込んで行った。


飛び込んでも泳げないからしぶきに向かって走るだけだ。


砂地の海底に足をつけて出来る限り急いで歩を進める。


泳げる人間ならとっくにしぶきの所に着いていたであろう。


海に入ってしぶきの所に向かいながら私の頭にいくつか考えがよぎった。


“俺、泳げないのに何やってんだ?!”


まずは、これ。


次いで


“でも、もしかして死んでいるから平気なんじゃない?”


そして最後に


“そうだ、まずい!死人の俺は彼女を助けられない!”


私は生き物の生死の運命に関与できないのは先ほど立証済みだった。


しかし、最後の答えに行き着いたときには、もう目の前のしぶきの中に溺れる女の子が見えた。


海水は私の首まで達していたが、まだ立っていられる。


わずかに見える女の子の顔が浮かんだり沈んだりを繰り返している。


目の前の状況に、あれこれ考える間もなく私は手を伸ばしていた。


“行ける!”


中学生の女の子は溺れる深さかもしれないがそこは大人。


身長170しかない私だがまだ足は着く!


そう思って手を伸ばした瞬間


急に足元の砂が、ググっっと崩れる。


“ここから急に深く。・・・・・・だから、彼女は!”


そう気づいた時には私の頭も海面に沈んだ。


目を開けると沈んだ水中で口から泡を出してもがく女の子の顔がすぐ目の前に見えた。


・・・・・・不思議な光景だった。


目の前で苦しそうにもがく女の子。


一方、不意に水中に落ちて、満足に息も吸わずに沈んだ私。


でも、私は苦しくない。


水を飲んでいる感じもない。


ただ、目の前にスローモーションでもがく女の子がいる。


手や足をジタバタと動かしてもがいている。


”そう、死を目前にした人間はこうしてもがくもの、死から逃れようと必死であらがうもの”



時間にして1秒にも満たなかったかもしれない、しかし私はこの光景を見つめ体の動きが止まっていた。


”これが当たり前なのに、私はなぜこんなに簡単に受け入れて・・・・・・”


刹那の瞬間に様々なことが頭に浮かぶ。


しかし、すぐに我に返って、手を差し伸べた。


“でも、これ掴めるのかな?”


私は苦しくない分、妙に冷静に対応できる。


考えながら、彼女の手をつかもうと右手を伸ばす。


その時、彼女が私を見た気がした。


そして私の方に手を伸ばす。


“やはり、彼女には私が見える。”


皆の呼ぶ声で溺れている子が“あやさん”と知り、あの石田さんの孫であるとわかった時、ひょっとして彼女なら私が見えるのでは?と思ったが、やはり彼女には私の姿が見えるようだ。


こたえるように私も彼女の伸ばす手に手を差し伸べた。


“触った!掴める!”


彼女の伸ばした手を掴めたことが感覚だけでなく、水中の映像としてはっきり見える。


彼女の手を掴みそのまま岸の方へ、浅瀬へ向かおうとしたとき


グイッ!


一気に反対に引き戻される。


すごい力で彼女のいる海底に引きずり込まれる。


“これが必死な人間の力、死にたくないという人の力!“


よく、溺れている人を助けに入って一緒に亡くなるという事件があるが納得だ。これが中学生の、しかも女の子の力か?


死んでいる私が”死にたくない”という意思に勝てるはずがない。


不死身と思っていたのに女の子一人助けられない。


引っ張り上げるつもりが逆にどんどん彼女に引き込まれる。


“これは・・・・・・まずいな!”


私は苦しくはないがこのままでは彼女が・・・・・・。


思った矢先に目の前の水中に泡を立てて何かが飛び込んで来た。


“棒?”


水の中に泡をまとった黒く細い棒のような物が見える。


それが何かを考える前に私は手を伸ばしそれを掴んだ。


とたん、掴んだそれに引っ張られる。


その力を借りながら私は彼女を海底から連れて引っ張った。


バサッ!


水しぶきと共に私の体が海面に出る。


続いて彼女も。


「ゴホッ、ゴホッ、ハア、ハア。」


彼女が咳き込みながらも息をする。


彼女に肩を貸しながら岸まで連れて行った。


海岸に出た彼女は砂浜に膝をつき下を向いて苦しそうに咳き込んでいる。


「あやーーー!!」


他の3人の友達が駆け寄り彼女を囲む。


一人が彼女の背中をさすり、残りの二人は抱きついて生還を喜んでいる。


岸に上がった私はたった今まで溺れていたはずなのに息一つ乱れていない。


どうやら死人に酸素は必要ないようだ。だから海中でも苦しくなかったのだろう。


悲しいことに死人をより実感する。


海中に見えた棒のような物は謙斗が差し伸べた釣竿だった。


それを、妻や幸太が一緒に引っ張ってくれていた。


「ありがとう。助かったよ(彼女がね)」


私は家族に礼を言った。


妻が溺れていた子“あやさん”にかけより


一緒に彼女の背中を摩る。


「大丈夫?」


「ハァ、ハァ、だ、大丈夫・・・・・・です」


「本当に?」


「は、はい、もう。だ、大丈夫です。」


「あや、大丈夫!」


「もう、ダメかと・・・・・・」


「あやが死んじゃうかと・・・・・・」


みんな声をあげ思い思いの言葉を口にしている。


3人共泣きながら。


その声を聞きながら私も息子達と様子を見守る。


“いい友達持ってるね。”


そんなことを思いながら。


「念のため、病院に行ってね。」


妻があやさんにそう伝えている頃、私は海岸に投げ捨てた釣竿を拾い脱ぎ捨てたサンダルに足を入れていた。


砂浜に忘れ物がないか確認して「行こっか?」と家族に声をかけた。


歩き出そうとする私たちの前に


3人、いや、あやさんも後ろから続いて来て4人が私たちの前に立ちふさがった。


「本当にありがとうございました!」


4人の一人が言うと残りの2人が続いて


「ありがとうございました!」と


深く頭を下げて礼を言う。


皆一様にに向かって。


遅れて、あやさんが


「・・・・・・はあ、はあ、ありがとうございました。」


と、まだ息を切らせながらお礼を言って深く頭を下げた。


私は黙って笑顔で見ていた。


しかし、このあやさんという子だけは少し向きが違う・・・・・・


どう見ても私の方、私を見てお礼を言っている。


やはり、この子だけには私のことが見えるようだ。


よく見ると大きくて二重のパッチリとした綺麗な目をした子だ。


将来が楽しみな。


もっとも、私が将来のこの子を見ることはないのだろうが。


「いいのよ、でも、これからは気を付けてよ。今度は誰か大人と来た方がいいし、もう少し早く帰った方がいいよ。」


「はい、気をつけます。」


4人の中で真っ先にお礼を言いに来た子が答えた。


彼女がリーダー的な子なのだろう。


妻の言葉を聞きながら夕日も落ちかけて薄暗くなってきた海辺に気が付いた。


“俺の残り時間もあと1日かな”


暮れてゆく夕日が実感させる。


彼女たちを背に再び砂浜を歩き出し、少し離れた所で妻が口を開く。


「あの子達、お礼はちゃんと言ったけど、誰も父ちゃんに向かって言ってなかったね。謙斗に向かってばっかりで、・・・・・・なんか、ムカツク。」


さっきの優しそうな妻はどこへ行ってしまったのか。


「父ちゃんにお礼を言っていたのは、あやさんだけじゃない!誰が助けたと思っているの?失礼だよね!」


妻の不満は止まらない。


「でも、父ちゃんも溺れたし・・・・・・。」


幸太が鋭く突っ込む。


「父ちゃんがあやさんを助けたことに変わりないでしょ?!」


妻が珍しく擁護ようごしてくれる。


「どうでもいいよ、そんなこと。とりあえず助かったんだから。お盆の海は危ねーってよく、じいちゃんが言ってたからな。お前らも気をつけろよ。」


溺れた私が言っても説得力に欠ける。


「でも、釣りに来てるし。」


「殺生してるし。」


幸太の突っ込みに謙斗が続く。


「今年だけな。いいだろ?沢山釣れたから?罰が当たらないようにせめて感謝して食べてあげよう。」


「父ちゃんは釣れてないけどね。」


夕方の潮風と、鋭い幸太の突っ込みが心地いい。


私は何も言い返さず、ずぶ濡れになったままの姿で歩きながら考える。


”家族以外の人間にも私が見えた。私の姿が見えるのは彼女が特別霊感が強いということで説明がつくとしても。彼女に触れることができた。彼女を助けられた。もし、私が助けなかったら彼女はどうなっていたのだろう?あの釣り餌のように私は生き物の生死に関わることはできないはずだ・・・・・・。

だとしたら、私が飛び込まなくても、謙斗か幸太が救っていた?だから、どちらにしても助かる命、運命だったから私にも救うことができたのか?

しかし、そもそも私がいなければ釣りなど来てない。私自身こんなことになってなければ家族を釣りになど誘っていないから謙斗も幸太もあそこにはいない。あの海岸の周りを見ても通りかかりそうな人影はなかった。ならば何故、彼女を助けることができたのだろう・・・・・・気持ち悪っ。“


昔から答えの出ないような大きな妄想や想像をすると気分が悪くなる体質だ。小さい頃から気分を悪くせずにもっと考える努力をしていたら今よりもう少し稼ぐ仕事にけたかもしれない。


でも、私は考えることをやめた。ただ、将来有望な一人の女の子の命を救ったという妙な満足感だけは感じていた。





帰り道、日も暮れてきたのに相変わらず、家々の前や庭に老人がいる。


途中、庭で老人とゴムボールで遊ぶ幼い女の子がいる。


“あれは幼くして亡くなった子だろうか?それがおじいさんと遊んでいるのかな? あんなに小さな子が事故か病気か・・・・・・“


勝手に想像して切なくなる。


突然、庭先の窓が開いて、女性が庭に向かって叫んだ。


「りなーっ!ご飯にするから入りなさい!」


「はーいっ!!」


庭でボール遊びをしていた女の子が返事をした。


“本物かい!!”


さっきまでの切ない妄想は何だったのか。


しかし、元気な女の子に少しホッとして見つめると。


女の子は返事と同時に勢いよく家に向かって走り出す。


その先にはおじいさんがいる。


「危ないっ!!」


女の子とおじいさんがぶつかると思った瞬間、女の子はおじいさんをすり抜けそのまま家に向かって走って行った。


“そっちは、かい!!”


「どうしたの?」


突然叫んだ私に並んで歩いていた妻が驚いて尋ねる。


「あ、いや何でもない。ごめん。」


妻は不思議そうに首をかしげ先に歩いて行った。


やはりわからない。もう、全然区別がつかない。


軽くパニックだ!


生きている人間と霊の違いが、さっぱりわからない。


海で助けたあやという子も霊が見えるのなら区別はつくのだろうか?


さっきも私と妻や子供たちは何処か違って見えたのだろうか?


区別がつかなければ・・・・・・


“大変だな。”


私の苦労はあとわずかだけど、この先の彼女のことを考えてふとそう思った。


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