第29話こころとこころ ⑤

「はい。では、あなたは仁藤 仁左衛門さんを殺害しましたか?」


 ぶっ、ぶっぅーーーーっ!

 稲垣刑事は口に含んでいたお茶を盛大に吹き出した。


「こ、この馬鹿! なんてことを…………!」


 西田 良子は一瞬驚いた表情を見せたが、にこやかに微笑みながら稲垣刑事にハンカチを渡し、自身は汚れたテーブルを拭き始めた。


「まあまあ、大丈夫ですか?」

「あ、どうもすみません」


 稲垣刑事は非常に恐縮した様子で、口元をハンカチで押さえながら話す。


「この馬鹿が突然、変なことを言い出して」

「いいんですよ。若いうちはこれくらいの元気がないと」

「元気ですか…………? 無茶なだけのような気がしますが」


 なんだ? このおっさん、俺のことを馬鹿だの無茶だの、好き勝手言ってないか?


「まあ、実際に事件は起きたわけですから、私と孝さんのどちらが犯人だと疑われてもしょうがない事なのです」


 西田 良子は落ち着いた様子で続ける。


「私は旦那さまのことはよく出来たお方だと尊敬致しております。普段からお優しくてどなたにでも好かれるお人だったと思います」

「では、どうしてあんな事になったのだと思われます?」

「それは私にも分かりません」

「そうですか」


 おっとりとした口調だが、仁藤 仁左衛門に対する敬愛の念が俺にも伝わってくる。


「ところで、孝さんの姿が見えないんですが、どちらに?」


 稲垣刑事が茶菓子を手に、話に割り込んできた。


「ああ、孝さんなら刑事さんがいらっしゃる少し前に急いで出かけて行かれましたけど」


 急いで?


「あのー、すみません。もう一度確認したいのですが、西田さんは事件当時、台所で夕食の準備をなさっていたんですよね?」

「はい」

「では、仁藤 孝さんは何をしておられたんですか?」

「この居間でテレビを見ていらっしゃいました」

「ずっと、テレビを見ていたんですか?」


 西田 良子は首を傾げ、こめかみに指を当てて少し考えてから、


「ええ、誰かにスマートフォンをいじりながらテレビを見てらしたと思います」


 テレビ、スマホ、誰も歩いていない離れへの雪道、そして換気の為に開いていた窓、俺の頭の中でひとつの仮説が構築されていく。


「孝さんの見ていたテレビって、どんな内容だったか分かりますか?」

「えー、私もずっと見ていたわけではないのですけど、何か風景を映し出したドキュメンタリーみたいな番組でしたよ」


 間違いない。…………だとしたら凶器となったあれは今どこにあるんだ?


「事件前後に孝さんに来客はありましたか?」

「ええ、お友達の河合さんがいらっしゃってましたけど…………」

「その時に何か荷物を持ってませんでしたか?」

「そういえば、箱に入った物を持ってらした覚えがあります」


 これって!

 俺の心臓の鼓動がどんどん早まっていくのを感じる。俺の推理が正しければ、今、この状態は最悪の結末を迎えるための序章になっているのではないか? 俺は不安に押し潰されそうな心を鼓舞して西田 良子に尋ねた。


「そ、その河合さんの住所は分かりますか?」

「え、えーっと、ああ、年賀状が届いていました。今、持ってきますね」


 早く、早くしてくれ! 俺の中で嫌な予感がどんどん広がっていく。


「あ、ああ、ありました。ありました。これです」


 西田 良子が差し出した年賀状の住所を見る。


「稲垣さん! この住所へは車でどれくらいかかりますか?」

「んー、そうだな、十五分もあれば着くかな」

「じゃあ、すぐに行きましょう!」


 俺は立ち上がり稲垣刑事を促す。稲垣刑事は茶菓子を手に、焦っている俺のことを不思議そうに眺めている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る