10. 朝食
8月15日 朝
カーテンから漏れる日の光が薄明るく部屋の中を照らす。
私は自然と目を覚ました。
目を開けると隣のベッドで寝ている妻が見える。
妻が私とは反対を向いて寝ている様子が見える。
妻の寝息が聞こえる。
まだ、霧がかった頭の中で昨晩の出来事がゆっくりと思い出される。
最初に思い浮かんだのは昨晩の自分が死んでいるという認めたくない事実をカメラに突き付けられた時のことだ。
実際、こうして自分のベッドで目を覚ますと今まで悪い夢をみていたのではないかとまだ認めようとしない自分がいる。
私はベッドの脇に置かれたデジタルカメラを見つけると手を伸ばした。
横になったままカメラの電源を入れて再生ボタンを押す。
画面を切り替えては目をこすって凝視する。
そこにある誰も映っていないこの部屋の写真こそが昨晩の出来事が本当であったことを物語っている。
私は小さくため息をつくと体を起こし、そのまま背を向ける妻の方に向いてベッドに座った。
部屋の中には妻の寝息と外からの対照的に早起きな雀のさえずりが聞こえる。
“とにかく、それならそれで今日もこうして化けて出て来られたことに感謝するべきか。・・・・・・そういえば、いつの間に寝たのだろう?“
何せ死んでいる身、一度寝たら二度と目を覚ます保障など無いのによく眠れたものだ。
昨日はあれから、ベッドに入って私は頭の中でいろいろな考えを巡らせた。
死んでしまったのにここいる、家族と普通に過ごしている。
おかげで死んでいることに気が付くまで随分と時間がかかってしまった。
いや普通は死んでいることに気が付くものなのだろうか?
だからと言って、早く気が付いたからといって事態が好転していたとは思えない。
実際、自分がどうしたら生き返ることができるか、事故に合う前に戻れるかなんて不毛な考えを頭に巡らせている時間はほとんど無かった。
すぐに残された時間の使い方を考えることに切り替えていた。
もはや私がこの世に幽霊となってまで現れた理由など考えてもわからない。
だったら、せめてやれることを、出来ることをやろう。
どれくらい考えていたであろうか、次から次に沸いてくる欲張りなプランを振るいにかけているうちに疑問が浮かんだ。
まず、私の姿は見えるのに親父の姿は家族に見えなかったこと。
家族という接点で私が見えるなら私だけでなく皆も親父が見えたはず。
血の繋がり?とも考えた。それなら、お袋が親父を見えないのは説明がつくし妻も私の親父が見えないのは納得だ。
しかし、それでは妻も私が見えないはずだ。
そして、恐らくこうして家族からだけにしても見えていて、こんな風に普通に過ごしている霊は私ぐらいの気がする。確かな根拠はないが昨日、沢山出会った霊達は多分、親父同様に誰の目にも映っていないようだったから。
尚更、自分が見える理由がわからない。何か理由があるのでは?
巡り巡って、再びぶつかったその見つかるはずのない疑問の答えを考えている内に、私は知らぬ間に眠りに落ちていたようだ。
何の変哲もない我が家での当たり前の朝の光景。
しかし、今日はすこしばかり、この当たり前の光景を眺めていた。
私は既にこの世にいない。
しかし、何故かいつものベッドで目を覚ます。
でも、もしも、私の想像通りなら残された時間は差ほど長くないだろう。
寝ている妻を見つめながらそれを告げることをためらう。
話した所で信じてもらえないだろう、自分が逆の立場だったら勿論信じられない。
しかし、その時が来る前に伝えなければ
“信じてもらえる、何かいい手を考えなくてはいけないな。”
今はいい手段も浮かばないし、何よりまだ伝えるべき時ではないと思った私は物音をたてないように、寝ている妻を起こさないように1階に降りた。
逆に言えば想像が正しければまだ時間は残されている。
今はただ、できる限り、限界までいつもの時間を過ごしたい、特別ではなく、普段通りの時間を・・・・・・
そう考えて、この信じがたい今の状況の話をすることはひとまず止めておくことにした。
*
1階に降りるとまず洗面所で顔を洗う。
目の前には鏡に映る見慣れた顔。
水の
“自分では見えるんだけどな・・・・・・”
そう思いながら顔を左右に振って確認する。
こうして見るととても死人とは思えないくらい、いい顔ツヤだ。
・・・・・・今、気が付いたが
事故後1回も、二日間も
「死んだ時のままってか。」
鏡を見ながら少し苦笑して呟く。
タオルで顔を拭うと、幽霊の使用したタオルも汚れがつくのだろうかと一瞬考えたが、そのままタオルを洗濯機へと放った。
リビングに入り真っ直ぐ冷蔵庫に向かうと野菜室を開ける。
次に上の段・・・・・・
一通り入っている材料を確認して鍋に水を入れ火にかける。
かつおから
フライパンに火をかけ、皿に割った卵とマヨネーズを混ぜる。
卵が少し焼けたらスライスチーズを入れる。
次男の大嫌いなチーズ入りの卵焼き。
“俺は大好きなんだけどな。”
焼きながら幸太の嫌がる顔が目に浮かぶ。
長い単身赴任生活は私をそれなりのシェフにしてくれた。
稼ぎがよければシェフよりグルメ評論家の方になれたかもしれないが、しがないサラリーマンの私では毎日外食をする余裕はなく、食べたいものは自分で作らなければならなかった。
質素で普通の朝食ではあるが、今の材料で私の思う限り、出来る限りの朝食を作ったつもりだ。
いつもなら誰か起きてくるのを待たずに勝手に食べるが、今日は待ってみよう。
今日だけは・・・・・・
私の願いとは裏腹にみんなバラバラに起きてきては、これといってコメントも言わずそそくさと食べる。
唯一、妻が「あ、ご飯作ってくれたんだ、ありがとう。」
と言ってくれたくらいか。
いや、幸太は
「うわっ、チーズが入ってる!!」
と期待通りの悲鳴をあげてくれたか。
でも、これがいつもの朝。
帰ってきた私が週末だけ見ることのできる朝の家族の顔。
“それでいい。”
特別なことはいらない。
これがいつもの朝。
“さてと・・・・・・でも、ここからはそうはいかない。”
ご飯を食べてテレビを見ている妻に私は食器を片付けながら声をかける。
「昼は今日も実家に行くよ、多分そうめんだけど。」
「あ、はーい。」
気のない返事を聞き取り、私はすすいだ食器を食洗機に入れた。
食洗機のスイッチをいれて、
「俺、ちょっと先に行っているから昼には来いよ!」
と声をかけて着替えて家を出る準備をした。
家を出ようとした時、ふっと思い出し、2階に上がった。
2階の小物の入っている引き出しから、まだ封に入ったままの電池を見つけると
“ これこれ! ”
とポケットに入れた。
玄関を出るとまだ午前中にもかかわらず刺すような日差しを感じる。
「アッチーな!」
昨日までの死にそうな暑さを今日は
”死んでてもこんなにアッチーの?”
と妙な疑問が浮かぶ。
そのまま昨日歩いた道と同じ経路で実家に向かって歩く。
昨日と変わらず、庭先やら、玄関やらといたる所に老人がいる。
昨日は気がつかなかったが中には
老人と遊ぶ子供もいる。
“もしかしたら幼くして?”
と悲しい想像をしたが正直私には生きている人と、そうでない人との区別がつかない。
普通に元気な子供かもしれない。
それに、何より今の私も同情される側の人間だ。
私はあれこれ考えることはやめて、私に微笑む人たちにのみ軽く頭を下げながら実家に向かった。
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