乙女の疑問
ジゼルが将軍位にあるのは、単なるお飾りだ。
固定の部下はいない。単に、魔物討伐をしに行くのに兵を指示できる地位が必要で、与えられたのだ。
かつて堕ちた神を封じた乙女の子孫が魔物討伐を使命としている。
というのが、こんな若い外見の女が将軍をしていることに関しての疑問に対する輝かしい答えだった。
数日かけて戻ってきた首都、王宮に与えられた部屋にジゼルは着替えに戻っていた。
夜のため部屋には光がなく明るくないが、ジゼルはろうそくに火を灯さなかった。
片方の手ではクローゼットを開け放ち、片方の手では汚れた軍服の釦を外し外しはじめる。
軍服を脱ぐと下に身につけている白いシャツが現れるのでそれも前に並ぶ釦を外し、片腕ずつ脱ぐ。
出てきたのは白い肌――ではなく、暗い場所で見れば白い手を腕を辿ると急に肌が黒くなったと思いそうな腕だ。
よく見ると、それは邪悪なまでの歪な黒い模様が、蔦にしては気持ち悪く腕一面に濃く刻まれている様だと分かるだろう。
決して消えぬ、ジゼルが呪われているという証だ。堕ちた神が呪いを目に見える形で残したもの。
これは腕だけではない。ジゼルの身体中、肌を埋め尽くす。
顔、手、首など、衣服を身につけていても見えることになる箇所には現れていない。
「よいしょと」
ベッドの上に脱いだばかりの衣服を放り投げて、ジゼルはずっと共にある模様に目を落とさずにクローゼットに向かい、一着ドレスを取り出す。
身につけるドレスは、すべて身体にある呪いの模様により、襟ぐりの開いたデザインの服は着ないことにしている。
腕も同様で手首から手のひら一つ分上まで模様があるので、きちんと手首くらいまでを隠してくれる袖があるもの。
身支度はいつも一人でしている。
王宮に住むことになったばかりのときは侍女をつけられたのだけれど、着替えの手伝いを一度もしてもらうことなく断ったのだ。
困ることもない。今では中々に複雑な形のドレスでも一人で着られるほどだ。まぁそのような凝ったドレスは着ないのだけれど。
身支度を終えたジゼルは部屋を後にした。
向かったのは軍関係の区域だ。
夜であることが作用し、広い長い廊下では誰一人としてすれ違うことなく目的の部屋にやって来られた。
「ジゼルよ。入ってもいい?」
「――どうぞ」
あぁ、やはりいた。
扉の向こうから落ち着いた低さの声が返ってきて、花や鳥の彫刻見事な扉を開けて入った部屋には両脇に巻物や本のずらりと並べられた書架がある。
中央を行くとたどり着く窓の近くの執務机につき、ペンで何やら書きつけている体格のいい男がいる。
エルバート・オーデン、国軍の将軍の地位にある男であり、魔物討伐に関する事は彼の管轄だ。
「魔物討伐の完了の旨は聞いた」
「そう、なら良かった」
「ご苦労だったな」
労いの言葉に「いいえ」とジゼルは小さく返事する。
ジゼルがエルバートとはじめて会ったのは外見年齢若干十歳のとき。ジゼルが六度目の生に当たる今世に入ってからだ。
そのときにはエルバートはもうその地位にあったように記憶している。
彼はすべて――ジゼルが転生していること含め――の事情を察していた。そして外見とちぐはぐな言葉遣いをする子どもを、少しも気味悪そうな顔をすることなく、最初から中身相応の対応をしてくれる珍しい部類の男だった。
オーデン将軍と呼んでいたのを「エルバート」でいいと言ったのは彼だ。
濃い茶の髪は短く、同じ色の目はいつ見ても余計な感情を表さない。
軍人たちの間に収まらず、王宮にいる文官や召し使いたちにも『冷血漢』と言われているほどだった。
冷血かどうかはさておき、軍の高い地位にあるだけに仕事ぶりに無駄はなく的確な指示を出すことは周知の事実だろう。
ジゼルはそんなエルバートといることが好きか嫌いかでは、迷いようもなく好きだ。
この空気にふとしたときに穏やかな瞬間があって、それがとても懐かしい。
エルバートの副官が出してくれたお茶をジゼルがせっかくなのでもらっていると、一休みすることにしたのか、エルバートもペンを置き代わりに茶の入る器を手にしていた。
「クラウス・シモンズには会ったか?」
「ええ。……どうしてそれを?」
ここで出るとは思わなかった名前が出てジゼルは不思議に思う。
数日前の出来事を見たようだ。
けれど、いかに先を見通す能力があれど、エルバートはここにいたはずでそれはあり得ないので、一つの可能性が思い浮かんだ。
「もしかして、あなたがクラウスに私のいる場所を教えたの?」
「教えない理由はなくてな」
どうりで、クラウスが偶然とは言えない場所にいた。
しかしそれでは、クラウスは一度首都に来ていたということになる。
自分が出たのとちょうど入れ違いだったのかもしれない……ではなく、いつの間に交流を。ジゼルは意外感を覚える。
それにしても教えない理由はなかったとは、彼らしい。
いやいや、普通、シモンズ公爵家の嫡男を魔物討伐の場だと分かって教えるだろうか。聞いても行かないと思ったのだろうか。
「惜しい人材だ」
「クラウスが? それは何においてのこと?」
「シモンズ公爵家の嫡男でなければ国軍に欲しい剣の腕だと耳にしたまでだ」
「それ以前にクラウスに国軍は合わないと思うわよ?」
「なぜだ」
「なんとなくよ」
クラウスは規律を守れない人間であるというわけではない。
家出をしていたように奔放な面もあるけれど、それは父親たるデレックとてそうであった。クラウスにも線引きはあるはずだ。
その曖昧なことを表現する術がなくて、そんな言葉で収めてしまうのは何だか嫌だったが、ジゼルは肩をすくめてみせてそれに代えた。
もしやそれで顔を合わせることになったとか?
基本的に高位の爵位は嫡男相続の制度なので、シモンズ公爵家の嫡男であるクラウスはあれでいずれは家を継ぐ立場にある。あれで。
しかし一方でその武術の腕は父親譲り――家柄なのか代々受け継がれており、クラウスの剣術の腕は相当なものだと聞いたことがある。
ジゼルも最近は彼が実際に剣を振るところは見ていないものの、小さなときに振っていたところを覚えている。
そのときには彼はすでにその才能を発揮していたし、今回の魔物討伐においても魔物の残骸を見れば一目瞭然だった。
その腕があっても、三大家と称される家柄の跡継ぎの役目と、国軍での役割は両立できないので、国軍に入るには至っていない。
それにシモンズ家といえば次男――クラウスの弟が国軍に入っているはずだ。久しく会っていない気がするけれど。
元気にしているだろうか。彼はあの家で育ったにしては生真面目で奔放さがなかったはずだ。きっと国軍で上手くやっている。
「それより、クラウス・シモンズは今でもきみに求婚するのか?」
ジゼルがちょうど一口飲んだお茶が温く喉を滑り落ちた。
ごくんと飲み込んで、エルバートをまじまじと見る。
あの言葉を聞けば『求婚』と呼ぶのが正しいそれを、なぜ知っているのか。
王宮で言われたこともあるので、誰か見ていた者でもあるのだろうか。別にジゼルは構わないのだけれど、単に不思議に思う。
エルバートが首を傾ける。
「私に話したことがあったろう。忘れたのか?」
「……そうだったかし――いいえ、思い出したわ」
そんなこともあった。とエルバートの言葉で言ったとおりたった今思い出す。
正確に何年前か細かいことは覚えていない。気がつけば自分が思っているよりも時が過ぎているもので、時間感覚が狂っているのだ。
それはさておき、クラウスが「嫁になってくれ」発言をした当初は、ジゼルとて驚いた。呆気にとられたの方が合うかもしれない。
まず内容が上手く理解できなくてしばらく発言を頭の中で転がしたあと首を傾げて「今何て?」と聞き返したくらいだ。
そのあと素直に同じことが言われたものだからようやく意味の理解はしたものの、前後左右を確認したのだったか。
私に言っているのか?と。
今では慣れたものではいはいといった感じで、流すことも「断るわ」と言うこともそれこそ流れるようだが、そのときは何と言って終えたのか覚えていない。
大方「何を言っているのか?」という感じのことを言ったのではないかと推測する。
今もそういう思いが起こるから。
また何を言っているのか、まあそのうち収まるだろう。と。
そしてクラウスのその行動は一度や二度ばかりではなくなった頃に、彼は一体どうしたのだろうとエルバートにぽろりと言ったのだ。
他でもなくこの部屋で、だった気がする。
「そのときあなた、何て言ったかしら?」
「どうだったかな。私も覚えていない」
言った本人も、他にただ一人いただろう自分も覚えていないのでなければ、迷宮入りが決定した。
いい助言はもらえなかったに違いない。
そのうち収まるのだろうと結論つけた可能性もある。
「あれは何なのかしらね?」
「さてな。きみがそう言うということは今も変わらず、か」
「ええそうみたい」
変わらない部分があることは、どのようなことであれ、どこかほっとする感覚を与えてくれる。
エルバートといることがどこか落ち着くのは、彼の外見があまり変わっていないように見えることが理由の一つとして上げられるのかもしれない。
お茶を飲む将軍の歳はそこそことっているが正確なことは当てられない、ある意味年齢不詳な様を見てジゼルはしみじみと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。