11. 対話


昨日と同じ道を歩き実家に向かった。


考えてみると、この道を通るのもこれが最後かもしれない。勿論、“行く”わけだから“帰り”もあるのだろがこうして実家に向かいながら見るこの見慣れた景色ももしかしたら最後になるかもしれないわけだ。


何ということのないこの道が妙に感慨深いものになる。


しかし、そう深く思いにふける前に実家に到着。


実家の前を通った時、昨日と同様に庭を通して縁側に寝転がる親父が見えた。


相変わらずうちわでパタパタと自分に風をおくり、庭の方を眺めている。


昨日と何も変わらず、そこにいる。


私はそれを確認して実家に入った。


「ただいま!」


私は昔から実家に帰ると「お邪魔します」ではなく「ただいま」と言うように心掛けていた。


勝手な思い込みだがその方が親が、母が喜ぶ気がしていた。


自分も母と同じ立場になったときどっちが嬉しいかな?なんて考えたこともあったがその答に行き着くことはもうない。


家に入るとまず、真っ先に台所に向かった。


台所でおふくろはいつも通り炊事をしている。


「あら、克己かつみ?もう来たの?」


随分と自己紹介が遅れたが、私は克己かつみという名だ。


「そろそろ、電話しようと思っていたのに。」


“どうせ、そうめんを茹ですぎるつもりだったのだろう?”


と思ったがそれは言葉にしなかった。


「皆もすぐ来るのかい?」


「昼には皆来るよ。だから、ほどほどの量でな。」


と頼むと、おふくろは少し笑った。


「ごめん、もらうよ。」


そう言うと私は台所の冷蔵庫を開け


缶ビールを1本取った。


「あれ、あんた昼間から?」


「お盆休みくらい、いいだろ。」


呆れるおふくろの言葉を制して私は棚からグラスを2つ取ると


そのまま客間に向かった。


グラスを2つ手にするところは見えなかったのか、おふくろはそこには突っ込まなかった。





客間のフスマは開けっ放しだった。


入る前から縁側で昨日と同じ格好で横になっている親父が見えた。


私は親父のすぐ後ろに座ると持ってきたグラスを床に置いた。


プシュ!


缶ビールを開けると2つのグラスに均等に注ぐ。


一つを庭を見ている親父の前に置いた。


自分のグラスを手にして何も言わずに親父のグラスに軽くぶつけた。


チン!!


小さな音を鳴らすと私はビールをグッと一息で飲み干した。


それから、暫く黙って親父と一緒に庭を見つめていた。


昨日と同じで親父は何も言わずうちわで自分を仰いでいる。


家の前の道は車一台がようやく通れるような細い道で人の往来も少ないし、車もそう通る道ではない。こうしてここに座って、庭を眺めて思うが一体、親父は昔からここに寝転がって何を眺めていたのだろうか。


近代家電の冷房になじんだこの体は縁側なんかでは全く暑さをしのげる気がしない。


実際、今も風も入って来ず暑い。


ぬるくなるよ、飲んだら?」


親父は微動だにしない。


もしかしたら、私の姿も私の差し出したビールも見えてないのかもしれない。


そう感じるほど反応しない。


横を見ると音の出てないラジオがある。


私はポケットから電池を取り出すとラジオにはめてスイッチを入れた。


「ザー・・・回裏〇×高校」


できるだけ綺麗に聞こえる所。


綺麗に聞こえる高校野球中継にあわせてラジオを床に置いた。


「・・・・・・ピッチャー大谷、振りかぶって・・・・・・」


どこ対どこの対戦か知らないが、暫くラジオを聞いていたが回が移り攻守が入れ替わるタイミングで私はそっと親父に話しかけた。


「ポートピア・・・あれ、俺の記憶なんだね。」


親父は変わらずパタパタと自分に風を送る。


私は空になった自分のグラスにビールを注ぐと話を続けた。


「パンダ館出て迷子になっている自分に気がついたあの時、子供なりに、小学生にもなって迷子なんて恥ずかしくて。泣くわけにもいかなくて・・・・・・でも、誰か家族を探して、でも、見つからなくて。誰か俺を見つけてくれって・・・・・・ホントに心細くて、助けを求めて。そんな時、親父が俺を見つけて手を握ってくれた・・・・・・。」


私はビールを一口飲んで少し間をおいて言った。


「・・・・・・あれは、俺の記憶だよ。今にも泣き出しそうな時に親父が俺の手を握った。親父と、生きている親父と最後に手をつないだ記憶だよ。」


一昨日、川を渡る私の手を掴んだのはまさしくその手だった。力強く、暖かい手だった。


私は親父が亡くなった時、手を握り涙する自分を思い出していた。


臨終に間に合わず、一番最後に握った親父の手は力なく、弱く、冷たい手だった。


「親父も同じところにいたんだろ、それとも俺だけがいたのかな、俺の想像なのかな?」


親父はやはり聞こえないのか、うちわで自分をパタパタと仰いでいる。


少し前にまわれば親父の顔も、反応も見れるのだろうが


私はそうしなかった。


「まあ、いいや。・・・・・・でもごめん、いや、ありがとうなのかな。」


私は少し考え


「やっぱり、ごめんなさいだね」


親父は何も変わらずうちわを動かしている。


「俺も、そっちがわだったみたいだね。川を渡り切っていないからって勘違いしてたよ。」


「親不孝な息子ですみません。」


「・・・・・・俺、死んじゃったよ。」


最後の方は小さく呟いた。


その時、はじめて親父のうちわが止まった。


「・・・・・・でも、連れ戻してくれてありがとう。」


私は縁側から見える空を眺めながらしばらく言葉を考えた。


「昨日の夜さ、自分が死んでいることに気が付いて。これから、どうしようかって考えてみたんだ。いつまでも、こっちじゃないんだろ、俺も親父も。」


私の問いに対して親父からの返事はない。


「親父はどうして俺を連れ戻してくれたんだろうって、考えてみたんだ。連れ戻しても生き返るわけじゃないのに、何でって。」


私は今度は背を向けている親父に向かって話しかけた。


「俺、親父の最後に・・・・・・間に合ってないだろ。」


1年前、単身赴任先で親父の危篤を聞かされた。


危篤になるほんの1週間前までこの家で、孫たちと一緒に夕食をとっていた。


いつもの親父。


孫に向かって得意げに披露するいつもの親父ギャグ。


そんな風景がいつまで続くのか、やがて終わりがくる日がある。


でも、その時はまだそんなこと考えもしなかった。


それくらい親父は元気でいつもの調子だった。


私の子供の頃は厳格な親父で滅多に笑わなかった。


それが、孫たちにはいつも笑顔で接していた。


“これが本当の親父の笑顔なのだろう。”


我が子たちが親父をおじいちゃんに進化させたことを心から良かったと思える瞬間だった。


いつの間にか孫も大きくなり、おじいちゃんのジョークでは失笑しかしなくなった。でもいつもの調子で、笑顔で寒いジョークを飛ばしていた。


そう、ほんの1年前の話だ。


突然、職場に妻から電話が入った。


焦りながらも事故を起こさないように、制限速度を守ったとは言い難いが出来る限りの速度で車を走らせた。


病院に着いた私は、親父の病室に入る前に全ての状況が把握できた。


病室の前の廊下で座り込んで泣いている二人の息子とそれを抱きかかえるようにして涙を流す妻を見て。



「俺に時間を作ってくれたんだろ?ちゃんと別れをする時間を。」


親父はやっと出した私の解答にも相変わらず無言を通して答えてはくれない。ただ、うちわだけはさっきから止まっている。私の言葉に聞き入っているように見えなくもない。


「ともかくさ、親父のくれた時間、無駄にしないようにするよ。」


「俺さ、子供の頃の親父との思い出・・・・・・何があったか?って考えてみたんだ。」


「あんまり無いんだよね。」


「そんなことないだろ!って思った?確かにいろいろ、連れて行ってもらったかな・・・・・・親父の仕事関係の人が遊びに来たりしたら一緒に観光について行ったりしたかな?でも、基本いつも仕事がらみ、土日でも親父は仕事だったよね。・・・・・・家にはあんまりいなかったよね。」


私はただ遠くを見つめて話し続けた。


「でも何故か、何処へ行ったかよりも、親父とした他愛もないことが案外記憶に残っているんだよね。」


「そうだな・・・・・・例えば親父が会社の駐車場で車を運転させてくれたこと。ハンドルを持たせってもらっただけだったけど。嬉しかったな。本当に自分が運転しているみたいな気がして。」


「あとは・・・・・・火を点けた花火が出なくて覗き込んだら、親父にぶん殴られたこと。あの時はすごく恨んだけど、今ならあの気持ちすごくわかる。」


私は少し間を空けて話した。


「結局さ、いろいろ連れて行ってもらったのに悪いけど・・・・・・親父と何処へ行ったかより、親父と何をしたかの方が思い出に残っているんだよね。嬉しかったことだけじゃなく怒られたことも含めてね。あ、恨んでいるんじゃないよ。親父は覚えている?」


私は親父の方に視線をやり質問した。


その時、肘をついて寝転がっている親父の肘の隙間から水滴が床に落ちるのが見えた。


うちわは相変わらず止まったまま。


“なんだよ、聞こえてんじゃねえか、ずーーっと。”


私は少し微笑んで、そう確信したが気がつかない振りをした。


「それを考えたときさ、今からでもあいつらの記憶に残る、思い出に残る父親になれる気がしたんだ。」


「もう、今からじゃ旅行だとか、すごいサプライズは出来ないけど思い出に、記憶に残るのってそういうことじゃないんだよね。こんな、なで肩の小さな肩だけど記憶に残る父親の後ろ姿って奴を見せてやろうかなって思った。」


「だからさ、連れ戻してくれてありがとう。俺、まだ、やれることあるよ。いや、やってみるよ。」


“伝わったかな?”


伝えたいことを一通り話して私は親父を見つめた。


すると、また1滴の水滴が床に落ちた。


“伝わってはいるかな。”


私は缶に残ったビールをグラスに注ぎ一気に飲み干した。


その時、玄関から元気のいい、聴き慣れた声がした。


「腹へったー!お邪魔しまーす!!」


幸太の声だ。


「お邪魔します。腹減っただろ!」


私は笑みを浮かべ、そうポツリと呟いてから、


「あいつら、来たみたいだから行くわ。」


と親父に告げると立ち上がって親父に向かって今日は深く一礼した。


“そっちがどんな所か知らんけど、そっちに行ったら、改めてちゃんと礼を言うよ、ありがとうございましたってね。“


と心の中で呟いた。


親父の肘元の水溜りにまた1滴、水滴が落ちた様に見えた。





リビングに戻り食事をとる。


昨日と同様にそうめんをすする子供たちに向かって私は言った。


「飯食って、しばらくしたら釣りに行くぞ!」


それを聞いた子供たちが、いや妻も一瞬、ポカンとする。無理もないが。


「何?突然。」


怪訝そうな顔をして言う妻に続いて


「いや、でも父ちゃんいつもお盆は殺生せっしょうはするなって・・・・・・」


と謙斗も加わり家族揃って反対の意を現す。


”反対”とは言われていないが皆の表情が露骨に嫌そうだからわかる。


「今年に限り、OK!何故って?父ちゃんの休みはお盆だけだからです!お盆が明けたらもう仕事に戻らんといかんから、やむなく今日です!」


それらしくもあり、苦しくもある理由。


正直、理由なんてあっても無くてもいい、とにかく家族で釣りに行くと、一緒に

連れていくと決めた。それに、仕事ではないがお盆が明けたらどっかに戻りそうなのは事実だ、悲しいことに。


これまでも思いつきで遊びに行ったり、出かけたり。よく家族を振り回して来た私のことだから今更、私の予測不能な言動には慣れてるいだろう。


そして、それに突き合わすのもあとわずかだ。


“今日は付き合ってもらうぞ!”


そんな私の強い決意が通じたのかはわからないが誰ももう反論しなかった。


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