13. 釣り


家に着くと、私は独り黙々と玄関先で3本の釣竿にそれぞれにリールをセットし先ほど買ってきたキス釣り用の仕掛けを着ける。


3人分のキス釣り道具の準備が整ったところでリビングで再び高校野球を見ていた妻や子供たちに声をかけた。


「おーい、準備が出来たから行くぞ!!」


「マジで行くの?」


幸太がさも面倒くさそうに、でも、少し楽しそうに(私にはそう見えた)出てきた。


続いて、謙斗、妻。


やる気のある順に出てきたな・・・・・・そう思えた。


「幸太、そこのバケツ持って来い!行くぞ!」


「使う必要があればいいけど・・・・・・。」


バケツを見ながら妻は縁起でもないことを呟く。


青い小さなプラスチック製のバケツを幸太に持たせ私は3本の竿を抱えて家を出た。


実家から300メートルくらいの海岸。


昔はよく親父と釣りに行っていた、海岸。


何年ぶりだろう?行こうと思えばいつでも行けた。


しかし、いつでもできることは意外にやらないものだ。


そして前述したと思うが私は泳げない。これほど近くに海岸があるにもかかわらず泳げない。


雪国に住んでいる人間はスキーが上手いとか、海の近くの人間は泳ぎが得意だとか思われるのはとんだ偏見だ。





実家を出て3分も歩けばすぐに海に着く。


砂浜に入る前に私の背丈より少し低いブロック塀がある。そのブロック塀についた階段を使って塀を越えて砂浜に入る。


私は子供たちに続いて最後に階段を上がる。丁度、塀の一番上で立ち止まって少し高いところから海岸を見渡した。


夕方が近くなってきたとはいえまだまだ海水浴客がチラホラ見える。


今が夏休みだからだろう。


夏休みシーズンでもなければ普段は見渡す限りのプライベートビーチのはずだ。


幼い頃の記憶より観光客も少なくなり随分と活気の無くなった海岸でもまだ人影はある。


海は静かで波も穏やかだ。


“よし!”


何を“よし”と思ったか自分でも分からないが気合を入れた。


砂浜に降りていつも親父と釣りをしていた辺りを目指す。


太陽は傾いてはきたがまだ強い西日が顔を刺す。


今は16時くらいだろうがそれでもまだ明るく、暑い。


少し歩くと、中学生くらいだろうか?ビーチボールをしている女の子達がいる。


砂浜近くの浅瀬に膝まで入り輪になってキャーキャーと騒ぎながら遊んでいる。


“元気な子達だ・・・・・・あれ、あの子達は。”


と思ったとき


「ねえ、あの子達。幸太のクラスメートの子達だよね?」妻が指をさし幸太に同意を求める。


「あぁ、多分ね。」幸太は女の子たちの方をチラリと見ただけで適当に気のない返事をする


幸太の返事を聞いて今度は私が妻に尋ねる。


「やっぱり、さっきの子達か?」


「そうよ、皆かわからないけど幸太のクラスメートの子たちみたい。」


買い物前に実家の前で私たち、いや妻だけに挨拶をした子達だ。


人の顔を覚えるのは苦手だがさすがについさっき会ったばかりの集団だ。


私は浅瀬で輪になって遊んでいる一人の女の子に目をとめた。


あのコーギーの孫がいる。


“コーギーの・・・・・・いや石田のじいさんの孫か。ここ二日で・・・・・・死んでからやけによく聞く名前だな。幽霊のじいさんと幽霊の見える孫か。”


今まであまり顔を合わせなかった一族に立て続けに顔を会わせるようになり少し不思議な気持ちになった。


もっとも、普段は単身赴任の身、なかなかご近所さんといえど顔など会わさない。


”石田さん・・・・・・。”


なんとも言えない不思議な縁を感じた。





女の子たちの一団がいた所から少し離れた砂浜に荷物を下ろす。


辺りには海水浴客は見当たらない。


「よし。ここ、ここ!」


“何も変わっていない。”


すぐ先の海面から顔を出すテトラポットを眺めてそう思った。


人は大抵、懐かしさを感じる景色の中にはそこであった出来事や共に過ごした人との思い出がセットになっていることが多い。ここは私にとって数少ない父との思い出を思い出させる景色だ。


今でも横を見ると昔、短パンTシャツで釣りをしていた親父の姿が想像できる。


振り返れば昔あったはずのホテルはなくなり活気のあった観光地の様相ようそうと随分景色は変わっているが、海だけは昔のまま。あの頃と同じ波を繰り返している。


「よし、釣るぞ!!」


釣竿を伸ばすと、すでにつけておいたキス釣りの仕掛けをほどき釣り針に餌のゴカイをつける。


“痛っ!!”


釣り針が指に刺さった。


自慢じゃないが最近近いものがよく見えない。


老眼という奴だろう。そのせいでえさがよく見えなかったのだろう。


もう一回、


「あれ?」


ゴカイを釣り針に刺そうとするが刺さらない。


悲しいが自分でも老眼が来ているのは認める。しかし、それ以前にこれは・・・・・・。


“どういうことだ?”


刺そうとする餌のゴカイがどう見ても釣り針をすり抜ける。


”何故?”


今の自分の状況、これまでのことを考えてみる。


妻と子供たちは準備も手伝わず波打ち際で海水に足を入れて涼んでいる。


それを眺めながら少し考える。


“そっか・・・・・・。“


やっと考えがまとまった。どうやら、すでにこの世にいない私は生き物の、いや

恐らく生き物でなくても歴史が変化するようなことに関与する行為はできないのではないだろうか。


たとえば今、この手の中にあるこんな小さな生き物でさえも私が針を刺さなければ死ぬことはない。このゴカイがどういった人生・・・・・・ならぬゴカイ生を辿たどるかは定かではないが、ピタゴラスイッチのようにここで起きることは連鎖して未来にどんな影響をおよぼすかわからない。


私がこのゴカイに針を刺したら本来ほんらいあったこのゴカイの未来を奪うことになる。


“私にはない未来を。”


ゴカイに嫉妬してしまう。


どうせ、私でなくとも他の客に買われて結局、餌として海に投げ入れられる気もするが、そんな考えは通じないようだ。


しかし、ここはゴカイには申し訳ないが餌になる運命をまっとうしてもらおう。


「謙斗、ちょっと来い」


海水に足を入れて涼んでいる謙斗を呼び寄せた。


「なに?」


「お前これつかめるだろ?」


私は掌の上のゴカイを謙斗に見せた。


「まぁ。」


謙斗とは小さい頃、カブトムシやらクワガタやらバッタやらと結構虫取りをしたものだ。若干、種類は異なるがこれくらい掴んでもらわなくては。


「父ちゃんが言うとおり付けてみろ。」


「えーっ!掴めるけど・・・・・・」


「つべこべ言うな!兄貴が見本を見せてやれ!」


親父の見本は不可能となったので、少し強引ではあったが、私は謙斗に餌のつけ方を指南した。


「幸太!次はお前!」


謙斗が餌を付ける様子を気持ち悪そうに顔をゆがめて覗き込んでいた幸太に言った。


「お、俺も?マジ無理!!」


「やかましい!やれ!」


謙斗と違って、幸太はてんで虫はダメなタイプだったが、無理矢理である。


顔をしかめながら餌をつまむ幸太の後ろに回り、その手を後ろから持って餌を付ける。


“幸太にはれられるんだな”


背後から触れることのできた幸太に妙に嬉しく、危うくこのまま抱きしめてしまいそうな感情を押さえ、餌をつけさせた。


「うぇっ!これでいい?」


「あぁ、上出来。でも、慣れる為にも、もう一本の竿にも付けろ!」


「えーっ!!」


やや強引な理由ではあったが私には出来ない作業だ。


残りの竿の仕掛けにも餌をつけさせた。


「いいか?投げるときはここをこうして・・・・・・」


キス釣りは砂浜から少し沖に向かって仕掛けを投げなければいけない。そのためのリールの扱いやら、投げるフォームやらを子供に説明する。妻も眺めてはいるがハナから覚える気などないだろう。


説明しながら昔、親父が私に教えてくれた光景を思い出して胸がいっぱいになり、言葉がつまりそうになるのを抑えた。


「・・・・・・そして最後に、こう投げる!!」


幸い、うるんでかすんだ目でもうまく仕掛けは海へ向かって飛んでくれた。


「ポチャン!」


岸から少し離れた所に音をたてて波紋ができた。


「わかったか?」


「多分・・・・・・」


と言いながら謙斗も続く。


ヒュンと音を立てて謙斗の竿から放たれた仕掛けは砂浜からわりと近いところで


“ポチャン!”と音をたてた。


「お、初めてにしては上出来!さすが謙斗!その後はこうしてゆっくりリールを巻くんだ。」


私は自分の竿の竿先を見つめながらゆっくりとリールを巻いてみせた。


言われたとおりにゆっくりとリールを巻く謙斗を確認して、私は持っていた竿を妻に渡す。


「竿の先を見ながらゆっくり、ここを回してみて!」


簡単にアドバイスすると、そのまま竿を妻に預け再び幸太の後ろにまわる。


「リールのここを、こう上げて、指で糸を押さえて振りかぶって・・・・・・」


準備が整ったら少し幸太から離れた。


「よし、投げてみろ!」


「ヒュン!」


同時に仕掛けが放たれる。


「ポチャン!!」


「見た?!俺の方が謙斗より、飛んだし!!」


幸太が謙斗に向かって得意気に言った。


「は?飛ばしあいじゃねぇーし!釣った方の勝ちだし!」


このくだらないやりとり。


少し前なら、呆れていたであろう。しかし、今はこのやりとりが妙に心地いい。


「謙斗が正しい。釣った者勝ちだぞ!」


私はそう言うと再び幸太の背後に回りリールをゆっくり巻いた。


「こんな感じでゆっくり巻いてごらん。」


そう言うと私は幸太に竿を預けて釣りをする3人を後ろから見守った。


大分傾いた西日を受けかがやく海に向かって竿を構える3人の姿は美しかった。できることなら写真に残しておきたいシーンだ。


海面の眩しさもあったが、それ以外の原因が私の視界の景色をぼやけさせる。


許されるならずっと眺めていたい光景だった。


ふっと、さっき釣り針を刺した指を見た。


傷跡がない。


たしかに刺した痛みはあった。しかし、血も出てなければ傷もない。


“不死身ですか、俺は。”


しかし、暑さや痛みを感じる不死身の肉体、そして皮肉にも死んでから手に入れた不死身の肉体。それを不死身と言うのだろうか?


どちらにしても


“いらんわな、こんな能力”


そう思って私が小さく苦笑していたその時、妻が叫んだ。


「父ちゃん!なんか動いてるよ!!」


妻の視線の先にある竿を見ると竿先が小さく震えている。


急いで妻のもとに近寄る。


「一回引いてみて?」


妻の後ろから竿を引く。


後ろから妻を抱くように竿を持つ。


“随分、大きくなったなお前・・・・・・”


妻の成長の感慨に浸る間もなく、ブルブルと竿が震える。


「よし、そのまま巻いて!」


妻が急いでリールを巻く。


釣り糸を巻き続けると仕掛けについたおもりがまず砂浜に姿を現す、


続いて餌のついた針が2本、そして3本ある最後の針に魚が1匹ついている。


「やったね!キスだ!」


私は喜びの声を上げた!


「やった!一番!」


妻がドヤ顔で子供たちを見る。


「母ちゃんが一番だぞ!」


そう言って、私も子供達の方を見た。


実際、誰が一番でも良かった。


誰が釣ってもよかった。


家族で釣りに来て、魚が釣れた記憶、思い出。


それが残れば。


「あ、なんか動いてる!!」


次に叫んだのは幸太だった。


「よし、巻け!」


私は大して確認もせず興奮しながら声を出して駆け寄っていた。


前言撤回!やはり子供に釣って欲しい、子供たちに釣り上げて欲しいと一番思っていたようだ。


「うわっ、なんかついてる!!」


ピチピチと砂浜を暴れながら上がってくる1匹のキスに言葉とは裏腹に嬉しそうに駆け寄る幸太。


「うっそ、なんで?」


少し不愉快そうに幸太より先に投げた謙斗がそれを見る。


“そうだ!昔釣りに行って悲しそうな顔をしていたのは謙斗だった”


“神様、死人のお願いが届くのか、死人が神頼みをしていいのか、わかりませんが謙斗に魚を・・・・・・いや、死んでいるから仏様に頼んだ方がいいのか?”


私がまだ願い事を言い終える前に、不機嫌そうにリールを巻く謙斗から声が上がった。


「あれ、なんか沢山ついてる?」


見ると砂浜から上がる重りの先の3つある針に全て魚がついている。


「やった!3匹ゲット!」


ピチピチと跳ねる魚を見て謙斗が叫ぶ!


「は?気づいてなかったし!」


幸太が悔しそうに言う。


「いや、知ってたし!」


そんな兄弟の小競り合いは耳に入らず私は魚に駆け寄った。


「すごいな!!謙斗、こんなん父ちゃんも滅多めったにないよ!」


神様か仏様かわからないが死人のお願いにいきな答え方をしてくださる。


“神様・・・・・・と仏様ありがとうございます”


それが果たして神や仏の偉業か偶然か?


とにかく私は心の中で感謝を述べた。


その後も、


「釣れた!」


「釣れない!」


「大きい!」


「小さっ!」


のやり取りを続け!


結果、


妻3匹、


幸太5匹、


謙斗7匹、


俺、0匹。


まぁ、当然だ。


私は生き物の生き死にの運命に関与かんよすることのできない身。


まして、死人に釣られる魚などいないようだ。


でも、十分すぎる釣果ちょうかに私も家族も満足していた。


夕日が少し水平線に接する頃、私はバケツを覗きながら言った。


「よし、そろそろ帰るか?」


「え?でも父ちゃん釣れてないよ?」


幸太が聞く。私の心配より本当は釣りが楽しくなってきたのだろう。


「いいよ、父ちゃんは今日はダメみたいだ。人気ないみたいだから。それに餌ももうないからね。」


そう、誤魔化しながら竿を畳む。


“いくらがんばっても、父ちゃんは釣れないからいいよ”


“でも、魚を釣ったお前たちの嬉しそうな顔を忘れない・・・・・・そう、死んでも忘れない。”


そして、皆で釣りに行ったのに一人だけ坊主だった親父。


そんな親父ほど・・・・・・カッコ悪かった親父ほど意外とお前たちの記憶に残るものだよ。


私は知っている、いつも偉そうなことを言っている父親のこういうカッコ悪い姿は、少しがっかりもするが、でも、なんかあったかい。親父もやっぱり一人の人間なんだと。


私は幼い頃、今日のように親父とここに来て私は沢山釣れたが親父は全く釣れなかった時のことを思い返した。


あの時の親父も自分が釣れなかったことよりも、私が釣れたことを喜んでいたのだろうか?


今ではない、数年後、いつかお前達兄弟の酒のさかなになるような思い出話になればいい。


道具を片付けると、もと来た海岸を歩きだした。


どうやら釣りが楽しかったのだろう、準備は私一人だったが片づけは皆が手を出した。


「俺が一番、釣ったし!」


「は?たまたまだし。」


相変わらずのくだらない小競り合いがやはり心地いい。


「やめなさい!」


妻が怒って制する。妻には今日も耳障りな小競り合いかもしれない。


しかし、明らかに来る前の表情より帰りの表情の方が皆明るい。


無理矢理、付き合わせてしまったがこれで私のトラウマも解消された。


私の記憶の中で、竿で水面をパシャパシャと叩いていた昔の寂しそうな謙斗の顔は沢山のキスを釣った嬉しそうな笑顔に上書きされた・・・・・・大分、成長した顔ではあるが。


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