ゆうえんちにて
黒い嵐が吹き荒れる。
山の麓で発生したサンドスター・ロウの嵐は、近くに停めてあったジャパリバスを瞬く間に飲み込んで、その車体を揺さぶっていた。
荒れ狂うサンドスター・ロウの中、小さな黒い人影が立っている。バスが揺れ動くほどの暴風でも微動だにせず、じっと佇んでバスを見つめていた。
車内には嵐が過ぎ去るのを待つフレンズが数人。そのうちの一人、羽飾り付きの帽子を被ったフレンズが窓へ顔を向けて、驚いたように目を見開いた。直後、慌てた様子で車内へ顔を戻す。
こちらに気付いた彼女を認め、黒い人影は生まれて初めて笑みを作る。表情を変えるという行動は、黒い人影にとって今まで不可能だったことだった。
帽子を被ったフレンズ――かばんが再び外を見た時、黒い人影は姿を消していた。
「とりあえず上手くいったかナ?」
サンドスター・ロウの嵐が過ぎ去り、静けさを取り戻した森の中で、誰かが呟く声がした。
雑音が混ざったような不思議な声は、黒い人影が発したもの。もしバスの車内にいたフレンズたちがその声を耳にすれば、かばんと同じ声色であるのが分かっただろう。
声だけではない。背負った鞄を含め、人影はかばんと同じ姿形をしている。しかし頭に帽子はなく、生気が感じられない真っ黒な体と血のような真っ赤な目は、彼女と似ても似つかない。
かばんとうり二つの姿をした黒い人影の正体は、かつてパークに侵入したヒト……強烈な悪意を持った密猟者を喰らい、その意志や知識という輝きを奪って進化した存在。現在だけでなく過去にもパークをも騒がせていた超大型セルリアンだった。
黒いかばんは右腕を軽く持ち上げると、具合を確かめるように手を握っては開く。
「ふフ……」
皮肉げに、楽しそうに笑って黒いかばんは呟く。
「フレンズさんもこんな気分なのかナ?」
四つ足の体から二足歩行のヒト型に変化した自身の体。今までとはまるで違う新しい体に、まだ若干の違和感があった。
ヒト型になったことで得た五本指で拾った小石を投げ、茂みの葉を数枚むしり取る。
指先だけで行う細やかな作業。以前の体では決して出来なかった事を難なくこなせるヒトの手に、黒いかばんは素直に感心していた。
「へェ……これは便利ダ」
バラバラにした葉を捨てると、黒いかばんは手近にあった木を殴りつけた。鈍い音がして手に衝撃が走る。
「なるほド」
びくともしない木を見つめて拳を下ろす。ヒト型になって細やかな作業が可能になった反面、四つ足の頃に備わっていたパワーは失ったようだ。
しかし、黒いかばんはそれを悲観的に捉えていない。
以前の体ならやすやすと木を揺らし、フレンズを軽々と吹っ飛ばせた反面、巨体故か足や尻尾を振り回す程度の動きしか出来なかった。
それがヒト型になった今の体はどうだ。五本の指を器用に動かし、あの頃なら想像も出来なかった繊細な作業が出来るようになっている。失ったパワーを補って余りある便利さだ。
ずっと大事に保存していたアレも問題なく使えるだろう。喰らったヒトが持っていた道具を思い出した時、黒いかばんのそばを小型のセルリアンが通り過ぎた。
黒いかばんと同様、体色が真っ黒な個体。他にも異常な姿のセルリアンが森の中を我が物顔で行き来していた。
歪な形の腕を生やしたもの。
牙をむき出し四つ足で闊歩するもの。
翼を手に入れて宙を舞うもの。
嵐が起きる前と様相が一変したセルリアンたちに、黒いかばんは笑顔を浮かべる。
自身の進化とパークを作り替えるため、長い年月をかけて蓄えて細工を施し、古い体を爆発させてパークに行き渡らせた変異サンドスター・ロウは、他のセルリアンをも進化させたようだ。
黒いかばんは意識を集中させ、森の中にいるセルリアンを適当に選んで視界を共有する。
セルリアンは考えも意思もなく【輝き】を追い求める行動しか出来ない。しかし自身の意思が混ざった変異サンドスター・ロウを吸収したことで体の一部や分身に近い状態になり、こうして離れた個体と繋がることも可能だ。
映し出されていた景色は以前の体のように視点が高く、枝葉が揺れるのが見える。翼のセルリアンが木に留まっているのだろう。
「おヤ……?」
見覚えがあると思ったら、四つ足だった時にヒグマたちと戦っていた場所だ。そこに数人のフレンズが姿を現し、セルリアンを通して声が届く。
「おーい!ヒグマー!!どこにいるのー!?」
「ヒグマさーん!!」
「ヒグマさん、どこですかー!!」
最初に叫んだサーバルに続いて、ヒグマと共に自分と対峙していたリカオンとキンシコウも声を上げた。バスにいた帽子のフレンズもきょろきょろ辺りを見回している。どうやらヒグマを探しているようだ。
「待って! 今そっちから音がしたよ!」
サーバルが指差した方角の茂みからヒグマが姿を見せて、キンシコウがほっとした様子で話しかける。
「ヒグマさん! よかった……無事だったんですね」
フレンズたちを見つけたヒグマはぴたりと足を止める。そんな彼女に違和感を持ったのか、リカオンも訝るように眉を寄せた。
「ヒグマさん……」
困惑するフレンズたちを高みから眺める黒かばんは、楽しそうにニヤニヤと笑う。
「さぁテ、どうなるかナ」
リカオンとキンシコウを逃がすために最後まで残っていたヒグマは、逃げる間もなくサンドスター・ロウを浴びたはずだ。
大量摂取した生物の闘争本能が刺激されるようにした、変異サンドスター・ロウを。
思ったより早く面白いものが見られるかもしれない。その期待に答えるように、セルリアンを介して咆哮が耳を打った。
「グオオオオおおおッ!!」
獣の雄叫びを上げたヒグマから真っ黒なサンドスターが溢れ出す。それはフレンズが本来放つ虹色のサンドスターではなく、黒いかばんが巻き散らした変異サンドスター・ロウだ。
彼女が熊手を振るった直後にキンシコウが倒れ込み、黒いかばんは身をのけぞらせて歓喜に叫ぶ。
「あはははハ! そウ、そうダ!」
高揚した、そして狂ったような哄笑が森に響く。それを聞いているのは周囲をうろつくセルリアンのみ。
「っな、何してるんですか!!ヒグマさん!!」
「やめてよヒグマ!! わたしたちはセルリアンじゃないよ!! キンシコウとリカオンは、大事な仲間なんでしょ!?」
サーバルとリカオンの悲鳴を歪んだ笑みで聞く黒かばん。フレンズがフレンズを襲う光景は、黒いかばんにとって最高の見世物でしかなかった。
「ヒグマさん…どうして…」
「があああああああああっ!!」
これこそが見たかったもの。フレンズとなって獣の本能を失っていたヒグマは覚醒し、あるべき姿を取り戻したのだ。
獣本来の姿になったヒグマが暴れれば、あのフレンズたちは野生解放をして抗うだろう。奇麗な虹色のサンドスターを纏って野生の輝きを放ち、命がぶつかり合う素晴らしい光景が見られるはず。
黒いかばんが恍惚とした表情を浮かべ、じっくりと動向を見守ろうとした時。
黒いかばんを同じ姿をした、帽子のフレンズが動いた。
直後にヒグマの横を小さな何かが通り過ぎる。それは音もなく滑空する紙飛行機。
いきなり現れた紙飛行機に興味を持ったのか、ヒグマが急に吼えるのをやめた。目の前にいるフレンズたちを放置して、おぼつかない足取りで紙飛行機を追いかけ始める。
「……今のうちに逃げましょう……!」
紙飛行機を飛ばした帽子のフレンズの呼びかけに従い、フレンズたちはヒグマと別方向へと去って視界から消えた。
「チッ……」
黒いかばんは眉をひそめて舌打ちする。せっかく望んでいたものが見られるはずだったのに、邪魔が入ったせいで興ざめだ。
ぎり、と口惜しさに歯を軋ませてから、溜息を一つ吐く。
「……まあいいヤ」
細工をしたサンドスター・ロウは思った通りに働いている。それを確認できたので良しとしよう。
セルリアンとの接続を切って視界を元の景色に戻すと、黒いかばんは両手をこすり合わせて目を細める。
「あの子、気になるなア……」
荒れ狂うヒグマに他のフレンズが困惑する中、紙飛行機を投げてヒグマの気を逸らしたフレンズ。
彼女には尻尾がなく、頭には角や耳もない。そう、動物がヒト化したというより、かつて喰らったヒトそのものに近い。
あのフレンズたちがどう動くか。時々セルリアンを使って監視しておこう。
現在の状況を大まかに把握した黒いかばんは森の中を適当に歩く。やがて開けた場所に出ると、立ち並ぶ木々の陰に隠れていた山が見えるようになった。
分厚い雲に覆われた灰色の空を背景に、山頂から連なって伸びる虹色の結晶。普段と変わらない光景だ。
さっきと同じように、黒いかばんは山にいるセルリアンと視界を共有する。
ボロボロになった三角形の何かと、何か文字……【五合目】と書かれた岩。その向こうには海が見える。おそらくは山の中腹辺りだろう。
視界を共有しているセルリアンに山頂へ向かうよう指示を出す。変異サンドスター・ロウを取り込んで黒いかばんの一部と化しているセルリアンは、黒いかばんの意思に同調して動き出した。
海から視界を外し、セルリアンが山肌を進んでいく。近づくにつれて頭だけ見えていた虹色の結晶がせり上がって、さほど時間を置かずに巨大な姿をあらわにする。
「近くで見ると凄いネ」
山頂に鎮座するサンドスターの大結晶。その下からは虹色と黒のサンドスターが競うように舞い上がり、ある程度上昇してから空気に溶けるように消えていく。
黒いサンドスター・ロウは浮かんで間もなく散っていくが、煌めくサンドスターを霞ませるほどに量が多い。
「うン、順調だネ」
今はここまで行かないと分からない程度だが、時間が経てば経つほどサンドスター・ロウの濃度は上がり、いずれ遠目からでも分かるようになるだろう。
豊かに吹き出すサンドスター・ロウに微笑んでいた黒いかばんは、ふと怪訝な表情になる。
「……ン?」
ほんの一瞬、大結晶の中に人影のようなものが見えた気がした。しかしそれ以上に目立つ妙な物が視界に映り、そちらの方に意識を向ける。
いくつかの丸い形の何かが大きく弧を描くように浮かんでいる。喰らったヒトの知識によれば、あれは中にいるだけで高い所に行ける観覧車というものだ。
山のセルリアンとの接続を切り、近くにいる翼のセルリアンに向かって人差し指を立てる。高々と飛び上がったその個体と視界を共有して、近い距離から観覧車のある場所を確認した。
塀に囲まれた広い土地の中に、宙を一周する道のようなものや色とりどりの模様が描かれた地面など、自然ではありえないようなものが数多くある。おそらくヒトを楽しませるために造られた遊園地だろう。
その遊園地内で無数の黒い影が蠢いている。考えるまでもない、セルリアンの群れだ。空から見ても分かるほどの数のセルリアンがあそこに集まっているのだ。
「ふぅン……」
黒いかばんは壮観な光景に思わず声を漏らす。
四方を囲まれている上にセルリアンが群れを成しているあの場所なら、パワーが格段に落ちた自分の身を守るのにうってつけだ。
遊園地を拠点にすると山を直接管理できなくなるが、セルリアンを置いて守備に当たらせればいいだろう。異変に気付いたフレンズが山に向かった所で、サンドスター・ロウは止められない。
「あの子なら気付くかなァ……」
自分と同じ姿のフレンズの動向に楽しみを見出して、黒いかばんは口元を歪めて笑う。
接続を切り、近くを徘徊していたセルリアンを傍に来させて上に乗る。そして四つ足の頃に縄張りにしていた山の麓を離れていった。
「はイ、お疲れ様」
「ギイヤアア!」
文字がかすれて読めなくなったゲートの前。そこで地面に降りた黒いかばんは、セルリアンを労うように撫でる。寂れた遊園地の入り口でセルリアンの鳴き声が響いた。
音に近いそれが消えかけた時、黒いかばんが背負う鞄に変化が起きる。まるで生きているかのように不気味な動きを見せたかと思うと、先端に膨らみがある触手が飛び出した。膨らんだ部分が真ん中から割れ、上下に並んだ牙が現れる。
次の瞬間、それがセルリアンに喰らいついた。
「ギギャ!」
「もう夜だけどネ」
山の麓からここに来るまでに日は沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。
バリッ、ゴリッと音を立ててセルリアンが噛み砕かれ、二つに分かれた体が地面に転がる。
もしフレンズがこの場にいたら、黒いかばんが笑顔で同族を喰らうおぞましい光景に絶句していただろう。しかし当の黒いかばんにとって変異セルリアンは同一個体であり、自身から分かれたものを元に戻しているだけに過ぎない。
サンドスターへと還るセルリアンの残骸に目もくれず、黒いかばんはゲートをくぐって遊園地の敷地内に足を踏み入れた。
模様の隙間に生えた雑草を踏みつぶし、遠巻きに眺めるセルリアンの視線を集めながら、暗い中でも色鮮やかな道を歩く。
遊園地の中心エリア。その手前にアトラクションとは趣きが異なる建物があった。くすんだガラスで壁が仕切られていて、内部には一目見るだけでも様々な物が置いてある。
黒いかばんは立ち止まって建物を眺めると、そちらへ足を向けて開きっぱなしの扉から中に入った。
台の上や棚には動物をかたどったぬいぐるみや置物が並んでおり、壁には絵や文字が書かれた服が掛けてある。他にも小さな丸い金属製の飾りや黄色い桶など、限られた空間に驚くほどの種類と数の物が集まっている。空から見たアトラクションとはまた違う賑やかさだ。
「売店ってやつかナ?」
陳列されている物を手に取っては放って店内をうろつく。埃を被った元商品は利用価値がないものばかりだったが、メモや記録を取るのに使えそうなノートと鉛筆を見つけ、紙の上に線が書けるのを確認してから背中の鞄に手を突っ込んでしまい込んだ。
ジャパリパークという場所柄か動物に関する本も数種類置かれていて、黒いかばんは適当な一冊を選んで机に腰を下ろす。
日焼けして色褪せた本にはヒグマの生態、サーバルの特徴、リカオンの習性など、役に立ちそうな情報と元動物の姿が載っていた。
ヒトの体と頭脳を再現した事で得た知識欲を刺激され、黒いかばんは本を読みふける。
その間に外ではぽつりぽつりと水滴が落ちて、ほどなく降り始めた雨が音を立てて地面やアトラクションを濡らしていく。
黒いかばんが最後の一冊を読み終えた頃には、外側のガラス壁に無数の水滴が付いていた。
「まったク、よく降るなァ……」
忌々しく見上げる先で雨水が流れ落ちる。自分でも理由は分からないが、新しい体になる前から水に苦手意識があった。
降り止む気配のない雨に溜息を吐いて、閉じた本を乱雑に重ねた本の上に乗せる。憂鬱な気分を紛らわせるためにセルリアンと視界を共有するが、どこも暗さと雨のせいで碌に見えない。
「使えないナ」
苛ついた声で吐き捨てて視界を元に戻し、やつあたり気味に店内を歩く。フレンズたちの動向を探れない上、ここにある本も全部読んてしまったのでひどく退屈だった。
雨の音を鬱陶しく思いながら出入口近くへ移動すると、建物に入る時に素通りしたあるものが目に留まった。
細長く、曲がった部分を使って何本も引っかけられているそれは、雨が降っている時に使う道具。
黒いかばんはぼんやりと外を見やり、掌に目を落とす。
思いついたのは情報収集どころか、本来の目的や計画とはまるで関係ないお遊びだ。
「まァ、それも悪くないカ」
せっかくこの体になったならこの体でしか出来ないことをするのも一興だろうと、引っかかっている傘を一本手に取った。
広げた傘は透明で、金属の部分が茶色く錆びている。ジャパリパークの文字とロゴが描かれた表面は端々が破れているが、雨をしのぐ分には問題なさそうだ。
入口にできた水たまりを嫌そうに避け、黒いかばんは降りしきる雨の中へと歩みを進める。
ザァァァ……。
頭上に掲げた傘は想像以上に便利な道具だった。雨足が強いにも関わらず水が跳ねる足以外が濡れない。
新しい体を初めて動かした時もそうだったが、知識を持っているのと実際に使うのとでは違うらしい。
そんなことを考えて傘をくるくると回す。表面に付いた水が面白いように散らばって、雨と夜の闇に混ざっていった。
回転が止まるのを待って傘を持ち直すと、黒いかばんは空いている手を背中の鞄に何のためらいもなく突っ込んだ。ぐちゃぐちゃと鈍い音を立てて中身を漁り、目的のものを探し当てて腕を引き抜く。
取り出したのはかつて喰らったヒトが持っていた道具。セルリアンの性質である保存の力使って大切に保存していた、愛おしい宝物。
黒光りする金属の塊……拳銃を撫でて、黒いかばんは穏やかに微笑む
「あの子に見せてあげたいナ。ヒトが生み出した最高の産物ヲ」
寂れた遊園地で発せられた無邪気な呟きは、途切れることなく落ちる雨に紛れて消えていった。
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