4. 帰路 1


8月13日  夕刻



「いやな空になってきたな。」


厚い雲に覆われ薄暗くなった空をハンドルを握りながら車内から見上げ、私は呟いた。


異動により単身赴任も5年目になり週末は毎週通う勝手知ったる道のりを、今にも泣き出しそうな空の下をいつもよりスピードをあげて家路を急いでいた。


私の経験上、夏の空を覆うこの灰色より黒に近い厚い雲はそろそろ泣き出す雲だ。それも泣くなんて生やさしいものではなく号泣ごうきゅうの方だ。


8月13日・・・本当なら昨日から休みに入って今頃は家で過ごしているはずだった。


仕事のトラブルで一日遅れての夏休み、世間ではすでにお盆休みはスタートしていた。


午前にはアパートを出られると思っていたが結局トラブル解決に夕方までかかった。


随分、出遅れた私の夏休み。


その出遅れを少しでも取り返したい気持ちも手伝って、いつもよりアクセルを踏み込む。


遅れた分、帰省ラッシュのピークから逃れたがもとよりこんな田舎道に帰省ラッシュの波は及ばない。


いつも通りに空いてる道を快適に飛ばす。


厚い雲のせいで、まだ日没までは大分時間があるはずなのにあたりはずいぶんと暗くなってきた。


自宅まで片道4時間の道のり。


いろいろルートを試し模索した結果、見つけた一番早く家に帰る道のり。


峠越えとなったがこれが一番早い。


リスクよりも時間短縮を選んだこの道。


何よりカーブの数が多いからハンドルさばきに忙しく眠くならない。


居眠り運転のリスクも無い分、ゆったり高速であくびをしながら帰るよりこっちの方がいいかと選んだ道。


何より高速で帰るより金がかからない。


時間云々言いながら結局はケチケチ根性から来た選択かもしれない。


しかし、事実この峠超えが一番早く帰れる。


明るければ差ほど危険なコースとは思わない。


そう、明るければ・・・・・・


だから、出来るだけ明るいうちに峠を越えたかった。


外灯も民家も少ない道が一層暗さを感じさせる。


それでも、家まではもうあと1時間くらいという所まで来ていた。


「おっと!」


慌ててブレーキを踏む。


暗くなる空にばかり気を取られていて危うく行き過ぎる所だった。


見ると横断歩道で手を挙げた小さな子供が二人。その後ろに両親らしき若い夫婦が二人。


私が横断歩道の手前で車を停めると手を繋いだ兄弟が揃って手を挙げて小走りに道路を渡って行く。


続いて後ろから夫婦が私の方に笑顔で頭を下げて渡る。


小学校低学年くらいの男の子がさらに小さい、弟だろうか手を引いて道を渡っていった。


「かわいいもんだな・・・・・・」


手を繋ぎ仲良く道路を渡る兄弟を見て思わず呟いた。


私はチラリと車内のキーホルダーに視線を送った。


ワイパーのレバーからぶら下がる1本のキーホルダー。金属のフレームの楕円形のキーホルダー中には1枚の写真が入っていた。


その中には兄弟二人仲良く微笑む子供の写真が入っている。


言うまでもなく私の二人の息子達の写真だ。


かすかに揺れているキーホルダーの中の二人は私に手を振っているようだ。


七五三の頃の写真で二人とも紋付袴もんつきはかま姿で満面の笑顔だ。


あまりの可愛さにこうしてキーホルダーにいれてお守りのように車につけている。


思えば、この頃が可愛さのピークだったかな?


親はよく自分の子が一番可愛く見えるというが、それを承知でその親ばかぶりを差し引いてもこの子たちが一番可愛いなと、当時は普通の親の更に一回り上を行く親馬鹿ぶりだった。


しかし、このキーホルダーの中の写真をみると今でもまだ親馬鹿は治っていない気がする。


時が経って、すでに片や高2、片や中2に成長し、手を振るどころか今は帰っても出迎えもない。振るのは手ではなく首の方が多くなった。


運良く(?)顔を合わせても「おかえりなさい」の一言もない・・・・・・


「いったい何時ごろからそうなってしまったかな・・・・・・」


独り言をつぶやきながら再び道路を渡りきった子供たちを見ると、渡った先にある家から老夫婦が笑顔で子供たちを迎えに出てきた。


「そっか、夏休みの帰省か・・・・・・」


夏休みの里帰りで久々に会う孫なのだろう、老夫婦は膝をついて兄弟を抱きしめる。


その姿に、見てるこちらも思わず微笑んでしまう。


微笑ましい光景を後にゆっくりとアクセルを踏み込む。


何故か急に家族の顔を見たくなった。


もちろん、あの光景のようなことは私の帰る先には無いのは十分承知している。


微笑ましい家族の姿を見てあわい妄想を抱いてしまった。


妄想くらいいいだろう・・・・・・この後すぐに現実を知るのだろうけど。


そんなどうでもいい考え事を巡らせてハンドルを握る。


途中、過ぎ行くいくつかの民家の前で小さな明かりを目にする。


家の前で火をく光景。


“ 焚き火? ”


焚き火にしては小さく、中には家族でそれを囲んで見守る家もある。


そういえば私にも覚えがある。


子供の頃、同じようなことをしていた記憶がある。


「そうか・・・・・・迎え火か。今日はお盆だったな。」


いくつかの民家の前に見られる明かりは迎え火を焚く火の明かりだった。


私も昔は、家の前の道で父が焚く迎え火を手伝った。


いや、正確には私は見ていただけだったが。


正直、今となっても何を燃やしていたのかよく分かっていない。


何を燃やしていたのかはわからないが、それがご先祖様を迎える火だと教えられたことは覚えている。


ご先祖様が迷わないように、ちゃんと我が家に帰って来られるように・・・・・・だったかな。


いつかは自分がやらなければいけない行事だがいまだに、やり方や作法が分かっていない。


迎え火という神聖な儀式であっても、その本質を理解せず子供の頃は焚き火やら花火やらと火を焚くことに何故かドキドキしたものだ。


まあ、大人になっても火遊びはドキドキする。


違う意味でだが。


余談だ。


迎え火の他にもナスやキュウリに足を作って動物の形に模した精霊馬しょうりょううまなんてのも作った記憶がある。馬に模したキュウリに乗ってこちらに急いで帰って来てもらい、反対に帰りは牛に模したナスに乗ってゆっくりとあちらの世界にお帰りいただくためのものらしいが、そのわりにはどちらも精霊というようだ。


小さい頃は本当に亡くなった人が来るのかと少し怖くなった記憶がある。


田舎の街道ということもあるのだろうが、迎え火を焚いている家を結構なかず見かける。


”この人たちは皆、霊の存在を信じているのだろうか?”


習慣とは不思議なものだ、霊の存在など信じていなくても迎え火は焚く。そもそも霊を否定してたら迎える必要も送る必要もない。しかし、信じていなくても昔からの毎年の習慣というだけで行っている、そんな人も沢山いるだろう。


世界中で宗教や習慣が異なるにも関わらず、幽霊やゴーストなどとそれを指す名前があり、その存在は疑われているのだから本当に存在するのだろう・・・・・・と私は信じている方だ。しかしながら今日までまだ出会ったことはない。


こちらがどう思おうと、もし本当に霊が存在するとしたら祖先や家族が迎え火を焚いてくれないせいで、こちらに来られなかったら気の毒だ。


そういう意味ではこの辺りの家々には今晩から沢山の霊が帰って来れそうだ。


「それにしても、完全に一日分損をしたな。」


夕刻に焚かれる迎え火は私の夏休みの一日目の終わりを告げているようだった。





田舎の街道を過ぎると道は山道に入った。


“この峠を越えれば我が家は目前だ。”


そう思った瞬間、ポツ、ポツっという音をたてて大粒の水滴がフロントガラスに当たる。


「マジか、いよいよ降ってきた。」


4時間もひとりで車を運転していると独り言も多くなる。


「もう、1時間くらいは耐えてくれよ!」


私の願いも届かず、黒く大きな雲の下を進む私の愛車に雨が容赦なく降りかかってきた。


「んだよ!ゲリラ豪雨ってやつか。」


段階を踏まず、いきなりの大粒の水滴がフロントガラスに降り注ぐ。


大分前から黒い雲でサインを出していたのだから”ゲリラ”は適当ではないかもしれないが、いきなりの大粒からスタートした雨は進むほどに更に酷くなる一方だった。


ワイパーの機能は既に最大、いや最速で動いているが、降りつける雨の量は凄まじく視界は次々にガラスにできる雨の波で歪んでいた。


「もっと、速く動かないのかよ、このワイパーは!」


誰が聞くでもない独り言が続く。


エアコンから微かに雨がアスファルトを濡らす臭いがしてくる。


私はこの雨の臭いは嫌いではない、嫌いではないが今は全く歓迎できない。


いつもは片手でハンドルを握る私だがいつの間にか両手でハンドルを握り背もシートから離れ、初心者ドライバーさながら前のめりで運転していた。


カーブの続く峠道を、雨の流れるフロントガラスから歪んで見える白いガードレールの色を頼りに道を走る。


時折、水たまりにハンドルをとられ、その度にハンドルを強く握る。


カーブを曲がる度にキーホルダーの中の子供たちの写真がフラフラと揺れる。


それに向かって呟く。


「待ってろ、もうじき帰るからな。」


少し見通しのいい直線の道に出ると視界の悪さからすでに運転をあきらめ道の端に車を止めハザードを付けて雨雲が過ぎるのを待つ車もチラホラあった。


しかし、私には無い選択肢だった。


勝手知ったる道、家まであとたった1時間程度、損した夏休みを少しでも取り返したい。


急いでも、急がなくても出迎える家族の態度は何も変わらない。いや、それ以前に出迎えなんてない。


今更、急いでも食事の時間に間に合うわけでもないし、どうせ妻はソファでテレビでも見ながらうたた寝して自分の帰りなど待ってはいない。もちろん子供たちも。


“ うっさい! わかっとるわ! ”


心の中で突っ込んだ。


十分、承知しているし、そんなことは予想の範疇はんちゅうだ。


でもおそらく、もう少し行けばこのゲリラ豪雨の元となる黒雲も抜けられるはず。


ただの勘だが、そう思えばがんばれる。


全く根拠のない推測を信じて車を走らせた。


しかし、残念ながら私の進路の先に黒い雨雲は延々と続いている。


なんの根拠があって、何を信じてそう思っているのかわからない。


しかし、幸いまだ夕方、暗くはあるがまだうっすらと明かりはある。


車は再び峠のグネグネとカーブの続く道に入っていた。


“ 夜になる前に峠を越えたい。” 


私の中にはそんな気持ちがあった。


フロントガラスは流れる雨によって全ての物をぼやけさせた。


そんな中、対向車線から黒いモヤモヤの塊が映り出す。


「対向車・・・・・・トラックか?」


次第に大きくなるその黒い塊は対向車線から来るトラックのようだ。


ガラスに映る白いガードレールの色を頼りに車を左に寄せる。


対向車線側にどうにかすれ違えそうな道幅を保って気持ちスピードを落とした。


トラックと思われる大きな塊はフロントガラスの視界から右側の窓に移っていく


どうにかすれ違ったと思ったその時、


ザバッ!!


降っている雨とは比較にならない大量の水がフロントガラスを覆う。


まるで誰かがバケツ一杯、いやその何倍もの水を一気に浴びせかけたような大量の水。


「おいっ!!頼むわ!!」


すれ違い様のトラックが水たまりに溜まった大量の水を私の車に跳ねかけたのだ。


その瞬間、私の視界は完全に失われた。


とっさにブレーキを踏み減速する。


が、時すでに遅く


ガクンッ!


何かにぶつかった感じではない、


突然、車が前方に傾いた。


“ 何が起きた? ”


事態を理解する間もなく運転席の横の窓から過ぎ行くガードレールが視界に飛び込み思わず叫んだ。


「嘘だろッ!!」


体が宙に浮く感じがした。


私は絶叫マシーンが大嫌いだが乗ったことはある 。


カラカラとゆっくり登った後に訪れる落下の感じ、


足の踏ん張りのきかない、あの大嫌いなジェットコースターの落下する感じ。


まさにそれだ。


何が起きたか、自分がどうなっているのかも瞬時に理解できた。


そして、ハンドルを強く握り、肩をすくめ、歯をくいしばる。


アクセルとブレーキから足を離し、床に強く踏ん張った。


次にやってくる衝撃にそなえて・・・・・・


ドン!


車が着地したのか、何かにぶつかったのか、


雨で見えないガラスのせいでどこから衝撃が来るのか分からない


予想もたてさせない。どう受け身をとっていいかわからない。


最初の衝撃で私はハンドルに顔を強くぶつけた。


いや、ハンドルだったのかエアバックだったのか正直わからない。


ただ、私はその一撃で KO され記憶は飛んでいた。





私の車がトラックとすれ違ったのはカーブの手前だった。


トラックから水しぶきをかけられ視界を失った車はカーブを曲がることなく真っ直ぐ進んだ。


しかし、それでも本来ならその先にあるべきガードレールに当たって車は止まるはずだった。


運が悪いことに私の車が当たるべきにあるガードレールは崖の方に向かって大きくひしゃげていた。どこぞの先人せんじんがぶつけてくれたおかげだろうか、ほんの2メートルくらいだがこの位置だけガードレールの役目を成していない。


私の車はそのガードレールのひしゃげた所を綺麗にかいくぐってしまった。それも左右のどちらかに数十センチでもずれてくれていれば、フロント部分がちゃんと役目を成しているガードレールにぶつかって違う展開になっていたかもしれない。


ただ、私の車はそこを綺麗にすり抜けた。


そして、車が何かにぶつかる音も、その姿も降りしきる豪雨にかき消され、誰にも気づかれることなく車は峠道から落下していった。

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