第3話

 普通、誰かの家に上がる前にする動作として、まずドアベルを鳴らすのが常識と俺は認識している。もし違ったら誰か教えてくれ。

 ドアベルを鳴らし、名乗り、ドアが開くのを待つ。

 そして漸く中に入れて貰えるかどうかというところまで流れていくはずが、その三ステップを見事にぶっ飛ばして上がり込んできたのは、よくよく見知った顔だ。

「おにーちゃん、どう? 陰気してた?」

 それを言うなら「元気してた?」であるべきで、もしやおまえはこの年で俺に隠居していろとでも……という反論はこの際どうでもいい。

 何故俺の力を使わずにそのドアが開いたのかが不思議でならない。

「挨拶としてどうかと思う以前に、何でおまえ鍵持ってるんだよ!」

「ん? 持ってないよ?」

 さらっと何言った、コイツ。

 鍵も無しにどういう原理でドアが開く。開けゴマとか言うのか?

「このくらいの鍵なんかね、ヘアピンでちょちょいのちょい、ってね。気をつけないとドロボー入られちゃうよぉ? 通帳と暗証番号盗まれたら終わりなんだからね、お兄ちゃんは特に」

 ピッキングか! いつの間にそんな技術を習得したんだ!

 漫画か? 映画か? 何がおまえに要らん技術を教授したんだ!

 しかも、どさくさに紛れて暗に俺の人生を通帳と暗証番号に集約したな? なけなしの貯金が俺の全てなんかじゃないぞ。

「ねぇ、円。この人、だれ?」

「お兄ちゃん。この人、友達?」

 俺の頭痛の種が二つ。互いを認識して目を合わせてしまった。

 自己紹介からその後の流れまで二人で勝手にやってくれないだろうか。

 ……無理だろうな。二人とも俺を見ている。

「コイツは穂乃美。大学一年、俺の妹、腐女子。コイツは鬼頭千暁。洗礼名はミッシェルで、吸血鬼同士のハーフだと」

 面倒臭い。この場から逃亡したいくらい面倒臭い。

 何故なら、吸血鬼などと聞いて、それが男であって穂乃美が黙っているわけが、

「吸血鬼!? ホント? 本物? すごーい! お兄ちゃん、ついに吸血鬼にまで会っちゃったね!」

 ……なかった。

「黄色で叫ぶな!」

 視界で黄色の丸文字ゴシックが躍る。目に痛く、思わず顔を背けてしまった。

 その間に穂乃美は鍵を閉めることなく、俺を押しのけて千暁の前に正座した。

 見つめ合うこと暫し。

 妙な空気の存在を嫌でも感じる。

 突然千暁が顔を向けてきた。

「円って、童貞?」

「え。お兄ちゃんって童貞なんだ?」

 この頭の湧いた吸血鬼は突然何を聞いてくるんだ。しかも穂乃美は追随するどころか、そうと決めてかかるように言ってくるからまた腹が立つ。

「そうだったとしても、何で答えなきゃならないんだよ」

「だって。円の血、美味しかったから」

「あーっ。お兄ちゃん、首筋に痕残ってる!」

 穂乃美が触ってきたものの、痛くはない。噛まれたことを、今の今まで忘れていた。貧血症状は起こしていないようだから、そんなに吸われなかったらしい。

 と、話を戻せ、俺。

 先程千暁にほぼ全否定された俺の知識によれば、吸血鬼は処女・童貞ヴァージンを好むという。血が臭いから、という理由であるとしか俺は知らないが、多分この知識もハイブリットヴァンパイアの前では無駄なんだろう。披露しない方が精神衛生上、いいかもしれない。

 でも、訊いてきたということは何かあるのだろうか。

 二人分の視線がじわりじわりと嫌な熱を持って当たっている。

 何だよ。人のプライベートに首突っ込むなんて、お行儀が悪いぞ。

「ねー、どうなのよ、お兄ちゃん」

 言うのか、斎木円。言ったからといって別にどうということはないのも確か。けれど、絶対弄ってくるんだろうな。この妹の場合。

「言わないってことはそうなんだ。ふーん。二十五にもなっても童貞なんだって鹿子お義姉ちゃんに言っちゃお!」

「残念ながら大学生のうちに失くして来ちゃったんだな」

 ……言ってしまった。

「キャーッ! フケツ! 鹿子お義姉ちゃんに言いつけてやる!」

「どっちにしろ言う気か!」

 言われてもいいけど言われないに越したことはないし言われたからといっていったことが間違いであるわけでもなくだからといって言うことを進める気も更々無いし……。

 頭がぐるぐるしてきた。

 若気の至りとその場の勢いで至ってしまった大学一年の時の話。その彼女とは一年くらいで別れてしまった。詳細は省く。

 今はたびたび名前が挙がっている鹿子、小栗鹿子と付き合って三年。俺の大したことのない遍歴から考えればかなり長続きしてる。大した遍歴がないということはほっとけ。穂乃美は俺と彼女が結婚するものだと思って、彼女のことを「お義姉ちゃん」なんて呼ぶけれど、俺としてはまだ実感が湧かないというか……第一、そんな話も出ていない。以下略。

 そして、千暁、なんだその目は。

「へぇぇぇぇぇぇ」

 脱力系フォントで何が言いたい。

「いいものみーつけた」

「童貞喪失野郎がそんなにいいか? 生憎、俺、ノンケだから」

「ううん。近いけど違う」

「近いのか!」

 そんな穂乃美が目を爛々とさせて食いついてきそうな展開は、俺は嫌だ。絶対嫌だ。

 ぬぁあっ、早くもそんな目をするな。やめろ。俺をあんなジャンルに貶めるな。こう見えても俺は純愛派だから。

 フォローしろ、千暁!

「普通ね、ヴァージンじゃないと美味しくないんだ。でも、そうじゃないのに美味しい円は、貴重だね。レッドリストに載るね。最高の弁当だね」

「絶滅危惧種が弁当って、どういう了見だ! おまえはアカウミガメとタコさんウインナと俺を同列に扱ったんだぞ、今!」

「スッポンの方が好きだなぁ」

 生き血でも飲むんだろうか。それはそうと、この知識はアタリだったようだ。ちまたに流れている情報も、完全に嘘ではないということだ。

「でもねぇ、円。円、磯臭いよ? ほんの少しだけど」

「俺の血はワカメ味か」

「そうじゃなくて、なんか、身体に残り香が付いてる感じ。円自身の匂いじゃないみたい」

「別に俺はダイビングの趣味もないし、漁師の知り合いも居ないし、そんなに海にも近くないはずだし、ここ最近魚なんて食べてないし、勿論ちゃんと風呂にも入ってるのに。なんで磯臭いんだ」

 質素な食生活は、昨日、猫の千暁に見せつけてしまったので、取り繕いはしない。

 もしかして、昨日の昼食のわかめおむすびの所為か? けど、あの後ちゃんと歯磨きしたんだけどな。おかしいな。胃に臭いでも溜まってんのかな。

「それよりー、千暁くんのことよく聞かせてよ。吸血鬼なんでしょ? なんで太陽出てるのに平気なの? 十字架下げてるのに大丈夫なの? ハーフってどういうこと? 左右の目の色が違うのは遺伝? 血液以外の好物って無いの? 好きなタイプはどんな感じ?」

 穂乃美の矢継ぎ早の質問によって、俺は完全に蚊帳の外に置かれた。一つの話題を長く引きずらないのは穂乃美の性格だ。その性格も今回はいい方に作用したけれど、ちょっと傷つくこともあるんだな、お兄ちゃんとしては。

 盗み聞きしたところによると、瞳の赤い色は母親、緑は父親譲り。好物はすあまで、好みのタイプは血が美味しい人。

 ……ってことは、まさか、俺もタイプですか……。

 そんな……ねぇ……。

 誰も否定してくれないか。

 妹に面倒ごとを押しつけるのもどうかという声は聞こえないとして、どうせなら千暁は穂乃美に付いていけばいいのに。乙女の血はさぞかし美味しいことでしょう。

「千暁。穂乃美やるから出て行けよ」

 早速提案してみた結果、穂乃美は嬉しそうな反面、薄情者を見るような目をするし、千暁は首を傾げるし。何が気に入らないというんだ。俺からすると、利害は完全に一致しているはずなんだが。

「同じ体質とは限らないからなぁ……。折角円がいるのに危険を犯す必要ないし」

 確かにその保証はない。血縁でも、この漫画世界は穂乃美には見えない。

 吸血鬼にしてみれば、なにがあっても血の味が落ちない人間なんて最高の食料に違いない。

 俺は遂に人間から食料にまで一息に格下げされるのか。冥王星が惑星じゃなくなるどころの話じゃない。酷い降格処分だ。

 千暁が食傷するまで俺はコイツの餌か……。二十五年間。ツイていない俺の最終身分が〝吸血鬼の弁当〟だなんて。こんな事ならニンニクを食い溜めしておくんだった。多少は血の味が落ちたかも知れない。

 ちょっと待て。なんで決定事項になっているんだ?

「まさか、居座る気じゃないよな?」

「何で出て行かなきゃならないの?」

「何で居座られなきゃならないんだ!」

「何で追い出されなきゃならないのさ!」

「何で追い出しちゃいけないんだよ!」

「動物虐待禁止法違反で告発してやる!」

「おまえは吸血鬼であって動物じゃないだろ。変身できるだけだろ!」

「吸血鬼だって人間だって立派な動物だ!」

「こいつ、傷害罪と動物虐待を同一視しやがった」

「いじめ、かっこ悪いよ」

「おまえは何処の公共広告団体所属だ!」

「A、C。これ何の略か知ってる?」

「う……」

「ただのアルファベットだよ」

「騙された……!」

 だんだん会話が掛け合い漫才に類似してきた。会話に巻き込まれるつもりはないけれど、悔しいと思うということは完全にペースに載せられてることの表れだ。

 穂乃美は実にいい笑顔でこちらを見ている。どうせいかがわしい想像をしているに違いない。受けキャラはどっちかな、とか、もうシたのかな、とか。

 自他共に腐女子と認める我が妹の考えることなんか、俺には到底理解が及ばない。

 そして、こんな思考が回ってしまうのは、すべて穂乃美の所為だ。そうじゃなければ、一生掛かってもこんな知識、頭に入ってこなかったはずだ。……と思う。

「やっぱりお兄ちゃんが受けだね」

 そら来た。――って、受け!

「受け、受けって、受けってもしかして、受けってもしかしてまさか、受けってもしかしてまさか俺が下ってコトか!」

「やだぁ、お兄ちゃん、そんなに『受け』『受け』って連呼しないでよ。萌えるじゃない」

 あまりの衝撃にどもった挙げ句、ノミのピコ方式に喋ってしまっただけだ。

 俺はそんな気更々無い。

「ボーイズラブだかベーコンレタスだか知らないけど、俺を勝手にアングラに堕とすな!」

「ネタ提供よろしくね。それでデビューできたら焼き肉くらいはごちそうするから」

 デビューなんてしてくれなくていい。焼き肉はちょっと食べたいけど。

 二次元世界での男同士の恋愛に嵌ってから早三年。俺は常に穂乃美の格好の餌になっている。友達と話しているだけでBLフィルターを通して覗かれるからたまらない。

 そっち系の小説家としてデビューすると言い始めて半年ほどになる。やめろと言っているのに、本人のやる気は衰えず、今でもネタ集めに余念がない。

 俺はノーマルで恋愛対象は女性に限っていると言ったら、今度はロリコン扱いだ。どうしてそういう思考になるんだ、妹よ。小さいときに一緒にお風呂に入ったのがそんなに嫌だったのか。あの時は可愛い奴めと思っていたのに、今ではその面影も残り少ない。まだシスコン呼ばわりされた方が……いや、それも哀しいか。

「てゆーか、円さぁ」

「んだよ」

 また何か始める気か?

「円って、黙ってれば美人なのに、口開くと凄く詐欺だよね。台無し。クーリングオフしたい感じ」

「返品したって戻ってくんのはどうせ俺だぞ」

「返品は受け付けてるんだ……。申込先、どこ? 実家? ママンのお腹の中?」

「生まれ直せってか!?」

 死ね、と同義語。

 この吸血鬼だって、見た目を裏切ってなかなか頭の悪いことを言う癖に。こっちこそ返品したい。代品なんか要らない。その代わり、一人きりの部屋を返してくれ。

「それよりっ。何しに来たんだよ。電話じゃ何にも言わないで切るし」

「あ、実はね……」

 話題改変成功。これで着地点が良ければ申し分ない。

「じゃーん」

 こういうときに活字が現れないのが、俺が見える世界と実際の漫画との違いの一つだ。

 出現効果音を口で付けて穂乃美が取り出したのは、炒り豆。小袋十パック入りのファミリーサイズ。

 そういえば今日は節分だった。あのコンビニ店員は今日も蛍光色のヅラをかぶって頑張っているのだろうか。

「豆まきしたくて。お父さん、最近鬼の役やってくれないんだもん」

 誰でも親の敵のように豆を投げつけられたら、嫌がって役を買わなくなる。俺はまだ被害にあったことはないけど、あれは見るからに痛そうだった。

 大学に入るのをきっかけに一人暮らしを初めて七年間、二月三日に家にいたことがないので我が家の習慣がどうなっているのか知らなかったが、この様子では穂乃美の暴挙により数年間中止に追い込まれているようだ。

 やめておいた方がいい。鬼を祓う前に、豆を撒く方が鬼の形相なのだから。

「それだけのために来たのか?」

「うん。あとは、お買い物に付き合ってもらいたいなぁとか思って」

 言いながら、穂乃美は大袋をバリッと開けた。

「ひ……」

 続けて小袋も開けた。

「ひっ……」

 さっきから擬音に混じって文字が飛んでいる。

 気が付けば、視界から千暁の姿が消えていた。探してみると、部屋の隅に寄って縮こまっていた。文字の主は、千暁だ。

「なにやってんの、おまえ」

「まめこわい~」

 これは「まんじゅうこわい」の亜種だろうか。嫌いならいざ知らず、怖いとはこれ如何に。

 欲しがっているにしては震えている様子が本物っぽいし。

「吸血鬼が駄目なのって、ニンニクじゃないの?」

 珍しいな。同じ意見だ、穂乃美。豆が苦手な吸血鬼なんて初耳だ。

「でもぉ、吸血鬼は古今東西、強迫神経症と相場が決まっているし……」

 つまり、豆など数を数えられるものを撒かれた日には、拾い上げなければ気が済まない、と。

 それを恐れているのだとしたら解らなくもないが……。

「豆だよっ? 祓われちゃったらどうするのさ!」

「これは鬼を祓うためのもんだろ」

「吸血鬼だよ、俺。血を吸う鬼だよ! 祓われちゃうよ!」

「吸血鬼って言うか……求血鬼っていうか……」

 言葉が活字になって見えるのは俺だけなので、今のセリフはスルーされました、と。

 鬼か。そうか。鬼っていうのは炒り豆で払うんだよな。節分で豆撒くのもその原理だし。

「でも、鬼っていう文字や言葉を使うのは日本だけよね? ヴァンパイアっていうのの語源って、外国語の諸説では大抵翼が関係してるものだし。それとも、日本の純血種の血が混じっているからこうなるのかなぁ……」

 穂乃美、おまえ、オカルト詳しすぎ。俺だって多少は知ってるけど、資料も無しにそらで言うとは、流石。

 千暁に対しては本当に知識が役に立たない。

 だけど、今回ばかりはいいことを聞いた。

 部屋の隅に逃げて怯えまくるほど豆が嫌いなら、いっそ本気で豆撒いてやる。

 鬼の存在なんて信じていないし、炒り豆を撒けば厄が祓えるなんて、撒いているときに少しも思っていない。豆を売っているメーカーの戦略に負けているだけだ、なんて穿った見方さえいつものこと。

 けれど、今回ばかりは大いに利用させて貰おうじゃないか、豆。

「穂乃美。一袋寄越せ」

「えー……ってお兄ちゃん。本気でいじめる気? なんでよ。悪いコトしてないのに」

「コイツは絵本の鬼とは違うからどうだかね。それに、こんな面倒なペット、飼う気無いし。出ていかないなら、追い出すまでさ」

「そのあと凶悪な笑いを付けてくれたら、お兄ちゃんはそろそろこの世を滑る大魔王になれると思うんだけどなぁ」

「滑ってどうする」

「えへへへぇ、間違えちゃってた? ……って、なに覗いてんのよ、エッチ! ヘンタイ! フケツ! 節操なし!」

「関係ないだろ! 特に後半!」

 ノーリアクションも哀しいけれど、なまじ知っている相手からは容易く覗き魔にされてしまうからこれまた哀しい。

 そんな冷めた目で見るなよ。俺が変態ならある意味おまえと同じ穴の狢……って待て。俺は変態じゃないから。覗き見てるのは文字であって、スカートの中とかじゃないから。っていうか、覗き見ですらなく、見えちゃうだけだから!

 ……落ち着け、俺。

「じゃあ、仮に魔王になれたとして、おまえは有能な部下にでもなってくれるのか?」

「勇者のあたしがお兄ちゃんを倒して英雄になるの。だから倒されて? 兄妹のよしみで」

「そもそも勇者っていうのは結果あってからの勇者なんだからおまえは絶対無理。それ以前に魔王の妹として虐め倒されるがいい!」

 ストレス解消の為に思わず「ふはははは!」と言いそうになったのを、すんでのところで呑み込めた。危ない危ない。

「そっちで楽しんでないで、その袋置いてよ、円!」

 恨みがましい声がやってきたけれど、無視。

 千暁が言う、その、とは先程穂乃美から奪い取った俺の手にある炒り豆入り小袋のことだ。

 せっかくありとあらゆる意味で非常識な吸血鬼に対する有効な武器が見つかったのに、手放す理由はない。

 文字通り豆鉄砲喰らわせてやる。掴んで投げれば散弾銃の如き成果が得られるはずだ。

「ほーら、出ていかないと投げるぞ、当てるぞ、食わせるぞ」

「自分で拾ったんだから、最後まで責任持てよ!」

「人間様に噛み付いた犬猫は保健所行きって知ってるか」

「わぁん。狂犬と同じ扱いされたぁ。俺、噛み付いても害無いのに!」

「噛み付く時点で害だ!」

 袋の中に手を入れる。

 取り出さないまでも豆を握ると、千暁の顔が面白いように青くなった。

「ひーん! まどかのばかぁ!」

 他にも何か聞き取れないし読み取れない恨み言を言いながら、千暁はベランダの窓を開けると泣きダッシュで出ていった。

 ベランダの手すりに乗った時点で猫の姿になって、裏庭へとダイヴ。

 ここは二階。下は雑草まみれの土だ。猫ならばこのくらい容易く着地出来……。

「どさっ」

 特太ゴシック体が下からせり上がってきた。ついでに、

「ひーん」

 という泣き声も。

 あいつ、さては猫の格好をしてる癖に着地に失敗したな。声がしたということは無事なんだろうから、心配ないだろう。そのまま無視してベランダに続くガラス戸を閉めてやった。ついでに鍵も掛けて、と。

 もうこれで入ってこられまい。

 豆を投げた事による効果が如何ほどのものか試してみたかったけれど、結果オーライ。煩い鬼は居なくなった。

 残る子鬼をあと半日やり過ごせば、頭痛の種は消えて無くなる。

 手始めに、豆まきを中断させることを提案し、宥め賺して買い物にお付き合いしてやる。これがベストだ。頃合いを見てケーキの一つでも食わせれば大人しく猫を被ることくらい、お兄ちゃんは知っているのだ。

 文句を言われたとしても、ここは下手に平身低頭を貫く方針に決定。そうでなければ、暇疲れよりもしんどい疲労を解消する間もなく、翌日仕事に向かわなければならなくなる。ただでさえ休めていない本日の休日に、それは避けたい。

 さっそくあまり良くできたとは言えないプランを提案したところ、一本釣りみたいにぴょいと引っかかった。

 あとはしなりを使って引き上げるだけ。

 その為の第一歩が、

「あのねぇ、いいカーディガンとコート見付けたんだぁ」

 ブランド名を聞いて、神隠しに遭いたくなった。

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