第14話

 結局、カブトガニ入りの金魚鉢はかすみ荘二〇二号室の俺の家にある。定位置はカーテン越しにベランダに続く窓辺。

 あれっきり、海原姫はカブトガニのままだ。

 元に戻る様子も、逆に小さくなる様子もない。

 現状維持。

 何らかの手法で生気を与えればまた人の形になるのだろうけど、今のところ彼女にその気はないようだ。何も訴えてこない。

 天気のいい日は日光浴を楽しんでいるようだが、時々外から鳥に狙われているらしく、怯えていることもある。ガラス戸があるから大丈夫だと言っているのに、ホントに気弱だ。千暁を惑わそうとしていた姿が、まるで幻のように思えてくる。

 千暁は、相変わらず俺の家にいる。使い魔も時々遊びに来て、騒がしいことこの上ない。

 まだこのことは鹿子には言っていないけど、いずれ話さなくちゃならなくなるんだろう。明日にでも千暁が出ていってくれない限り、間違いなく。

 そう、千暁と言えば、あの後、食事の席で所長が余計なことを言った所為でますます俺の家から離れる口実を失くしてしまった。

 あのオヤジが何を言ったかというと、

「ちあきくんも僕の事務所で働くといいよー、あはははー」

 あはははー、じゃねぇっ!

 千暁は即行オーケー出すし、栄居はなんか嬉しそうに戸惑ってるし。

 穂乃美もいつでも千暁に会えるとなって大喜びだし。

 複雑なのは俺だけだ。

 自分で食べる分を自分で稼いでくれる分には構わないけど……。

 一つ、あの事務所にそれだけの財力があるのか。

 一つ、働きだしたら千暁は一体いつ帰ってくれるのか。

 一つ、…………働いてどーするよ。

 何だかんだ言ってちゃんと事務所には居るけれど、戦力になっているかというと微妙……。

 あれから一週間。

 千暁の身長はそれほど変わっていない。縮むには相当の時間が掛かるようだ。

 ただ、頭の方は……。

「ほらー、千暁。だおーと遊んでねぇで、少しは手伝えよ」

「だってこれ、もふもふしてて手触り良くてさ。飽きないんだもん、仕方ないじゃん」

 ――モミモミするなんて、セクハラなんだお! 訴えてやるんだお!

 てか、おまえ、雌か。

 ――女の子と言え、しつけいな!

 また促音、発音できてないぞ。それに、どこもかしこもぺったんこの癖に良くもそれで女の子だなんていえたもんだな。

 ――女を胸で判断するなんて、このおっぱい星人! エロ魔神! へ・ん・た・い~!

 ……コノヤロ。

「どしたの、円。なんか、顔、恐いよ」

「俺にも苦労があるんだ。解るわけねぇよな」

「そこって普通、『解るか?』って訊くもんじゃないの?」

「おまえの場合はわかんないこと前提だからいいんだよ」

「酷いなぁ、円。あー、俺、傷ついたなぁ。凄くきつずいた」

「言えてねぇぞ」

「きつつきいた」

「どんな幻覚だ! ヤクでもやってるのかおまえは!」

 どう考えたって無理なのにどうしてそうなる、おまえの頭。

 こんな会話を聞いて、

「楽しそうですねぇ」

 と栄居は笑うし、

「やあ、千円コンビは上手く行っているかな?」

「千円って……」

 所長には安く見積もられるし。

「俺たち二人で千円なら俺が九〇〇円で千暁が一〇〇円ですかね」

「俺が千で、円はゼロ」

「千暁の癖に生意気だぞ!」

「あー! それ、実旺くんも言うんだよ! 酷いや円。二人で共某してるんだな!」

「俺、実旺くん知らねぇし! それに、言うなら共謀だ! 共に某(それがし)でどうする!」

「友煮それ菓子?」

「どういう誤変換だ! 人肉嗜食は三時のおやつか!」

 まあ、なんつかー、こんな感じで喉嗄らして過ごしていますよ、と。

 今回は起きたこともそうだけど、なにより俺の周りが突拍子無くて助かったというか驚いたというか。

 おかしな事には食傷してる。おなかいっぱいだ。寧ろ胸焼けしている。

 何故なら、あの時、千暁が目一杯俺の血を吸ってくれたあの後から、視界が異様に煩くなった気がしていた。いつもの文字だけではなくて、もっともやもやした物とか、有り得ない物がちらりほらりと見えていた。始めは気のせいかと思っていたんだけど、これがそうはいかず。

 実は、千暁の腹を満たすだけ吸われたことをきっかけに、七年間封印されていた能力がどうも蘇ってしまったらしい。千暁の隷属にならない代わりにしても、俺としてはちょっとあんまりだ。

 変化が起きたのは俺だけじゃない。千暁の方もだったらしい。どういう変化かというと、

「ねえー、やっぱりうっとうしいよぉ。円ぁ。顔上げるとクラクラする」

「俺の不便、思い知ったかコノヤロ」

「わー! 今、カタカナ見えた!」

「カタカナで言ったんだよ!」

 というわけ。

 千暁にも俺の世界が感染してしまいましたとさ。見えないだ鬱陶しいだと言っている割に楽しんでいるようだからあんまり気味は良くないんだけれども……。

 後日談も含め色々あったけど、取り敢えず落ち着いたこれから、これ以上変なことが流行らないといいんだけど、どうだろうか。

 ……って、誰に訊けばいいんだろ。

 ね、千暁。おまえ、なんか知らない?

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不可思議パンデミック タカツキユウト @yuuto_takatsuki

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