第8話
電車の中では人の姿で居たのに、出るときになってまた同じ手を使い、千暁は無賃乗車を完遂した。
首都を東西に貫く中央線を東に四駅。若者が集う都心、新宿に到着した。
昼に近い時間でも、流石に平日。人はまばらかと思いきや、そうでもなかった。
それでも、すぐに追いかけなかったために見失うというレベルを遙かに超えて見失っている。
この駅に降りたかさえ、実は確かではない。居るはずだと思ったのは、昨日この街で見かけたからだ。理由はそれしかない。
さて。平日でもそれなりの人が集まっている首都、都心。そこでどうやって何処にでもいる一人のおじさんを見付けよう。
恐らく彼の最終目的地であろうブティックホテルが林立する界隈へ直接向かってしまう他に、何かいい手段は……。
「まどか。こっちこっち」
「なんだよ。遊んでる暇なんて無いんだからな」
「ちがうよぉ。このゲームセンター」
「遊びたいんなら百円やるから倍にして返せ」
「パチンコじゃないんだから無理言わないでよ」
「取って欲しい物があるなら期待するなよ。俺、こういうの下手だから」
「だーかーらーちがうったらぁ。見てよ、中」
身体を掴まれ、否応なしに中を見る態勢に。
と、見たことのあるバーコード予備軍中年が一人。
歓声こそ上げていないものの、クレーンゲームの前で白熱している。
一見しっかりしていそうで、実は菓子袋の一つもろくに持ち上げられないアームで所長が引っかけているのは、黒い猫のような薄くて少し長い、よく解らない生き物を模したようなぬいぐるみだ。
猫の姿の千暁を見て何か触発されたのか。
それとも単に趣味なのかも知れない。
これから会う女へのプレゼント、という線は俺の中にはなかった。以前見たとき、こういう緩いキャラクターを好みそうな人には見えなかったからだ。例外はあるかも知れないけど。
ぽふっ、と触り心地の良さそうなぬいぐるみが取り出し口に落ちた。
「誰かに会うのにクレーンゲームなんてしないよなぁ」
黒いぬいぐるみを拾い上げて嬉々としている様子は、自分のために取ったようにしか見えない。
「わー。じょうずだね、所長さん」
「こんなの巧くてもなぁ。もっと違うところの操縦が巧けりゃいいのに……」
事務所の経営とか、婦人の我が儘とか……。
ぼんやり考えているうちに、ぬいぐるみ一つで満足したらしい所長が出口に向かってきた。
「隠れるぞ、千暁」
「なんで?」
「尾行がバレたら尾行にならねぇだろ?」
「あ。探偵ごっこ?」
「ごっこじゃねぇ。コレが俺の仕事。解って無くても隠れろ」
千暁の腕を掴み、隣の店の入り口に身を潜める。
ゲームセンターから出てきた所長のコートにあるポケットから、黄色い目に尖った耳をしたぬいぐるみが顔を出していた。こちらを、執拗に凝視してくる。
――連れて行かれちゃうんだおー。おっかけて欲しいんだおー?
ぬいぐるみに言われている気がした。
遂に俺は生き物じゃない物の言葉まで聞こえるようになってしまったのか。えらいことだ。益々煩くなって敵わない。
という冗談はさておき、距離を取って所長の追跡を開始した。少し遅れて歩き出した千暁も、俺のすぐ横にいる。
いよいよ目的の所に向かうのか。
自然と緊張してきた。こういった作業はかなり慣れてきたとはいえ、相手が自分の勤め先の所長となれば話は変わってくる。
身内を追跡することになろうとは、仕事を始めたばかりの時には悪夢にも見なかった。
嫌な汗を掻きそうだ。
妙に心拍数が上がっている。
「……って」
追跡を初めてまだ一分と経っていないのに拍子抜けさせられた。
所長が入っていったのは、巨大な家電量販店・本店。歓楽街と共通している点は、電飾が大仰なことくらい。
何故に電器屋。
行動パターンがまるで読めない。
「ね、どうしたの。行かないの?」
千暁に裾を引っ張られ、やっと我に返ることが出来た。
事の顛末によっては所長に対しておひねりの一つも要求してやる。完全にコレ、タダ働きなわけだし。
千暁に腕を引かれる形で俺たちは電器屋に入店。
さっきと立ち位置が逆であるのはこの際気にしない。
時間が空いたために見失ったことを危惧したが、心配には及ばなかった。
一階のパソコン、デジタルカメラ売り場の一画に、ターゲットを確認。彼は、小型デジカメを手に取り、ファインダーを覗いたり手に持った感触を確かめたりしている。
そういえばこの前、
「そろそろ僕もデジタルの時代かなぁ」
等と言いながら、
「そこの帳面取って」
なんて言っていた。
ハンガーは衣紋掛け、メジャーは巻き尺、定規は物差しで、国立大学は帝国大学の東野氏にデジタルの時代が訪れるのはいつの事やら。
俺はもっぱらデジカメだから、むしろ銀塩カメラはなかなか味があっていいと思うのだけど、彼としては銀塩もデジカメも使える男になりたいらしい。
でも、デジカメに乗り換えても暫くは熱中するも結局は銀塩に戻る、に俺は一票。
物陰に隠れてパソコンの動作を確認するフリをしながら観察続行。注視し始めてから早くも彼は三冊のパンフレットを小脇に挟んでいる。ポケットのぬいぐるみは今はこちらを向いていない。
彼が動かないからこちらも動けない。
適当にパソコンの機種を変えて動いてはいるが、そろそろ店員が商品を押し売りしに寄ってきそうだ。そうなると面倒になる。
動け。追いかけるのはそれなりに大変だけど、取り敢えず動け。
呪う勢いで念を送ってみる。
俺はそういうのが使える能力はないが、物は試し。
むーん。
効くかどうかも解らない念を送っている間、千暁はプリンタのデモ販に夢中だ。大人しくて助かる。
むーん。
退くのが嫌なら、寄ってくるなよ店員。
むぅ~ん。
あー、眉間に皺寄ってる気がするなぁ、俺。
ん? んん?
動くのか? 動いて、何処に行くんだ、所長。
「おい、行くぞ……って、千暁!」
俺の声なんか聞いちゃ居ない。早く追いかけないとまた見失ってしまうというのに、やたらと音量のでかいデモ販のお兄さんに千暁は完全に没頭している。
これぞ集団催眠か。恐ろしい。
「ほらっ! 何ノせられてんだよ。探偵ごっこ、するんだろ」
「まどかぁ、アレ、ほしい~」
「そりゃただの刷り込みだ。妄想だ。洗脳だ。早くしないと捨てるぞ、……クソ猫」
「はにゃ…………! …………ひーん。捨てちゃいやだぁ」
「だったら来い」
千暁の表情がころころ変わるのは正直見ていて楽しいが、こちらは将来が掛かっているかも知れない事態だ。見失いました、なんてお粗末な結果は、俺のなけなしのプライドだって傷が付く。
さて。仕事をしなくちゃいけない時間にゲーセンに行き、デジカメを物色し、次は何をするつもりだ。
てっきり店を出るつもりなんだと思って目で追っていくと、所長はエレベータに乗り込んでいった。この上更に店内をうろつくつもりらしい。
俺たちに気付いている様子はなかったから、撒こうとしているわけでも無さそうだし。
だんだん、昨日自分が目撃した光景に自信が無くなってきた。
もしかして俺は、独り善がりな妄想の果てに素晴らしい勘違いをしているんじゃあるまいな。
万が一そうだった場合、栄居も同罪だ。むしろ罪を着せてやる勢いで、俺は否認してやる。
エレベータに同時に乗り込むわけにはいかないので、一旦扉が閉まるのを待つ。
八まである数字のうち一番始めに止まったのは、なんとすぐ上の二階だった。
「何で二階かなぁ……」
誰かが乗り込んできたのかも知れないが、一階から乗った奴が下りたのだとしたら、いっぺん殺したい。
これじゃあ虱潰しにしたから見ていくしかない。なんて気の遠くなる作業だ。
千暁を引っ張り、エレベータのすぐ脇にあるエスカレータで二階へと向かう。
また俺が引っ張る位置だ。いっそ猫になって貰って鞄に突っ込むなり抱えるなりした方が早そうだが、店内に動物を持ち込むなと入り口に書いてあるだけに、見つかると一悶着起こりそうだ。
面倒だけど、このままで行くしかない。
本当に今日は「面倒だ」と思う回数が多い。元から面倒臭がりではあるけれど、こんな短時間に「面倒だ」を連発した回数は自己記録更新だ。
そんなレコード塗り替えたってどうってことはないし、誰も褒めてなんかくれないから黙っておこう。
二階はパソコンのソフトウエア売り場。今度は高めの棚が入り組んでいて探すして回るのに苦労しそうだ。うっかり覗いた列に居て顔を見合わせてしまったら一巻の終わり。ゲームオーバー。
鉢合わせは避けつつもスピーディーに捜索、というのが理想だが、なかなか難しい。
前者を取れば遅くなる。後者を取れば行動が杜撰になりがちになる。
追跡に便利なガジェットなんて持ってないから、足を使うより他無いし。漫画の中の名探偵やジェームズ・ボンドが羨ましい。
さっと見たところ、二階にそれらしき人物は見あたらなかった。
はい。次、次。
売り場に置いてあったゲーム機のお試し台で遊んでいた千暁をそこから引き剥がし引っ張り、三階のAV売り場へ。
エスカレータで登り切ったところで巨大テレビに出迎えられ、思わず気圧されてしまった。
こんなに大きなテレビを俺の部屋なんかに置いたら、ニュース番組でも酔ってしまいそうだ。テレビ酔いをしなくてもいい家に住んでいる人がどれだけ居るのか、少しだけ興味がある。
それはさておき、画質比較に置かれているテレビで流れている映画を見始めた千暁を置き去り、フロア全体をそれとなく見て回る。
こうもテレビが大量にあると、音だけでなく、俺の場合は視界も煩くなってくる。
通常は吹き出し付き文字になる音声を気を張って意識的に消さないと、あっという間に前方不可視に陥ってしまう。
色々と気を遣うことが多くて、集中力が落ちていく。
ざっと見る限り、ここには居ない。見落としていなければ、という仮定があっての話だが。
どうやらここでもないようだ。
「いないねぇ、所長さん」
目は映画に釘付けのまま、千暁がぼそり。
「おまえは探してねぇだろ」
さっきはゲーム、今度は映画。迷惑にはなっていないが、戦力にもなっていない。
言うつもりはなかった欲を言わせて貰えば、
「テメェ、ちったぁ働け。タダ飯喰らいの癖に」
「ひーん。言葉の暴力だぁ」
内心で思うだけにしておこうと思ったのに、つい喋ってしまった。
とは言え、八割ほど故意だけど。
「虐められる方にもそれなりの原因があるって言うぞ? たっぷり思い当たるんじゃねぇの? おまえの場合特に」
「全然ぜんっぜん思い当たらないよぉ。まどかが弱い者いじめして楽しんでるだけだよ。そうだよね、絶対そうなんだ。そうに決まってる。そのはずなんだ」
「何だよ、その妙に自信のない自己暗示」
「世迷い言明示して多分死んでるだけだよ」
「言い間違いにも程があるぞ!」
脳内の構造は大丈夫か。
もしかして、人の姿になっても脳みその大きさは猫のままなんじゃ……。
「……おまえ、可哀想な奴なんだな」
「その無駄に哀れんだ目線して何考えたの?」
「聞かない方がいいぞ」
「相当ひどいこと考えたでしょ」
「想像に任せるよ。上行こう、上」
口を尖らせた千暁を引きずり、向かうは四階。音楽関係の売り場だ。
「……を!」
突然のことに、変な音が口から出てしまった。
何があったかというと、いざ売り場へと足を踏み込んだそのかなり近くで所長がデジタルオーディオプレーヤーを眺めていたのだ。後ろ姿であったため気付きにくかったが、気付かれないで済んだ。
急いですぐ脇にあったCD売り場に逃げ込み、九死に一生を得た。人の姿である千暁は面が割れていないので、後になって手招きして呼び寄せた。
まったく、なんて心臓に悪いおじさんだ。でも、今回は背を向けていてくれたので許してやろう。
デジタルカメラの次は、デジタルオーディオプレーヤー。デジタル化の波は彼に向けて津波のように押し寄せているらしい。前者はともかく彼が後者を操作できるとは、失礼ながら俺は思っていない。机の上のパソコンの起動率が最低でも一日一回になれば、多少の可能性を考えてもいいのだが、三日か四日に一度しか電源を入れない現状では無理だ。使っていない理由が、使わないのではなく使えないであるから尚更。
CD売り場にて平積みになっているDVDの裏面を興味深く読んでいるフリをして、斜め向かいにある背中に注目。
小さいプレーヤーを手に取ってどうにか操作しようとしているのが、手元が見えなくても判る。時折首を傾げて居る様子からして、相当苦労しているようだ。
そしてこちらの坊やは…………DVDの宣伝のために映像を流しているディスプレイに早くも夢中だ。パッと見、ホラー映画の予告編のようだ。似たような映像をテレビのCMで何回か見たことがある。見に行きたかったのに結局時間を作るのが下手で見損ねてしまったヤツだ。この機会に買っていこうかな……。
なんて考えているのが、完全なる油断。
エレベータに消える所長のコートの裾が一瞬だけ見えた。
諦め早すぎ!
移動の手際良すぎ!
恐らくこの電器屋にはいつも来ていて、何階が何の売り場なのか、頭に入ってしまっているのだろう。そうじゃなかったら、エレベータ脇にある案内図を見てから乗るはずだ。考え事をしていたとはいえ、案内図を見るために立っていたらその姿くらい目に入るはずだ。
扉が完全に閉まったのを見計らって見に行くと、エレベータは上階へ向かっていった。
乗ったまま下に降りる、という事をしなければ、所長は上のどこかの階へ行ったことになる。次に止まったのはまたしたもすぐ上の、五階。またさっきと同じように探さなくてはならなくなった。
「クソッ! 追うぞ、千暁」
「また見逃したのぉ?」
「見失ったんだ」
「でも逃がしたんじゃん」
「だから追うって言ってんだろ。いちいちケチつけるなよ」
「そういうお年頃なんだよ」
「お年頃って、一体いくつだ、おまえ」
「邪馬台国ってホントはどっちにあったか知りたい?」
「マジ!? おまえ、その時代生きてたわけ?」
「パパが教えてくれた」
「何だ。伝聞系か。つまんね」
「でも、麦芽玄米とかいう人のエロキセルなら試したことあるよ?」
「平賀源内で、エレキテル! もういい! 追跡再開!」
不覚にも、巨大な米粒が女体を模したキセルを吸っている図を想像してしまった。
あほくさい。
コレで千暁がまともに学校を出ていると言ったら、頭掴んで振ってやる。絶対、安物の鐘みたいにカランカランいうに決まってる。
そして、所長の捜索は生活家電コーナーへと突入することとなった。
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