御曹司の宣言
ジゼルが完全に姿を消し、邸から出発し、宵闇に消えていった時を見計らいクラウスの帰りを聞きつけた使用人たちが静められたあと。
シモンズ家では再度父と息子が言い合いをしていた。
場所は父親――デレックの執務室と移った。灯りが最低限にだけつけられ、二人だけを照らしている。
使用人は一人も室内にはおらず、お茶の類いもいらないとデレックが言い置いたためない。
飴色の執務机に両ひじをつき手を組む父親の方は、手を額に押しつけ抑え気味の声を発する。
「ジゼルに迷惑をかけるなと言っているだろう、馬鹿息子」
「迷惑なんざかけてない。それに親父殿だって俺には早く結婚して欲しいだろうよ」
「だからと言って何年……気が済んだのならさっさと大人しく仕事を手伝いなさい」
「
「クラウス!」
父親の言葉をすぐに突っぱねた息子は、咎める声にふいとそっぽを向く。
ちなみにクラウスは、未だに立派な邸にそぐわない薄汚れた格好だ。
部屋自体、精緻な彫刻が施された扉、模様の描かれた本棚、上質な材質な机と揃いの椅子だったり、父親がきっちり服を着ているものだから、誰が見てもちぐはぐな印象を受けるだろう有り様だった。
「お前は――三年も音沙汰なしで。どうせ俺の息子だ、並大抵のことはもちろんそこらの盗賊やらが手を出したとしても、賊の方が可哀想なことになりかねないから生死に関しては心配していなかったが……手紙の一つくらいは寄越さんか」
「俺がそんなまめな性格かよ、親父殿」
「俺はまめだった。まめだったからな」
「嘘をつけ。それは大方お袋だけにだろう」
「愛する女に手紙を贈るには一日一通では足りんからな……いや違うなぜ話が逸れた」
頭を振り、デレックは我に返る。
「愛する女にそれほどまめだった親父殿に言うがな、」
「クラウス、お前がさっきの状態で言うことなど分かっている」
「なんだよ」
「ジゼルのことだろう」
「分かってるじゃないか」
「分からん方がおかしい」
クラウスは薄く笑いを浮かべたが、父親であるデレックは笑わなかった。
彼はクラウスがよほどの問題を起こさなければ普段はにこにこしている方だ。客人の前ではきりっとした表情を装っているが。
しかし今は笑っておらず、至って真剣な顔だった。
「クラウス、お前が家を出ていってしまって俺がしばらくまあ探さないでやろうと思ったのはな、お前がジゼルのことを諦めて男らしく武者修行でもしていると思ったからだ。いや、結局お前は一年はまだしも二年経っても帰ってこないどころか、手紙の一通も寄越さないから探したがな。
一通もなしとは、何度も言うが俺は息子をそんなふうに育てた覚えはないぞ」
「筆まめに育てられた覚えもない」
「そうだ。多少ぶっ飛んでいても、俺自身周りからすればぶっ飛んでない方ではなかったようだから、そこら辺は俺に似たなと思う。だが普通一年に一通はないか? 半年に一通送れとはお前には言わない。無駄だからな。それに行くなら、一年ばっさり雑念と未練を払ってこいと思う。それが三年とはさすがの父である俺も予想しなくて、母さんを宥めるのが大変だったからな」
「それは御愁傷様だ」
「それくらいの言葉を父にかけてくれる常識はあるようで今安心したぞ。そんなちょっぴりだけ常識はあると判明した息子に聞きたい」
組み合わせられた手の向こうから、目が、前に立つクラウスを位置の関係で下からしかし鋭く見据える。
「三年丸々は探さなかったが、一年ちょっとは探した。ジゼルにも手紙を出した。一年前くらいにな。そのジゼルも知らないという、いやジゼルは元々興味関心が薄い方だそれはよしとしようじゃないか。
クラウス、今までどこに行っていた」
「関心が薄いとか言うなよ、傷つくだろう。――ちょっとそこまで」
「誤魔化すな。うちの情報網を知らないわけではあるまい。息子のことだ、本気で探して現在位置とまで欲は言わん。だが親としては少し前、まあそうだな一ヶ月前くらいの情報は知りたいと思うだろう?」
「そうか?」
「そうだ。しかしどうしたことかな、全く情報は出てこなかった。それで俺はまさか万が一億が一、それを超えた稀も稀な確率で大切な息子が野垂れ死んでしまったのかと考えるはめになった。いやいや、五体満足どころか見えるところで怪我もなく、無事でぴんぴんしてる息子を前にして言うには、鍛えたはずの腕を疑うようであれだが。どこぞの賊にやられたとかいう可能性も、過程でちらと考えざるを得なかった。悪党の一つ二つを潰して聞いてみたが、残念なことに外れだった。
では俺の息子はどこにいる?
結論、姿を変えて何かやらかしているのかと考えを落ち着かせて今に至り、アイリーンもその方向で落ち着かせたが、どうだ?」
つらつらとした推理が問いかけを最後に区切りを迎える。
「お前は一体どこで何をしていた」
長い長い、雑談に限りなく近い推理を黙して聞いていたクラウスは続けて黙ったままだった。
さっきまでの飄々とした軽口が飛んでいってしまったように、それでもなお、その口元には薄い笑みが残ったまま。
はじめて部屋に長めの沈黙が作られる。……がしかし根っから沈黙は好まないたちか、沈黙を破ったのは父親の方だ。動かさず顎の前辺りで固めていた手をほどき、前に傾いていた顔を起こす。
「……まあいいとしよう。息子がこうして帰ってきたんだ。ああアイリーンは昨日から出掛けていて明日帰ってくるからな、顔を見せてやれよ」
「心配していたと言うわりにはのんびり出掛けているじゃないか」
「はは、お前の母さんをやるならそれくらいでなければやってられんだろう。元からお前が数日、数週間帰って来ないのはざらだったろう」
「それを言うなら親父殿の妻をやるならも含めるべきだろう」
「何を。俺はアイリーン一筋だぞ」
「それは普段の言動から呆れるほどに疑うべくもないが。街で知り合ったばかりの奴と飲んで、気がついたら夜も越えて朝も越えて一日経っていたとか、それこそ遠くまで出掛けていって一日二日ではない日をかけて魔物討伐しに行くとかあるだろう」
「領地の民との触れあいもそれらを守るのも俺の使命だからな」
「あーはいはい」
「父の話の途中で部屋を出るのはいいが家を出るなよ。しばらくお前の部屋の前と窓の外には人を置いておくことと邸外の警備の人の数を増やすからな。あと使用人全員が監視人だとでも思っておきなさい」
「この家は何だ、牢獄か何かにでも変わったのか」
「お前のおうちだ」
父親の正義感溢れる言を聞いたクラウスは、その時点で背を向けて扉に向かっていたのだった。
「それは愉快な『おうち』だな。じゃあ俺は久々の部屋を拝んで寝ることにする」
「部屋は何もいじってないぞ」
「いじってても構わないが、邪魔なものは窓の外に配置されている人員に投げる」
「刃物は投げるなよ」
「刃物を増やしたのか」と呟いたクラウスは、扉にまで来たので無駄な会話を増やすことはしなかった。
「クラウス」
「おい俺は出ていくぞ親父殿」
「今言うまいか迷ったが言おう」
「いや出てい――」
「ジゼルは駄目だ」
嘘なく扉を開いたところだったクラウスは手をぴくりと動かしたきり止めた。
そして、おふざけ混じりの会話のときとはわずかに異なった声が問答無用で飛ばされてきた部屋の奥に、目だけ向ける。
父親は椅子の背にもたれかかり、太陽ではない光を提供する灯りだけの場ではまるきり息子と同じ色で、形までそっくりな目を息子にではなく単に真っ直ぐに向けていた。
従って、クラウスとは視線が合わない。
「確かに彼女は素晴らしい女性だ。友として俺がよく知っている、お前よりな」
「……」
「だが駄目だ」
「――親父殿は、その理由を決して詳しくは言わなかったな」
デレックが息子の言葉に反応し目を向けたときには、クラウスは扉から一旦手を離し、机の方に身体を向けていた。
「なら俺も今言っておく」
仁王立ちし、宣言する。
「俺は必ずジゼルを娶る」
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