6. 自宅


8月14日 朝



カチャカチャと皿を洗う音を目覚まし代わりに私は目を覚ました。


朝日が差し込みすっかり明るくなったリビングの4人掛けソファの上で私は大きく伸びをした。


「んーーっ!!痛たたっ。」


昔からソファで寝込むと起きた時どこかしら痛い。


今回は首だ。


やはり寝るのはちゃんとした寝床に限る。


首を摩りながら体を起こして音の聞こえてくるキッチンを見る。


「起きた?昨日は随分遅かったみたいだね。」


妻が洗い物をしながら話す。


「ん・・・・・・あ、あぁ。いろいろと大変だったんだよ。」


私は昨日の出来事を振り返りながら答えた。


いろいろありすぎて何から話そうかまとまらない。


武勇伝をじっくり聞いて驚いてもらいたい。


時計に目をやると、もうじき11時になる。


”すっかり昼か。”


部屋の明るさは朝日ではなく昼間の日の光だったのか。


妻がつけてくれたのだろう部屋の中はエアコンのおかげで丁度いい涼しさだ。


余程、疲れていたのだろうかこんな時間まで一度も目を覚まさなかったとは。


まぁ、寝たのも明け方では仕方ないか。


頭を触りながらゴワゴワとした髪と汗でベタついた自分の体に気が付く。


「とりあえず、シャワー浴びてくる。」


話をまとめたいのと頭の中をクリアにしたかった。


もちろん髪も体もきよめたかった。


浴室でぬるいシャワーを頭から浴びる。


汗と汚れが流される心地よさと、同時に生きている実感がわく。


「生きている・・・・・・助かった、よかった。」


ようやく、家に、家族の元に帰れた実感がわいてきた。


昨晩は疲れきって感じる暇もなかったのか、今は感動すらわいてくる。


いつものルーティンで頭、顔、体の順で洗いながら、


風呂から上がったらどんな順序で妻に話そうか


頭の中で物語を構成する。


別段、らなくても、着色しなくても十分驚かすことの出来る話だ。


私の奇跡の生還に涙を流して感動するかな・・・・・・


いや、そんな妻じゃないか。


どう、想像してもそんなリアクションをする妻の姿は浮かばない。


若い頃ならそんなリアクションも “あり” だったかもしれないが


今ではすっかり淡泊だ。


というか、私の話にそんなに興味はないだろう。


真実をありのまま話してもった話だと思われそうだ。


もちろん、普段からの私の行いがそう疑わせるのだろう。私は昔から関心を引きたいがために少し大げさに話すところがある。そんなことは長く私の妻を務めているのだから承知しているだろう。


でも、さすがに私が死のふちから帰った話ならば少しは驚くかな?


生き残った感動もつかの間、いつの間にやらこの後の妻のリアクションの方が気になる。


早々にシャワーを止めて、そそくさとバスタオルで体を拭く。


引き出しから下着を取り出し、身に着けると濡れた頭をバスタオルで拭きながらリビングに入る。


妻は炊事を終えると、いつも通り、ソファのオブジェとなってテレビを鑑賞している。


私はリビングを見渡したあと2階に続く階段に目をやり妻にたずねた。


謙斗けんと幸太こうたは?」


長男と次男のことだ。


「部活。・・・・・・あ、朝ごはんないよ」


妻が振り向きもせずテレビを観ながら言う。


「いいよ別に、もう昼だし」


子供たちが部活でいないのも、遅れて起きた私に朝食がないのもいつものことだ。


皮肉にも余計に家に帰ってきた実感が湧く。


「今日はお盆だろ、まだ部活?」


「あ、謙斗は塾。幸太が部活、友達と自主練らしいからお盆は関係ないよ。」


「そっか、すごいな。」


お盆なのに塾で勉強する長男と


このクソ暑い中、自主練する二人の息子に感心する。


いや、実際には部屋の中はエアコンが効いて涼しかったが、外の明るさを見れば暑さは想像がついた。


頭にバスタオルを被ったまま冷蔵庫を開ける。


ビールに手を伸ばしかけて、やめる。


休みといっても昼間からは飲むのは気がひけて、かわりに麦茶をとる。


グラスに注いでテーブルに着くと、


ソファでオブジェとなってテレビを観ている妻に話しかける。


「なあ・・・・・・。」


返事はない。


「あのさ!」


軽く一言目をスルーされ、2回目は少し声を張る。


「何?」


2回目にしてやっと振り返る。


これも、いつもの光景。


「あのさ、昨日の・・・・・・」


そう言いかけた私の言葉に割り込んで妻が口を開いた。


「ねえ、そういえば車は?」


リビングの窓から見える我が家の駐車場に本来なら見えるはずの私の車が無いことに気が付いて聞いてくる。


話はさえぎられたが “お、気が付いた!”


と変な感動をおぼえた。


おかげで話が切り出しやすくなった。


「それなんだけど、実は・・・・・・」


自分から質問しただけあってしっかり、しかも話の途中からは妻はやや喰い気味に最後まで聞いてくれた。


「・・・・・・大変だったね。でも、無事でよかったね!車は残念だけど。」


80点くらいかな。


私の予想以上でもなく以下でもなく。


がっかりしない程度のリアクション。


私の説明が下手だったかな?


しかし、結果的に五体満足で元気な主人が目の前にいるのだからそんなものだろう。


あの、事故の状況を見ていたらどんなリアクションだったろうな?


もっとも、本人の私も覚えてないから知らないが。


「ねぇ、保険。車のこと保険会社に言わないと。」


妻が言った。


確かに、すっかり忘れていた。生きて帰れたことや、妻に驚いてもらう事ばかり考えて当然この後、しょうじる大変な後始末のことをまるで気にしていなかった。


「そうだった、大事なこと忘れてた!」


今更の驚きだ。


「・・・・・・あ、でも証券、保険の証券、車の中だ。連絡先がわからない。」


世間の人はどうか知らないが、私は事故があった時、すぐに連絡がとれるように保険の証券や書類は車のダッシュボードに入れている。


まさか、車ごと失うことなど想定に入れてはいない。


ネットで調べれば?


「あ、そうだね。」


妻の助言に従い、調べようとスマホを探す・・・・・・


「・・・・・・あ、スマホも車の中だ。ちなみに財布も免許証もキャッシュカードも。」


報告しながら結構、大変なものを失っていることに気が付く。


「えーっ、みんな?何にも無いの」


「家の鍵と・・・・・・命くらいかな。」


「もう!」


いや、そこは命で喜ぶところだろ。


「スマホ貸して。」


妻のスマホに手を伸ばした時に家の固定電話が鳴る。


今時、固定電話にかかってくるのは、どっかのセールスか実家のおふくろくらいだ。


私は受話器を取った。


「もしもし、・・・・・・あぁ、俺。うん、朝帰った。


・・・・・・あぁ、もうじき帰ってくると思う。・・・・・・あぁ、わかったよ。」


案の定おふくろだ。


受話器をおいて。一つタメ息をつく。


「お母さん?何だって?」


「そうめん。作りすぎたから食べにこいって。子供連れて。」


「そうめん?作りすぎ?」


「いつもの嘘に決まってるだろ。今から作りすぎたら伸びてるよ。今日も下手な嘘に騙されてあげよう。」


私は苦笑いしながら答えた。


別に下手な嘘を付け加えなくても“子供を連れてお昼を食べにおいで”だけでいいものを、いつも何かしら作りすぎては電話をしてくる。


「じゃ、お昼はお母さんの所ね。」


昼食を作る手間が省けて妻はやや嬉しそうだ。


「ただいまーっ!」


玄関から幸太の声がした。


土にまみれた野球の練習着を玄関で脱ぎ捨てリビングに入るなり


「腹減った!昼なに?」


真っ黒に焼けた顔で昼食のメニューを聞いてくる。


「おばあちゃん家でそうめんよ。」


「えーっ、そうめん!」


どう見ても頭に描いていたメニューではなさそうなリアクションだ。


最近の子供は口が肥えてるのか、そうめん程度だとこのリアクション。


そもそも、口を肥やす程、我が家の食事は贅沢ではないはずだ。


私の子供の頃なんて夏休みの昼食といえばいつもそうめんだった。


私は大きなガラスの器に山の様に入った冷たいそうめんを兄弟と争うように食べたものだ。


そのせいだろう、おふくろが“子供はそうめんが好きだ”と思い込み孫もそうめんで釣れると誤解しているのは。


そうめん好きは“家の”だったようで、“家の”は違うようだ。


それからほどなく、長男も塾から帰宅した。


ヘッドホンを耳にして“ただいま”の挨拶もせずリビングに入ってきた。


私が少し大きめの声で“おかえり!”と言うとようやく“ただいま”の返事が返ってきた。


反抗期と呼ぶには可愛いものだが、高校生にもなればこんなものだろう ” THE 思春期 ”とでもいうのだろうか、必要以上の会話を親とは交わさない。しかし、挨拶くらいはしなければいけない。というのが私の持論、いや教育だ。


帰った子供達と妻を率いて実家に向かうことにする。


私は玄関で靴を履きながら後ろに控える子供たちに言った。


「歩いて行くぞ。父ちゃん事故って車ないから。」


「えー!腹ペコなのにマジで?」


幸太がごねる。


いや、そこは「えっ!事故ったの?大丈夫?」だろ!


妻同様、元気な私を目の当たりにしてその心配はしない。


長男、謙斗にいたってはノーリアクションだ。


私の予想を大きく下回る二人の反応にやや寂しさを感じながら玄関を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る