5. 帰路 2
8月?日 夜
「はぁー・・・・・・。」
薄暗い外灯の下、私はガードレールに腰をかけて両手で顔を覆ってため息をついた。
「俺、事故ったのか・・・・・・」
全てを思い出して呟いた。
車を失くしたショックを先に思うか。
生きてたことを喜ぶべきか。
五体満足だと分かると、急にわがままな悩みだ。
「今、何時ごろだろう?」
事故にあった時は薄暗くてもまだ日の光はあった気がする。
今は完全な夜だ。
ズボンの後ろのポケットをさわるがスマホは無い。
「そっか・・・・・・」
スマホは助手席に転がったままだ。
つまり車の中か。
恐らく、一度はズブ濡れになった服が乾き始めてるところからして、事故にあってから随分と時間は経っているはず。
再びポケットを探る。
「 ♪! 」
シャツの胸のポケットにタバコを見つけた 。
箱からタバコを出して、
いや、出す前から予感していたが
ビショ濡れだ。
箱の中にタバコと一緒に入っていたライターを取り出す。
カシュッ、カシュッ!
案の定ライターも
「はぁー、でしょうね。」
先程と同じくらいのため息をつくと私は湿ったタバコを箱に戻し箱ごとクシャクシャと丸めた。
投げ捨てようとタバコを握りしめたまま手を振り上げた時、視線の先にあるものを見つけて手を止めた。
お地蔵さまがいる。
いや、お地蔵様が“ある”が正しいのか。
外灯の明かりがようやく届くあたり、ひしゃげたガードレールの脇にお地蔵様がいる。
もしかしたら、私はあのひしゃげたガードレールの隙間から落ちたのではなかろうか。
”ここは、よく事故が起こる場所なのかな?”
お地蔵さまとひしゃげたガードレールを見てそう感じた。
少なくとも自分は転落前に何かにぶつかった記憶はないからこのガードレールを壊したのは私ではない。むしろ、直しておいてくれたら私は落ちなかったかもと怒りすら感じる。
私にはお地蔵さまがここで事故を起こした人を供養して建てられているように見えた。
多分、自分が事故を起こしたからそう見えたのだろう。
“でも、何にしてもお地蔵様を巻き込まなくてよかった。”
もし巻き込んでいたら、天罰も加算されて私は今の様に無傷の生還はできていないかもしれない。
投げ捨てようと振りかぶったタバコを思い直して胸のポケットに戻した。
お地蔵さまの目の前でポイ捨てはよくない。
いやいや、そもそも誰も見ていなくてもポイ捨てはよくない。
すでに車一台を山にポイ捨てしておいて、今更だが。
ガードレールから腰をあげるとお地蔵さまの前まで歩いていった。
私の膝くらいの高さのお地蔵さまは所々、泥やコケに覆われていて、随分昔からここにあったような古めかしい雰囲気を感じる。
「あ、そうだ!」
私は再びズボンのポケットを探った。
“あった!”
ポケットの中で握った手を出して指を広げて確認する。
ようやく届く弱い外灯の明かりで、
「すみません、財布も失くして今はこれしかありませんが、また改めてお礼に来ますんで、今日の所はこれで勘弁してください。」
そう言うとお地蔵さまの足元にコインを置く。
「パチスロのコインですけど、20円はする代物なんで勘弁してくださいね。」
(*現実ではパチンコ屋のコインの持ち出しは厳禁です真似しないように!)
「何も無いよりいいでしょ?」
そう言ってコイン以外に何も供え物のないお地蔵さまの前で手をあわせる。
よく見ると、お地蔵さまの顔は雨が乾いてきてはいるが目元から頬にかけてまだ濡れている。
その雨の跡のせいでお地蔵さまはなんだか泣いているような表情に見えた。
「そう、悲しまないで。ホントにちゃんとお礼に来ますから。」
そう言うと私は手でお地蔵さまについた泥をはらい落として再び手を合わせてお辞儀をした。
それから、私はひしゃげたガードレールに近寄るとそっと身を乗り出し斜面の下を覗き込んでみた。
斜面は暗闇が続き先がどうなっているのか見えない。
それにしても私は何故あんな所で寝ていたのだろう。落ちた瞬間の最初の衝撃から記憶がない。事故に合った後、車のドアが開いて投げ出されたのか、無意識の内にドアを開いて飛び降りたのか。
記憶が無い分、投げ出された方が正解な気もするが。だとしたら車に助けられたのかな。
普段からそれほど綺麗にしている愛車ではなかった。泥や夜道でヘッドライトに誘われて集まった虫の死骸など余程汚れが目に余る時は自宅で洗車もしたが、お世辞にもマメに洗っていたとは言えない。しかし、それでも毎週の週末には往復8時間の道のりを5年も共にドライブをした相棒だ。勿論、愛着はすごくある。
文字通り愛車だ。
ここにもわずかに届く、かすかな異臭が愛車の姿を想像させる。ゴムの焼けるような匂い。恐らくもう共にドライブすることはできないだろう。
車から投げ出されたにも関わらず怪我一つしていないこの奇跡はもしかしたらあのお地蔵さまや愛車が助けてくれたのかもしれない。
「ありがとうな、それからごめんな。」
私は斜面の暗闇に向かって見えない愛車に呟いた。
それから、再びお地蔵さまの前に立ち
「ポイ捨てではありませんからね。大切な愛車ですからちゃんと引取りに参りますから・・・・・・そう悲しい顔しなさんな。」
そう言ってまだ、泣いているように見えるお地蔵さまに再び手を合わせた。
いつまでも鑑賞に浸っているわけにもいかない。
「さてと、行くか。」
腹を決めて私は歩き始めた。
歩く方角はわかっている。
あとどれくらい行けば何があるか。
家に着くためにはあとどれくらい歩かなければいけないのか。
なんと言っても毎週末、通っている道、5年も往復している道。
ここがどの辺か、どっちに進めばいいかくらいはわかっている。
*
何分、いや何十分くらい歩いたろう? スマホを失って時間もわからない。
でも、確かもう そろそろ・・・・・・
そう思った矢先に道の先に看板の光が見える。
“はい、来たコンビニ!”
田舎の山の中のコンビニ。
5年に及ぶ単身赴任の道中でも1、2回くらいしか立ち寄ったことがない。
トイレ1回、タバコ買うのに1回、立ち寄ったくらいか。
大手の“ 7 ” でもなければ “ 牛乳屋 ”でもない、勿論、緑色でもないコンビニ。
ローカルな田舎のコンビニだ。
しかし、こんなにコンビニをありがたいと思ったことがあっただろうか。
しかも、大手コンビニではなくこんなマイナーなコンビニを。
今までは
“こんな山の中で誰が利用するのか?”
“経営は大丈夫か?”
そんなことを思って横目で見ながら通り過ぎていたコンビニ。
”失礼な想像をして、ホントにごめんなさい!そして、ありがとう!”
などと思いながら次第に近づくコンビニの明かりが
やや暗いが赤い看板には明かりが点いている。案の定、駐車場には車は1台もない。
店の前まで来ると、入口付近の頭上にバチッ、バッチッと音をたてて青い光の虫除けの中に飛び込む虫たち。
あの綺麗な光が一つ光るたびに一つの命が消えていく・・・・・・
人間は勝手なものだ、毒ガスは残酷だと言いながら平気で殺虫剤を作り、人がインフルエンザになると必死で予防だの治療だのに躍起になるのに鳥や豚がかかると治療など考えずに全部焼却処分と言って殺してしまう。もちろん、それ以外の措置や解決策など知らない、ただ今は生死の境から生還して初めて命の尊さを実感した気がする。
青い光に群がる虫を眺めながら、ついさっきこの虫同様に光に誘われ外灯に寄って行った自分を重ね合わせてしまう。
“命を大事にしろよ”
そんな共感から今は虫にすら哀れみの気持ちを抱く。
“光によっていく気持ちはよくわかった。”
人も虫も根底では習性は一緒なのかも。
動物学者にでもなったかのような想像をする。
入口の前に着いた。
”よくぞ、誰か知らんがここに作った!”
感謝の気持ちを込めて自動ドアの前に立つ。
・・・・・・・?!
開かない。
自動ドアの前で2,3回ジャンプする。
開かない。
“まさかの閉店(ガラガラ)”
田舎では珍しくない。
24時間開いている。
”開いてて良かった!” なんて都会の話。
昨今の人手不足が問題になる以前から営業時間が22時や23時迄、なんてコンビニは珍しくない。
夜に営業しても滅多に客など来ないのだろうから無理もない話だが。
「マジか!」
自動ドア越しに店内を覗く・・・・・・
明かりは点いているが誰もいない。
思い切ってドアを叩こうかと手をあげて気がついた。
誰かいたとして、入れてもらえたとして・・・・・・それで?
よくよく考えると財布も持ってない。
財布も、もちろん転落した車の中だ。
入って何をする? 何が買える? 何を頼む?
無力な自分に気がつき、振り上げた手を下ろした。
もともと、弱気で服屋に入っても店員が来たら逃げる私。
スーパーに入って買いたい商品が見つからなくても店員に聞けないたちだ。
“入って、どうしよう?”
何をどう説明しようか?というより結局何をしてもらいたいのだ?
考えがまとまらず、後ずさりしながらコンビニから離れていく。
一体、ここまで何に期待して歩いて来たのやら
“まぁ、歩きながら次のコンビニまでに考えよう”
そう思うと、再び家路へと歩き出した・・・・・・
*
何故だろう?疲れていたからなのか、必死だったからなのか、
そこから先はあまり覚えていない。
山を降りて、いくつかコンビニはあったはずだが言い訳が見つからなかったのか、
”ここまで来たら、もうすぐ家だから” と思ったのか、結局コンビニには寄っていない。
ただ、覚えているのは空がほんの少し明るくなった頃、ようやく家のそばまで来たあたりからだ。
いつからだろう、気が付けば辺りには霧が出ていた。
見通しの悪い霧の中、見覚えのある道をすすんで行くと、やがて1軒の家の前で私は立ち止まった。
「・・・・・・平沢。」
霧の中に見える家の門の表札を読む。
それから、ゆっくりと目の前に建つ家を見上げる。
5年前にようやく建てた私の城。
建てて半年で転勤を言いわたされ単身赴任となった。
どれくらいここで寝泊りしたのだろう・・・・・・
今じゃ、すっかり中古だ。
でも、まだ30年近くローンの残った家。
それでも、私を一城の
うっすらと明かりの中に
おかえり、無事で何よりと話しかけているようだ。
「帰ったよ、無事じゃないけどね。」
独り言をポツリと呟いたとき、後に何か気配を感じた。
私が振り返えったすぐ先で霧の中にひとりのおじいさんが犬を連れて私の方を見て立っている。
早朝の犬の散歩のようだ。
「おはようございます。早くからご苦労様ですね。」
事故後から初めて人間と会話したコメント。
死ぬ思いをして、ヘロヘロになって帰ってきたが一応、世間体を保とうとしたのか、
おじいさんは片手に犬の綱を握り、もう一方の手にはスコップとビニール袋を持ちながら
何も言わず、こちらを見てニコニコと微笑む。
その足元にはハッ、ハッ、と息を荒げておじいさんを引っ張るもう少しでお腹が地面に当たりそうなくらい丸々と太ったコーギーがいる。
太ったコーギーとは対照的に痩せて髪の薄い・・・いや髪の無いおじいさんだ。
老人は笑顔のまま犬に引っ張られて行ってしまった。
“ちゃんと散歩しているみたいなのに何で、あの犬はあんなにデブなんだ”
どうでもいい疑問を浮かべながら、犬に引っ張られて霧の中に消えていく対照的な二人・・・・・・一人と一匹を見送った。
“どっちの散歩なのやら・・・・・・あれ?でも、あのおじいさん誰だっけかな?”
“ 誰 ”の中に名前以外の妙な疑問が残る。
少し、もやもやした気持ちで再び家に向き直る。
“とにかく、帰ってきた。・・・・・・ん?待てよ。”
とっさに、頭をよぎった不安からズボンのポケットを探る。
「フーッ」
あった。
流石にズボンのポケットからは落なかった。
ポケットから取り出したそれを見つめる。
手の中に車のリモコンキーと一緒についた家の鍵がある。
体は車から飛び出すほどの事故にあっても鍵はズボンのポケットからは飛び出さなかったようだ。
”これからは大事なものはズボンのポケットだな。”
また、事故に会う前提で事故後の対策を考える自分が間抜けだ。
どうでもいいことを考えながら玄関の鍵をまわす。
我が家ではあるあるだが妻は私が帰ると伝えていても、忘れてチェーンロックを度々している。
普段から厳重に戸締りをすることに、こしたことはないがたまに帰ってきてドアがチェーンロックに
こんな時間だから出来れば起こしたくないが、してあれば・・・・・・
ガチャ・・・・・・
幸いチェーンロックは今日はかかっていない。
静かに「ただいま」と言って靴を脱いだ。
リビングに入ると真っ直ぐ冷蔵庫に向かった。
そういえば喉がカラカラだ。
今まで帰ることに必死で気がつかなったのか、忘れていたのか、安心したら急に喉の渇きが先に立つ。
冷蔵庫を開け勝手知ったる段にある麦茶を手に取ろうとして手を止める。
そのまま、その手を缶ビールに方向転換する。
いや正確には第三のビールだ。
プシュ!
ングッ、ングッ、ングッ・・
「ハァーッ!」
一息で半分以上なくなった缶ビールをテーブルに置き、洗面所へ向かう。
洗面台の前に立つと鏡を見つめる。
右を向く。
左を向く。
正面を向いて舌を出したり、口を“いーっ”としてみたり歯を食いしばってみたりする。
次に手、足と、シャツを
それから再び鏡の中の自分の顔をじっと見つめる。
傷一つない。
「奇跡だな。」
改めて自分の強運に感心する。
今日まで、パチンコ、競馬、宝くじ
あらゆるものにハズレ続け、負け続けてきたのは今日のためか。
もしかしたら、これから先の運も使い切ってしまったかもしれない。
そう思えるくらいの強運だ。
私は五体無事を確認するとそのままリビングに戻る。
テーブルのビールを手にすると残りの半分を一気に飲み干した。
そのまま、リビングのソファに腰をかける。
そこで初めて時計を見た・・・4時。
スタートがわからないから、どれくらい歩いていたのかは分からないが、帰るまでに随分時間がかかったのは確かなようだ。
数時間前か?・・・・・・多分、それくらい前のすごい体験。
奇跡の生還という自分の武勇伝を家族にどう話そうか。
積もる話を頭の中でまとめているうちに
私はいつの間にか、そのままソファで眠りについていた。
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