2. 遠い記憶



“一体、何が起きた?”


私は眩しさから一瞬目がくらんだが、ゆっくりと目を開けた。


少しずつ目が明るさに慣れてくる。


”明るい?それに・・・・・・。”


まだはっきりと焦点の合わない視界の中に沢山のうごめく物体と耳からはざわめく人々の声が聞こえてきた。


ゆっくりと見えてきた視界の中に多くの人の姿が飛び込んできた。同時に今までの静寂もかき消される。


いつの間にか私の周りを多くの人が歩いている。


突然、にぎやかな人ごみの中に私は立っている。


さっきまでの暗闇は何処に行ったのか、夜でもなければ


蛍もいない、蛍の代わりに多くの人々が歩いている。


さっきまでの同じ方向に向かって飛んでいた蛍と違い、目の前の人々は皆バラバラの方向に歩いている。


ベビーカーに子供を乗せて歩く夫婦、ソフトクリームを持って楽しそうに歩くカップルらしき男女、楽しそうに会話している高校生ぐらいのグループ、ガイドのような人に連れられ団体で移動して行く人たち。


“ここは・・・・・・?”


公園でもなく、お祭りの時の歩行者天国の道路ともちがう。


そう、まるで遊園地やテーマパークのようだ。


私はキョロキョロと周囲を見渡した。


“あれ?・・・・・・たしか。”


見たことのある景色だった。


遠い記憶の中でこんな景色を見たことがある。


気が付けばさっきまで私を引っ張っていた男の姿もなくなっていた。


いや、正確には周りに人が多すぎてさっきの男がいたとしても区別がつかない。


ただ、私の手を掴む者は今はいない。


私は暫く、そこに立ちつくした。


状況の変化に驚くより、見覚えのあるこの景色を思い出そうとしていた。


すぐ目の前に右手に“パンダ館”があることを指し示した案内標識がある。


「パンダ館・・・・・・ポートピア?」


“・・・・・・そうだ、思い出した、ここは私が小学生の時にきた博覧会、*ポートピアだ。”


*注)【ポートピア】

正式名称は神戸ポートアイランド博物館。

ポートピア‘81とも呼ばれその名のとおり1981年(3月20日~9月15日)に神戸港に造られた人口島<ポートアイランド>において開催された博覧会。


2006年に惜しまれつつ閉園することになった遊園地<神戸ポートピアランド>はこの博覧会からの施設であり、他にも特徴的なフォルムで有名な神戸ポーピアホテルも博覧会当時から開業した施設だ。


博覧会の終了と同時に消えてしまいその後は残っていないが博覧会場のパビリオンも個性的な物が多く、コーヒーカップの形をしたUCCコーヒー館や地球の形をした球形の建物があった。


当時、ゴダイゴがキャンペーンソングを歌い、開催中はよくテレビからそのCMソングが流れていた。その年を代表する国内の一大イベントだった。実際、博覧会も1600万人の入場者を集め60億円の純利益をあげ大成功に終わった。


その後、ポートピア殺人事件なんてゲームがファミコンで出たが、それは今、関係ない。







”そうだ、ポートピアだ”


視界に飛び込んできたコーヒーカップの形を模したパビリオンを見て確信に変わった。


私が子供の頃、家族で来た神戸の博覧会。


ここに来たのは、たしか小学生の高学年の頃だろうか。


“また復活したのか?”


似たような施設か、はたまた当時の復刻版でも出来たのかと一瞬考えたが道行く人たちのファッションがそうでないことを教えてくれる。


特に道行く若い女性の髪は何やらボリュームを抱き軽く丸みを帯び・・・・・・ファッションに明るくないので上手く説明できないがこれはいわゆる1980年代に流行していた“聖子ちゃんカット”という奴ではないだろうか?似たような髪型をした女性を他にもチラホラみかける。

当時、小学生だった私には気がつかなかった流行だ。無理もないまだテレビでは鳥山明先生   ・・(あえて敬意をもって)の作品は「オッス!」ではなく「んちゃ!」と挨拶をして、土曜の夜は「8時だよ!全員集合!」か「オレたち、ひょうきん族」を観るか悩んでいた世代だ。もっとも、そんな悩みもたまに親父が家にいるとナイター中継にチャンネルは奪われ、それまでに悩んで出した答えも水泡に帰したものだった。


とにかく、当時そんな子供だった私にこの道行く多くの女性の個性的な髪型が「聖子ちゃんカット」だなんて自信をもっては言えないが、服装やら何やら全てを加味して昭和を振り返った時のテレビ番組の中の映像とそっくりな世界が目の前にある。


これは、どう考えても私が昔の、1980年代のポートピアにいる方がしっくりくる。

しっくりくると言うのも何か間違っている気がするが。


ただ、目に映る世界が忘れていた昔の記憶を呼び覚ました。


当時、田舎者の私(今もさほど都会にいるわけではないが)にとって人生で初めて直面したまっすぐ歩くことを許さないほどの人ゴミと、更に周りを見たこともない形をした建物に囲まれその光景に唖然としていた記憶が蘇る。


同時に前日、家族で泊まったホテルで明日はここへ行って、次にここへ行ってと事前に入手したパンフットの地図を見て入念に回るルートを計画し、それを楽しそうに家族に話していた自分の姿が記憶に蘇ってきた。


”なぜ、いまポートピア?”


という疑問はあったが、


“なぜ、ポートピア前日のホテルの記憶まで一緒に思い出すのか?”


という疑問はなかった。


特に思い出に残るような一流のホテルや素晴らしい料理のホテルに泊まったわけではない。原因は次の日の自分の・・・・・・私自身の行動にあった。


ポートピア‘81のパビリオンの中でも目玉中の目玉だったものに“パンダ館”がある。


当時、ジャイアントパンダの“ロンロン”と“サイサイ”が中国から借りて展示されていた。今でもパンダに出会える動物園はそう多くはないが、当時は今よりも大きく人気を集め、更に生で見られる機会は少なかったためパビリオンの前には常に長蛇の列ができていた。


当時の私の一番の目的もこのパンダ館だった。


会場入りして最初に向かう場所はパンダ館と決めていた。


博覧会を訪れて最初に入ったパビリオン。何時間も待ってようやく入れた一つ目のパビリオン。初めて見る現実リアルなパンダを私は窓にへばりついて眺めていた。


夢中になって眺めた。


ふと、周りを見渡すと、そこに知っている顔はなかった。慌てて辺りを走り回ったが家族の顔は無かった。


私は迷子になった。


記憶にある中では最初で最後の迷子だ。


置いて行かれた気がした。


孤独を感じた。


皆、私よりパンダが大事だったのか?


もしかしたら、今も私が居なくなったことさえ気がついていないのでは?


過ぎ行く大人の顔を一人、一人確認しながら先に進んだ、その先には・・・・・・パビリオンの出口があった。


人ごみの流れに逆らってパンダの所まで戻る勇気はなかった。


小学生とはいえ、上級生だった私は、泣き出すわけにも行かず、何事も無かったように“パンダ館”の出口から出た。


周りの大人から迷子だと悟られたくなかった。


本当は不安で一杯だったし、泣き出しそうだったが、悟られたくないから平気な顔をしていた。


入るまでに何時間も待ったパビリオン。


今更、入口に戻って再び何時間も並んで入りなおすわけにも行かず、出口で途方にくれていた。


そう、・・・・・・あの時のパンダ館に、そっくりだ。


いや、おそらく間違いなくその物だ。


もちろん、道行くベビーカーの夫婦や、ソフトクリームを持つカップルの顔など覚えていない。


しかし、脳裏によぎる、私の知っている景色、場面。


記憶の引き出しにしまっていたものが引っ張り出された。


私の横を絶え間なく人が通りすぎて行く。立ち尽くす私になど誰も目を止めず、まるで私などここにいないかのように人々が通り過ぎてゆく。あの時と同じように。


私はそこに立ち止まって、ただ遠い記憶を思い出していた。


当時、泣きわめくでもない私は迷子としては逆に見つけにくかったのだろう。

係員に見つかるわけでもなく相談するわけでもなかった私は迷子センターに捜索を依頼していた両親の気持ちなど分からずフラフラと辺りを歩きまわり父や母の姿を探しまわった。結局、私が見つかったのは夕方だった。楽しみにしていた博覧会はパンダ館だけで終わった。搜索にかかりきりだった両親も巻き込んで家族で回ったパビリオンはトータルで1箇所だけ。


「パンダ館。」


この博覧会の思い出には、その後ろめたさがいつもセットとなってつきまとう。前日、楽しそうにルートを説明していたのに、全てを自分で台無しにした間抜けな記憶がセットになっている。あまり思い出したくない記憶だ。


“なのに、なぜここ?”


どれくらいの間そこに立ち止まっていただろう、忌まわしき記憶を考えまいと、ようやく歩き出したその時、突然、私の左腕を誰かが掴んだ。


「またかよ、何すんだよ、おっさん!」


またもや、ふいに掴まれた手に今度は迷いなく言った。


“これは、さっきのおっさん”だと確信していた。


”おっさん”は掴んだ私の手の掌の上に何かを載せた。そして上から自分の手で包むように私に何かをしっかりと握らせた。


“何を、握らされたんだ?”


しっかりと何かを手の中に握らされた感触がある。


私の手を握る男の手首にはさっきの暗闇で見えたのと同じ腕時計が見える。


”やはり、さっきのおっさんだ。”


私は相手の顔を見ることなど忘れ、自分の左手に握らされた物の方が気になっていた。


男は私のぐっと握られた拳を自分の両手で包み込むようにギュッと強く握った。


まるで、手の中のものを離さないようにしっかり握っていなさいと言わんばかりに。


私に意が通じたと思ったのか男はゆっくりと私の手を放した。


私は自分の左拳を凝視しながらゆっくりと手を開いていった。


しかし、指を緩めるとすぐにさっきと同様の強い光が今度は握った左手の中から発せられ、私は眩しさから再び強く目を閉じた。


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