第28話こころとこころ ④

 稲垣刑事は畳が敷かれている部屋の、端にある文机の前に座る。


「被害者の仁藤 仁左衛門さんは、この場所で書き物をしている最中に、後ろから鋭利な刃物で首を貫かれ殺害された」


 稲垣刑事は文机に俯向けに倒れる。


「この様な状態で発見された」


 俺はまわりを見回した。離れの書斎ともいうべきなのだろうか、四畳半の狭い空間には家具などは一切無く、壁に書の掛軸が二本と部屋の中央に灯油ストーブが置いてあるだけだ。


「稲垣さん、出入り口はここだけですよね」


 そう言って今入って来た扉を差す。


「そうだ。他には隠し扉などは存在しなかった。窓は文机の正面と部屋の上部に換気用の窓がある」

「事件当時、これらの扉、窓は施錠されてました?」

「いや、施錠はされては無かった。換気用の窓は開いていた。灯油ストーブがつけっ放しになっていたので、おそらく換気用に開いていたのだろう」

「それでは、誰でも容易に部屋に入る事が出来たわけですね」

「まあ、部屋に入る事はな」


 稲垣刑事は難しい顔をして顎の無精ひげを撫でた。


「問題はどうやって犯人がこの部屋まで来て、被害者を殺害して、この部屋を後にしたかだ」


 その日は一面に雪が降り積もり、母屋から離れまでの石畳には、被害者である仁藤 仁左衛門の足跡しかついていなかったんだったな。


「稲垣さんが来た時にあった足跡は一つだけだったんですか?」

「いや、二つあった」

「?」

「なに、二つあったというのは、お手伝いの西田 良子さんのものだよ。西田さんは台所で夕食の準備をしていたのだが、余りに仁藤さんが戻って来ないので心配になって離れに行ってみると、仁藤さんが殺害されていて慌てて警察に電話をしたそうなんだ」


 今の話だと、お手伝いの西田 良子が犯人である可能性があるんじゃないか?


「ちょっと待ってください。西田さんが離れに行った時、本当に仁藤さんは殺害されていたんですか? 西田さんが仁藤さんを殺害してから警察に電話したってことは無いんですか」

「それは我々も疑ってみたんだがな。鑑識の結果、仁藤さんが殺害されたのは西田さんが発見した一時間前だそうだ」

「そうですか」


 そうなると、やっぱり犯行当時には足跡が一つだけしかなかったってことか…………。


「その上に、厄介なのは母屋に居た二人が互いにアリバイを証明している事だ。西田さんが台所で夕食を作っていたのは孫の仁藤 孝さんが、孫の仁藤 孝さんが居間でテレビを見ていたのは西田さんが確認している」

「外部から他の人が侵入した可能性は?」

「限りなくゼロに近いだろうな。普段、表門は固く閉ざされているし、屋敷の周りは高い塀が張り巡らされている」


 外部からの侵入者がいないとしたら、やっぱり屋敷の中に居た二人のどちらかが犯人という事になる。だけど、二人ともアリバイがあるんだよな。


「母屋に戻って二人に話を聞くか?」


 稲垣刑事はよっこらしょと重い腰を上げた。


「はい」


 俺と稲垣刑事は離れを出て母屋へと向かった。

 俺は外からもう一度、離れの建物の眺めてみる。離れはちょうど庭の中央に位置し、外に張り巡らされている塀からは距離があり、塀から跳び移るなんてことは常人には無理だ。また、周りには松や紅葉などが植えられているが、そこをつたって部屋に入るなんて猿にしか出来ないだろう。

「どうだ? 名探偵! 犯人が分かったか?」


 稲垣刑事がおどけた様に俺をからかう。


「分かるわけ無いじゃないですか。からかわないで下さい」

「ははははっ、そうか」


 高笑いしながら母屋へと進んで行く。

 母屋に上がって居間に向かうと、西田さんが洗濯物をたたんでいた。


「ちょいと、お邪魔しますよ」

「ああ、戻られましたか。では、そちらのテーブルへどうぞ」


 西田さんは座布団を出してきて、俺と稲垣刑事をテーブルに着かせた。


「今、お茶を用意しますから、しばらくお待ちくださいね」


 立ち上がろうとした西田さんを、稲垣刑事が制止する。


「いやぁ、西田さんにお話しをお聞きしたいだけですから、そんなお気遣いは無用です」

「いえいえ、お客様には丁重におもてなししなさいと、亡くなられた旦那さまにも言われてましたから」


 西田さんはそそくさと居間を出ていき、暫くしてからいい香りのする緑茶と茶菓子を俺たちの前に出してくれた。


「おお! これはなかなかのものですな。じゃあ、名探偵。わたしはこのお茶を堪能してるんで好きなだけ聞いてみなさい」

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