1. プロローグ


「綺麗だな・・・・・・」


私は呟いた。


目の前を無数の蛍が飛んでいる。


緑色の光を放ちながら大小様々な大きさの蛍が飛んでいる。


幻想的なその光は皆一様に同じ方角へとゆっくりと流れて行く。


を描くもの、波打つもの、一直線に飛ぶもの個々が自由に動きながらも光たちは皆、同じ方角へと流れて行く。


まるで、緑色のイルミネーションに彩られたトンネルの中にいるようだ。


幻想的な光に包まれ私は蛍の作るトンネルの中をゆっくりと歩いていた。


しかし、私だけは蛍たちの進む方角ではなく反対方向に進んでいた。


無数の蛍の光以外は何も見えない、光に照らし出される物もない。ただ光を頼りに、トンネルを歩いてゆく。


蛍の流れに逆らって反対に歩いているのにどれ一つとして私の体にぶつかる光はない。


蛍たちは皆、上手に私を避けて反対方向へと流れて行く。


蛍の群れが何処から来るのか気になるのか?


向こうに何かを感じるのか?


理由は分からないが私には何故かそっちに行かなければいけない気がしていた。


沢山の蛍の光が私の周りを音一つ立てずに静かに通り過ぎてゆく。



私は引き寄せられる様に蛍達の来る方向に歩いていく。


いつ終わるともわからない緑色に光るトンネルの中をただ黙々と歩き続ける。


“あっちに行かなければ、あっちに行きたい”


強く感じるその思いのみで歩を進めた。


誰かに言われたわけでも、頼まれたわけでもない。何故そう感じたのかもわからない、私はただ何かに取りかれたように歩いた。


どれほど歩いただろう


バシャッ


突然、足元から音がした。


”水たまり?”


足が水に入ったような音。しかし、冷たさは感じない。


足元を見たが蛍の光は足元までは及ばず、今どんな地形を歩いているか照らしてはくれない。


それでも私は気にせず進んだ。


私は進む方角に何があるのか知る余地もない。


ただ私は “そこ” を目指した。


バシャ、バシャと次第に水たまりは深くなる。


靴はとうに水の中にある。


靴も足も水に浸かり、水の抵抗の中を歩いている感覚も感じる。


しかし、不思議と冷たさは感じなかった。


私は進んだ。


やがて、水の深さが太ももまで来ていた。もはや水たまりとよべる深さではない。


歩くだけでもたまに流れに足をとられる。


“流れ?水たまりに?”


水たまりと思っていたこの水は・・・・・・どうやら、私は川の中を歩いていたようだ。


緩やかではあるが確かに水の流れを足に感じる。


進行方向の右側からやや強い流れを感じる。


どうやら右側が川上なのだろう・・・・・・がどうでもよかった。


水たまりが川になろうが沼になろうが私の足は止まらない。止める気はない。


水深が深くなったせいでやっと、上空に飛び交う小さな蛍の光でも流れで揺れる水面を照らし出した。


思った通り流れている。私の右手側から左手側に水が流れている。つまり私は今、川を横断する形で進んでいることになる。


水深はさらに深くなり水は胸まで達していた。


私は泳ぎは得意ではない、いやむしろ泳げないと言っていいほど。


このままどんどん水深が深くなれば進むどころか命にかかわるはだ・・・・・・。


しかし、私はそんなことは全く気にせず深くなる川の中を進んだ。


もう少しで、自分が目指している場所に行けそうな気がした。


そこが何処なのか、


何を目指しているのかなど全くわかっていないのに・・・・・・。


気持ち、川の深度もさっきより浅くなってきているようだ。


”川を渡りきれる。”


対岸が見えるわけではないがそんな気がした。


その思いが私の歩みを少し早めた。


“早く対岸に渡って少し休もう”


ここに来て急に疲れを感じる。


何処か痛いわけでも、息が切れるわけでもないが妙に疲れた気がする。まるで何年も昔からずっと、こうして歩いていた気がする。


“何でもいいから休みたい。横になりたい。もう、がんばりたくない。”


突然、そんな気持ちが自分の中に芽生えた。そしてその気持ちは歩くにつれ強く

なってゆく。


一時いちじは胸まであった水も今では膝まで浅くなっていた。


そろそろ水から抜けられると思ったその時、


突然、後ろから私の右手を誰かが掴んだ


グイッっと強い力で進行方向とは反対方向に引っ張られる。


あゆみを邪魔される。


もう目の前に対岸がある気がするのに。


目指すところがそこにある気がするのに。


やっと休めるのに、歩くことを、がんばることをやめられるのに。


「ちょっと、何すんだよ!」


私は振り返り、邪魔をされたせいかやや怒りにも似た感情で思わず叫んだ。


視線が掴んだ腕をたどり相手の顔を見上げる。


だが、暗くて顔がよく見えない。


いや、正確には相手の顔がぼんやりと光っている。


すぐ目の前にいるのに顔が見えない


私は目をこすった。


最近、年を重ねて近くのものが見えなくなってきた・・・・・・が、流石にこれは関係ない。


辺りを飛ぶ蛍の光ではない、明らかにこの人の顔がぼんやり光っている。顔だけが光っている。


蛍の光とは違う色、白みがかったすごく弱い蛍光灯のような色で顔から光を発しているようだ。


私は眉間みけんにしわをよせ目を凝らした。


光っているが顔はよく見えない。


“何なんだ、こいつは?”


「おい、何すんだよ、おっさん!」


”あれ?何で今、俺おっさんって・・・・・・。”


ぼんやり光る顔は男か女かもわからない。


だが、このおっさん(?)は自分の手を掴みどんどんと今来た道を連れ戻す。


”何故、こいつをおっさんと?”


疑問を抱きながら差ほど強くも掴まれていない手を引かれ、私は連れて行かれる。


手をつなぐように握られそのまま引っ張られて行く。


いつの間にか、川の水はまた膝の高さまできていた。


よく見ると私の手を握る相手の手がわずかに見える。


少し毛の生えた血管の浮き出た手の甲・・・・・・“やっぱり、おっさんだ”


おっさんは確定してないがやはり男だ。


そんなに多くの女性の手を握ってきたわけではないが女性の細いきゃしゃな手ではない。イメージだが、この握られた感じは男に決まっている・・・・・・イメージだが。


“?!!”


男の手首には腕時計が見える。


“あれ?この腕時計・・・・・・どこかで見た気が・・・・・・”


時計から視線を再び男の顔に移す。


その時、男がこちらを振り返った。


しかし、やはり顔はぼんやりと白く弱い光を発するだけで見えない。


ただ、私はいつの間にか抵抗を止め引っ張られるまま歩いていく。


今度は蛍が向かう方向、最初に歩いて来た方に戻されていく。


さっきまではあれほど反対側を目指していたのに。


行かなくては行けない義務感?使命感?いや本能のような感じだった。


だが、今は無理矢理に反対側に連れて行かれる。


この男に連れられて・・・・・・


にもかかわらず、妙に心地よく、穏やかな気分だ。


私の手を掴み引っ張るこの手に懐かしさすら感じる。


いつの間にか、さっきまでの疑心や反感はなく引かれるままについて行った。



やがて水深ももう足首くらいまで浅くなり、そろそろ川を抜けようかという時に突然、目の前が白く光った。


いや、辺り一帯が強い白い光に覆われた感じがした。


私は眩しさから目を閉じた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る